愛しい両親がいます。


 愛し、護り、優しく包んでくれる、大切な家族です。
 血が繋がっていなくとも、彼らこそが、唯一無二の、大切な家族なのです。


 護りたいものがあります。

 愛しい両親との、平和な生活です。
 綱渡りの様な微妙なバランスの上だったとしても、大切に護ってきた日常だったのです。

 それを無情にも奪われてしまったのだとしたら…そんな理不尽が許されると言うのなら、そんな世界こそが必要無いと、胸を張って主張します。


 取り戻すためならば、どんな手段も選びはしないでしょう。













「今の内に発進しましょう!」

 キラがアークエンジェルより、当然のようにただ一機残ったMSに乗って単身飛び出して行ってから数十分…長いフリーズからやっと解凍された地球軍の者達は微妙に現在の状況を理解出来てはいなかったが、そのままぼうっとしている訳にはいかなかった。

 MSには簡単には動かせないようなセキュリティコードがあったはずだとか、あんなに滑らかに無駄無く動くMS初めて見ただとか、乗組員が全てここに集まっている状態で、行ってらっしゃいませと言わんばかりにハッチが開いたのは何でだとか、突っ込み所は満載だったはすだが、そんなものはどこからも出て来ない。
 やはり、冷静さはどこかに置き忘れたままだったのだろう。

 そんな状態で最善の選択等出来るはずもないのだが、このまま固まっていてはいけない事だけは分かっている。
 何せ、現在軍規模の隠密行動中だったはずなのに、情報漏洩のせいであっさり敵襲に遭い、命からがら逃げ出して来た所だったはずなのだ。
 第一級戦闘配備はまだ解かれてはいないはずで、いつ追撃を受けてもおかしくない。

 つまり、戦闘中。

 艦長やらブリッジクルーまでも軒並みこの格納庫に大集合というあり得ない状態ではあるが、いつまでもこのまま固まっていていい訳がない。
 彼らの常識の範囲からは計り知れない何かが起っていた気がするが、それはそれ。
 これはこれ。
 自分達の常識内から出来ることでも動きださねば何も始まらない。
 そうしてやっと解凍した彼らの中で出された言葉が、冒頭のそれだった。

「…バ、バジルール少尉?」

 震える声で頬を引き攣らせ、それでもやっとそれだけの言葉を形にするのがやっとだった艦長。
 言葉に透ける決意は感じても、真意は計れない。

「今の内って…」
「あれがいない今がチャンスです!もし戻って来たらまた何をしでかすか知れません!」
「あれって…」

 ナタルの言い様に眉を寄せるマリュー。

「艦長もお感じになったでしょう!奴は危険です!あれがいては、我々の目的は果たし得ない!」

 心底嫌悪を感じているらしきナタルに、マリューはますます不快になる。
 格納庫に来るまでは、誰よりも声高にキラをMSに乗せて戦わせるべきだと主張していたはずなのに、己の手では御せないと感じた途端のこの手の平の返しよう…悪し様に貶められた手前仕方のないことなのかもしれないが、自分達の盾にしようとして、都合が悪くなればすぐさま切り捨てようとするその姿勢が受け入れられない。
 そんな彼女の思考は、中途半端な偽善でしか無い事には、幸か不幸か気づかない。

「確かに、彼は普通ではないかもしれないわ。でも、彼がいてくれたからこそ、今私達が生きていることも事実よ!それをそんな言い方をして、恥ずかしくないの!?」
「そのようなおためごかしで誤魔化さないでいただきたい!あれは自らここを出て行ったのです!我々が待っていてやる義理など欠片も無いでしょう!今となっては我々の目的はただ一つ!この艦を無事アラスカに届けること!違いますか!?」
「それは論点のすり替えだわ!そもそもの目的はこの艦だけでは無く、五機のMSを届けることだったはず!その点だけでも既に任務は失敗しているもの。それに…」
「だあーっ、もう、うるせぇ姉ちゃん達だな!」

 口論を始めた上位士官達を茫然と見守るしかなかった面々の中から苛立った声が上がる。

「つべこべぬかしてないで、大人しく待ってろよ!」
「「フラガ大尉!?」」

 声の主を探せば、フラガは既に、全てを諦めたかのように、格納庫の床に直に胡坐をかいて座り込み、その膝に肩肘を付いてやさぐれていた。
 この場で誰よりも現状を正しく理解しているのが彼だろう。
 そんな彼だからこそ、現在この艦に居る者全てが大いなる流れに身をまかせ、木枯らしに弄ばれる落ち葉の様に無力な存在に成り下がってしまった事に気づいている。
 卑小な人間如きの浅知恵では、もうどうにもならない所まできてしまっていると…けれど、今さっき出会ったばかりの他の者達に、そんな彼の絶望が分かるはずも無かった。

「どうせ俺達には何も出来ることなんか無いんだから、んなトコで角突き合わせてねぇで大人しくしてろよ!」

 どうでも良さそうに吐き捨てる姿に、女二人の沸点は一気に突破し、共通の敵であるかのように咬みつく。

「何も出来ないなんて、そんな事はないでしょう!?」
「大尉はあれと懇意であるからそのようなことをおっしゃられるのですか!?」

 誰が誰と懇意だ…という言葉を苦虫と一緒に噛み潰し、盛大なため息を落とす。

「…キラが、自分を一時でも拘束、てーか、道具扱いした奴を野放しにする訳無いってことだよ。あいつは、ちょっと事情があって、他人に利用されることが大嫌いだからな。そんな目に合わされようものなら、利用されているように見せて反対に利用し尽くし、ポロ雑巾みたいにして捨てるのがあいつの常道だ。いつもはもっと上手く、相手にすら気付かせねぇように『そう』するのに、今回はこの始末だ。俺はこれ以上、あいつを怒らせたくない」

 青褪めながらそう言ったフラガの様子に、マリューとナタルは不審そうに互いを見やる。
 全く分かっていない様子の彼女達、おろおろと遠巻きにするばかりで何の役にも立ちそうにない他のクルー達その全てにイラつくが、そもそもの隔たりはフラガの説明不足にもある。
 ある意味自業自得と言えるかもしれない。

「あんたらがあいつをどう思っていようと、これから何しよう勝手だが、頼むから俺を巻き込まないでくれ」
「それは、一体…?」
「あんな子供に全面降伏しろとおっしゃるのですか!?」
「その子供一人に手玉に取られてんだろーがっ!!」
「…っ」

 納得しないナタルに声を荒げれば、図星を差されたからか、事実を認めたくないからか、ぐっと詰まった。
 がしがしと頭を掻きつつ特大の溜め息を落とす。

「…そこのブリッジに繋がる通路、ロックされてるだろ?」

 ふいっと顎で指し示すそれに、近くにいたクルーが慌てて確認をとる。
 どうやっても開かない扉に、どちらにせよブリッジに行けないなら、もし今ここで攻撃を受けたとしても何も出来ないことが分かって全員が顔色を悪くする。

「キラがかけてったんだろーが、きっと無理すれば開く程度のレベルに抑えられているはずだ。その辺のさじ加減っつーか、罠は、あいつなら朝飯前にやってのける。行くなら勝手にしろってことだろな」
「……嫌な信頼感ですね」
「…だが、それは見逃すってことじゃあ無い。自分に歯向かうかどうか確認がしたいだけだ。それによって、どの程度追いつめるかの指針が欲しいだけなんだ。俺は、生きたまま寸刻みにされるような恐怖を味わいたくなんかねぇ!だから、逆らうなら、お前らだけで勝手にやってくれ!」

 俺は絶対手は貸さないからな、と言ってどっしり座り込んでしまったフラガの姿に誰もが言葉を無くす。

 地球軍の英雄と誉れ高き『エンディミオンの鷹』の異名を持つ彼がここまで言う相手…彼は一体何者なのか?
 背筋を這い上がる悪寒と共に、身動き出来ないことも相まって、地球軍の者達の思考は変な方向へずれて行ったのだった…。

















「なーんだ、つまんないの」


「「「…………………」」」

 ヴェサリウスのブリッジにて、我が物顔でがっかりと呟いたのは、アークエンジェル格納庫内での話題を一身に浚っている少年で、現在は忍び込んだザフト艦の最高責任者の背後を取ったまま、ジャックしたメインモニターでアークエンジェル内格納庫の映像を上映していたりした。

 定点カメラから撮られた映像なのか、視点に動きが全く無いことがリアルで怖い。
 レーダーですら感知出来ない場所にいるはずの敵艦内の映像を映し出していることが怖い。
 メインモニター以外の全てに映し出されている、ブリッジにビームライフルを向けたままのMSの姿が怖い。
 そのMSから聞こえていた声の主のはずなのに、いつの間にか艦内に侵入どころか、ブリッジにまで入り込んで、更に、誰もが恐れる隊長に銃を突きつけているらしき様子が怖い。
 それを全て片手間でやっちゃってしまっているのだろう、姿が見えない少年が凄く怖い。

 怖過ぎて…艦の心臓部に入り込まれる失態と、隊長を人質に取られるという何重にもなる失態を重ねておいて、未だ誰も振り向いて侵入者を確認出来ていなかった。
 そんな膠着状態の中、唐突に映し出されていた敵艦内と思しき映像も、始まった時と同様唐突に終わりを告げた。

「ムウちゃんもさ、でっかい図体して肝っ玉小さいよね。もうちょっと逆らってくれないとこっちも遊び甲斐が無いよ」

 ちょっと拗ねたように言う声は大変可愛らしいが、その内容は可愛らしいから対極の所にある。

「火中の栗を拾えとは言わないけどさ、一番官位の高い人が、根こそぎ士気を下げるような発言をするのはどうかと思うんだけどなぁ〜。どっかの誰かさんなんて、軍隊率いて僕の住処に攻め込んで来たっていうのにさぁ、ね?どっかの誰かさん?」
「…っ」

 ね、の所でぐりっと押しつけられた堅い感触に息が詰まる。
 これは、間違い無く怒っていらっしゃる。
 弁明をしなくては、と固まりかけていた思考の隅でクルーゼは思う。
 今現在の状況は、全く以って不本意なことに、たまたまの偶然で、非常に不幸な偶然が重なったが故の…。

「はーい。思考の海から戻って来て、ラウちゃーん」
「は、はいっ!」

 穏やかな声音に隠された毒に敏感に反応し、背筋を伸ばして返事した隊長に、部下一同がぎょっとする。
 もしや、まさかとは思っておりましたが、隊長…その後ろの怖い人とはお知り合いでしょうか…?
 聞きたくても聞けない疑問が脳裏を過ぎる。
 仮面の下の素顔と同じ位の地雷ネタがまだあるなんて、思いもよらなかった。
 聞きたい。
 けれど、聞けない。
 というより、そんな状況ですら無い。本来は。
 そんな時ならぬ我慢大会が密かに行われていることなど知るはずも無く、キラとクルーゼの攻防は続く。

「見事ゲームで正解したラウちゃんには、約束通りご褒美をあげないとね♪」
「い、いやいやそんな、お気づかいなく…」
「ちゃんと考えてるから大丈夫!脊髄に鉛玉なんてどう?他人の介助無くては生活出来ない未来をプレゼントフォーユー♪」

 それ、『ご褒美』じゃなくて『おしおき』ですから!とブリッジ中の心の声が揃った。

「あれ?嬉しくて声も出ない?ふふ、そんなに喜んでもらえるなんて、三秒かけて考えた甲斐があるなぁ〜」

 三秒って…とまたしても心の声が揃うが、それは彼ら自身にとっても知られることは無い真実。

「…とまあ、お遊びは置いておいて…本当に気付かないの?」

 楽しげな口調が一転、すっとキラの声音が低くなり温度も下がる。

「………これ、マジックです」

 クルーゼの背に押しつけていた物をふいっと持ち上げる。
 クルーゼを含め、全員が恐々と、そして唖然とそれを横目で見やった。
 確かにマジックだ。
 見慣れた、黒いマジックペンだった。

「善良な民間人である僕が、拳銃なんて物騒な物、元々持ってる訳ないじゃない」

 怒りを覚える前に、ふっと気が抜けたのは一瞬にも満たない瞬間だったが、キラが行動を起こすには十分な時間だった。


――――― スチャっ!


「「「!?」」」

 今度こそ、正真正銘の銃がクルーゼに向けられていた。
 しかも、その銃は艦長であるアデスの物で、クルーゼ自身の物はいつの間にやら床に払い落され、ご丁寧にもキラの足で抑え込まれている。そしてもちろん、向けられた銃の安全装置は外されていた。
 なんという早業…!
 現役軍人達が恐怖に慄いていると、更に彼らを追いつめる言葉が飛び出す。

「僕、銃なんか持ったこと無いど素人だから、肩を狙うつもりで眉間の真ん中打ち抜いちゃったりするかもしれないから、発言には気をつけてね?」

 にっこり。

 かつて、これほどまでに恐怖を誘う笑顔に出会ったことがあっただろうか。
 ど素人は、そんなに素早く、銃の安全装置を外してブレもせず片手で持ったり出来ません。
 そもそも、現役軍人、しかも隊長と艦長から銃を奪えたりなんか絶対しません。
 中立国って、怖か所ね〜と現実逃避気味の思考に奪われる。
 そんな彼らを逃がしてくれないのが、少年から発されるカウントダウンだった。

「…3…2…1…」

 何?と思う間にも告げられた『0』。


――――― ドゴンッッ!!


 響く爆音と小さいながらも揺れる艦内。

「キラ、何を…」
「大丈夫。急ごしらえの簡易爆弾だから威力は無いよ。ただ、ここに着くまでにそこら中に仕掛けさせて貰ったから、それを一気に爆発させたらどうなるか…は僕にも分からないけどね」

 寒い。
 宇宙になんか出て来るんじゃなかった。
 軍になんか入るんじゃなかった。
 もし生きて帰れるならば、軍を辞めて静かに暮らします。

「キラっ!!悪戯はそこまでだ!!」
「…アスラン…」

 ブリッジ中が懺悔の海に溺れかけていたその時、派手な音と共に登場したのがアスランだった。

「どうやって出て来たの?アロン○ルファで密着しておいたのに…」
「ふっ、甘いなキラ。オレ愛用の工具があれば、何も恐れることは無い!」

 ぐっと握られている物は、アスラン愛用のマイナスドライバーだった。何故そんな物を軍服の中に常備しているのか、小一時間ほど問い詰めたい。

「それよりも!お前が仕掛けたという爆弾はオレが全て回収した!大人しくお縄につけ!!」

 突然妙な台詞と共に現れたエースパイロットに、胡乱な視線を投げかけていたクルー達だったが、彼の言葉に希望が見えた。
 ここで人生は終わりじゃないかもしれない!

「…そう、ご苦労様。いくつ回収出来たの?」
「ん?全部で8個だな。中々骨が折れたぞ」
「相変わらず詰めが甘いね、アスラン。全体数も知らないで『全て』とか言っちゃえるおめでたさには脱帽物だよ」
「………全部では、無いと言うのか…?」
「うん。一つ足りないね。君が何所の物を回収して来たのか知らないから、何所のが残ってるって教えてあげられないのが残念だ」
「〜っ、くそうっ!そこで待ってろっ!!」

 そのまま踵を返してブリッジから出て行ってしまった彼を、残されたクルー達が半端に上げかけた腕もそのままに茫然と見送る。
 この侵入者を捕まえてくれるのでは無かったのですか…?
 一度希望を持ってしまっただけに、落とされた絶望の淵が深い。

「ラウちゃんは変わらないね」
「…アスラン如きに君が御せるとも思っていないからね。…残りの爆弾の数も嘘だろう?」
「ふふ。帰って来たら、また教えてあげようかな」

 性質の悪い笑顔は、知っていても心臓に悪い。


「Is it obedience? Or …(服従?それとも…)」


 腹は括った。
 いや、分かっていたはずだ。

 あの幼い日に出会ってから、彼の運命は、キラの小さな手に握られていたのだから…。




 つづく