「なぁ、お前らつき合ってんの?」
中学に入学してまだ一月足らず…しかし、この頃にもなればクラス内の大体の交友関係は把握出来、あちらこちらで派閥にも似たグループも出来上がる。 二人はその言葉にきょとんと目を合わせ、次いで彼等に視線を戻し…。 「…別に?」 と、頷き合う。 「はあ?つき合ってないの!?」 途端やかましくなった彼等に押されるように身を引きながら、困惑した顔で呟いた。 「んなこと言ってもなぁ…」 その言葉に驚きながら周りを見渡せば、しかめっ面しい顔で何故か周囲を取り囲んでいた者達が、肯定の意味を込めて一斉に頷いた。 「知ってたか、空?」 二人の間には不思議なほど隠し事が無い。 二人でいるのは楽だ。 「んじゃ、つき合うか?」 彼等を囲む、クラスメイト達の目が点となる。 「いーわよ、太一なら♪」 クラスメイト達が驚愕の渦に巻き込まれる中、二人はにっこり笑って手を合わせ、その小気味良い音を…二人の新しい関係の、始まりの音にした。
朝はお互い部活の朝練があるので、待ち合わせするまでも無く登校途中にばったり出会う。 「………ねえ、太一。『付き合って』あたし達何か変わった?」 ミーティングがあるというヤマトの言葉を受けて、教室でお弁当を広げていた空がぼそりと呟いた。 「……どーだろうなぁ〜…」 幾つかつなげた机の上座(?)に座っている空の横で、太一ものらりと応えを返した。 しかし、そう彼等を認識していたとしても、その周りの態度が『変わった』ということも無く、現に今も『恋人同士』のはずの彼等を二人きりにしてあげようと気を利かせる者は無く、食事を進める彼等を囲むようにして陣取っている。 「だいたいさぁ、『つき合う』って具体的に何すんの?」 行儀悪く箸で摘んだおかずもそのままに指揮棒よろしく振れば、それに同調した空も机を囲む友人達に視線を向ける。 「え?だから、一緒に学校来たり…帰ったり…勉強したり…?」 少し夢見るように頬を染め、おずおずと進言されたその言葉に、太一と空は目を合わせる。 「…今までと変わんねーな」 だから『つき合ってる』ようにしか見えなかったっつーとろーが! 「いや、他にもこう手をつないだり、弁当食うにしてもなあ?」 ちょっと夢を見過ぎている感じの男子の科白に…。 「…空、お前ああいうことしたい?」 太一がちょっと嫌そうに空を見れば、彼女は引き攣った笑みを浮かべて首を左右に振る。 「だよな」 その反応にほっとする太一だったが、それは実技付きで演じてくれたのが男同士だったといううすら寒さによる弊害もあったかもしれない。 「あ!ちょっと太一!何すんのよ!?」 現実に引き戻されると、目の前では、伸びる空の手をガードしながら、彼女のおかずを奪取している太一の姿があった。 「いーじゃん!オレの今日のおかず肉類少ないんだよっ」 小さな押し問答の末、太一は自分の箸で空の口にイカの天ぷらを放りこんだ。 「こんでいいか?」 イカの天ぷらを食べながらの空のお願いに、太一は仕方なく出汁巻き卵を一つ彼女の弁当箱に入れてあげる。 「ラッキー♪じゃ、これ上げるv」 と、しぶしぶトレード。 『男女交際』って何だろう…。 つき合っていると思っていた頃には、まだつき合ってはいなかったと言う。 「あ、空。今度の日曜暇か?」 繰り広げられる会話はあまりに自然。天然。ナチュラル過ぎる。 「…デートか…」 誰かがぼそりと呟いた言葉に、二人は不思議そうに反応した。 「あ…そうか…『デート』になるのか…」 呆然と呟き、二人はにっこりとお互いを見た。 「初デートだな、空♪」 微笑み合う二人、慣れすぎた打ち合わせ、初々しさの欠片も無い雰囲気。
デート日好りという晴天に恵まれ、映画館を出た後軽く食事を済ませ、ぶらぶらと店を渡り歩くこと数時間…流石に若い二人でも疲れが出ていた。 「…疲れた…」 ずっと欲しかったという小物入れを、迷って迷って迷ってやっと買った空は、大事そうにそれを胸に抱えている。 「そんじゃ、ジュース買って来てやるから、空はその辺のベンチで休んでな」 駆けていく太一に手を振り、近くのベンチに倒れるように腰掛け…しまった、と思った。 荷物…預かればよかったわ…。 見送る後姿に、肩からかけられたままの紙袋が三つぶら下がっているのを見つけ、気の利かなかったことを少しだけ申し訳無く思った。 太一が戻って来たのかと顔を上げると、見知らぬ顔が三つばかり並んでいた。 「彼女一人?オレ等と遊びに行かない?」 断る暇も無く腕を引っ張られる…疲労した足をやっと休めたばかりのこの強引な行動に、空の怒りメーターが一気に弾ける。 「離してよ!おじさんっっ!!」 叫び様に腕を振り払い、どう見ても十七〜十八歳の男三人を前にして恐れ気も無く睨みつける。 「デリカシーの無い男は十代でもおじさんよっ!遊び相手なら他あたって!あたし、あんた達みたいな馬鹿相手にするほど暇でも安くも無いの!!」 言うだけ言って、くるりと向きを変えた空に、男達はようやく正気を取り戻した。 「…人の連れ、勝手に攫わないでくれる?」 カランコロン…と音を立て、ひしゃげた缶が足元に転がっていく。 「…な、なんだガキ…てめぇ…」 少々びくつき気味に言い指した男の横を、太一はするりと通り過ぎて空の前に進む。 「ほら、折角買った小物入れ。忘れて行ったらダメじゃんか」 ほのぼのと会話を始めた二人に、無視されていた男達が切れた。 「いい度胸だな、ガキがっ!三対一で勝てると思ってんのか!?」 マンガなんかでよく見るオリジナリティーの無い科白に、カチンと来たのは頭数に入っていないだろう空だったが、底冷えのする目つきで言い返したのは太一だった。 「…二対二だろ?それはもう、使いもんになんないぜ?」 驚いて未だ立ち上がらない仲間を見れば、どうやら彼は気絶しているらしい。 「医者志望のダチが教えてくれたんだ。ここ…神経が集中しててさ、強い衝撃に弱いんだってさ」 さり気に空を背中に庇いながら、自分よりも体格のいい男相手に平然と言い放つ。 「…バカにすんなよ…」 どすを利かせるというより、矜持だけは高いせいで、引くに引けないプライドに押されるように声が絞り出される。 「三枚に畳んで捨ててくか?」 短い打ち合わせの後、空はくるりと大通りに向かって息を吸い込んだ。 「キャアアアアァァアァァアアァァっっっ!!!チカン―――――っっっ!!!」 空の叫びに男達がびくりと後ずさった隙に、太一はさっきすれ違い様に拾って来た缶のプルトップを引く。 「うわああぁぁっっ!!??」 勢い良く浴びせられる炭酸に、彼等は堪らず目を伏せ身をよじって走り出した。 「おっ、覚えてろっ!」 またもや、アンデンティティーの欠片も無い捨て台詞を残して去って行く男達に、二人は軽やかな笑い声を上げる。 「バーカ!十秒後には忘れてやるぜ!」 目をつけた相手が悪かったとしか言いようが無いだろう。 「…もうそろそろ、四時か」 思い出すのは、人生で一番長かった夏休み。 助け合い、支え合って生き延びたあの夏。 けれど、今日一日一緒にいて…いや、先程のアクシデントで分かったことがある。 一緒にいると楽しい。 きっと、こんな関係は他に無い。 だけど、だからこそ、よく分かる。 自分は、彼に依存して守られたいのでは無い。 「……太一」 声をかけるのは、何故か少しだけ勇気が要った。 「……空も、感じたか?」 離れていても、あいつなら大丈夫と胸を張って思われていたい。 「…空らしいな」 ふわりと、暖かい色を称える太一の瞳に、空も柔らかな笑みを返す。 あれから二年。 この先は、言葉にしなくてもいい。 息を吸って、吐く。 「…太一、大好きよ」 彼が小さく目を見張る。次いで、嬉しそうにその双眸が細められた。 「オレも、空が大好きだ」 くすくすと笑いながら、それはままごとのような…けれど、何よりも真剣な想いが込められた告白だった。 「…空。好きな奴が出来たら、一番にオレに教えてくれるか?」 指切りをして立ち上がる。 「…ね、太一。ちょっと恋人気分を味わってみない?」 明るい空の表情に、太一は少しだけ思案する。 「…空は、いいのか?」 首を傾げ、彼の瞳を覗き込む。 「…そーだな。オレも、空がいい」 頷いた太一に、空は笑って瞳を閉じた。 それは、触れるだけのバードキス。 これまでの、そしてこれからの人生の中、たった一週間だけ恋人だった二人の…二人だけの記念。 顔が離れ、目が合っても、二人は何も言わなかった。
「ありがと、送ってくれて♪」 空の住むマンションのエントランスホールで、太一から腕を離し、向き合った空が言った。 「ま、一応恋人ですから♪」 そうしてまた笑い合い、太一が身を翻した。 「そんじゃ、また明日!」 彼の後姿を見送り、空もエレベーターに乗り込んだ。 「……え?」 突然零れた雫に、自分自身で驚いて、手を頬にやる。 「…どうして?」 こんなに心は温かいのに…。 「……あ…」 泣いているのは過去の自分? 「…ああ、そうか…」 突然、雲が晴れるように理解する。 自分は、初恋の人とキスをしたのだ。 心の中だけで昇華させた初恋に、ちゃんとケジメをつけたのだ。 そして知った…こんな恋の実り方もあったのだと…。 「…太一…大好き…!」 ずっとずっと、好きだった。 これは『恋』じゃ無い。 諦めたわけでも、無くしたわけでも無く、ただ『好き』という想いだけがそこにあった。
彼女は、ずっと欲しかったものを手に入れたのだ。 |