てんてんてんまり てんてまり―――…








 子供の声と毬をつく音…何の悪意も意図も無い、無邪気な声を聞くのは久しぶりだった。

 天井近くの鉄格子、その向こうから微かな光と共に零れ落ちて来た歌。
 『人』の声を不快に感じないこと自体が珍しい…。

 そもそも彼がここに幽閉されて以来、人間の声を聞くことすら稀だった。
 そう…彼は、唯一の窓には鉄格子をはめられ、札が貼り廻らされたこの座敷牢に監禁されていた。
 彼の世話をする人間達は一言も発する事無く、己の仕事だけをこなして去って行く。
 記憶にある限り…誰かと言葉を交わしたことは無く、交わしたいと思ったことも無い…。

 しばらくの間、漏れ聞こえる歌を聞くともなしに聞いていた彼の体が瞬時に強張る。

 …嫌な気配が近づいてくる。
 大嫌いな人間…。

 きゅっと口を引き結び、表情の全てを消し去った。

 程無く、どやどやという足音と共に数人の男達が格子の向こうに現れた。
 音と気配で分かるが、彼はぴくりともせず背を向けたまま人形のように彼等に意志を向けない。
 やって来た男も、それをいつものこと受け流し、使用人らしき者が頑丈に絡められた鎖と鍵を解いた入り口から座敷牢内に足を踏み入れた。

「…ご機嫌いかがかな、竜神の巫子よ」
「…………」
「……ふん。聞こえておるのかおらんのか、相変わらず気味の悪い童じゃ」
「お、お館様っ。そのようなことお言いになっては…っ」
「ふんっ。祟りでも起こると申すか?何も起こりはせぬわ!」

 慌てて嗜めようとした下男に、男は尊大な態度で言い放つが、共をして来た他の者達は一様に不安気な表情で竜神の巫子と呼ばれた少年の様子を伺う。
 その瞳に宿るのは畏怖や脅えで、男のように彼を見下した態度をとる者はいない…。
 彼等は、どう見ても主人である尊大な男よりも、まだ十歳にも満たないだろう少年の方を恐れていた。
 そんな彼等を馬鹿にしたように鼻で笑い、男は少年の着物の襟を乱暴に掴み上げる。
 それを見た下男達の中から悲鳴が上がる。

「お館様っ」
「意気地の無い者共め!これが我等に逆ろうたことがあったか!?攫うて来た当初こそ、何も分からず妖しの技を使いおったが、この封じの呪い札を座敷牢中に貼ってからは大人しいものではないか!」
「お、お館様!お館様どうか!」
「どうかお止め下さりませ!どうかっ!」

 少年を物や玩具のように扱う男に、下男達は色を無くして必死に諌めようとする。
 だが男は、吊り下げられた状態であるにも関わらず、眉一つ動かさない子供をつまらなそうに一瞥し、放り投げるように床に下ろした。

「ひっ、ひぃーっ」
「お館様っ、な、なんという事を…っ」
「恐れるな!この童には今は何の力も無いわ!何じゃお主等、誰も手を貸してやらんのか?」
「そ、そんな…」
「玉体に触れるなどと、恐れ多い…っ」

 呻き声も上げず彼等がこの場所に来た時の姿勢に戻った少年に、男が固まっていた下男達を哂えば、彼等は真実そう思っているのか、もしくは触れたことによる祟りか何かを恐れているのか、必死の形相で後退る。

「ふんっ、腰抜け共めが!おお、そうじゃ!竜神の巫子よ、今年もそちのおかげで我領地は水害や天災に見舞われることも無く豊作じゃ!このすぐ北の国では村が三つも水害で水没したと言うし、南国では蝗の被害計り知れぬと言う…じゃが、我領地だけは避けて通ってくれたわ!竜神の加護様様じゃ!これからも末永う、この国に留まって下されよ?」

 少年の顔を覗きこんで下卑た笑いを曝し、来た時と同じように唐突に座敷牢から出て行く。

 一人満足気な笑い声を響かせ去って行く男の後を、下男達が急いで…だが厳重に錠を掛け直しほうほうの体で追って行った。
 そうして、彼等の気配が完全に消え去るのを待ち、少年は大きな溜め息をついた。

 酷く頭痛がする。
 彼等が来た時はいつもそうだった…。

 言葉そのものが流れ込んで来るわけでは無い。
 だが、嘲笑や見下し、脅えや恐れ等の感情の波が情け容赦無く少年を襲った。
 負の感情は少年の心を突き刺し、気を張っていなければ容易に流されてしまうだろう…。

 精神力を使い果たし、板間に崩れ落ちて休んでいると、頭上から可愛らしい声がした。
 見上げると、鉄格子の向こうから小さな友人が心配そうに顔を覗かせていた。
 微笑んで手を上げると、キキと小さく鳴いて壁を伝って彼の元へ走り、その柔らかな毛で覆われた頭を頬に摺り寄せる。

「…………」

 それを気持ち良さ気に受けていると、今度は羽ばたきの音と共に数羽の小鳥が舞い降りて来た。
 実りの時期も終わり、もうすぐ冬将軍がやって来る。
 その頃になると動物達は冬篭りに入り、訪ねて来てくれるのは土地を移らない小鳥達だけになる。
 けれど、その時期にだけ顔を見せてくれる者達もいる…。

 だから…寂しくはない…。

 今はただ…ゆっくりと眠りたかった…。

















 肌に突き刺さる悪寒で目が覚めた。

 身を起こし、鉄格子の向こうに見えるはずの外界に意識を向けるが、夜明け前の世界は闇の中に沈みこみ、暗さに慣れぬ目では輪郭すらも捉えることは出来ない。
 しん、と静まり返った座敷牢内で動く気配は自分の呼吸くらい…けれど、確かに何かがざわついているのを感じる。

―――――…大気が、揺れている…

 唯一の明かりが入るはずの窓がある方へ顔を向けていると、次第にうっすらと光が差し込みだす…夜明けが近いらしい。
 それと共に近づく幾つもの気配…まだ遠い、見える位置にはいない、けれど感じずにはいられない、覚えのある感覚。

 体の奥深く…根本を等しくする者達が彼の近くにまで来ていた。
 けれど、物心ついて以来ずっと一人でいた彼が、その事実に気付こうはずも無かったが…。















「…………ここにおられるのか…」

 人が通れるはずも無い自然の砦と化した険しい山の頂で、眼下に見下ろす警固な屋敷と田畑を眺め、奮える心を諌めて騎乗したままの女性が呟く。

「やっと…やっとお救い出来ますな」

 背後からかけられた嬉しさを押し殺したような声に、女性も微笑んで頷く。
 彼女に付き従っているのは男女合わせた三十余騎の一族の精鋭達。
 どの顔にも疲労が伺え、だがそれを上回る歓喜が支配している。

 昨日の戦いで、彼等は十人近くのの仲間を失った。
 この六年に渡る旅の前には、更に多くの別れがあった。
 だが、この長き過酷な旅の中、死による別れ以外では、彼等の中からただ一人の落伍者も出はしなかった…ただ一つの目的のためだけに。

 六年前、戦部の里から攫われ連れ去られた御子を救い出すこと。

 今でも目を閉じれば、運命を別ったあの日の情景をありありと思い出すことが出来る。
 戦部の里が炎に包まれたあの日…。

 小国の国境…険しい山間に位置した、神の血を引く者達の小さな集落。
 美しい自然に囲まれた山奥に、彼等のささやかな王国があった。

 人ならざりし力を持ちながら人々から隠れ住むように暮らしていたのは、無用な争いを招きたくなかったからだけでは無い。
 幼い子供達を護るためだった…。
 長年に渡る人との交配と、反対に濃くなり過ぎた血は、一族に子供を残す力を殺ぎ続けた。
 しかし、彼等はそれでよかった。
 子孫を残し血を永らえさすことが彼等の目的では無く、穏やかに、何者にも利用されること無く一生を終えることこそが彼等の望みだったからだ。
 そうしていつか…何も持たぬ人として人間の歴史のなかに埋もれていくつもりだった。

 だが、それでも時折産まれて来る『戦部』の子供達。
 彼等は確実に世界と通じれる『力』を持っていた。
 だがその幼さゆえに力のコントロールが出来ず、人の中に紛れることは不可能だろうと思われた。
 それ故に続いて来た『戦部』の隠れ里は、何処からかもれた噂と伝説で、『神の子が住まう土地』として人々の間でも伝えられていた。

 それに目をつけたのが時の権力者達だった。

 幾度と無く捜索が命じられ、里が発見されたこともある。
 だがその度に彼等の欲する『戦部』の力で撃退し続けて来た。

 そうして続くいたちごっこの中…血が薄れ力が弱まっていく『戦部』とは裏腹に、知恵を着けて来た人間達。
 悪夢は起こるべくして起こったのかもしれない…。

 里中に放たれた火、闇に乗じての奇襲…そして、力を封ずる呪い札…。
 それに気づかなかったのは、確かに自分達の不明…しかし、と憤る心は抑えられない。
 あれほどの仕打ちを受ける謂れが我等にあったのか…と。

 荒ぶる炎の犠牲となったのは、ほとんどが子供や年寄り達だった。
 孤立した小さな山間の炎は、あっという間に里中に広がる。
 力を封じられたことに気づくまで大した時間はかからなかった…だがその時間こそが命取りとなり、凶刃の犠牲となった者は数えきれない。
 人海戦術の消火の後、炎自身が封じの札を焼き消してくれたため、やっと復活した力が召んだ雨で炎は鎮火した。

 その混乱の最中、一族の一番濃い血を引く御子を筆頭に数名の子供達が攫われていたことが分かったのは…その直ぐ後だった。

 直ぐ様追っ手を差し向けたが、自らが召んだ雨により周囲の痕跡は消え失せ、捜索は更に困難だった。
 動ける者達の中から、五十名を越す精鋭達による捜索隊が組織された。

 そしてあらゆる手を使い探し出した子供達は…救い出すことは叶わなかった。
 ある者は人柱とされ、ある者は発狂し、ある者は殺されていた…。

 その全てに関わった人を、土地を、仕組みを怒りのままに無に返し、それでも心は例えようも無い虚しさに襲われる。

 攫われ、売り飛ばされた『戦部』の子供達。
 神の里から攫って来た神の子であることを名目に、闇から闇へと高値で取り引きをされたが、その力のあまりの微々さに…あるいは期待に沿わぬものであったがために殺された罪無き幼い命。
 その前に助けてやれなかったという深い悔恨…。

 そして今、攫われた最後の一人がこの眼下に建てられた屋敷に囚われている。

 『戦部』の『戦部』たる力を受け継いで生まれし和子。
 彼だけは生きて助け出すことが叶うだろう歓喜。

 僅かな情報や、疑わしいような噂にでも飛びつき、戦い、探し続けた六年間。
 おそらく、里を奇襲された時と同じような呪札に封じられているだろうせいで気配すら辿れなかった戦部の子。
 その子を助け出せる。

 噂に聞いた時は、直ぐには信じられなかった。
 『間伐も洪水も無く、豊作の続く土地があるらしい』…まさかと思った。
 いくら戦部の御子といえど、何の力を行使することなくそのようなことが…と。
 けれど、藁にもすがる思いでその土地を治める領主の住む町へと行った。
 そこで聞いた、『ここの領主が「神の子」を匿っている』という話…もう疑う余地はなかった。
 いや、間違っていても構わない…その火の煙で炙り出され、本命が尻尾を出すやもしれなかったから。

 総勢四十数騎で、数百名の兵が詰める城を一晩で落とした。

 仲間も数名失ったが、向こうは城ごと財産も土地も、命も全て失った。
 そこで聞き出したのがこの土地…かの御子が幽閉されているという忌まわしき場所。

「…夜を待たれますか?」

 既に陽は高く、農作業に勤しむ者達の姿を捉えることが出来る。
 一応、といった感じで出された進言に、女性はくすりと笑って否やを出す。

「……いや、どうせ全てを失うのじゃ。昼でも夜でも変わりあるまい」
「では、この土地全てに制裁を?」
「むろん。かような天災も地災も無き地に住み、不審に思わなかったは自身の不明。我等の与り知らぬことよ」
「過ぎし幸運の代価、その身を以って払ってもらいましょうぞ」

 肯定して頷く者達に微笑みかける。
 昨日の戦いから強行軍のでこの地へと駆けつけた。
 休憩をとったのはほんの僅かな時間…疲れていないはずも無いのに、どの顔も生気に溢れている。
 もう一日たりとも彼等の同胞を不遇の身に置くことが我慢ならなかったのだ。

「難を逃れたらしい幸運な罪深き領主はあの屋敷内におると思うか?」
「御意に。御子が逃げるのを恐れ、一年のほとんどこの地を離れぬと城内の噂だったそうでございます」
「ふん、俗物めが。…よい、皆で切り刻んでくれよう。己の罪を冥土へしっかと抱えて逝けるようにな」
「落城を知らす早馬すら出せなかったようでございます。皆油断しきっておりましょう」
「その通り。自業自得じゃ!ゆくぞ、皆の者!」
「閧の声を上げよ!」

 それぞれが声を上げ、只人ならば立つことすら難しい崖を一気に降る。
 あるはずの無い位置からの奇襲に、虚をつかれた兵達が駆けつけ様に切り倒される。
 驚きに振り返った一瞬後には、胴と首が切り離されてごろりと転がる。
 逃げ惑う使用人達にも容赦は無い…彼等にはそれだけの罪があるのだ。

 神の里の子を攫い、隠匿した罪が。

「そなた等は和子の居場所を突き止めておくれ!私はこの当たり一帯を火の海に沈めてくれる!」
「承知!」
「お気をつけて!」

 各々の特異な力に従い役目を果たすべく散った仲間達の中、収穫が終わったばかりだろう田に出た女性の両サイドに二人の男が彼女の護衛に残る。その回りを囲むように押し寄せる兵達を嘲った。

「このような田舎に駐屯する兵の数とは思えぬな」
「それほどに御子を奪取されるのが恐怖だったのでございましょう」
「何、遠慮は要りませぬ。愚か者には死の制裁を!」
「むろんその通りにするつもりじゃ!放て!」

 女性の合図で、二人の男の構えた矢に勢い良く火が燈る。
 それが続け様に四方に放たれ、たじろいだ兵達の中で一気に燃え上がった。
 突如起こった風に勢いを増し、舞い上がる炎の中絶叫が上がり、炎は乾いた土地を駆け抜ける。

「景気が良いのぉ、姫様!」
「ふっ、あの炎の中で我一族は半数を失のぉた。和子を利用し肥え太りおった人間共の悲鳴を聞いても、溜飲すら下がらんわ!」
「全くの同感でございます!参りましょう、姫様!」

 風が凪いで炎が消えた道を確保し、屋敷へと向かう。
 彼女達の一族と兵達とがぶつかり合う声がした。

 どうやら、城を護っていた者達よりも腕に覚えのある者達がここに配属されているらしい…そして、自分達の目的を察して死に者狂いでかかって来るだろう…。
 少しやっかいな戦になるやも知れぬ…そう思いつつ屋敷に討ち入ろうとすると、負傷したらしい左腕を口をつかって布で縛りながら出て来た配下の男が慌てて止めた。

「姫様、なりません!」
「いかがしたのじゃ!?」
「若君は!?若君はいずこじゃ!?」

 矢継ぎ早の質問には答えず、とにかく屋敷から離れるようにと攻撃を避けながら移動する。

「お主一人か?何があったのじゃ?」
「二人、殺られました。姫様、屋敷の中に入ってはなりません!屋敷中至る所に封じの札が貼ってございます!」
「なんと!」

 それほどまでに彼の子の力に依存していたのだと…。
 それほどまでに彼の子は…確かな力を示したのだと…。

 次から次へと蛆虫のように沸いて出て来る兵達は、一様に顔を般若のように歪ませて襲い掛かって来る。
 それを切り結び、薙ぎ倒し、術を使って昏倒して行く。
 そうして人ならざる力を見せ付けても、彼等は脅えを含ませながらも決死の形相で斬りかかって来た。

 まるで、そうすることによって自らの罪から逃れられると信じているかのように…。

 兵達の姿に閉ざされて見えない屋敷の奥に、人の闇を感じてぞくりする。
 けれど引く気はさらさら無い。
 里を焼き払われたあの日に誓った。
 攫われた子供達を必ず見つけ出すと。

 そのためにはどんな手段も選ばない。
 例え人間全てを滅ぼしてでも取り戻す。





 あどけない笑み浮かべ、この腕の中で眠っていた我子を…。







 
つづく