残暑厳しい新学期の始まった九月。
二年生のとある教室で、暑苦しくも扉も窓も閉め、何やら真剣に語り合っている男女がいた。
「はあ?」
彼の一言に、少女は身を縮め、上目使いに彼を伺う。
「…悪いけど、もう一回言ってくれるか?」
「…えっと…その…」
ずいっと乗り出してくる彼の眉間に寄った皺に、暑さだけでは無く汗が流れる。
「…聞き間違いかと思ったけど…やっぱりそう言ったのか…?」
「う…うん…」
少女が何とか頷くと、彼は呆れた様に深い深い溜め息を零し…彼女はただ、乾いた笑いを浮かべるしか無かった…。
事の起こりは、最近様子が変だな〜と思っていた親友が、話しがあると放課後に居残ったことから始まった。
彼女は人の気配の薄れた教室で、それでも細心の注意を払い、人に聞かれ無いよう密閉空間を作り上げた。
おかげで暑い…うだるほどの暑さではでは無いが、うんざりする気分は拭えない…。
しかし、それほど大切な話しだと身構えた彼は、その内容に驚きよりも呆れを禁じ得なかった。
「……太一ぃ〜…」
心細そうな彼女…空の声に、太一はまた一つ溜め息をついて顔を上げた。
「……聞いていいか?」
「…なぁに?」
「…何で、よりにもよって、ヤマトなんだ???」
心底不思議そうに聞く太一に、空もまた、困った様な笑顔を浮かべる。
そう、この暑い中彼等が話しているその内容は『恋愛相談』…空は太一との約束を守り、気持ちを自覚して一番に彼に報告した。
というより、彼にしか相談出来なかった。
「…ねえ?」
「『ねえ?』じゃねえ。どこがいいんだよ?」
「…どこっていうか…」
頬杖を付き、半ば投げやりな状態で聞く太一の前で、空は畏まった様子で座っている。
しかし、この太一の態度も無理も無い。
昨日今日知り合ったわけでは無い。三年間友人でいて、いい所も悪い所も知り尽くし、その容姿と本人の要領の悪さのせいで、女難の相にたっぷり浸かっている彼をいきなり『好きになった』と言う…太一にしてみれば不思議で仕方が無い。
「…ほっとけないって言うか…」
「ほっとけないって言うか?」
「…ほっとけないって言うか…」
「…ほっとけないって言うか…?」
「……ほっとけないって言うか…」
「………」
太一が胡乱な瞳を空に向ける。
「……空。そーいうの、『母性本能』って言わねえか?」
「………」
「…それは、ホント――――っに『好き』なのか?」
そう言われると自信が無い。
それでも、『そうだ』と言い切れる心も確かにある。
そんな思いを読み取ったのか、太一がまた溜め息をつく。
「……分かった。…空がそう結論を出したなら、それでいい」
「…太一」
「だけど、もう一回よく考えろ!」
理解を示した太一に空はほっとした表情を見せたが、息つく暇も無く目の前に指が一本差し出された。
「オレが思うに、お前等がくっつくとしたら、それは全て空次第だと思う!」
「…え?」
「ヤマトは絶対自分じゃ行動を起こさんだろう。何せあいつは女を怖がってる節があるし」
「…まぁ、それは確かに…」
「だけど、空だけは平気だ」
「ミミちゃんもじゃない?」
「それはそうだけど、ヤマトはミミちゃんの好みじゃねえ!」
その言葉に、空は不思議そうに太一を見る。
「……断言するわね」
「確信を持って言えるね」
聞いたわけでは無いけれど、何となく納得してしまえる自分にも、ちょっとだけ笑える。
「で、だ。ヤマトは空に告白されれば、その気が無くても落ちるだろう」
「その気が無いのは、嫌だなぁ〜」
「バカ。『その気が無い』のはお前が言うまでだ。空が『好き』だって言えば、あいつはその瞬間にだって、空のこと好きになるね」
「なんでそんなの言い切れるのぉ〜?」
不思議を通り越して、怪訝な思いで訪ねれば…。
「お前が『竹之内空』だからだよ」
と返される。
ますます分からなくて首を傾げれば、太一は分からなくていいと言う。
「だから、ホントによく考えろ!言っちゃ何だが…ヤマトは顔はいいけど、疑り深いし、へこむと長いし、対人関係苦手だし、そのくせバンドなんかやってるもんだから始終周りに女がうろついてる。そのくせかわすの下手だから、墓穴掘って墓穴掘って墓穴掘って、泣きついて来たのなんて両手の指で足りるか?」
「…足りないわね」
「そーだ。足の指足しても足りねえ!そんな奴彼氏にしてお前大丈夫か?ダチでも男といりゃ目くじら立てるだろーし、思い込み激しいから誤解でも中々解けないだろーし、なのに自分はファン相手にへらへらしていいかっこして、その皺寄せが全部空に来ることになるんだ。それで嫌だな〜とか思っても、独占欲強そうな粘着体質だから、二度と離してもらえないぞ?下手すりゃ墓場までGO
TO RUNだ」
「……言いたい放題ね」
「んじゃお前、否定出来るか?」
「……出来ない…」
がっくりと肩を落とした親友に、太一は何とも言えない複雑な表情を向ける。
庇いたいのは山々だが、彼のことは知り過ぎていて…否定する材料が何処にも無い。
「…別に時間が無いわけじゃ無いだろ?よく考えて、答えを出してくれ。…いや、出して欲しい」
「…太一?」
「中途半端にはなって欲しく無いんだ。…お前等は二人共…オレの大事な親友だから…」
「…うん、分かった」
太一の真剣な言葉に、空も固くなっていた体の力を抜いて笑った。
真実自分を思って言ってくれる言葉だからこそ、温かみがあって、心に届く…。
だから、その思いを大事にしたい…例え答えが変わらなくても。
その日は二人で、久しぶりに一緒に帰った。
クリスマス。
後輩達の粋な計らいにより、太一達はこの聖夜を大切なパートナーと過ごせることになった。
そして、『中学生バンド大会』なるもののせいで、予定していたクリスマスパーティーを潰し、冷やかしも兼ねてヤマトの応援をしに集まることになったのだが、待ち合わせ場所にはまだ誰の姿も無かった。
時間が早かったこともあり、その時間を利用して、挨拶だけでもしてこようと向かった楽屋の前で、立ち竦んでいる空とピヨモンを見つけた。
「空!」
「た、太一!?」
声をかけると、途端に焦って持っていた大きな箱を隠そうとする。
それだけでぴんと来た。
ああ、と思った。
「手作りか?」
「関係ないでしょ!?」
真っ赤になる仕種が可愛い。
自分といる時にはついぞ見たことの無い、『女の子』の顔。
突然扉が開き、ガブモンが顔を出した。
楽屋の中でこんな好き勝手にデジモンが動いている様では、きっとバンドのメンバー達は揃って席を外しているのだろう。
今がチャンスだな…と自然に思った。
「空」
呼びかけると、泳いでいた視線が太一を見つめる。
きっと、自分の言葉通りに考えて考えて、考え抜いて出した答えなのだろう…暑かった教室で初めて相談を受けてから、何度か彼女の言葉を聞いて、今はもう街中クリスマスソングのかかる年の瀬だ。
「…ほら、行けよ」
「……うん、分かった…」
背中を押し、彼女を送り出す。
その背中を見送る自分の胸に、少しだけ寂しさがあるのも本当。だけど、彼等が幸せになってくれるのなら、その方がきっと、何十倍も嬉しい。
「…太一ぃ〜?」
「ん〜?」
アグモンがコートの裾を引っ張るのに顔を向けると、そこには、出会った頃から少しも変わらない…優しい瞳が微笑んでいた。
「大人になったねぇ〜♪」
「ばぁ〜か」
悪態をつきながら、それでも変わらない確かな存在に感謝した。
大丈夫。
どんなに時がたったとしても、変わらない、確かなものがあるのだと…。
最終学年に進学し、この次の年には離れ離れになるだろう自分達への餞別のように、太一・空・ヤマトは同じクラスになっていた。
この頃になってようやく、太一と空がつき合っているのでは無く、ヤマトと空がつき合っているのだと世間に知られて来ていた。
きっかけは、この春復活したディアボロモンがネット上に配りまくった写真のせい。
おねしょ布団の前でピースする少年が太一だと気づく者は少なかったが、リアルタイムなデート現場を押さえた写真では、噂が広まるのも早かった。
彼等にとっては今更なネタだったが、ずっと太一と空がつき合っていると信じていた者達や、それ故にアプローチを諦めた者達にとっては正に青天の霹靂だった。
何せ、彼等は常に三人でいることが多く、途中からは後輩が一人増えたが、その二年もの間…太一と空がつき合う前もその後も、そしていつの間にか別れていたらしい後も、更に空とヤマトがつき合いだしたという後も、端から見ていてその関係が少しも変わったように見えなかったのだ。
親しい者からすれば、ヤマトの…特に嫉妬深さは顕著だったらしいが…第三者以上の者には分からない。
しかしおかげで、最近では太一の周りが騒がしくなり、周囲を含めて辟易している。
そんな、まだ受験勉強には本腰を入れる気分にならない、春の匂い濃い放課後の教室で、既に恒例になってしまった太一と空の密談が繰り広げられていた。
「あ〜あぁ〜…」
「何だ、空。重い溜め息ついて…生理痛が酷いのか?」
「…違うわよ」
「もしかして、生理自体が来ないのか?」
「ちっがぁうわよ、バカ!」
「分かってるよ、ばか」
軽いジョークを交えながらの言葉のキャッチボール。
珍しくお互いに部活の無い日…用事がすぐ済むというヤマトを待っての一幕だった。
結局、二人の関係が変わることは無く、三人の関係が変わることも無かった。
ただ、空とヤマトの間に『恋愛感情』があるだけで。
本当は、それだけで随分と変わっても良さそうなものなのだが、実際は拍子抜けするほど穏やかだった。
「…で、今度は誰と疑われたんだ?」
「E組の中島君…もー聞いてよ、太一!」
と、内容的には変わり映えの無い…固有名詞だけが違う愚痴が弾丸のように弾き出される。
それを太一は、苦笑を浮かべ、頷きながら静かに聞き役に徹する。
太一の存在があるからこそ空も不満の捌け口に困らずにいるのだが、それを知ってか知らずか、ヤマトも疑うことに余念が無い…。
「あ〜もうっ!何だってあんな疑り深いのかしら!気づいてほしいことにはてんで鈍感のくせにっ!」
「まあまあ、そんでも『ほっとけない』んだろ?」
「…………うん……」
激昂していた空が、太一の言葉に一気にクールダウンする。
大人しくなった空にそっと心の中で笑いながら…それでも今は、彼女が彼を『ほっとけない』だけでつき合っている訳では無いことを知っている。
言葉には出来ない、たくさんの想いがあることを知っている。
空が愚痴るのも、信じて欲しいのに信じてもらえないもどかしさによる所が大きいだろう。
「…バカだからな、ヤマトは…」
「…うん」
「信じて欲しけりゃ、自分が信じなきゃって知ってるはずなのにな」
「…うん」
「だけど、それは空も同じだぞ?」
「…うん、分かってる」
「あいつとつき合うには、初めは忍耐だよな」
「うん、そうだよね…」
空の雰囲気が柔らかくなる。
傷ついて、裏切られて、それでも信じ続けてヤマトの信頼を勝ち得た太一の言葉には重みがあった。
その通りだと、思う。
信じて欲しいと、思う…そして、信じたい…と心から思う。
「…だけど、まあ…あいつの馬鹿さ加減には、多少のお仕置きも必要だよな」
「え?何々?なんかいい考えあるの?」
打って変わった明るい雰囲気で、空が太一の瞳を覗き込む。
そして、太一は悪戯を思いついた子供のように微笑んだ。
「…悪い!遅くなっ………」
急いで戻って来たヤマトはガラリと扉を開け、その中の情景にフリーズを起こした。
「あ、ヤマトお帰り〜v」
「遅いぞ、ヤマト!」
仲良く出迎えたのは、恋人と親友。
それはいつものこと。
言葉も声も、いつもと変わり無い…音声のみなら。
「どーした(の)?ヤマト?」
綺麗にハモった二人の言葉に、ヤマトはとっさに扉を閉めてしまう…。
次いで廊下を走る音が聞こえた。
「………ぶっ!」
予想通りの反応に、二人は揃って爆笑する。
まさかこんなに、きっぱり策にはまってくれるとは…。
「あはははははは!ヤマト間抜け〜っっ!!」
「あんな顔、久しぶりに見たわ〜っっ!!」
笑いながら、空は太一の肩に懐く。
そう、彼女は今、太一の膝の上に可愛らしく座っていたのだ…しかも、扉を開けたヤマトからしっかり見える状態で。
「あ〜楽しかった♪」
「ストレス解消出来たか?」
「うんvやっぱ太一は分かってるわね〜♪」
「ま、ヤマトじゃねーからな♪」
くすくすと笑い合い、ふと、空が太一を見つめて囁いた。
「ね〜え、太一。より戻しちゃおーか?」
「そーだな。ヤマトに任せておけないな」
廊下で何かがぶつかる音がして、更に走り去る気配がした。
「…どこまでも、予想の範疇な奴だな〜…」
「ま、ヤマトだし…」
こちらの仕掛けた罠に見事な程引っかかる彼に、いっそ褒めてやりたい気分だ。
「ほら、早く追っかけないとへこみが激しくなるぞ?」
「はぁ〜い。…あ、太一」
「ん?」
太一の膝から降り、ヤマトを追おうとして足を止めた。
「…太一は、あたし達を応援してくれるのよね?」
普段あまり見せない、不安に揺れる瞳が太一を捕らえた。
太一は小さく息を吐き、顔を上げた時には優しい笑顔が浮かんでいた。
「…正直に言って、ヤマトに空は調度いいと思う…だけど、空にヤマトは…」
「………」
「…勿体無いって思う。…今のままじゃな」
苦笑気味にウィンクを沿える。
彼からの小さなエールは、いつも彼女の味方をしてくれる。
「がんばれって、伝えといてくれ」
「分かったわ!ありがと!」
久しぶりの笑顔に元気よく手を振り教室を後にする彼女に、太一はやれやれと腰を上げる。
このフォローも、いつまで続けることになるのやら…。
先に帰ろうとして、机に残っている二人分の鞄が目に入った。
もう一つ、小さな悪戯が頭に浮かぶ…彼等にとっては、半分以上がエールになるだろうけれど。
もう一度、がんばれ…と心の中で囁いた。
この居心地のいい関係が、いつまでも続くようにと、祈りをこめながら…。
何処へ行ったとも知れぬヤマトを探しながら、根拠の無い核心に押されるようにそこに足を向けた。
何度となく姿を晦ます彼を探し続け、状況によって大体の目安が付けれて来れたからかもしれない。
見つけたら何と言って慰めようか…他の男の子達の時と違って、太一相手に勘ぐる時は、ヤマトはただひたすらに落ち込み続ける。
からかっているだけだと分かっているくせに、飽きずに引っかかっては、何も言わずに暗くなる。
北校舎の裏の桜に懐いている彼を見つけ、やっぱり予想通りの姿に笑いが止まらない。
近付きながら、彼に言う言葉を考える。
どうしてあなたは、いつもそうなの?
あたしのこと、信用して無いのね?
違う…きっとヤマトの望む言葉は…。
「…ヤマト。好きよ」
ゆっくりと彼が顔を上げる。
瞳に生気が戻っている。
「……空」
「ほら、いつまでもそんな顔してないの!帰りましょ?」
にっこりと微笑むと、子供の様に頷いく彼。
そんな彼に寄り添い、するりと腕をからませて手を握る…すると彼は、照れたように少し赤くなってそっぽを向いてしまう。
それがまた可笑しくて、小さく笑ってしまうとそれ気づいたのか拗ねた感じになる。
だから、太一に『勿体無い』って言われちゃうのよ。
失笑しながら、それでも楽しそうに校舎に戻ろうとすると、そこには、教室に置いてきたはずの彼等の鞄がハンカチで結びつけられて置いてあった。
「あら、このハンカチ…」
「太一のだな…」
「持って来てくれたのねv気が利くんだから♪」
「…肝心の太一は?」
キョロキョロと辺りを見回すヤマトに、空は呆れた様に溜め息を零す。
「鞄がこんなトコに置いてあるんだから、先に帰っちゃったに決まってるじゃない!」
「え?だけど、今日は一緒に帰るって…」
約束を破る奴では無いと、怪訝そうな顔をする彼に、ますます呆れる。
「二人っきりにしてくれたのよ!鈍感!」
「えっ!?」
ヤマトから離れさっさと鞄の元に向かった空は、結び目を解くてひらりと落ちた紙切れを見て破顔した。
「空!」
「はい、ヤマト」
慌てて追って来たヤマトに、彼の鞄とその紙切れを渡す。
「…何だ、これ?」
「太一から、ヤマトにメッセージ」
「は?」
紙を開き、目が字を追うと、面白いように顔色が悪くなる。
「がんばってね、ヤマトv」
「そ、空っ!?」
慌てるヤマトに、にっこり笑ってかわす空。
彼の嫉妬深さも、思い込みの激しさも、とうの昔から知っていたこと。それでもよくよく考えて、自分で出した『恋の結末』。
不安や不満はあっても、今の結果に後悔は無い。
そうなるよう手助けしてくれた、初恋の彼。
『あんまり嫉妬深いのも過ぎると、本当に浮気されるぞ?』
慌てる彼を横目に溜飲を下げながら、それでも、どこから湧き上がるのか、この『好き』という想いは。
今はヤマトに恋してる。
彼には及ばないまでも、嫉妬や独占欲も、人並みに身に付けてしまった。
それでも、今もまだ、変わらずにこの胸にある彼への想い。
これはもう、『恋』じゃ無い。
汚い感情を一切寄せ付けない、自分の中の一番綺麗な場所にある…大切な想い。
『恋』じゃ無い…『恋』じゃ無いけれど…これはもしかしたら、もう『愛』に近いのかもしれない。
そう言ったら、あなたはどんな顔をするかしら?
おわり
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