美しく豪奢ではあるが、決して派手ではない装いに身を包み、胸にはファリスの司祭級以上の者だけに許されるファリス神の印の彫られたペンダントをつけている。 「陛下、お時間でございます…」 遠慮がちに近衛の者が近付き声をかけた。 「…分かりました。すぐ参ります」 少し間を置き、彼は静かに答えた。 そう、彼はヴァリスの神官王エトなのである。 エトは立ち上がり、物言わぬ神像を見上げた。 外で控えていた十数人の近衛兵達がそれに続き、騒々しい幾つもの足音が遠ざかると、神殿はいつもの静けさを取り戻した。
長の謁見を終え、 中庭に面するテラスでエトはやっと一息つくことが出来た。 「ふぅ…やれやれ…」 始終兵達が自分の周りにいることには、この十数年で何とか慣れては来たが…自由時間位は流石に一人でいたかった。 ただ、礼儀作法等は元々パーンの母親に教わっていたことや、神官修行時代にみっちりと叩き込まれていたこともあって、そういった意味で緊張したり恥をかくことは無かったが、もしあのまま村にいたとしたらどんな目に合っていたか…考えるだけで恐ろしい。 パーンという男がいる限り。 しかしそう考えると、今のこの状態も彼の幼馴染として育った彼の運命だったのかもしれない。 空を見上げれば太陽は中天を越え、陽射しは幾分柔らかみを帯びて来た。 既に冷めかけた紅茶を一口飲んでティーカップを置き、そのまま静かに瞳を閉じた。 ヴァリス産の紅茶独特の良い香りと、樹木や土の香りが風の中で交じり合って優しくエトを包み込む。 ディードリットのおすみ付きでもある彼の整った容姿は、本人は全く気づいていないが、今や宮廷女性等の憧れの的で、神官でもある彼の万人に対し寛容で寛大な態度は臣下や国民にとっては理想でも、時として王妃フィアンナの機嫌を損ねる事態に発展することもごく稀にある。 と言っても、実はその昔笑い話としてパーンとディードリットにした話が、彼等がフレイムでカシュー王との茶飲み話にしてしまい、それをカシューが各国に広めてしまったのが事の発端だか…そのことでパーンが後々エトにお仕置きを受けたかどうかまでは、定かでは無い。 「…あなた」 甘い春風のような優しい声に、エトははっとして目を開けた。 「フィアンナ!起きても大大丈夫なのですか!?」 驚いて立ち上がり、妻の元へと駆け寄る。 彼女が伏せている部屋に、忙しい公務の間をぬっては、毎日両手いっぱいの花束を届けていたヴァリス国王の逸話は、またその内各国で微笑みと共に語られることになるかもしれないが、今はまだ側仕えの者達だけが知っているエピソード。 「…よかった。…もうお加減はよろしいのですね?」 エトがふわりと微笑むと、フィアンナは恥かしそうに目を伏せる。 「はい。ご心配おかけして申し訳ありません…」 微笑みながら差し出された手に、王妃は嬉しそうに自らの手を重ね、促されるまま引かれた椅子に腰掛けた。 「本当に大丈夫なのですか?」 確認の意味を込めて王妃の瞳を覗き込む。 「まあ。司祭様ともあろう御方が、妻の言葉をお疑いになりますの?」 くすり笑いながら答えたフィアンナの言葉に、エトは驚いて目を見張ったが、直ぐにゆったりと微笑んだ。 「…そうでしたね。人を疑うことは、我信仰神ファリスの最も嫌うところでした」 最愛の妻に懺悔し、そっとその肩に手を乗せる。 陽だまりの中、ヴァリス国王夫妻は幸せの時を刻んでいた。
この光景を…二十年前、いったい誰が想像することが出来ただろうか…。
つづく |