「なぁ、お前らつき合ってんの?」


 

 中学に入学してまだ一月足らず…しかし、この頃にもなればクラス内の大体の交友関係は把握出来、あちらこちらで派閥にも似たグループも出来上がる。
 そんな中、周りに人は集まってくるが自分から徒党を組もうとすることは無く、来る者拒まずで集ったり、時には一人だけ抜け、それでも反感を買うことも無く気ままに学校生活を送る太一と、クラスメイトで数多くの女子の友人を持ちながら、太一といることが多い空。
 そんな二人が仲睦まじ気に笑い合う姿に、クラスメイト達のそんな邪推を呼んでしまうのも無理は無い。

 二人はその言葉にきょとんと目を合わせ、次いで彼等に視線を戻し…。

「…別に?」
「ねえ?」

 と、頷き合う。

「はあ?つき合ってないの!?」
「ホントのホントにっ!?」
「別に隠さなくてもいーじゃんかよっ!」

 途端やかましくなった彼等に押されるように身を引きながら、困惑した顔で呟いた。

「んなこと言ってもなぁ…」
「だってお前等、端から見て、つき合ってるようにしか見えないぜ!?」
「…そ、そうなのか?」

 その言葉に驚きながら周りを見渡せば、しかめっ面しい顔で何故か周囲を取り囲んでいた者達が、肯定の意味を込めて一斉に頷いた。

「知ってたか、空?」
「太一が知らないのに、あたしが知ってるわけないじゃない」
「そーだよなぁ…」

 二人の間には不思議なほど隠し事が無い。
 そこまで曝け出していいのかと言いたくなるが、本人達は『言えない辛さ』『言われない悲しさ』を骨身に染みて分かっているので、相手を傷つけない嘘以外は決して言わない。

 二人でいるのは楽だ。
 嘘も裏切りも、壁すらも無い。
 太一は空を見つめ、まるで雑談の様に切り出した。

「んじゃ、つき合うか?」

 彼等を囲む、クラスメイト達の目が点となる。
 空は二・三度瞬いて、太一の瞳に冗談では無いことを感じ取ると、少し呆れた様に…それでも楽しそうに笑って、軽く頷いた。

「いーわよ、太一なら♪」

 クラスメイト達が驚愕の渦に巻き込まれる中、二人はにっこり笑って手を合わせ、その小気味良い音を…二人の新しい関係の、始まりの音にした。






 

 

 

 朝はお互い部活の朝練があるので、待ち合わせするまでも無く登校途中にばったり出会う。
 昼はクラスの違うヤマトも交え、校内のどこかで弁当を食べていたのだが…中学入学と同時に始めたバンドのおかげで、ヤマトが昼食の席を欠席することも少なく無く、だがそれを気にするでも無く二人きりでも食も会話も問題無く進む。
 下校までわざわざ一緒にすることは少なかったが、宿題やデジタルワールドのことやたわいも無いことで、意味の無いメールのやり取りはしょっちゅうだった。

「………ねえ、太一。『付き合って』あたし達何か変わった?」

 ミーティングがあるというヤマトの言葉を受けて、教室でお弁当を広げていた空がぼそりと呟いた。

「……どーだろうなぁ〜…」

 幾つかつなげた机の上座(?)に座っている空の横で、太一ものらりと応えを返した。
 『つき合い』初めて今日で四日目…特に意識するでも無く、対応や仕種にしても何かが変わった感じはお互い無かった。
 強いて上げれば、クラスメイト達が自分達を『恋人同士』として認識したということ位だろうか。

 しかし、そう彼等を認識していたとしても、その周りの態度が『変わった』ということも無く、現に今も『恋人同士』のはずの彼等を二人きりにしてあげようと気を利かせる者は無く、食事を進める彼等を囲むようにして陣取っている。
 普段あまり食事の時間に教室にいない彼等が珍しくいるのだから、傍にいたいと人が群がってしまうのは…仕方の無いことなのかもしれないが。

「だいたいさぁ、『つき合う』って具体的に何すんの?」
「そーよね。その辺今一よく分かんないわよね〜」

 行儀悪く箸で摘んだおかずもそのままに指揮棒よろしく振れば、それに同調した空も机を囲む友人達に視線を向ける。

「え?だから、一緒に学校来たり…帰ったり…勉強したり…?」
「メールしたり…電話したり…?」

 少し夢見るように頬を染め、おずおずと進言されたその言葉に、太一と空は目を合わせる。

「…今までと変わんねーな」
「変わんないわね」

 だから『つき合ってる』ようにしか見えなかったっつーとろーが!
 とは、その時同席した友人達の心の声。

「いや、他にもこう手をつないだり、弁当食うにしてもなあ?」
「そうそう、『はい、あ〜んv』とか、『あなたのために心を込めて作ったのv』とかさ!」

 ちょっと夢を見過ぎている感じの男子の科白に…。

「…空、お前ああいうことしたい?」

 太一がちょっと嫌そうに空を見れば、彼女は引き攣った笑みを浮かべて首を左右に振る。

「だよな」

 その反応にほっとする太一だったが、それは実技付きで演じてくれたのが男同士だったといううすら寒さによる弊害もあったかもしれない。
 実際、その場に居合わせたほぼ九割が顔を蒼くして箸を止め、残りの一割は見事に箸を落っことしていた。

「あ!ちょっと太一!何すんのよ!?」

 現実に引き戻されると、目の前では、伸びる空の手をガードしながら、彼女のおかずを奪取している太一の姿があった。

「いーじゃん!オレの今日のおかず肉類少ないんだよっ」
「そんなの知らないわよ!太一こそ、あたしがナゲット好きなの知ってるでしょ!?」
「知ってるけど自分の意志には逆らえなかったんだよっ!」
「何よそれ!じゃあ太一も何かよこしなさいよ!」
「え〜??ん〜、じゃ、ほらっ」

 小さな押し問答の末、太一は自分の箸で空の口にイカの天ぷらを放りこんだ。

「こんでいいか?」
「…出汁巻き卵がいいな〜」
「おっまえ、ホントこれ好きだよなぁ〜」

 イカの天ぷらを食べながらの空のお願いに、太一は仕方なく出汁巻き卵を一つ彼女の弁当箱に入れてあげる。

「ラッキー♪じゃ、これ上げるv」
「あ、ミニハンバーグもう一つ!」
「仕方ないわね〜」

 と、しぶしぶトレード。
 それを見守るクラスメイト達は、複雑な表情で顔を見合わせる。
 やっていることは、先程の男子達の実演と大差無い。大差は無いのだが…実は、よくよく考えてみれば、既に見慣れた光景になっているのだ。

 『男女交際』って何だろう…。

 つき合っていると思っていた頃には、まだつき合ってはいなかったと言う。
 実際つき合いが始まっても、それまでとの違いが見つからない。
 中学に入り、何となくそういうものが身近になった今だからこそ、それに対する憧れと言うか夢と言うか…そんな思いが『何かが違う』と言っている。

「あ、空。今度の日曜暇か?」
「うん。予定は無いわよ?」
「じゃあ、映画見に行こーぜ?昨日部室の整理手伝ったら、先輩が行けなくなったっていうチケットくれたんだ♪ほらこれ」
「え?あ、これあたし観たかったやつだ〜v」
「だろ?このチケット日曜までだからギリギリセーフだな」
「行く行く!いつもの所に10時でいい?」
「え〜?早ーよ!2時位でいいじゃん!」
「ついでに買い物したいのvつき合ってよ、太一vv」
「えぇ〜??荷物持ちさせる気だな〜?」

 繰り広げられる会話はあまりに自然。天然。ナチュラル過ぎる。
 これでまだ、つき合って一週間足らずだというのだから腑に落ちない。
 それでも…。

「…デートか…」
「え?」

 誰かがぼそりと呟いた言葉に、二人は不思議そうに反応した。

「あ…そうか…『デート』になるのか…」
「そうね…『デート』になるのね…」

 呆然と呟き、二人はにっこりとお互いを見た。

「初デートだな、空♪」
「初デートね、太一♪」

 微笑み合う二人、慣れすぎた打ち合わせ、初々しさの欠片も無い雰囲気。
 『おいおいおい』とか思いながらも、誰一人口出す者はいなかった。

 

 

 デート日好りという晴天に恵まれ、映画館を出た後軽く食事を済ませ、ぶらぶらと店を渡り歩くこと数時間…流石に若い二人でも疲れが出ていた。

「…疲れた…」
「その辺の店入って休憩するか?」
「いい…予算オーバー。お茶するお金も無い〜っっ」

 ずっと欲しかったという小物入れを、迷って迷って迷ってやっと買った空は、大事そうにそれを胸に抱えている。
 そして、心底迷っている空に750円(千円以下の端数)の出資でようやく決断させた太一は、少々待ち疲れ気味…。
 それでも、嬉しそうな彼女を見れば自然と微笑みが浮かぶ。

「そんじゃ、ジュース買って来てやるから、空はその辺のベンチで休んでな」
「ありがと、太一〜…」

 駆けていく太一に手を振り、近くのベンチに倒れるように腰掛け…しまった、と思った。

 荷物…預かればよかったわ…。

 見送る後姿に、肩からかけられたままの紙袋が三つぶら下がっているのを見つけ、気の利かなかったことを少しだけ申し訳無く思った。
 彼はそんなこと気にもしていないだろうが、彼が気にかけないことだからこそ、気づく自分でありたいと思っているから。
 そんなことを連々と考えていると、不意に目の前に影が射した。

 太一が戻って来たのかと顔を上げると、見知らぬ顔が三つばかり並んでいた。
 疲れがどっと、倍になる。

「彼女一人?オレ等と遊びに行かない?」
「いい店知ってんだ♪どーせヒマでしょ?」
「ちょっ!?」

 断る暇も無く腕を引っ張られる…疲労した足をやっと休めたばかりのこの強引な行動に、空の怒りメーターが一気に弾ける。

「離してよ!おじさんっっ!!」
「おじっ…!?」

 叫び様に腕を振り払い、どう見ても十七〜十八歳の男三人を前にして恐れ気も無く睨みつける。
 おじさん呼ばわりされた三人は、あまりの衝撃に一瞬引き攣ったまま固まった。

「デリカシーの無い男は十代でもおじさんよっ!遊び相手なら他あたって!あたし、あんた達みたいな馬鹿相手にするほど暇でも安くも無いの!!」

 言うだけ言って、くるりと向きを変えた空に、男達はようやく正気を取り戻した。
 怒りに震える拳で彼女に掴みかかろうした男が、奇妙な音をたてて地面にキスをした。
 その衝撃音に思わず空も振り返り、その向こうに見えた姿に微笑んだ。

「…人の連れ、勝手に攫わないでくれる?」

 カランコロン…と音を立て、ひしゃげた缶が足元に転がっていく。
 どうやらそれが、男の首筋に真後ろからクリーンヒットしたらしい…太一の脚力では、そうとう痛かっただろう。

「…な、なんだガキ…てめぇ…」

 少々びくつき気味に言い指した男の横を、太一はするりと通り過ぎて空の前に進む。

「ほら、折角買った小物入れ。忘れて行ったらダメじゃんか」
「ありがと太一!だって、いきなり腕引っ張られちゃったから、落として壊れたら嫌じゃない」
「打算的だな〜」
「あら。太一が直ぐ戻って来るって信じてたものv」
「はいはい」

 ほのぼのと会話を始めた二人に、無視されていた男達が切れた。

「いい度胸だな、ガキがっ!三対一で勝てると思ってんのか!?」

 マンガなんかでよく見るオリジナリティーの無い科白に、カチンと来たのは頭数に入っていないだろう空だったが、底冷えのする目つきで言い返したのは太一だった。

「…二対二だろ?それはもう、使いもんになんないぜ?」
「なっ!?」

 驚いて未だ立ち上がらない仲間を見れば、どうやら彼は気絶しているらしい。
 その様子に、太一は口の端で笑いながら、自分の首の後ろを指した。

「医者志望のダチが教えてくれたんだ。ここ…神経が集中しててさ、強い衝撃に弱いんだってさ」

 さり気に空を背中に庇いながら、自分よりも体格のいい男相手に平然と言い放つ。
 そうで無くても戦い慣れた彼等のこと…つっぱってるだけの高校生など怖くも無い。

「…バカにすんなよ…」
「…ガキにこけにされて…」

 どすを利かせるというより、矜持だけは高いせいで、引くに引けないプライドに押されるように声が絞り出される。
 それを聞いて、太一は溜め息をついて空を振り返る。

「三枚に畳んで捨ててくか?」
「運動部員としては、この時期暴力沙汰はまずいんじゃない?」
「よし。そんじゃ、この場は空が頼りだ」
「オッケー♪」

 短い打ち合わせの後、空はくるりと大通りに向かって息を吸い込んだ。

「キャアアアアァァアァァアアァァっっっ!!!チカン―――――っっっ!!!」

 空の叫びに男達がびくりと後ずさった隙に、太一はさっきすれ違い様に拾って来た缶のプルトップを引く。

「うわああぁぁっっ!!??」

 勢い良く浴びせられる炭酸に、彼等は堪らず目を伏せ身をよじって走り出した。

「おっ、覚えてろっ!」

 またもや、アンデンティティーの欠片も無い捨て台詞を残して去って行く男達に、二人は軽やかな笑い声を上げる。

「バーカ!十秒後には忘れてやるぜ!」
「え〜?あたしは三日は覚えてて、友達に話してあげる〜♪」

 目をつけた相手が悪かったとしか言いようが無いだろう。
 二人は、気絶したまま捨てられて行った男を頓着せず跨ぎ越し、少し離れた、今度はナンパ等通りそうも無い場所にベンチを見つけてようやく腰を落ち着けた。

「…もうそろそろ、四時か」
「日が長くなったわね〜、太陽がまだ高いわよ?」
「夏も直ぐ来るな…」
「そうね…」

 思い出すのは、人生で一番長かった夏休み。
 一つになってしまった缶ジュースを二人で分けて飲みながら、何となく沈黙が訪れた。

 助け合い、支え合って生き延びたあの夏。
 あの経験が無ければ、今ここで二人でいることも無かったかもしれない。

 けれど、今日一日一緒にいて…いや、先程のアクシデントで分かったことがある。

 一緒にいると楽しい。
 心を飾る必要も無く、最小限の言葉で相手の考えが理解出来る。
 寄せられる信頼が嬉しい。
 今ある沈黙だって、決して居心地の悪いものでは無く、逆に心地良い位だ…。

 きっと、こんな関係は他に無い。

 だけど、だからこそ、よく分かる。
 昔、この胸に抱いていた想いとの決定的な差に。
 これは、『恋』じゃ無い。

 自分は、彼に依存して守られたいのでは無い。
 彼の隣に立ち、同等でありたいのだ。
 そして、今彼と自分は、自分の望む理想の形を作っていたことに気づいた。
 それに気づいていて尚、わざわざ間違ったままでいるほど…落ちぶれたくは無い。

「……太一」

 声をかけるのは、何故か少しだけ勇気が要った。
 何が不安なのか、何が悲しいのか…分からぬままに見つめた瞳の色にほっとした。
 彼も同じことを思っている。

「……空も、感じたか?」
「…うん」
「…オレは、空を守りたい。…でも、独り占めして、どこかに閉じ込めたいわけじゃ無い」
「あたしも…守られるだけは嫌。太一の力になりたいし、目をつぶっても…安心出来る存在でいたい」

 離れていても、あいつなら大丈夫と胸を張って思われていたい。
 目の届く範囲にいないと、心配されてしまうような情けない人間にはなりたくない。

「…空らしいな」

 ふわりと、暖かい色を称える太一の瞳に、空も柔らかな笑みを返す。
 自分の何が分かるのだ、と泣き喚いたのはそんなに昔の話しでは無い。

 あれから二年。
 お互いに理解し、理解し合って、ここまで自分の足で歩いて来た。今更過去には戻らない。
 戻るつもりも無い。

 この先は、言葉にしなくてもいい。
 自惚れているつもりは無いけれど、言わなくても分かる…そこまで自分達は来ている。
 それでも、今、一つの言葉を言いたかった。

 息を吸って、吐く。
 真っ直ぐに彼の瞳を見つめて言い切った。

「…太一、大好きよ」

 彼が小さく目を見張る。次いで、嬉しそうにその双眸が細められた。

「オレも、空が大好きだ」
「じゃ、あたし達、両思いね?」
「そうだな」

 くすくすと笑いながら、それはままごとのような…けれど、何よりも真剣な想いが込められた告白だった。
 言葉にしなくても分かり合える二人だったからこそ、それは本当に、生まれて初めての…心からの『告白』だった。

「…空。好きな奴が出来たら、一番にオレに教えてくれるか?」
「うん、約束する。太一もね?」
「ああ、約束するよ」

 指切りをして立ち上がる。
 太陽はようやくビルの間に落ちかけて…『恋人』の時間もそろそろ終わる。
 指が離れ、ふと思いついた提案をしてみた。

「…ね、太一。ちょっと恋人気分を味わってみない?」
「は?」
「あたし達、つき合う前も後も、結局何も変わったことしなかったじゃない?だから、友達じゃ絶対しないこと♪」
「はあ?…て、あれか?」
「そ、あれ♪」

 明るい空の表情に、太一は少しだけ思案する。

「…空は、いいのか?」
「太一は嫌?あたしは太一がいいな」

 首を傾げ、彼の瞳を覗き込む。

「…そーだな。オレも、空がいい」

 頷いた太一に、空は笑って瞳を閉じた。
 太一は彼女の肩を抱き、ゆっくりと顔を近づける。

 それは、触れるだけのバードキス。

 これまでの、そしてこれからの人生の中、たった一週間だけ恋人だった二人の…二人だけの記念。

 顔が離れ、目が合っても、二人は何も言わなかった。
 ただ楽し気に笑い、腕を組んで家路に向かった。
 誰が見ても『恋人』にしか見えない…優しい光景だった。

 

 

「ありがと、送ってくれて♪」

 空の住むマンションのエントランスホールで、太一から腕を離し、向き合った空が言った。

「ま、一応恋人ですから♪」
「あら。恋人じゃなくても、太一は送ってくれたと思うわ」
「そりゃそーだ」

 そうしてまた笑い合い、太一が身を翻した。

「そんじゃ、また明日!」
「うん、また明日。気をつけてね!」
「おう!」

 彼の後姿を見送り、空もエレベーターに乗り込んだ。
 微かな機械音と共に浮遊する体をぽすんと壁に預け、そっと息を吐く。
 肩には、ずっと太一が持っていてくれた紙袋が二つかかっている…何だかんだ言って、結局荷物持ちをしてくれたのだ。
 心の中に溢れる暖かい気持ちに、自然と頬が緩む。

「……え?」

 突然零れた雫に、自分自身で驚いて、手を頬にやる。

「…どうして?」

 こんなに心は温かいのに…。
 切なさなんて、欠片も無いのに…。

「……あ…」

 泣いているのは過去の自分?
 太一に恋していた、昔の自分?…違う気がする。泣いているのは…。

「…ああ、そうか…」

 突然、雲が晴れるように理解する。
 泣いているのは今の自分。
 嬉しくて泣いている。

 自分は、初恋の人とキスをしたのだ。
 それも、ちゃんと好きだと言って、好きだと言われて。

 心の中だけで昇華させた初恋に、ちゃんとケジメをつけたのだ。
 想いを殺す必要なんて無かった。
 彼はちゃんと受け入れて、応えをくれた。

 そして知った…こんな恋の実り方もあったのだと…。

「…太一…大好き…!」

 ずっとずっと、好きだった。
 小さな頃から見つめ続け、彼を知る度好きになり…そして今、彼への想いは進化した。

 これは『恋』じゃ無い。
 『恋』なんかじゃ無い。

 諦めたわけでも、無くしたわけでも無く、ただ『好き』という想いだけがそこにあった。

 

 

 彼女は、ずっと欲しかったものを手に入れたのだ。