世界は不変では無い。


 変わらない物など、この世の何処にもありはしない。

 けれど、彼等はいつか、気づくだろうか?
 自分達が眠れる獅子を起こしてしまったことを。

 自ら眠りについていた忌み子を…目覚めさせてしまったのだとことを。


 さあ、始めよう。
 『コーディネーター』でも『ナチュラル』でも無い、『人間』という愚かな種を支配する、ふざけた主導権を賭けた戦いを。



 その頂点に立つのがあなた達だなんて…誰も決めてはいないのだから。













「御機嫌よう。ブルーコスモスの手足達」

 固唾を呑んでフラガとキラの様子を伺っていた者達に投げつけられた第一声がそれだった。
 地球軍の英雄との誉高き大尉殿と、中立国の学生らしき少年がどのような知り合いであったのか…十二分に好奇心を刺激されるに相応しき状況が災いした。

 例え訓練された軍人であったとしても、突然の襲撃と度重なるイレギュラー、命の危機に、突然降って沸いた空白の時間。
 更に、その場を纏める責任者もいなければ、指示を出すべき者、出せる者の選定すらままならない現状で、出来る限り警戒のアンテナを伸ばしていた彼等の中で、その言葉はナイフの様な切れ味で空間を切り裂く。

 静まり返っていた格納庫に、キラの声は必要以上によく響いた。

「…な、え…?」
「ブルー…コスモス…?」

 その言葉と意味は知っていても、自分達に投げかけられる理由が分からない。
 怒りよりもまず、戸惑いに支配される。
 ざわざわと落ち着きがない空気が充満しつつある格納庫で、つい先刻、最高責任者となってしまった女性が、代表のように茫然と口を開く。

「…何を、言っているの…?」

 譴責するような言葉であるのに、震える口調と青褪めた顔色がその全てを裏切っていた。
 彼女は事実から目を逸らし、平然と人を騙せる程強くは無い。
 けれど、散らばったヒントから真実を見いだせぬ程弱くも無かった。

 認めたくない。
 認める訳にはいかない!

 そんな、声無き悲鳴が聞こえてくるかのような趣だ。
 その場にいる、誰よりも高い階級を持つが故に、彼女は誰よりも情報を持っていた。そう…良くも悪くも。

 だが、それに容赦してあげる理由はキラには無い。

 大切に…それこそ、真綿で包む様に護ってきた平穏な日常を他人の事情で物のついでの様に壊され、住んでいた場所も失い、何よりも愛する両親とすら引き離された。
 攻撃する権利こそあれ、温情をかけてやる義理など欠片も無い。

「分かりませんか?」
「…っ」

 うっすらと笑みを浮かべ、反らす事を許さないと言わんばかりの強い視線と共にかけられた言葉に息を呑む。
 端的な言葉は、だからこそ己の中に答えを持つ者に偽ることを許さない。

 知っているのだろう?
 知っているはずだ。
 無理やり目を逸らし、耳を塞いで、己のいる組織が何をしてきたか、何をしているのかを全力で知らぬふりをしているのはお前だろう?

 キラの目はそう言っているようだった。
 全て彼女が勝手に感じた思い込みだが、それ故に逃げる事は許されない。
 彼女の強さが真実を見極め、彼女の弱さがそこから目を逸らす事を許さない。

「あまりに不敬が過ぎるだろう!何だその言い様は!?」
「…バジルール少尉」

 金縛りのように動けなかったマリューの呪縛を解いたのは、正直気はあまり合いそうに無いが、己の副官となったばかりのナタル・バジルールだった。ほっと安堵しかけるも束の間、ぎくりと体が強張る。

 彼女の生家『バジルール家』…彼女自身のことは知らないが、かの家は例の組織に属している…いや、そこの幹部に名を連ねていると、飽くまでも『噂』だが、実しやかに語られているのを思い出してしまったからだ。

 そして、それを裏付けるかのような彼女自身の言動も…。

 キラはそんなマリューの揺れる心情を、電波でも使っているのかという正確さで読み取りながらも黙殺する。
 これの使い所は…今でなくてもいいのだから。
 今は、この目の前で怒りに震えている女性で遊ぶことにする。
 人に『不敬』と言うが、上官を差し置いて声を荒げるのは、十分に『不敬』に当たるのではないだろうか?
 もちろん、それを親切に教えてあげる気は無いが、居丈高に声を張り上げる姿は、十分癇に障った。

「まるで僕が、何の根拠も無い戯言をほざいているかのような言い方をなさいますね…ナタル・バジルール少尉?」
「…私の名を…!?」

 何故知っている、という言葉は空気に解けたが、誰の耳にも明らかだった。

「コーディネーターの間では有名ですよ?ブルーコスモス幹部のバジルール家。その次期当主のナタル嬢」
「な…っ」

 絶句するナタルに優しく微笑む。

「ブルーコスモスの傀儡、表のサザーランド、裏のバジルール。コーディネーターが嫌い。だって自分達より勉強が出来るから。コーディネーターが嫌い。だって自分達より足が速いから。だからいらない。殺しちゃおう♪『正義』の名の下、地球軍に殺させよう♪ナっちゃん入って何人殺す?…なんて歌がある位」
「………ば、馬鹿な、ことを…っ」

 反論しつつも声に力は無い。
 キラの醸し出す異様な雰囲気に呑まれた、ともいう。
 絡め捕るかの様な威圧感を醸し出す視線を向けられつつ、その先で怪しげな歌を歌われれば、大体誰でも精神的に尻込みするだろうが、そんな自分の状況を客観的に判断する隙を与える程キラは優しく無い。

「事実ですよ?ナタル・バジルール少尉。…ねぇ?ムウ・ラ・フラガ大尉?」

 ちらり、流される視線に、フラガは自分の役目を悟った。
 この場で最も階級の高い内の一人である自分に、証人になれというのだろう。
 階級社会の軍においては、効果的であることは間違い無い。

 己の立場…というものさえ鑑みなければ。
 心の中だけで涙を流し、表向きだけは飄々と、フラガはキラの言葉に同意を示す。

「…そうだな。有名な話だ。地球軍の一番のスポンサーがブルーコスモスだってのは表でもよく言われてたことだが、スポンサーどころか、ブルーコスモスの命令の元、地球軍は動き、作戦を行っている」

 くどいようだが『地球軍の英雄』と呼ばれる男の証言に、格納庫内が激震に襲われる。
 そこらの一般モブの言葉では無いのだ。『地球軍の英雄』の言葉なのだ。そんじょそこらのメタ発言とは格が違う。

「…そんなっ」
「嘘だろう…」
「なんで…だって…俺達は…」

 目の前で繰り広げられた出来事に愕然とする一般兵と整備士達を置き去りに、その場は完全なキラの独壇場だ。
 だが、偏見で凝り固まった家で育った割にはまともだと自称する彼女にとって、己の正義のためにも引いてはならぬ時が今だった。

「地球軍が、仮にっ、そうだと言うのなら、フラガ大尉!あなたはそれを知っていて何故ここにいるのです!?」

 ナタルの叫びに、フラガは嫌そうに答えた。

「んなもん、飯の種だからに決まってんじゃん」
「…は?」

 あまりの返答に、思わず目も点。
 言葉を脳が理解してくれなかった。
 そんな彼女達に追加情報をくれたのは、ありがたくも無いことに、楽しげに笑うキラだった。

「ムウちゃんは暴力事件起こしてパブリックスクール退学になったんだもんね〜」
「…キラ」
「いいじゃない、隠す事でも無いんだし。退学になって、元々そりが合わなかった親と大喧嘩して家飛び出して、身元引受人もいない未成年を雇うほど世間様は優しくない。そんな胡散臭い人間を無条件で取り込もうとする所なんて、闇社会か軍位しかないんだから」
「…まあな」

 見て来たように言うな、との言葉だけは全力で呑み込んで同意だけを示す。
 人の人生を狂わせるという意味なら闇社会も軍もどっこいだけど、人の命を奪うっていう一点なら、軍の右に出る就職先は無いよね〜という言葉が痛い。
 フラガ以外の全てに向けた強烈な当てこすりだが、未だ思考が追いついていないのか、何処からも反論は無かった。
 それを冷笑し、追い打ちをかける。

 酷く、攻撃的な気分だった。
 ここにいる者達は味方では無いが、敵ですら無い。
 捨て置いても構わない、塵芥の存在でしか無いのに、酷く叩き潰してやりたかった。
 つまり、八当たりだろう…。

「今の地球軍なんか、面接でとりあえず『コーディネーターなんか嫌いだ!』って言っておけば採用されるしね」

 もう、言葉も無い。
 その事が嗤え、また、とてもつまらなかった。
 蚊帳の外に置いていたくせに、ちらりとナタルに視線を投げ、意地の悪い笑みを向ける。

「地球軍のイメージカラーは『青』でしたよね。…さて、ではブルーコスモスは?」
「…っっ、あり得ない…っ」
「さぁて、本当に?」
「…っ」

 指摘された言葉に、血も滲まんばかりに掌が握りしめられる。
 それをくすくすと態と聞こえるように嘲笑しつつ、馬鹿だなぁと内心でも嘲笑う。

 証拠は何一つ無いというのに、こんな子供の言葉に、いい年した軍の人間達が、揃いも揃って風に揺れる柳の葉の様に揺らされている。
 感情コントロールがなっていない。
 それもこれも、キラの作りだした雰囲気と言葉運びによるものだということは分かっているが…情けない。
 信念も理念も理想も無いから、こんなことで簡単に崩れる。
 遊びで戦争をやっているとしか思えなかった。


「……あ〜、バカらしい」


 はっと笑ってフラガを見上げる。

「じゃ、僕行くから」

 それだけを告げて踵を返すキラに、フラガは慌てて声をかける。
 従者や下僕の如く従うその姿を笑う者はいない。
 それこそが異常であると気づく者は、果たしてこの先も出るのだろうか…。

「え〜と、どちらに?」
「ラウちゃんのトコ。あ、そうそう…」

 くるりと振り返り、真っ直ぐにフラガに視線を合わせ、嫣然と微笑む。

「…逆らったって、いいんだよ?」
「滅相もございませんっっ!!」

 お互いの立ち位置は既に数メートルは離れているはずなのに、心の奥底までも覗きこまれているかのような威圧感が圧し掛かる。
 視線を向けられただけなのに、眉間にナイフを刺し込まれかけている幻覚に襲われる。

「…そ」

 つまんないの、との言葉とは裏腹に、どうでも良さそうに再び背を向けるキラに向かい、フラガは直角定規も恥じらいそうな90度のお辞儀をして見送った。

「行ってらっしゃいませっっ!!」

 ちなみに、今まで全く出番の無かったキラの学友達はというと…。

「…………ステキ」
「惚れ直すね」

 キラ教信者として当然たる言葉を呟き、うっとりと控えていた。
 余計な口は挿まず、邪魔もしず、つまらぬ意見を具申したりもしない。
 正に『信者』の名に相応しいふるまいだった。















 一方、奪取すべき機体を一機し損ない、情報に無かった戦艦の出現に微妙に肝を冷やした上に見失ってしまう失態を重ねていたザフト軍旗艦ヴェサリウスでは、僚艦とも連絡が取れなくなっていた。

 ザフト軍きっての精鋭として本国から送りだされてきたというのに、この作戦に入ってからというもの、不幸の女神に抱擁されていると言わんばかりのついて無さ。
 緑とはいえ腕前はぴか一だった者とルーキーが一人帰って来ないし、エースは帰還してから何やら精神的にオカシイ、何よりも情報外の敵戦力の存在。

 何か見落としが多過ぎる気がして落ち着かない。
 嫌な予感だけはピンピンするのに、その正体が何か分からないことがクルーゼを苦しめていた。



――― 何か、良くないことが起りそうな…



 そんな思考に囚われかけていた彼の耳に、通信士の報告が入る。

「ガモフを捕捉。通信開きます」

 行方が分からなくなっていた僚艦捕捉の報告に、ブリッジ内がほっと安堵の色に染まる。
 が、開いた通信画面に映ったのは無機質な『SOUND ONLY』の文字。そして…。


『ラーウーちゃん♪あっそびっましょ♪』


 場違いに明るい、聞き覚えのない少年の声がブリッジ内に響く。

「「「……………」」」

 戦闘中であれば、致命的なほどの一瞬、ブリッジの機能の全てが停止した。
 それを操る人を含めて。
 痛いほどの沈黙が、宇宙空間から遮られた、この小さな世界を包む。

「………誰かな、君は…?」

 声が震えたのは、気のせいということにしてもらいたい。

 彼の部下達は、それはあんまりな呼びかけに対する『怒り』のせいだと思った。
 彼の隣に控えていた艦長は、傲岸不遜の隊長の仮面の端から流れる汗を見て、何者か分からぬ相手に対する『警戒と緊張』だと読み取った。

 だが実際は、細胞にまで刻まれている『恐怖』によるものだったなどと気づいた者はいなかった。
 声をかけられた本人以外には。

『あれあれ〜?僕が分からないのかな?本当に?』
「…生憎と、こちらは現在作戦中でね。関係の無い通信は…」
『よし!じゃあゲームをしよう!』
「………」

 お願いですから見逃して下さい、と土下座したくなる心をなけなしの虚勢でコーティングして出した言葉は、無残にも途中でぶった切られてしまった。

 もう一度同じだけの勇気を振り絞れと言われても無理だ。
 ライフはゼロ所か、マイナス経路を驀進中。
 麗しの金髪が、一瞬でくすんだ様な気がした。
 しかし、無情にも現実は彼に一切の情状酌量の余地を与えず、長い物に巻かれる事こそ至上の幸福と言わんばかりの未来を進呈して来る。

『ラウちゃんが鬼だよ。正解したらご褒美あげる。じゃ、スタート♪』

 何のゲームかの説明も無いまま一方的に通達されたそれに、クルーゼが慌てる間も釈明の機会すらも無く、かぶせる様に通信士が声を張り上げた。

「前方500メートル!敵影を発見!!」
「なっ!?今まで何をしていた!?」
「レーダーには何もありませんでした!突然現れたのです!!」
「馬鹿なっ」

 うろたえる通信士を叱責しつつも、艦長も信じられない状況に思考をフル回転させる。
 そこに、開きっ放しの通信から聞こえてくる歌。

――――― かーごめ、かーごーめぇ♪

「これは…」
「敵影、照合!これはっ、奪い損ねた地球軍の最後の一機です!」

 艦内で鳴り響くエマージェンシーコールが煩かった。
 有り得ない程近くに突然現れた敵モビルスーツ。
 それが更に常識を逸脱した速さで迫り来る。
 理屈よりも経緯よりもまず、迎撃をしなければならなかった。

――――― かーごのなーかのとーりぃはぁ♪

 突然襲った衝撃に、全ての者が慌てて体勢を整える。

「なんだ!?」
「バルカン砲ですっ!照射位置不明っ!」

――――― いーつーいーつー、でーあーう〜♪

「どういうことだ!?敵は一機では無いのか!?他に機影は!?」
「ありませんっ!レーダー捕捉は一機のみ!距離200!」
「迎撃、間に合いませんっ!!」

――――― よーあーけーのーばーんにぃ、つーるとかーめがすーべったぁ♪

 トリコロールカラーのモビルスーツが、レールガンの射程を掻い潜ってブリッジに肉薄する。
 57ミリのビームライフルがブリッジの大画面いっぱいに映し出された瞬間の絶望を、何と表せばよいのか…少なくとも、その場に居合わせた者達は死を覚悟した。



「後ろの正面、だ〜れ?」



 通信機越しに聞こえていた歌が、クルーゼのすぐ後ろから続いた。

「「「………………」」」

 前方には、エネルギーを蓄えているらしき大口径のレールガン。
 けれど…誰も振り向くことなど出来なかった。

 ごくりと唾を飲み込み、クルーゼは前を向いたまま震える吐息に音を乗せる。

「………………………キ、ラ?」
「正解〜♪」

 ご褒美進呈、と背中にごりっと押しつけられたのは、銃の感覚だった。




 
 つづく