最終章 あれから何年がたっただろう…。 暗黒の島マーモを魔者達から開放し、正式にフレイムの属領地とし、各国で平和条約がむすばれやっと…やっとロードスは平和と言えるようになった。 この先、灰色の魔女が現れることは無い。 長かった戦乱の時代が、やっと終演を迎えた。 終演を迎えたと言っても、それで全てが終わった訳では無かった。 その後には、果てが無いかと思われた膨大な戦後処理が待っていたのだ。 荒れ放題だった国の復興、政治の見直し、騎士団の再結成、何から手をつければ良いのかすら分からない、多過ぎる課題。 右も左も全てがやることだらけの、嵐のような数年だった。 激動の時代は何とか乗り越えたが、それが過ぎても…やはりやることは山ほどあった。 国王として、神官として、執務と役目に追われる日々が続き、たまにふと、息抜きが出来る時間が来たりすると…そんな時はよく昔のことが思い出された。 考えてみれば面白いもので、身よりも無く、しかもアラニア生まれの自分が、今はヴァリス国王の地位についている。 人生何が起こるか分からないと言うが、これほど荒唐無稽の人生も珍しいだろう…十二で神官修行に出た時には、このようなことになるなど予想もしていなかった。 いや、出来る方がおかしいだろう。 あの頃は、ただパーンの手伝いがしたかった。 彼の夢は大きく…そして、彼は太陽のように眩しかった。 旅で苦労を分かち合うことすら喜びだった。 「…陛下。会議室に皆集まりましてございます」 近衛の者の遠慮がちな声に、現実に思考が戻された。 エトはゆっくり立ち上がり、信頼するその近衛の者に微笑みかける。 「おや、早いですねぇ…もうそんな時間ですか。分かりました、参りましょう」 定例の会議。最近は大した問題も無く、今日の会議も長引くことはないだろう。 エトが歩き出すと、後に控えていた近衛兵三人が付き従った。 いつも通りの人数である。 「いやあ、嬉しい悲鳴とはこのこと!街の治安も落ち着き、貿易も滞りなく順調。言うことがありませんな!」 通常会議が予想よりも早く片付き、それぞれにお茶が出されそのまま雑談会の運びとなった。 縦に長い長方形のテーブルには、大臣やら有力貴族の公爵や伯爵、宮廷魔法使い、更にファリス神殿の最高司祭まで住人余りが集まっている。 時代が落ち着いた今は、彼等の仲は概ね友好で、皆くつろいだ姿勢でゆったりと人の意見に耳を傾けていた。 大戦が終わって早数年。 この数年で世界は大きく変わった。 相変わらず小さな小競り合いはあるようだが、国を挙げての戦は無くなった。 これが国民にとって最大の喜びだろう…戦争が無ければ、国は国内のことだけに力を入れられる。 国内だけならば、税もそんなに必要では無く、商業の発展に繋がり国民の生活は目に見えて楽になった。 街には活気が溢れ、魔物の影に脅える必要も無くなり、夜遅くまで開いている店も増えた。 ロードス中が開放感に浸っている。 …いつまで続くか分からない平和だが、出来る限り持続させていきたいとエトは考えていた。 そこに、誰ががぽつりと呟いた。 「…しかし、平和は喜ばしきことですが、そのおかげで我ヴァリス正騎士団の実力は…落ちてしまうのでしょうなあ…」 「それは…まあ、仕方ないでしょう。戦いが無ければ騎士団の活躍の場は無いと言っても過言ではありませんし、試合等を設けても、やはり実戦とは多分に違いましょうし」 仕方ない…と言っても、やはり少し残念そうに、また違う誰かが言う。 それも無理無いことなのかもしれない。 ヴァリスの正騎士団と言えば、自他共に認める最強と謳われた騎士団だったのだから。 大戦の折、それまでの正騎士の半分以上を亡くし、その後新しく再編成されたのが今の騎士団である。 故に、全体の三分の一ほどが実戦を経験したことが無い若者達で成り立っているため、『質』が落ちてしまうのは、当然と言えば当然の成り行きだった。 「ですが、皆様の中にも去年フレイムでありました御前試合をご覧になった方もおりますでしょう?あの時は素晴らしかったそうではありませんか!」 「おお!もちろん覚えておりますとも!我国の正騎士五人も参加したものでしょう!?…あれはヴァリス正騎士の名に恥じぬ、素晴らしい見事な試合でしたよ!」 その時を思い出したのか、少し興奮気味に語る大臣に、相槌を打つ者も多い。 「まこと、ヴァリス正騎士団健在を諸国に知らしめる良い試合でした!」 「若者達もかく在るべく育ってくれると良いですな」 「まったく、まったく!」 明るく笑い合う者達の中、しみじみとまた違う大臣が零す。 「それもそうですが…やはり私は、パーン殿の試合が忘れられませんな。あの剣筋の鋭いことと言ったら!」 子供のように目を輝かせる彼に、エトも思わず笑いが漏れる。 去年行われたフレイム王の御前試合には、ヴァリス国王として招かれたエトを筆頭に、数人の大臣が随従として従ったのだが、その時にの大臣達がこの場にも揃っていた。 彼等が口々に語りだした内容に、他の者達も興味深げに聞き返す。 「ほう…そんなにも素晴らしかったのですか?」 「それはもう!すごいなんてものでは…開始からものの十数秒も経たぬ内に決していたのではありませんでしたかな?」 「ええ!目にも留まらぬ一閃を寸止めにしたり、相手の剣を弾いたり…流石はロードスの騎士!伊達に数々の苦難を乗り越えロードスを導いたわけでは無いと実感させられました!」 うんうんと頷き合う敏腕大臣達を眺めながら、エトもその時のことを思い出す。 それぞれの道に分かれて約二十年。 その間にパーンはなんと強くなったことか…。 まだ自分と旅していた頃は、重い騎士の剣を自在に操ることも難しく、旅の途中ギムに手習いを受けていたほどだった。 どんな道を経てあれほどまでに腕を上げたのか、ただただ驚嘆するばかりだった。 試合を終えたパーンは、相手に手を貸して立ち上がらせ、客覧席(この時ここには、俗に『陛下』と呼ばれる者が三人ばかり座っていた)の方を見上げ、騎士らしく礼をとってから少年のような笑顔で手を振った。 幼かった頃と変わらない、エトのよく知る彼の笑顔。 共に過ごすことが出来ずとも、彼がどんなに強くなっていても、彼の本質は少しも変わっていない…そのことがたまらなく嬉しかったのを覚えている。 その時隣にいたカシューが、「パーンめ、また強くなったな…これが終わったら手合わせを申し込んでみるか」と、嬉しそうに笑っていた。 それを後で彼に話すと、彼自身既に申し込まれた後だと苦笑していたが、パーンの御前試合参加の経緯を聞くにあたっては、ただもう笑うしかなかった。 御前試合があることはロードス中で噂になっていたので、その日もパーンはディードリットと共に見物に行くのも面白そうだとフレイムの近くまで来ていた。 国境まで来た所で、カシューからの『大変なことになっている、すぐに来い』という呼び出し状を持ったフレイムの騎士に会い、何事かと思い急いで駆けつけると…有無を言わさず無理矢理試合に出させられたのだという…。 後で聞いた所によると、国の至る所に同じ親書を持ったフレイムの騎士達がいて、パーン捕獲の罠を張っていたらしい。 こんなことをしなくても…というパーンの意見は、一つ所に留まっていないお前が悪いというカシューの言い分の元、一刀両断に打ち捨てられた。 「そんなことだろうと思ったわ」というのは、助言するでも無く大人しくついて来て、ちゃっかりエトの隣で試合を見ていた永遠の妖精の言葉だった。 「―――やはり、ここは一度パーン殿に来て頂いて、騎士達に稽古をつけて頂いてはいかがでしょう?」 冗談とも本気ともつかない誰かの言葉に、エトははっとして顔を上げる。 「それは良いですなぁ。パーン殿なら申し分無い上に、騎士達からも賛同の声が上がりこそすれ文句は出ないでしょうし」 「是非来て頂きたいですなあ!」 「そうだ!陛下はパーン殿の居場所をご存知ありませんか?」 調子にのった一人がエトに話題を振って来た。 …たぶん、やっぱり半分位は本気だったのだろう…。 「そうですねぇ…彼はごくたま――――っに手紙をくれることもありますが、一年のほとんどをディードリットと共にロードス中を旅することに費やしていますから…こちらから連絡を取るのは、非常に難しいですねぇ」 優しい笑みを浮かべたまま、優雅にダメと答えたエトに、周囲はがっかりと肩を落とす。 呼べば何を置いても来てくれるだろうが、その『呼ぶ』という行為そのものが至難の業なのだ。 そうですよねぇ…と落胆する面々に、エトは励ますように声をかける。 「まあ、そう焦らずとも大丈夫ですよ。きっとその内、向こうから訪ねて来てくれますから」 自分も望んでいることだからか、自然と言葉に力がこもってしまう。 皆も、その言葉に微笑んで頷きを返した。 何と言っても、我等が国王エト陛下と、今や誰でもが知っている『ロードスの騎士パーン』は、同じ村で生まれ育った幼馴染みで、親友で、戦友で、義兄弟でもあるのだから…。 それからしばらくは他の話題に花を咲かせ、そろそろお開きかと言う頃、俄かに廊下が騒がしくなり、何事かといぶかしんでいち所に少々乱暴に扉がノックされ、中の許可ももどかしそうに開けられた向こうから、近衛隊の一人が顔を出した。 「失礼致します!陛下に急ぎご報告する義あって参りました!」 「何事です?」 即座にエトが立ち上がる。 はっきり言って、この騒ぎは尋常では無い。 「…いっ、いらっしゃいましたっ!」 その次の瞬間、エトは会議室を飛び出していた。 『来た』と言ってこんなにも突然に来る者は一人しか、いや、弱冠二名しか心当たりは無い。 「…!?…っ陛下!?」 近衛の者もエトの後を追い、残された大臣達の困惑した声を背に受け、エトは「すみません、お先に失礼します!」とだけ叫んで門へと向かう。 もちろん、宮殿内を走るなんてことはしない…限り無く競歩に誓い早足だった。 会議室に残された者達は、主語の抜けたそれに呆然としていたが、数分の後れの後やっと思い当たり、国王の後を追うべく会議室を後にした。 中庭の向こう側から明るい笑い声が聞こえる。 そして、次第に近づいてくる…懐かしい気配。 「あら!エト、こんにちは♪久しぶりね」 可愛らしい、透き通るようなハイ・トーン。 「こんにちは、ディードリット。相変わらず綺麗だね」 思ったとおりの美辞麗句は、永遠の妖精ディードリットへ。 そして彼女の横には、精悍な顔立ちの親友。 「…久しぶり、パーン」 周りを若い騎士達に囲まれすっかりお困りの様子。 人の良い所は、本当に幾つになっても変わらない彼に思わず笑みが零れる。 「悪いな、突然押しかけて…」 頭をぽりぽりとかき、向日葵の様に笑う彼。 もうすぐ四十になろうという男に『向日葵』という表現が当てはまるのも面白い。 しかし、エトもパーンも人一倍苦労しているのだからさっさと老けても良いのに、童顔のせいで本当の年よりも、少なくとも五つは若く見られてしまう。 得と言えば得だが、これでも一応『伝説の英雄』らしいので、迫力に欠けてしまうのも確かだ。 しかし、パーンの場合は親しみやすいととられることが多いのは…騎士達に群がられているこの場合、良い事なのか悪いことなのか…。 国王の登場にさっと礼を取った騎士達に手を上げて応え、身軽になった彼等と向かい合う。 「気にしなくていいよ、そんなこと。君に頼みたいこともあったから調度良かった」 くすくすと笑うエトに、公式の場では礼を取るパーンも昔のままの口調で話す。 「エトがオレに?珍しいな、頼みごとなんて…いいぜ?オレに出来ることなら何でも引き受けるさ」 「ありがとう。ああ、良かった。実は、パーンにうちの正騎士達の稽古をつけて貰いたかったんだ」 変わらず、優し気な笑顔を浮かべたまま告げられた内容に、パーンはぎょっとして息を飲んだ。 「何っ!?」 …と、パーンが叫んだのと、彼等の周りで歓声が上がったのはほぼ同時だった。 「「「……え……!?」」」 驚いて後を振り返ると、そこには、いつの間にか数十人の近衛を含む正騎士達が揃っていた。 そして口々に喜びの言葉を発し、肩を叩き合ったり等している…まだ誰も承知したとは言っていないよ、君達…とは、とても言える状態では無い。 「……エトって、いっつもこんなにお付きの人達つれてたっけ…?」 「…まさか。どこから、いつの間に増えたんだろう…」 呆然とディードリットとエトが言葉を交わすが、パーンは無性に笑いたくなって吹き出した。 「平和になったんだな、ヴァリスも」 そう言ったパーンに、エトも嬉しそうに頷いた。 その様子を楽し気に見つめていたディードリットにとんっと背を押され、パーンは一歩エトに近づく。 そしておもむろに手を差し出し彼の手を握り、肩をぽんぽんっと叩く。 「……元気そうで安心したよ、兄弟」 ふわりと微笑んだパーンに、エトの胸に温かな思いが湧き上がる。 兄弟…その言葉がとてもくすぐったく、眩暈がするほどに嬉しい。 「…君もね、パーン!」 お返しに、彼の背中を軽く叩く。 お互い悪戯っ子のような少年の輝きを秘めた瞳で笑い合う。 その横で、彼の妖精が共犯者の顔で微笑み、それから三人並んで宮殿に入った。 今日はゆっくり語り明かそう…幼かった頃、ベットの中で夢を語ったあの頃のように…。 『一人は肉親、一人は親友。…貴方はどうしますか?』 ――――どっちも助けて、オレも死なない。…オレは諦めない…! これが、今のパーンの答え。 ロードスという島がある。 この島で生まれた少年達は、この島で大きくなり、『英雄』に名を連ねるまでになった。 呪われた島が生んだ優しき子等は、その島を呪いから解き放った。 ロードスという島がある。 この島は、己の呪いを解くために優しい少年達を生み出した。 そして、少年達はロードスを救った…。 |
おわり |