結局、四人とも馬鹿のように泣き、目を真っ赤に腫らしてしまい…そのままでは太一の所に戻ることも出来ずに、しばらくヤマトの家で目を冷やしてから帰ることにした。

「…………」

 誰も何も言わないが、先程までの刺々しい雰囲気は消え、今は静かな沈黙が部屋に降りていた。


 ピンポ―――ン♪


 インターフォンの音に、そのまま居留守を決め込もうかと思ったが、続いて聞こえた玄関の開く音に舌打ちした。
 先程空達が入って来る時に、そのまま鍵をかけ忘れていたのだ。
 だが、その後聞こえた声と足音に、一同は揃って目を丸くした。

「鍵開いてたんで勝手に上がらせてもらったよ、ヤマト?」
「丈!?」

 彼等の驚きをあっさり無視し、丈は散らかった部屋の様子に溜め息をついた。

「あ〜あ…。取っ組み合いの喧嘩をしたわけじゃないみたいだけど、荒れ放題じゃないか」
「…あ、ああ。それより、丈なんでここに…」
「太一の家に行ったらさ、君等が鬼の形相でヤマトに殴り込みに行ったって言うから、応急処置班がいるかなって追って来たんじゃないか」
「そ…そうか」
「嘘。ヤマトがボッコボコにされてるかもしれないから、手当てしてやってくれって太一に頼まれたんだよ。じゃなきゃ、いくら僕だって、この期に及んで逃げてる君の世話なんて焼きたくないよ。…ほら見せて、殴られたのはここだけ?」
「……ああ、悪い」
「お説教されて目が覚めたみたいだね。本当に世話が焼けるんだから…」

 済まなそうに謝るヤマトに、丈はくすくすと笑いながら手際良く手当てしていく。
 そしてばしんっと、彼の背中を叩いた。

「はい、終わり。思ったより軽傷で残念だよ」
「…だからって、そんな思いっきり叩くか?」
「はは。だって、これがメインだもん♪」

 つまり、手当てはついで。丈自身も殴り込みに便乗しに来たということだろう。

「ごめん。半分は八つ当たり…。医者志望の僕が、病気の太一に何一つしてやれることも無くただ見守ってるしか出来ないなんて、何か皮肉でさ…結構落ち込んでいるんだ」
「……丈」
「だからヤマト。君は君に出来ることを、いや、君にしか出来ないことをやるべきだ。それが、君の戦いだよ」
「…ああ、その通りだ」

 頷いたヤマトの頭をくしゃりと撫ぜて微笑み、静かに事態を見守っていた三人に声をかけた。

「それじゃあ、時間が勿体無いし太一の所に戻ろうか?」
「え?でも、こんな顔で戻ったら太一に心配かけちゃうし…」
「顔を見せなくても、ここで起こったことなんて太一にはお見通しだよ。太一の出来ることは限られてしまったからね、心配が出来るなら大いに心配して貰おう。…それに、太一はもっと感情を解放してもいいと思う。泣きたい時に泣けないのは…つらいからね」

 そういえば、彼が帰って来てから…いや、そのずっと前から、彼が泣いた所はあまり見たことが無い。
 笑いや怒りを表に出すことはあっても、なかなか弱音を吐くことは無い…こんな時でさえ。

「帰りましょう、太一の所へ」

 ぐずぐすしているのは馬鹿らしい…時間が無いことだけは、確かなのだから。














 歩く道々、空がぽつりぽつりと告白した。

 帰国の連絡を受けて太一の病状を知ったヤマトと違い、空は前々から何となく、彼の状態を把握していたと…。
 アメリカにいるミミが、暇を見つけては彼のお見舞いに駆けつけ…そして、その度に泣きながら電話して来たのだと。

『どうしようっ、どうしよう空さんっ!太一さんが死んじゃうっ!太一さんが死んじゃうようっっ!!』

 電話口で号泣する彼女に、気の遠くなりそうな自分を必死で叱り付け、何度慰めたことだろう…。
 彼女の様子は尋常では無く、それは即ち太一の容態の悪さをも物語り…帰国の知らせに最悪の事態すら予想した。

 だからこそ、空港ですっかり変わってしまった太一を見ても、その様変わりにショックを受けるより、生きているだけで…生きて帰って来てくれたというだけで、どうしようもなく嬉しかったのだと語った。

 光子郎も、世界中のネットワークを検索して太一の病気に似た症例を集め、何か力になれないかと模索していた。
 専門的な言葉は自分で調べるよりも丈に聞いた方が確実だったので、彼には何度か相談を持ちかけていた。
 そして、その過程で、太一の病気がいかに難しいのかを思い知らされていた。

 もう、どうしようも無いのだと…。

 その事実を、太一は受け入れたのだ。












 訪れたことの無い八神家の玄関は、ヤマトに大きく圧し掛かり…その向こうにいる彼を思うと、それだけで手が震えた。

 会うのが怖い。
 見るのが怖い。
 話をするのが…怖い。

 逃げた自分は、彼の目にどんな風に映るのだろう。
 空達に導かれ、少なからぬ緊張を抱えて向かったリビングで、およそ十日ぶりになる彼の姿を見つけた。

 随分と痩せた。
 体に力も無い。
 それでも、そこにいるのは太一だった。
 間違い無く太一だったのだ。

「………太一……」

 喉から搾り出すような声は、それでもしっかりと太一に届き…久しぶりに呼ばれるその声に、太一はやっと、本当の意味で微笑むことが出来た。

 この声が聞きたかった。
 この声に名前を呼ばれたかった…。
 それこそ、夢にまで見たその瞬間…帰って来たのだという実感が、今更ながら心に広がる。

「…ヤマト…ただいま」

 太一の言葉に、ヤマトはゆっくりと太一に近付き、その膝を抱えて彼を見上げた。
 ぽろりと涙が零れる。

「お帰り…太一…!」

 ヤマトの目から零れる涙に、太一の胸が熱くなる。
 自由の利かない腕を動かし、そっと彼の髪に触れてみる…柔らかな感触、彼の香。
 愛しいと思う…今この瞬間に、生きていて良かったと心から思う。

 だから言わなくてはいけない。
 帰って来たら、彼に会ったら、ずっと言おうと心に決めていた。
 これが、自分の最後の役目。最後の戦い。

「…なあ、ヤマト…お前、ずっとオレを待っててくれたんだよな…?一年半…オレが治って帰って来るのを、ずっと待っててくれたんだよな…?」
「…太一?」
「…オレ、オレダメだったよ…もうダメなんだって…!だから、オレ…終わりにするために帰って来たんだ」
「太一!?」

 傾けた太一の目の端から、静かに涙が零れ落ちる。
 後から後から止め処無く…仲間達はそれに意識を飲まれて言葉が出ない。
 太一が苦しんでいる…それなのに、止める言葉が出て来ない。

「ヤマト、別れよう?…オレはもういなくなるから、その前に終わりにしてしまおう?」

 残して逝くのはつらい。でも、残される方だって、絶対つらい。
 だからその前に、関係だけでも切ってしまおう?
 この心はずっと抱えていくことになるけれど、それでも、形だけでも…少しでも彼が楽になるように…。

「…ヤマト、大好きだよ…だから、別れよう?」

 言葉だけを取るならば、理不尽で矛盾だらけの『頼み』…だが、これが彼に出来る、彼が遺せる精一杯の思いやり。
 言葉の無い彼等の中で、兄の決意を知っていたヒカリだけが苦しそうに顔を歪める。

「………分かった」
「ヤマトっ!?」

 空達が悲鳴を上げる。
 太一はその言葉をほっとしたような、寂しそうな…そんな瞳でヤマトを見つめ、彼はそれを真正面から受け止めた。

「…太一の言いたいことは、分かった。太一の言う通りにしよう…だから、オレの頼みも一つだけ聞いてくれ」
「ヤマトの…?」

 きょとんと見つめ返す太一に優しく微笑み、その手を強く握り締めて息を吸った。

「太一、愛してる」

 大きく見開かれた瞳を見つめ、もう一度。

「太一、愛してる…だから、オレと結婚してくれ」
「ヤ…ヤマト…?」

 握り締めた手が震えているのが分かる。

「恋人に戻ってくれとは言わない。太一、オレの家族になってくれ。オレはお前を愛してる」

 驚きに声も無い、変わり果てた自分が彼の瞳に映っているのが見えた。
 彼の目には、自分はこんな風に映っているのだ…それでも、こんなに変わってしまった自分でも、彼はいいと言う。

 初めて好きだと言われた相手…あの日から、彼を思わぬ日は無く、愛しさばかりが降り積もる。
 好きだと言ってくれたあの頃の、全てを失ってしまった今の自分。それでも彼は、自分がいいと言ってくれる。

「…太一、時間が無いんだろう?悪いが今すぐ返事をしてくれ」

 覗きこんで来る彼に、体が自由に動いたなら絶対小突いてやるのにと思いながら、溢れる涙にもう彼の顔さえはっきり見えない…だけど、自分に出来る精一杯の思いを込めて、はっきりと頷いた。

「…太一!」

 歓声が上がった。
 後輩達が嬉しそうに拍手する。
 ヒカリが両手で口を押さえ、涙に濡れた顔を真っ直ぐ上げ、それでもその瞳は歓喜に輝いていた。

「太一、幸せになろうな」

 優しい声が耳元をくすぐる。
 軽く抱え上げられ、抱きしめてくれる腕に全てを預けた。

「土壇場までぐすぐすしているくせに、いざとなると手が早いですよね」
「全くだわ!」

 楽し気な光子郎と空の声が聞こえる。
 その通りだと思う…だけど、それでいい。
 その全てを合わせて、彼という存在が愛しかった。













 クリスマス休暇に入ったミミが、空の家に居候として帰国した。

 彼女が何を思ってそういう行動に出たのかは、誰も何も言わなくても分かっている。
 寒さと共に、少しずつ弱っていく彼を見るのはつらく…けれど離れているのは更に耐えられなくて、誰もが彼の側を離れられなくなっていた。

 ヤマトはあの日から太一の部屋に間借りして、ヒカリと一緒に彼の世話に精を出している。
 そんな状態でも三人は幸せそうだったし、笑顔が絶えることは決して無かった。

 年も越したある日、太一は海が見たいとヤマトに言った。

 冬の海は寒く潮風は体に悪いが、皆で相談し、八神夫妻の許可も出たので、全員揃って海に出かけた。
 両親曰く『やりたいということをさせてやってくれ』ということだが、それは仲間達の共通の想いでもあったので、誰一人反対は出なかった。

「うわ〜っ寒〜いっっ!!」
「ぎゃーっ!波冷てぇ〜っっ!!」

 はしゃぐ後輩達を温かく見つめる。
 太一は毛布にぐるぐる巻きにされた上、後ろからヤマトにコートごと抱きしめられる格好で収まっていた。

「わぁ〜v太一可愛いvv新婚さんみたいよ♪」
「みたいじゃなくて、正真正銘新婚なんだよ!」

 空がからかえばヤマトが真顔で言い返す。
 くすくすと笑う太一に、ヒカリが横から覗き込んだ。

「お兄ちゃん、寒くない?大丈夫?」
「ああ、すっげーぬくいよ♪」
「愛の力だな!」
「ヤマトさん、戯言は壺にでも向けて言って下さい」

 きつい光子郎の言葉に、ヤマトがへこんで太一に懐く。
 太一はくすぐったそうにして身を捩るが、嫌がっている様子は欠片も無い…流石、新婚夫婦。

「オレのお守りはヤマトがしてくれるから、皆は遊んで来ていいぜ?」
「こんな寒い中海で遊ぶほど若くないけど、新婚さんをほんの数分位なら二人っきりにしてあげる位の分別はあるからね。仕方無い」

 太一がヤマトの腕の中から言えば、丈がやれやれと立ち上がった。

「え!?」
「そうですね。野暮でした…ヤマトさん、ほんの数分ですからね?」
「おい…」
「太一、悪さされたら大声を上げるのよ?」
「って、こら!」
「ヤマトさん、ミミは信じてますからね?」
「………」

 それぞれ余分な一言を残して立ち上がる面々に、ヤマトは大きく溜め息をつく。
 それを、腕の中の新妻と義妹が聞いて楽しそうに笑い声を上げる。

「…ヒカリちゃんも、行って来てもいいんだよ?」
「あ、私は小姑として見張り役に徹しますv」
「あ〜そーですか…」

 冗談だと分かっているけれど、まるで信用が無いようで悲しくもなる。

「ふふv大丈夫ですよ。ちゃんとヤマトさんのことは信じてますvお兄ちゃんが選んだ人だもの♪」

 その言葉に苦笑がもれる…でも、面と向かって言われれば、嬉しいことに変わりは無い。

「だけど太一?海に来たいなんて、どうしたんだ?」
「ん〜…皆が遊んでる所見ておきたかったんだ…。ここの所ずっと、皆が揃って遊びに行くなんて無かっただろ?だから全員揃っているし、調度いいと思って」
「まあな。皆それぞれ忙しくなっちまってたし…だけど、いざとなるとやっぱ頼もしいよ、あいつら」
「そうね。何よりも優先して集まってくれたものね」

 波を避けて笑い合う姿に微笑みが浮かぶ。
 時々こちらを見ては手を振ってくるので、ヤマトとヒカリも手を振り返す。

「…もうすぐ、この輪の中からオレが消えるんだな〜て…思ったら、やっぱり淋しくてさ…どうしても一緒に出かけたかったんだ」
「太一」
「ごめん。だけど怖いよ…死ぬのが怖いんじゃ無い。お前等にいつか忘れられちまう日が来るんじゃないかと思うと怖いんだ…」
「何言ってんだ!そんなことあるわけないだろう!?」
「そうよ、お兄ちゃん!」

 真剣に怒る二人を見て、太一は嬉しそうに瞳を緩める。

「ありがとう…お前等がそう言ってくれるから、オレはみっともなくうろたえたりしないで、笑っていられるんだ…お前等がいてくれて、本当に良かった…!」
「…太一。今、幸せか?」
「すっげー幸せだよ?手も足も体中思い通りに動かないけど、ヤマトが支えてくれて、ヒカリが助けてくれる…それに皆が見ててくれる。オレ、生まれて来て良かったって心から思うもん。ありがとう、ヤマト。ありがとう、ヒカリ」
「太一…」
「お兄ちゃん…」

 彼の言葉に、二人も嬉しそうに微笑んだ。
 今ある全てのものに感謝したいほどの幸福…そんなものが本当にあるのだと。

「…太一?疲れたのか?」
「ん〜…そうかも…」
「じゃあ、ちょっと休め。皆側にいるから」
「そーする。…ヤマト、ちょっと上にあげてくれ」
「…こうか?」
「うん、よく見える…」

 全員の楽しそうな顔が見える。
 ヤマトの温もりに包まれて、妹のヒカリも大切な仲間達も…自分の宝物が皆見える…。

「…お兄ちゃん?」

 ヒカリが兄を覗き込み、彼が微笑を浮かべたままヤマトの腕にもたれているのを確認して微笑んだ。

「太一、寝たのか?」
「そうみたい。そっとしとこーか」
「そうだな」














 彼は…ただの一度も諦めたりはしなかった。 

 彼の戦いは信じることから始まり、信じ続けることでかけがえの無い幸せを手に入れた。
 傷つき倒れたこともある。
 立ち直れないと思ったこともある。





 それでも、ただの一度も、信じることを諦めることは無かったのだ。









 

おわり

           1234HITの香神歩様のリクエストでした。
           病気で暗い話→人が死ぬ話…とは、何たる安直!
           安直過ぎるっっ!!
           と、とりあえず、『暗い』と指定を受けましたので、途中
           ヤマトを虐めてみたりしてこんな感じになりましたが、
           いかがでしたでしょうか??
           しかも何か長くなっちゃいましたし…すみません(泣)
           こんなもので勘弁してやって下さいませ…(泣)