哀しいことに。



 本当に哀しいことに。
 真実は優しいばかりでは無いということを、僕は産まれる前から知ることになってしまった。

 何故、彼等が僕の前でそんな話をしていたのか。
 何故、僕がそれを理解出来たのか。

 そして何故、その事実を僕は冷静に受け止められたのか…。
 たくさんの偶然が重なり、楽しくも優しくも無い現実が動き出していく。
 そんな中で、たった一つだけ自分の意志で決められたことがある。


 決して、産声なんかあげるものか…と。


















「…懐かしい、夢をみたな…」

 見慣れた天井を見上げ、キラは寝起きには相応しからぬ溜め息を吐いた。
 自分で自分の姿を見ることは出来なかったので、形成上、己がどの程度の状態だったのか知ることは出来ない。視界も薄い目蓋越しにぼんやりと光と影が映る程度。それはその内、断片的であれど、しっかりと映像を結んで行った事からして、この記憶は結構前の方ではないのかということ位しか分からない。

 けれど、それはまるで録音されていた音声を再生するが如く鮮明に紡ぎ出される。
 『KIRA』という実験体の成功を喜ぶ『科学者達』の自己讃美の声が。

 馬鹿らしい。

 人の遺伝子を勝手に弄繰り回しておいて、本人の前で言うことがそれか。
 さも自分の手柄のように功績をべらべらと語っているが、その目の前の乳児以前の『成功体』が、その話を全て聞いている等とは想像すら出来ない程度のお頭の出来の分際で。

 確かに、言葉の意味を理解したのは、この段階よりもしばらく後の事だったが、彼等ご自慢のこの特別製の脳みそは、目の前で繰り広げられた会話の一部始終を洩らさずインプットしていたのだ。
 切なくなる程不本意で、不愉快で、儘ならない現実だった。
 別に自分が望んでそうした訳では無かったが、音でしか、しかも煩わしい雑音でしかなかったそれに意味があることに気づき、理解した時の哀惜は、きっとこの世の誰も分かち合ってはくれないだろう。

 オレンジがかった人工羊水越しに見る世界は、文字通り濁っていた。
 虫の様に『外』で蠢く影達は気味が悪い物体以外の何者でも無く、奇麗な物など何一つ無い。
 心底産まれるのが嫌だったが、データ至上主義の科学者共は、身体のレベルが一定値を超えた途端、人工羊水から『KIRA』を引き吊り出した。

 産まれて初めて覚えた感情は『諦め』だった。

 どんなに抵抗しようと、人工子宮内の羊水を抜かれ、自力歩行もままならないまな板の上の鯉状態時に、あの大きな手で捕まえられたら荷物よろしく運ばれるしかない。
 初めて触れた何者かの体温は鳥肌が立つほど気色が悪かったが、『KIRA』はされるがまま己の体の主導権を放り出し、次々に取り付けられるコードやら何やらにも無関心を決め込んだ。

 そのため、誰も気づかなかった。

 唯一つ許された自由、『産声を上げないこと』を『KIRA』が忠実に実行していたことに。
 データを求めるあまり、赤子が産声を上げないことの不自然さに思い至りすらしなかったのだ、この科学者達は…。

 結果、『KIRA』は生死の境を彷徨うことになった。

 産声を上げるということは、初めて自力で呼吸するということである。
 それなのにそれをしなかったということは、肺液が吸収されず、自発呼吸が出来ないということになる。

 つまり、窒息。

 産婆や助産師やごくごく一般的な産室でならば当たり前に促される『産声』というものに重きをおいていなかった科学者達はそれに気づかず、取り付けた機器のアラーム音に慌てて人工呼吸器を装着させ、無理やり呼吸させることでその場をしのいだ。
 ただ悪戯に自分を苦しめただけだった決意は、後に振り返った『KIRA』に後悔させるものではあったが、『成功』しなかった『実験体』の半分位は、もしかしたら、彼等の無知故だったのかもしれないという疑念も抱かせたのだった。

 だが、その後の生活は、産まれる前に想定していた程悪いものでも無かった。

 科学者、研究員達の目を盗み、常識を覆す様々な遊びを覚えたのもあの場所だったからだ。
 運命の悪戯か、必然か…出会うべくして出会った、自分と同じようで、だが確実に違う彼等と出会い、従え、遊んだ日々は純粋に懐かしくもある。

 だが、あの研究所を擁するコロニーが人為的バイオハザードにより終わりを迎えたように、『KIRA』の『実験体』としての日々も程無く終わりを迎えた。

 あんな研究にかかずらっていた者の身内とは思えない程善良な人間が『KIRA』を保護したのだ。
 初めは無害な赤ん坊を装い、警戒しつつ裏を秘密裏に探ってもみたが、彼を保護した夫婦は、3回転半程ルッツで捻った様な彼の精神による極辛審査を難無く突破出来てしまう位には『普通』だった。
 遺伝子の神秘について真剣に考え込んでしまった程である。

 そうして、『KIRA』は『キラ』となり、全く予想していなかった『普通の子供』になることが出来たのだった。



















「キラ〜っ、起きなさい〜!学校遅れるわよ〜っ!」

 階下から呼ぶ『母』の声に意識が戻る。
 彼女が本当は『叔母』であることをキラは知っている。

 けれども、例え本当の『母』が生きていたとしても、自分が『母』と呼びたい人は彼女だけだった。
 『父』も同じく、今、自分の『両親』になってくれている二人が、キラはとても好きだった。
 キラに記憶さえなければ、血が繋がっていないなど思いもしないだろうほどに愛してくれる両親が、とてもとても大切だった。

 だからこそ、キラは、普通では無い製作過程で産まれ、普通では無い育ち、そして普通では無い身体能力と普通では無い頭脳を持っていても、普通を装うことに何の苦痛も感じなかった。
 他人のエゴによって押し付けられた全ての能力を、忌避こそしてはいないが、能動的に使う気は今の所更々無かった。

「キラ〜っ!」
「あ、はーい!」

 もう一度かかった声に慌てて応え、キラはベットから飛び降りた。
 自分の慌てた返事に、母の穏やかに笑う気配がする。

 仕方が無いんだから、と呆れと微笑ましさを混ぜた想いが伝わってくる。
 そんな、当たり前の日常を感じれる事に、思わずと言う様に穏やかな笑みが浮かぶ。

 微かに聞こえる母の鼻歌と共に香って来る出来たての朝食の匂い。
 目玉焼きにはカリカリベーコンを添えて、母特製のコンソメスープは父のお気に入りだ。
 トーストの焼き上がる香りと父の新聞をめくる音。

 普通で良い。
 穏やかな毎日が愛しい。
 地味で慎ましく目立たない、そんな自分でありたい。

 いつもと変わらない、平穏で平凡な一日が始まる…この時はそう思っていた。







 響き渡る爆音。
 それに負けまいとするかの様にけたたましく響く、避難を促がす警報。

「くそっ、何が起こってるんだ!?」

 必要以上に心を波立たせる赤いランプが点滅する中、キラは教授の客人として来ていた少女を思い出す。
 名前は確か、カガリ・ユラ・アスハ。
 オーブ連邦首長国代表首長の一人娘にして、その実は養い子…キラの遺伝子上の兄弟にあたるはずの少女だ。

 こんな所で会うとは欠片も思っていなかったせいで、爆音と共に飛び出した彼女を追いかけるのに出遅れてしまった。
 最近は平和を愛するあまり、趣味の軽犯罪を怠っていたのが裏目に出たらしい。
 自分の住むコロニーで不穏な動きがあル事を把握出来ていなかった。

 何たる不覚。

 こんなことでは、欠片も愛着は無いが、産まれ故郷で露と消えた科学者達が草葉の陰で泣いてしまう。
 もしそんなことが本当にあったら、指差して哂った後、踏みつけてやる気満々であることは棚に上げ、キラは遠回しに自分の失態を嘆いた。

 たいして戦闘慣れしているとも思えない、危なっかしい身のこなしで瓦礫を避けつつ辿り着いただろうその場で、絶望したように叫んで崩折れた少女を冷めた眼差しで見やる。

 …そんな大声出したら、誰か分からないが誰かに見つかるだろーが。

 案の定…その思いは、言葉にされる前に銃弾という形で彼女に跳ね返って来た。
 溜め息一つで自分の感情に折り合いをつけ、見捨てるのも忍びないとお荷物にしかならない少女を抱え、空いていたシェルターを見つけて放り込む。

 何か文句を言っていたような気がしなくもないが、興味が無かったので存在ごと黙殺し、キラ自身は再び爆音と銃弾の飛び交う戦場と化したあの場へと引き返す。

「…この僕が住む場所で、舐めたマネしてくれたものだよね…」

 薄っすらと口元に笑みを刷き、適当な場所に身を潜め、愛用のパソコンを立ち上げる。
 今のキラは、平和と日常を愛していた穏やかな気配は形を潜め、触れる者皆寸刻みの上ミンチにせんとする程物騒な気が溢れていた。
 残像すら溶けて見えるほど滑らかな動きでキーボードを操作し、並みの動体視力ではストライプにしか見えないデータを流し読み、ある一部に差し掛かり、ふ、と目を細めた。

「…地球軍、ね。まさかモルゲンレーテのこんな奥にまで巣食っていたなんてね。…僕も甘いな」

 オーブと地球連邦とで交わされた不可侵条約、どれだけ恥知らずであろうとも、それ位は守るだろうとたかをくくっていたらこの始末。
 世界を動かすクズ共は、キラの予想よりも遥かに深く広範囲に腐っていたらしい。

 ヘリオポリスは本国からは遠く、戦時であるが故に情報伝達もまちまちであるにも関わらず、技術立国オーブを代表する企業モルゲンレーテを有する工業コロニーであることが災いした様だ。
 確かに、停滞がちな地球軍にとってここの技術は、垂涎の宝だろう。

 だが、だからと言って手を出していいものでは無い。
 しかも、自分の許しも無く。

「……!」

 淀み無く流れていたデータを止める。
 コロニーの住民にすら隠し通していた情報が、よりにもよって敵側のザフトに渡る失態を犯していたことは分かった。
 その程度の事は鼻で嗤って終わりだが、その中にキラにとって見逃せない事実があった。

「…急襲部隊を派遣、任務内容は五機のモビルスーツの奪取。責任者…」

 綺麗な金の髪と蒼い瞳を覚えている。
 自分至上のナルシスト馬鹿のクローンとして産まれた少年は、何処か自分に似た諦めた瞳を持っていた。

 乳幼児に過ぎない自分の遊び相手をしてくれ、キラの他愛も無い悪戯にいつも半泣きで許しを請うていた。
 テロメアがどうとか言っていたが、当時はまだ幼い少年の姿で、手の届く距離にちょうどあった足の肉は柔らかく、力任せに握れば身も世も無い悲鳴を上げては転がっていたりした。
 その反応が楽しくて、握った上に捻りを加えたりもしたものだ。
 おかげでキラの手は、随分と握力が上がったものだ。

 懐かしい思い出に笑みが浮かぶ。


「…ラウ・ル・クルーゼ…」


 名を呟き、更に笑みが深まった。











 データの中に懐かしい名前があったかと思えば、思いもよらぬ人物との再会もあった。

「………キラっっ!」

 見覚えも無ければ知りもしない、全身真っ赤なパイロットスーツに何故か獅子舞を彷彿とさせるフォルムのヘルメット、そして手にはナイフという、不審者を絵に描いたような人物に知り合いの様に名前を呼ばれるのは不本意だ。

 隠密行動だったはずだろう任務で、数多ある色の中から赤をチョイスする神経が信じられない。

 知っている人にはもちろん、知らない人にも知り合いだとか思われたら迷惑だ。
 例え、顔の半分も見えないその状態で、声だけで誰か分かったとしても、全力で人違いを主張したかった。

 タイミング良く復活したらしい地球軍らしき女性にモビルスーツのコックピットに押し込められたのを幸いに、何か喚いているのも無視して息を吸う様にプログラムを変更する。

「ゴキブリは見つけた時に始末しないと、30匹になって戻って来るんですよ!」
「…は?」

 想像したらしい女性は、顔色を無くして固まった。
 その隙にと、一転攻勢に回ろうかとした矢先、まるで誂えたかのような赤いイソギンチャク、基、ターゲットは別の機体にその場を譲り去ってしまった。

「……ちっ」

 千載一遇のチャンスを逃し、思わず舌打ちするが、交代した機体が攻撃して来ようとしているのが分かる。

「あのまま帰れば見逃してあげたかもしれないっていうのに…馬鹿だね」

 名も知らぬジンの乗り手を哀れむ。
 八つ当たりにはちょうどいい。
 次の瞬間、突っ込んで来たジンを素早く抜いたサーベルで細切れにする。
 勢い殺せず通り過ぎた破片達が、背後で小爆発を起こしていた。
 まるで、祝福の花火の様に華やかだ。

「…安心せぃ。峰打ちじゃ」
「………ど、どこが…?」

 意識を取り戻しかけていた地球軍の女性は、衝撃に構えを取れず、頭部を強打し再び現実逃避の海へダイブすることとなった。

 大人しく寝ていれば良かった物を…。













 一仕事終えたキラがモビルスーツから降りると、そこに何故か避難したはずのカレッジの友人達がいたり、多少記憶に混乱を残しつつも立ち直った女性仕官に拘束されたりと色々あったが、アークエンジェルと呼ばれる艦で、キラはまたしても懐かしい顔に出会った。

「キ、キラっ!?」
「…今日は一体、何の日なんだろうねぇ〜」

 驚愕も露に叫ぶ大人に、キラ苦笑しつつも、や、と手を上げる。

 大変顔色が悪いが、それすらも今のキラにとっては弄るためのスパイスの一つに過ぎない。
 今この日この時この場所で、あれとそれとこれが自分の前に出揃うなど、一体何の偶然か。

 いや、そんな偶然などあるはずがない。

 これが必然だというのならば、その主導権の全てはキラに帰結する。
 それ即ち世界の真理。
 自治を保っているかの様に見える世界は贋(まやかし)だ。
 彼の気まぐれによって、生かされている事を知らないだけなのだ。

 うっすらと笑みを浮かべたキラに、フラガの顔色はますます人間離れしていった。
 嫌な予感しかしない。

「大尉?お知り合いですか?」

 地球軍の英雄と言われるムウ・ラ・フラガと、おそらくはコーディネーターだろう中立国の少年の接点が掴めず、困惑気味にフラガを見上げるラミアス。

「いやっ、知り合いっつーか…」
「元気してた?ムウパパ♪」


「「「!!?」」」


 言葉を濁したフラガを尻目に、キラはその場にいる者全てに聞き取れる位の音量で明るく言い放つ。

「音信不通だったから心配してたんだよ、ムウパパ。またどっかに愛人でも作って…」
「わーっわーっわーっ!!なぁ〜に言っちゃってんのかなぁ!この子は!俺達は親戚!そう、親戚みたいなもんだろ!?」

 キラの言いかけた言葉を不自然に遮り、必要以上に大声で主張しつつ片手でキラの口を塞ぐ。
 その手の平の裏で、キラの口が獲物がかかったとにんまり笑んだ事には気づかない。

 ここにいる大勢の地球軍の者達に、コーディネーターの自分と深い関わりがある事を自ら認めたのだ。
 地球軍の大尉である彼が。
 どんな風に遊んであげようか…。

 余計なことを言わないようにとの行為だが、その様子が周りからはますます怪しく見えてしまう。
 そんな周囲に気を配る余裕も無く、フラガはキラにだけ聞こえる声音でぼそりと聞いた。

「………お前、このコロニーに住んでたのか?」
「そ。優しい両親と、平和に平穏に平凡にね」
「平凡…?お前が…?」

 キラの言葉に思わず眉根を寄せるフラガ。
 彼の中では、キラには似ても似つかぬ言葉だったのだろう。

 だが、次いで向けられたキラの瞳に、フラガの背中を高速で悪寒が駆け上がる。
 どうやら、今、自分は、途轍もなくヤバイ状況にあるらしい、ことを自覚した。
 やっと。
 遅きに失したが。

 脳裏に蘇えるのは、思い出すのも恐ろしいトラウマの数々。
 一歩でも間違えれば、そこは地雷原に違いない。

「…あっちにラウちゃんがいるでしょう?」
「あ、ああ…そうだな。奴の隊が来ている」

 現在、偽証は即死に繋がる危険性がある。…精神の。

「どっちが上か、思い出させてあげる必要があると、思わない?」

 その場にいる他の者達からは決して見えない、フラガにだけ見える位置に計算され尽くした、笑顔。
 奇麗な奇麗な、大輪の花が烟る様な、笑顔。
 この笑顔を向けられた者の未来を、フラガは知っている。

「そうだな。その通りだ」

 イエスマンと呼ばや呼べ。
 魂にまで刷り込まれた恐怖を、一体誰が一朝一夕で克服出来ると言うのだろう。
 やれるものならやってみろ。


「手、貸してくれるよね?」



 選択肢など、初めから何処にもありはしない。






「…仰せの通りに」






 
 つづく