例え、この道を真っ直ぐに死ぬまで歩いても…あそこへは行けない。


















 大好きな友達。
 大切な相棒。

 哀しいことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいことも、全て分かち合った心友。
 姿も種族も、住む世界すら違うのに、家族と同じだけ…もしかしたら、それよりも近しい場所で笑っていた彼。





 それなのに、どうして今…ここにいないんだろう…?






















「っっ、グレイモン――っっ!」



 太一の悲鳴がこだます。

 崖に、森に、辺り一帯に…。
 膝を着き身を乗り出す彼を、ヤマトが必死に落ちないよう抱き止める。
 そうしなければ、彼はそのまま後を追って飛び降りてしまいそうだった。

 太一は呆然と座り込む。

 姿が見えない…彼の姿が。
 あんなに大きく、あんなに鮮やかな色の彼の姿が、見当たらない。
 遥か眼下に広がる樹海に…彼は飲み込まれてしまった。


 彼の声が掠れ、こだまが消えても…誰もその場を動ける者はいなかった。



















 放課後の部活に向かう途中だった空は、目の端をかすめたヒヨコカラーに一足飛びに階段を駆け下りた。

「ヤマト!」
「空。…今から部活か?」

 少し驚いたように振り返った彼の髪の色に、目印には便利よね…と少し失礼なことを思ってこっそり笑う。

「そ。ヤマトはバンドの練習?」
「いや。今日はメンバーの都合が悪いから、小学校の方に行こうかと思ってる」

 その言葉にそういえば…と彼の背中に目をやり、ベースを抱えていないことに改めて気がついた。

「なんだ。じゃあ玄関で待っててあげてくれない?太一も今日行くって言ってから」
「太一も?で、あいつは?」
「まだ掃除中♪誰かさんが蹴った雑巾が花瓶に命中しちゃってね、後片付けに手間取ってるみたい」
「…その犯人、あいつじゃないだろうな?」
「ブー♪今日はデジタルワールドに行くために早く帰りたがってたもの。馬鹿やった男子にガミガミ怒ってたわ♪」
「…今日は…ね」
「ふふ。じゃ、そーいうことだから!あ、今日のことはメールでいいからどんなだったか教えてね!」
「分かった」

 了解と手を上げたヤマトに手を振り、空は部室に向かって駆け出した。
 早く着替えてコートに行かなければ、顧問の雷が落ちてしまう。

 慌てて着替えて同じような仲間達とコートに向かったが、珍しく顧問はまだ来ていないようだった。
 部長の指示の元ウォーミングアップをしていると、コートの端の方から伝染するように騒がしくなって行く気配に気づく。

 やっと来たのかと目をやれば、そこに映ったのは見慣れた金髪と濃い茶の二人。

 ああ、と思って手を上げると、彼等も軽く手を振って返して来た。
 玄関から校門へ向かう最短距離には含まれていない、テニス部の敷地…わざわざ遠回りをして挨拶に来てくれたらしい。

 それは伝言のお礼か、はたまた揶揄か…。

 どちらにしても、『あの世界へ行って来ます』の合図。
 嫉妬と憧憬の瞳を向ける少女達の視線を綺麗に無視し、よく晴れた青空へと視線を向けた。
 この大空を自由に飛び回り、また、歩く方が早い位にしか飛べない…どちらも同じ、どちらも大切なパートナーを思い出す。

 …会いたいな…と思う。

 そして、部活が無ければ一緒に行けるのに…と悔しく思う。
 そんな彼女の元に、顧問が急用で休むという連絡が入るのは、もう少し後のこと。















 小学校のパソコン教室よりは数段設備の整った部屋で、眼下で繰り広げられた光景を楽し気に眺めている少年がいた。
 その名を泉光子郎…一年生にして既に、お台場中学のコンピューターの情報を全て手中に治めている強者である。

 普段はあまり正直な感情を表情に出さない彼が楽し気に頬を綻ばす理由は一つ…彼の大切な仲間達が絡んでいること。
 そして例に漏れず、その時の彼を楽しませていたのも、テニスコートの片隅であった出来事だった。

「…泉、すまん。こっちのデータもまとめておいてくれるか?」
「あ、はい。いいですよ」

 すまなそうに書類の束を差し出した教師に、光子郎は柔和な笑みを浮かべて受け取った。

 幼い頃からの処世術として身に着けた、教師受けする笑顔。
 それは彼の持つ仮面に過ぎないが、それに気づく大人は少ない。
 かくゆう目の前の教師もコロリと騙され、気前良く引き受けてくれた生徒に感謝の瞳を向けた。
 既にデータ上のあらゆる情報を彼に握られ、今現在少々恨みを買っているとも気づかずに…。

「本当にすまんな。今日はそれが終わったらもういいから」
「分かりました。出来上がりましたら、フロッピーを職員室にお持ちします」
「ああ。じゃあ頼む!」
「はい」

 会議に遅れると時計を気にしながらわたわたと出て行った教師をにっこり見送り、くるりとモニターに向かった光子郎の顔は…不機嫌そのものだった。

「…後四・五十分かかるかな…いや、三十分で終わらせよう!」

 教師には、出来るだけ多く『貸し』を作っておくに越したことは無い。
 だが今日の『貸し』は…いつか出来るだけ高く返してもらおうと心に決めて時計を見る。
 そろそろ太一達が小学校に着く頃だ…。

 さて、と気を取り直し、猛スピードでキーを操りデータを打ち込んで行く。
 そして全てが終わり、急いで校門を出た所でばったり空と出会うのは、調度三十五分後のことだった。















 太一とヤマトを加えた選ばれし子供達は、予定通りに赴いたエリアで思いの外順調にダークタワーを倒し、イービルリングを破壊して操られていたデジモンを開放することも出来た。

 いつもならこれで一安心といった所なのだが、何事も無さ過ぎるのも気にかかる。

「…ヤマト。簡単過ぎると思わないか?」
「ああ…デジモンカイザーが出て来なかったのも気になるな」

 無事に済んだと喜んでいる小学生組から少し離れ、二人は警戒を解かず辺りを見回した。

 崖の上に連立していた三本のダークタワーは既にデータとなって霧散し、彼等のいる場所はあるべき姿に戻っている。
 この状態でデジモンカイザーが何かを仕掛けてくるとは思えないが、ダークタワーの護衛についていた小数のデジモン…その攻撃力を考えると、あまりにもお粗末過ぎて他に罠である気がしてならない。
 傍らに控えているパートナーデジモン達に目をやると、彼等も何かを感じているのか、真摯な瞳が黙って見返して来た。

「太一さん、お兄ちゃん、どうしたの?」

 まだ気を抜いていない様子の兄達の様子に感づき、タケルとヒカリが二人の元へやって来た。

「…何かあった?」

 心配そうに伺ってくる妹に、太一は一瞬どうしようか迷ったが、そのままの思いを告げることにした。

「いや…気にし過ぎならいいんだが、どうもまだ何かある気がしてさ…」
「何か…?」
「ああ。敵があっさりし過ぎている。…かと言って、何があるかって言われるとまだ分かんねぇんだが…」
「………」

 考え込むように眉間を寄せる太一に、タケルとヒカリは少し不安そうに目を合わせた。

 そう言われれば、今日の敵は成熟期の中でも攻撃力的には脅威では無い中型のデジモンばかりだった。
 カイザーも現れず、相手は作戦や連携プレーとは無縁のままただ襲い掛かってくるだけで、イービルリングを破壊するのもダークタワーを倒すことも容易く出来てしまった。

 まだ、何かがあるのだろうか…。

「まあ、無いなら無いに越したことは…」

 場を和まそうと、幾分柔らかな声音で言いかけた太一が口を噤む。
 隣に居たヤマト達もはっとしたように周囲を見回した。
 空気がざわつく…この感触は、間違えようも無い戦闘前の緊張感。

「大輔!気をつけろ、まだ敵がいるぞ!」
「えっ?」

 太一の声に驚いてきょとんとしてしまった彼等の後ろ、大輔・京・伊織達の向こうに広がる森の奥から、光る何かが高速で移動する。

「伏せろっ!」
「…っ!」

 太一の声と、突然襲った風と羽音…そして声にならなかった悲鳴が重なった。

「な、何??」

 強い力で突き飛ばされ、重なるように倒れこんだ三人の子供達の内、一番上にいた京が事態の把握が出来ないまま呆然と起き上がって目を見開いた。

「っ、…ホークモンっ!」

 京の悲鳴に、体を伏せていた子供達も慌てて身を起こし、目に飛び込んで来た状況に息を飲んだ。

「ホークモン!ホークモンしっかりして!」

 彼女の直ぐ横にいたはずのホークモンが十数mをも吹き飛ばされ、叩きつけられたらしい木の根元で気を失っていた。
 京は半狂乱で駆け寄りその体を助け起こすが、完全に意識を手放してしまったらしいホークモンはぐったりとしたまま目を開けない。

「や、やだ…ホークモ…っ」
「京さん危ないっ!」
「きゃああっ!?」

 切羽詰ったヒカリの叫びに振り返ろうとして、背後から迫る気配が衝撃と共に自分を避けたらしいことを感じる。

「テイルモンっ!」
「大丈夫!ヒカリ下がってて!」

 直ぐ後で受身を取って体を跳ね起こしたテイルモンに、彼女が襲って来たものに体当たりをして自分を守ってくれたことが分かった。

「あ、ありがとう、テイルモン」
「いいから。京も下がってて!」
「う、うんっ!」

 ぐったりとしているホークモンを抱え上げ、京は泣きそうになるのを必死で堪えて数歩下がった。

「京さんっ!」
「早くこっち!」
「京っ、大丈夫か!?」

 ぐいっと腕をひっぱり、安全な場所に誘おうとしてくれたのはヒカリとタケルで、その後を大輔と伊織も追って来た。

「ホークモンはどうしたんだ!?」
「そ、それがっ…目、開けてくれなくて…っ」

 声を震わせる京の腕の中で、ぴくりとも動かないホークモンの顔を集まった仲間達が覗き込む。

「…大丈夫。たぶん気を失ってるだけだろうから」
「…ホント?」
「うん」

 パタモンがにっこり頷いたのを見て、京は漸く肩の力を抜くことが出来た。

「行け!グレイモン!」
「ガルルモン、退路を塞げ!」

 聞こえた声に顔を上げると、太一とヤマトの指示の元、二体の成熟期デジモンが見事な連携プレーで、羽のあるデジモンに対し地上から一歩も引けを取らずに戦っている。

「あれは…」
「スナイモンよ。スピードがとにかく速いから、下手に空中戦を仕掛けるより動きを読んで地上から仕掛ける方が戦いやすいの」

 鋭い視線を送りつつ説明したヒカリに伊織と大輔が感心した眼差しを送るが、京はホークモンをぎゅっと握り締めて己の震えを誤魔化そうとした。

 あれが、ホークモンにぶつかって来たのだと…。
 あんなにも大きくて素早いデジモンが…そして、もしホークモンが自分の背を押し庇ってくれるのが一瞬遅ければ、あの背にある刃に刺されていたかもしれないのだと…。

「…ホークモン、ありがとう。…ごめんね…?」

 まだ目を覚まさないパートナーにそっと語りかける。
 いつも体を張って守ってくれるパートナーに、申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいになった。

「…メガフレイム!」

 グレイモンの口から放たれた大きな火の塊が、ガルルモンに気を取られていたスナイモンに襲い掛かる。
 直撃を受けた体がぐらりとバランスを崩し落下して来た所を狙い定め、グレンモンの尾がしなってスナイモンを弾き飛ばした。

「…す、すげぇ〜…」

 感嘆の声を上げる大輔に、彼等を庇うように目を光らせていたフレイドラモンが小さく笑う。
 それには気づかず、敵を撃退したばかりのパートナーを労っている先輩達の元へと興奮したように手を振って駆け出した。

「あ、大輔っ!」

 慌てて後を追うフレイドラモンに、残された者達はそっと苦笑を浮かべ、そしてゆっくりとその後に続いた。

「すげーっ!すげーっスよ、先輩達!あっという間だあっ♪」
「大輔…あんまはしゃぐな。この辺にいるデジモンがあいつ一体だけとは限んねーんだから」
「えっ!?そうなんスか!?」
「たぶんな…まだ他にいる可能性の方が高い」

 ぎょっと息を飲んだ後輩に、先輩達は真剣な表情のまま辺りを伺う。

 殺気や不審な音などは聞こえないが、まだ気を抜くなと戦いの中で培って来た感覚が訴えている。
 森の奥を探るように気配を伺っていたテイルモンが、首を横に振って彼等の元に戻って来た。

「…いないか?」
「…たぶん。私が気づかない位に気配を殺していたら分からないけど、森の奥に敵意あるデジモンの気配は感じない」
「そうか…」

 太一とヤマトが目を合わせ、少し難しい顔をする。

「先輩?」
「ん?…いや。今敵がいないなら、さっさとこのエリアを出てった方がいいかもな」
「何でですか?」
「…たぶん。今このエリアは縄張り争いの真っ最中だ」
「え?」

 よく分からないという顔をする後輩達に、説明は歩きながらな?と帰り道に向かう。

「デジモンの縄張り争いについて聞いたことは?」
「あ、はい!随分前に光子郎さんから少し」

 確認し合うように頷いた後輩達に向かい、太一が少し重い口調で続ける。

「じゃあ話が早いな。あいつ等の縄張り争いに巻き込まれると面倒だ。デジモンカイザーの狙いは…たぶん、それにオレ等を巻き込むことだ」
「えっ!?」

 驚く彼等に少しだけ微笑み、その後をヤマトが繋いだ。

「大して強くも無いイービルリングを付けられたデジモン。異様にデジモンの数の少ないこのエリア…ダークタワーは、オレ達を呼び込むための罠だろうな」
「そんなっ…」
「いや、たぶん間違い無い。イービルリングをつければ奴の思い通りに動かすことは出来るが、どうしたって命令が無ければ何も出来ねぇ木偶人形と同じになっちまう。その点、縄張り争い中のエリアならほっといたって向こうからオレ等を襲いに来る…しかも、この世界で自分の国を作ろうっていう強者ばっかがな」
「この自然の中で勝ち残って生き残って来た奴等だから、狡猾で、その上とんでもなく強い奴も多い…何処から来るか分からない…気をつけろよ?」
「…………は…い…」

 心なしか顔色を悪くした後輩達に、少し脅し過ぎたかとも思ったが、甘く見て大変なことになるよりはいいと有りのままを伝えた。
 心の中で、固くなり過ぎるなよ…と付け加え…。

「…あの…縄張り争いということは、さっきのスナイモンとかいうデジモンと同種のものが近くにいるということですか?」

 遠慮がちに発言した伊織に、京と大輔がぎくりと体を強張らせた。
 そして見た太一達の静かな瞳に、彼の発言が肯定されたことを感じる…だから、このエリアを出ようとしているのだと…。

「…それだけならいいんだがな。もしかしたら…他のデジモンもいるかもしれない」
「他って…?」
「例えば、昆虫種で言うならクワガーモンとか…かな。スナイモンとクワガーモンは根本的にそりが合わないらしくて何かと張り合ってるみたいなんだ。スナイモンが出たら、近くにクワガーモンがいると思ってもおかしくない」
「そ…そーっスか…」

 太一達の説明に、ずーん…と空気を重くしてしまった三人に少し苦笑する。
 そんな彼等を急かすように先を進むと、突然テイルモンが鋭い声で静止をかけた。

「テイルモン?」
「しっ!黙って!」

 長い耳をピンと立て、耳を澄まし、周囲を警戒する彼女を緊張感が包み込む。

「……羽音だ」
「どこから聞こえる?」
「分からない。色んな所で反響しているようで…」

 まだテイルモンにしか聞こえない音に、他の者達は気配を殺して辺りを伺う。

 太一がグレイモンと、ヤマトがガルルモンと目で合図を交わす。
 いつ何処から襲い掛かられてもよい様に構えを取った。
 子供達を中心に、気を失っているホークモンと神経を集中させているテイルモン以外のデジモン達が進化して砦の様に輪を作る。
 じり…と待つ中、彼等の耳にも彼女の捉えた音が聞こえ、木霊のように拡散していた羽音が突然大きくなり…。

「あっちよ!崖の向こう!」

 逸早くそれを察知したテイルモンが指した方向へ、グレイモンとガルルモンが攻撃を仕掛けた。

「なっ!?」

 突然の先制攻撃に呆気に取られている年少組を残し、二体の成熟期デジモンがぐっと前に出た。

「上だ!グレイモン!」

 襲い掛かる炎の攻撃をその素早さで回避したスナイモンが、急旋回して彼等に迫って来る。

「シューティングスター!」

 応戦したのは、調度スナイモンの正面に位置していたぺガスモン。

「今の内に!」

 続け様にロデオギャロップを叩きつけようとしたぺガスモンの言葉に従い、子供達は戦いの邪魔にならないよう素早く移動する。

「フレイドラモン、ディグモン!太一達を頼む!」
「ああ、任せてくれ!」

 力強く請け負ったアーマー体二体に頷き、グレイモンとガルルモンはスナイモンに意識を集中する。
 スナイモンの動きは早く、感で先を読まなければ攻撃することもままならない。
 一方、二体に続いたぺガスモンも、動きを追い切れず地上に戻り留まった。

「こっちからも来るわ!」

 テイルモンの言葉に目をやれば、木の向こうからダークティラノモンがのっそりと立ち上がるのが見えた。

「…ちっ。厄介なのが出やがったな…」
「大型の恐竜型デジモン…しかもウィルス種か!」

 苦く呟く太一とヤマトに、タケルが鋭い視線を向ける。

「お兄ちゃん!恐竜型がいるってことは、あれ系統もまだ隠れてるんじゃない?」
「そうだろうな…用意周到だぜ」
「用意周到?」

 瞳の中に不安を隠し、それでも伊織が気丈に頭を上げる。

「こんだけ凶暴なのが揃ってくると、偶然だとはもう思えねぇ」
「えっ…」
「たぶん、何らかの方法であいつらをこのエリアに集めたんだ。デジモンカイザーがな」

 そんな、と言いかけて口を噤む。

 彼等の態度と現状に、そうかもしれない…と思ってしまったから。
 今までこんな風に、デジモン同士の戦いに巻き込まれたことは無かった…それは、デジモン達がイービルリングで操られ、縄張り争いをしていられるような状態では無かったせいもある。

 だが、今正にその本来あるがままの戦いの渦中に放り込まれ、それが偶然だ等と思えないことも確かだった。
 デジモン達にとっては自然な闘い…だが、端から見るとそれは…完全な仕組まれた罠。

「…で、自分はどっかのエリアで、ダークタワーを馬鹿の一つ覚えみたいにドカドカ建ててんのかねぇ、あのお子様は」
「だろーな。何が目的か知らないが、あんまりデジタルワールドの景観を損ねないで欲しいよな」
「……先輩…」

 こんな状況なのに、まるでどうしようもない悪ガキの悪戯に呆れたように話す二人。
 緊張感があるのだか無いのだか分からなくなってくる。
 ダークティラノモン相手に苦戦を強いられているぺガスモンに、テイルモンが瞳に強い光を宿してパートナーを見上げた。

「ヒカリ!私もアーマー体に!」
「今日はもう三度目よ?」
「やれるだけやるわ!ホーリーリングの無い今の私では、足手まといにしかならない!」
「…分かった。行くわよ」

 ヒカリがD-3を翳し進化の光がティルモンを包み込む…見慣れたはずのそれに気をとられ、全員の反応が一瞬遅れた。

「っ、クワガーモンっ!」

 突風と共に飛来した巨体は、進化中の彼女に狙いを定めて飛び込んで来た。

「テイルモーンっ!」

 交わすことも受け流すことも出来なかったテイルモンは強く地面に叩きつけられる。

「テイルモンっ、テイルモーンっ!」

 駆け寄ったヒカリに抱き起こされ、収縮した光の中プロットモンに退化してしまった彼女が薄っすらと瞳を開けた。

「…へ…いき。…ごめんなさ…気づかな、くて…っ」
「いいの!いいからプロットモン!」

 泣きそうなヒカリの腕の中で、プロットモンは辛そうに顔を歪め、ふっと気を失った。

「プロットモン…」

 傷だらけの体を愛おしそうにぎゅっと抱きしめ、応戦に回っている仲間達を振り返る。

 先ほどのスナイモンと違い、中々射程距離まで降りて来ようとしないスナイモンに警戒だけは払いながら、フレイドラモンとグレイモンがダークティラノモンに、ぺガスモンとガルルモンがクワガーモンに向かっている。
 ディグモンは子供達を背に庇いながら、ゴールドラッシュでスナイモンを威嚇していた。

「ヒカリちゃん!テイルモンは!?」
「え!?プ、プロットモン!?」
「退化してしまったのですか!?」

 寄って来た仲間達が口々に言うのを聞き、心配させまいとヒカリは淡く微笑んだ。

「うん…退化はしちゃったけど、大丈夫。気を失っただけみたいだから」

 ほっと安心した表情になった彼等に、今度はもう少し自然に笑えた。
 傷つき気を失ったパートナーの身は心配だし、戦況が切迫しているのも分かる…だが、仲間達が傍にいてくれることが嬉しかった。

「…でも、どうにかしなきゃ…」 

 決意を込めて上げた彼女の瞳に、空中で向きを替えたクワガーモンの姿が映った。
 少し離れた所で、戦闘の邪魔にならないポイントを上手く取りながら指示を出している太一とヤマト、そしてタケル。
 ディグモンが牽制をかけているものの、傷ついたデジモン二体を抱え、ほぼ無防備と言っていいヒカリ、大輔、京、伊織の三人…その危険性に気づいたのは、プロットモンを抱いたヒカリとタケルがほぼ同時だった。
 固まっていた自分達の方へ真っ直ぐ向かってくるクワガーモンに、一気に血の気が下がる。

「危ないっ!ペガスモン!」

 タケルの叫びに瞬時に反応したペガスモンが、標的を替えガードの開いたクワガーモンの脇にシューティングスターを叩きつける…が、溜めのほとんど無いまま放たれた技はクワガーモンの進路をほんの少しずらせられただけだった。

「っ!?」

 激しい衝撃と風圧、土埃と木の幹が折れる轟音が響く。

「タ、タケルさんっ!」

 一番クワガーモンに近い場所にいただろう伊織が、薄れていく土埃の中で自分に覆い被さった影に驚いて声を上げる。

「…大丈夫?」
「は、はい!僕は何ともありません。タケルさんが庇って下さったんですね…」
「咄嗟だったけどね。皆動ける?」
「あ、ああ。何が…」
「説明は後!声抑えて、こっち!」

 身を低くしたまま素早く先導するタケルに、迫力に押されたように従う三人。そのしんがりをヒカリが務め、更にその後をディグモンが警戒しつつ移動する。

「っ!」

 子供達のすぐ側の倒れずに残っていた木が、鋭い風切り音と共にすっぱりと横に切り倒された。

「なっ!?」

 身を低くしていなければ、首が転がり落ちていたかもしれない距離にぞっとする。
 視界がまだ開けぬ向こう側から、大きな刃を擦るような音と空気を振動させる羽音が響いてくる。

「走るだぎゃあ!」
「急いで!」

 ディグモンとペガスモンの声にタケルが立ち上がる。
 踏み出そうとしてぐらついた体を、大輔が慌てて支えた。

「無茶すんな、タケル!お前さっきケガしてただろ!」
「あ、バレてた?」
「あんま人ナメンナっ!」

 少し避難の混じる大輔の叱咤に、タケルは苦い笑みで答えた。
 そのやりとりに、ディグモンの元へ咄嗟に戻ろうとしていた伊織が踏み止まる…。

「行くわよ!今ここにいると皆の邪魔になるわ!」

 片腕にホークモンを、もう片方の手で伊織の腕を取り、京が決然と仲間達を見回す。
 数mも離れていない場所で、激しい戦いが繰り広げられているのが肌を通してびりびりと伝わる…数的に勝っている自分達のパートナー達が苦戦を強いられているのは偏に自分達のせいだ…それが事実として分かってしまう。

「タケル、ちゃんと捕まってろよ!」
「うん、ヨロシク♪」

 ぶっきらぼうに言った大輔にタケルは冗談めかして返したが、その瞳が少しもふざけていないことが分かる。

 早鐘のように打つ心臓を無理矢理頭の中から放り出し、少しでも早く戦闘区域から離れようと移動する。
 だが、目が届かない距離に行くわけにはいかない…それが分かっているタケルは、大輔に肩を貸してもらいながらも、戦闘中のパートナーに意識を向けていた。

 いつの間にか加勢に入っていたガルルモンも加え、三対一で形勢は有利に見える…が、続く戦闘でエネルギーが減っているだろう彼等は、長引きばどうなるかは分からない。

 止めは刺せない…その隙が無い。
 いや、刺そうと思えば出来るだろうが…そのために必要な条件がある。

 どうすれば…と思わず周りを見回したヒカリは、少し離れた所で自分達のパートナーを上手く誘導しながら、難しい顔でこちらを伺っていた太一とヤマトと目が合った。

 瞬間、理解した。

 彼等が今、何を考えているのか…そして、自分達に何を求めているのか…。
 知らず腕の中のプロットモンを強く抱きしめる。
 タケルを見ると、彼もそれに気づいたらしく、硬い表情のまま目だけで頷きを返して来た。

「…行こう」
「は?」

 ある程度離れた場所で立ち止まりかけた大輔に、タケルが声を抑えて促した。
 初め意味の分からない様だった大輔だが、支えている体に思いの外強く引かれ、意味を理解した途端ぎょっとする。

「行こうって…ここを離れるってことか?」
「そうだよ。少しでも早く遠くへ行った方がいい」
「そっ…んなの、出来るわけねーじゃんか!太一さんやデジモン達を置いて行くのか!?」
「いいから行くんだ!ここにいると僕等は足手まといになるんだよ!」
「オレはならねぇっ!逃げんならお前等だけで行けっ!」

 有無を言わせぬタケルの言い様にかっとなり、大輔は回していたタケルの腕を外し伊織に押し付けるようにして、今来た道を引き返そうとする。

「大輔君!」
「待って!大輔君ダメっ!」

 焦りの混ざるタケルとヒカリの声を無視し、それを振り切るように駆け出した。
 向かうのは森の向こう側、崖がある方向…デジモン達はもうあの場所にはいない、それ位は分かる。
 移動している戦闘の気配を辿り、爆音の中心地へと向かった。
 そして…開けた視界に映った光景に息を飲む…。

「フォックスファイアー!」
「シューティングスター!」

 二体の必殺技をまともに受けたクワガーモンが、土埃の向こうでダークタワーの様に霧散するのがはっきり見えた。

「……え?…な、に……」

 呆然と呟いた大輔の肩が、突然ぐいっと引かれる。

「…ヒ、カリ…ちゃん…」
「大輔君…足、速いわ…」

 肩で息をしながら、それでもにこりと微笑んだヒカリに、今見た光景が嘘だったのではと思えて来る。
 見間違いか幻覚か…そんな風に思いたかった。

「大輔君。ここはお兄ちゃん達に任せて、私達は向こうで待っていましょう?皆もさっきの場所にいてもらっているから」
「だけど…」

 絶え間無く続く攻防の中、爆音と爆風で舞い上がった土埃でよくは分からないが、あの中で自分のパートナーも戦っていると思うとこの場を離れることが出来ない。

 強さも、それ以外のことも信頼しているパートナーだけれど、何故傍にいないだけで、姿が見えないだけでこんなにも不安な気持ちになるのだろう…何が出来るわけでも、痛みを代わってやれるわけでもないのに、傍にいてやりたいと思う。

 複雑な表情で進むことも退くことも出来ない大輔の胸中を察し、ヒカリが何かを言おうとした時、大輔の目が驚愕に見開かれた。
 何事かと視線を追い、その場の状況に顔を歪めた。
 ペガスモンとの連携をとり、地上から打ち出されたゴールドラッシュでバランスを崩したらしいスナイモンの背後をフレイドラモンが取っていた。

「今だ!グレイモン!ガルルモン!」

 太一の声に重なり、炎の攻撃が襲い掛かる。

「フレイドラモンっ!」

 タイミングを計って離そうしていたフレイドラモンの気が、突然聞こえたパートナーの声に一瞬反れた。
 その隙にスナイモンは全身を捻って体を離し、紙一重で攻撃を交わして空に逃げ延びる。
 スナイモンに振り落とされたフレイドラモンは、落下の途中でガルルモンがキャッチして地上に降りた。

「大輔…どうして…」
「ご、ごめんっ、フレイドラモン!オ、オレっ…」

 怪我をしたのか、肩を押さえてふらりと立ち上がるフレイドラモンに、邪魔をしてしまったのだと分かり大輔の顔がさっと曇る。
 手伝いたくて駆けつけたのに、邪魔をしたかったわけでは無いのに、あの一瞬を見た時つい声が出てしまった。
 かろうじて名前を呼ぶに留めてはいたが、大輔自身もその先に何を続けたかったのかは分からない。

「大輔、ヒカリ!」
「そこは危ない!離れろ!」

 遠くから叫ばれた声に、ヒカリがはっとして大輔の腕を引く。
 ぼうっとしている場合では無い…敵はまだ二体も残っているのだから…。

「大輔君、こっち!」
「あ、う、うん!」

 引かれるまま着いて行き、再び始まった乱闘に意識を奪われる。

「回り込め!飛び技を出させるなよ!」
「力技は受け流せ!無理に喰らい付かなくていい、鋼鉄の爪に気をつけろ!」
「ペガスモン!真っ直ぐに飛ぶと狙い撃ちされる!同じ所に留まるな!」

 先ほどの攻撃で警戒しているらしいスナイモンを牽制するだけにし、残りはダークティラノモンの霍乱に回っている。
 難しいことや細かいことは分からなくても、グレイモン達の動きに無駄が無く、圧倒的に押していることは分かった。

「行きましょう、大輔君!」

 ヒカリに促され背を向けた途端、背後で上がった耳を覆いたくなるような叫びに思わず振り返る。

「大輔っ!」
「っ!?」

 フレイドラモンの緊迫した声が自分を呼んだ。
 飛び込んで来た眩しい光に咄嗟に目を瞑る…それに重なった爆音と悲鳴、そして押しかかる風圧。
 続いて聞こえた声は、聞いたことが無いほど悲痛な叫びだった。



「っっ、グレイモン――っっ!」



 ヒカリと大輔が顔を上げると、フレイドラモンとペガスモンのボロボロの傷ついた体が光の中で進化が解かれ、よろけながら立ち上がる向こう側…ヤマトに押さえられ、何とか崖の端に留まっている太一の姿があった。
 彼の声が広い範囲に木霊して消えていく間、金縛りのように動けない。

「………何が…」
「気を抜くな!まだだ!」

 事態を理解し切れなかった彼等の耳に、ガルルモンの警告が届く。
 そう、ダークティラノモンの姿は無かったが、まだスナイモンが近くにいるのだ…呆然としていられる場合では無い。
再び緊迫した一同の耳が羽音を捉え、肉眼でもその姿を確認出来るほどに一気に大きくなる。

「メテオウイング!」
「メガブラスター!」

 二つの技が見事にスナイモンの横っ腹に命中し、空中で姿が四散した。
 地上からの攻撃のみを警戒していたため、彼よりも更に高い位置からの攻撃にはノーマークだったせいか、呆気ないほどの最後だった。
 スナイモンを攻撃した二体は、見慣れた姿をゆっくりと明らかにし、彼等の側に静かに降り立つ。

「バードラモン!カブテリモン!」

 声も無く驚く大輔の隣で、ヒカリがほっとした表情で手を振った。

「…何があったの?」

 森の中を走って移動してきたのだろう空と光子郎、そして少し遅れ、待機していたはずの仲間達が現れた。

「ヒカリ!」
「プロットモン!目が覚めたの?」

 大輔を追うために預けて来たパートナーが、不安気な表情を隠し切れずに駆け寄る。

「すごい爆発音が続いたでしょう?それで目が覚めたの。あそこ、ゲートポイントの近くだったみたいで、遅れて来た空達が見つけてくれて…」
「そう…それで案内して来てくれたのね」

 プロットモンの説明に、ヒカリは感謝の瞳を空へ向けた。
 光子郎はタケルに肩を貸しており、ここに着いた途端、パタモンに戻っているパートナーの姿に表情を変えた彼に付き添って彼等の所に行っていた。

 弱々しく笑うパタモンをそっと抱き上げるタケルの隣で、大輔も同じようにブイモンを助け起こしている。
 一様に心配そうな顔で、退化してしまったデジモンだけでなく、まだ進化したままの者達も何処かしら傷を負い、辺りは黒焦げの上まだ煙を出している所も多く、なぎ倒されたのだろう木の幹や枝、葉等がそこら中に散らばり、戦いの激しさを物語っている。

 小さな傷はあるものの何とか無事だったディグモンが、伊織の顔を見た途端安心したのかアルマジモンに戻ってしまう。そんな彼の元に伊織が駆けつけ、大きな傷が無いことを確認してほっと息をついた。
それを横目で見やり、京が、こちらも気づいたばかりのホークモンと心配そうに難い表情の空を見上げた。

「…大体のことは来る途中でタケル君に聞いたわ。縄張り争い中のエリアだったそうね」
「はい。スナイモン二体とクワガーモンとダークティラノモンが一体ずつ…とりあえず、今の所はさっき空さん達が倒してくれたのでラストだと思います」
「そう。…それでグレイモンの姿が見えないけれど…」
「グレイモンは崖から落ちた」

 空の言葉を遮るように入って来た押し殺した声音に、びくりと肩が揺れる。

「…お兄ちゃん…」
「太一、崖から落ちたって…!?」

 さっきまで茫然自失のようだったのが嘘のように強い光を目に宿した太一が、真っ直ぐに立っていた。

「ダークティラノモンが消滅間際、ヒカリと大輔達に向かってファイアーブラストを吐きやがったんだ。それを防ごうとフレイドラモンが突っ込んで技の角度はずらしたが、そのままペガスモンを巻き込んで空中へダイブ。…それを庇って、衝撃を緩和し切れずに…落ちた」

 太一の言葉に、一瞬のことで何が起こったのか分からなかったヒカリと大輔の顔が一瞬にして青ざめる。

「空、バードラモンを借りるぞ。崖下に行く」
「私も行くわ!バードラモン!」

 バサリと羽を広げ、バードラモンがいつでも行けると合図する。

「た、太一先輩!オレもっ、オレも行きます!」

 たまらずに叫んだ大輔に、太一は静かに首を振った。

「…大輔、お前等はもう帰れ。時間も時間だし、ブイモンも傷だらけじゃねーか」
「だ、だけど!オレのせいだしっ、オレがっ…オレが…」

 邪魔したから…という言葉は、喉に引っかかって出ては来なかった。
 そのことが余計に大輔を惨めな気分にさせる。

「とにかく、オレも一緒に行きます!」
「いい。いつまでかかるか分からないし、状況如何によっちゃオレは今日こっちに残るが、お前等は帰らないとヤバイだろう?タケル、お前も怪我してるな?伊織や京ちゃんも、今一緒に帰れ。ヒカリもだ」
「お兄ちゃんっ」

 反論しようと声を荒げたヒカリに、太一はその眼差しだけで黙らせる。

「帰ってデジモン達を休ませてやれ。それと…こっちのフォローと一緒に、頼む」
「…お兄ちゃん…」

 彼の言っていることは尤もで、また、もう決めてしまっていることも分かる。

 彼がこっちに残るのなら、誰かが伝えなくてはならないことも事実で…これ以上逆らえないとヒカリは悔しそうに俯くが、感情として理解出来ない者もいた。

 邪魔になるからと、まずタケルに止められた。
 それを振り切って、血気盛んに戦場に飛び込んだ自分…それなのに、デジモンが倒される瞬間を目の当たりにして動揺し、余計な所で口を挟んでチャンスを逃がし、足を引っ張り…挙句の果てにグレイモンが崖から落ちてしまうという原因にもなった。

 居たたまれない…とは、きっとこういう状況のことを言うのだ。
 申し訳なくて、やるせなくて、苦しくて…どう説明していいのかも分からない。

「でもっ、やっぱりオレのせいだから…っ!」

 それだけは分かると叫んだ大輔に、太一の目がすっと冷たく細められた。

「……だから何だ?」
「えっ…」
「お前のせいだから、何だ?」
「っ…」
「確かに、お前が戻って来たことで攻撃の手が緩まったのは認める。決定的チャンスも何度か逃した…けどそれは、ああいう戦いはまだお前等に見せるべきじゃないと離れさせたオレ達の甘さが招いたことだ」

 淡々と告げる太一に、大輔は顔を上げていられなくなって俯いて肩を震わす。

「結果戦いは長引き、余計な負傷者を出しちまったのも事実だ。…だけど、それが何だって言うんだ?」
「………」
「オレに、責めて欲しいのか?」
「っ!?」

 びくりと体の強張った彼に、太一は無表情のまま声を震わせた。

「自分が悪いから、だから責められて楽になりたいのか?」
「オレは…っ」
「生憎だがそんなことに構ってられるほど余裕がねぇんだ。帰れ!」
「っ…」

 くるりと背を向けられ、振り返る様子の無い態度に、胸に石が痞えたように苦しくなった。
 息を飲んだまま沈黙する仲間達も、心配そうに自分を見上げるブイモンの姿も認知出来なかった。
 ただ、遠ざかる後姿が辛くて視界が霞んだ。

「……………ごっ…なさ……っ」

 ぼとぼとっと落ちた雫に少しだけ視界が戻るが、また直ぐにぼやけて見えなくなった。

「……ごめんな…さっ……た、太一先パ…っ、ご、ごめんな…さい…っ」

 苦しくて哀しくて、他にも言いたいことはあるのにその言葉しか出て来なくて、それなのにその言葉すら上手く繋げられない。
 そのことがもっと情けなくて涙が溢れた。

 もっとちゃんと伝えたいのに、それが出来ない自分がどうしようもなく嫌で…。
 歯を食い縛り、何とかしゃくり上げるのだけは我慢していた彼の前に影が射し、くしゃりと髪がかき混ぜられた。

「……オレも、言い方きつかったな…悪い。だけど大輔、お前は今自分が思ってる以上に混乱してる。無理矢理忘れようとしてることだってあるだろう?」
「む…無理、矢理…?」
「そうだ。オレ達があいつ等を倒したこと、無かったことにしようとしてるだろう?だから、帰って休め。無理矢理忘れて平気なふりをしなくたっていい。それにデジタルワールドは、慣れない奴が日が暮れた後にいるのは危険だ…だから、な?」

 諭すような言葉に、大輔はこくりと頷く。

「よし。あいつを見つけたら必ず連絡してやっから」
「…絶対、ですよ…?」
「ああ、約束するよ。…空」

 まだ涙の止まらない後輩にしっかりと頷いて約束し、バードラモンの元にいた彼女を振り返る。
 空が合図を送ると大きな羽を羽ばたかせて、地を蹴った鍵爪の上に軽く助走して飛び乗った。
 あっという間に小さくなっていく影を見送り、光子郎が残った者達に視線を送る。

「それでは、僕も太一さん達を追わせてもらいますが…その前に聞きたいことがあるなら伺いますよ?」

 伊織と京は顔を合わせ、大輔は乱暴に袖で涙を拭う。
 見かねたヒカリが差し出したハンカチを、少し恥ずかしそうに礼を言って受け取った。

「…あの、光子郎さん。太一先輩が言ってたことって…」

 遠慮がちな大輔の発言に、光子郎は少しだけ困った顔でヤマトと目を合わせた。
 その場にいなかった自分よりも、ヤマトの方がありのままを知っているだろうと思ったからだ。
 その視線を受け、ヤマトが小さく溜め息をついて口を開いた。

「…そのままの意味だな。大輔、お前フレイドラモンがスナイモンの背後を押さえて止めを刺そうとした時止めただろう?」
「と、止めたって言うか…声が出ちまったって言うか…」
「ああ。無意識って感じだったな。お前自身何で止めたかったのか分かってないってことだ」
「?」

 抽象的な言い回しに、大輔だけで無く伊織と京も不思議そうな顔をする。

「…お前にとって、太一は『絶対』で『正義』だろう?そんな太一が…オレ達が、デジモンを殺そうとしたことを、お前は認めたくなかったんだ」
「っ!?」
「一体目のスナイモンも、お前等の目にはただ『撃退』しただけみたいに見えたかもしれないが、奴も倒している。それだけの攻撃をオレ達はした。…消える前に森に落ちたから気づかなかっただろうが、あの後また現れなかったとこを見ると…しっかり殺せたみたいだな」
「……………」

 何かが、根本から覆されたような感覚…声はちゃんと聞こえているのに、言葉として理解が出来ない。

「こ…殺したって…そんな…」
「見てただろう?あの場を」
「だけど…でも…」

 混乱する頭を振り、虚ろな意識で見たはずの場面を思い返そうとする。

 舞い上がった土埃。
 響く爆音とうねる爆風…。
 耳を劈く断末魔の悲鳴…霧散した巨大なデジモン。

「…あれは、消えて…」
「それがデジモンの『死』です」

 静かに言った光子郎に、見開かれた三人の視線が集まる。

「デジモンは死んでも屍骸は残りません。全てデータに還るんです」

 表情を無くしていた京が、ぽつりと呟く。

「じゃあ…本当に、殺した…んです、か…?」
「そうです」

 きっぱりと肯定された言葉に体が震えた。

「そ、そりゃ…襲って来たのは向こうだし、話し合いが出来るような状態でも無かったけどっ、でも何も殺さなくたって…っ」
「そうです!イービルリングをつけられて操られていたわけじゃないんでしょう!?」
「ええ、その通りです。普通のデジモンです」
「ならっ…」
「普通のデジモンは…『殺し合い』が本能なんです」
「っ!?」

 気負うでも無く告げられた内容に、息を飲み二の句が告げられなくなる。

「デジモンは死ぬと体がデータに還ります」
「それは聞きました」
「つまり、『捕食のための狩り』は、この世界に存在しません」
「っ!?」
「この世界にある戦いは全て『殺し合い』を目的に行われています。例えば、今回のような縄張り争い。または己の力を誇示するためだけに…元々『デジタルワールド』という世界が、人の作り出したデータから生まれた世界なのですから…当然と言えば当然かもしれませんが」

 苦笑する光子郎に、どう返せばいいのかも分からない。

「皆さんには全てを話していませんでしたが、本来デジモン達の『縄張り争い』とは、力の優劣を決めるための『決闘』です。ルールも何も無い、相手が倒れるまで戦い続ける『決闘』…そしてそれは、純粋な力の勝負であるために相手の隙をつくための卑怯な手段も取られる場合があります。例えば…戦い傷ついたものに奇襲をかける、とか…」
「っ!?」
「そんな手段を取っても、この世界では許されます。油断した方が悪い、気づかなかった方が悪い、隙を見せた方が悪い…力が全て。そんな理屈が罷り通る世界なんです、ここは」
「だからこそ戦いは全力で容赦が無い。止めを刺さなければ、何度でも立ち上がって何度でも向かって来る…縄張り争い中の奴等は決して逃げない。そこまで進化を遂げたデジモンのプライドか本能か…それは分からないが、ボロボロになって弱って死ぬまで向かって来る」
「だからこそ僕等は、縄張り争い中のエリアには近づかないようにして来ました。でも、そんなデジモン達と出会ってしまった時には…」
「こっちも全力で相手をする。それしかない…相手のためにもな」
「無駄に死んであげるわけにはいきませんからね」

 でも、だけどと反論したいのに、続ける言葉が見当たらない。
 告げられた言葉は静かで、苦悩の果てに導き出した答えなのだろうことが見て取れた。
 それに、彼等を責めたいわけでは無いし、責める資格も無い。
 その意味を充分に理解している人達に、何も知らず守られていただけの自分達が出来るはずが無い…そんな傲慢な人間にはなりたくなかった。

 黙り込んでしまった彼等に、光子郎とヤマトは仕方無さそうに苦笑する。
 こうなると分かっていた…だからまだ、知られたくはなかったのだと…。

「…後のことは僕達に任せて、今日は皆帰りなさい」
「光子郎さん…」
「大丈夫です、僕達は慣れてますから。戦いも、ここでの生活も。君達に今必要なことは休むことです」

 体よりも精神の疲労が大きいだろう後輩達にそう言い、ずっと沈黙を守っていた仲間を振り向いた。

「タケル、気をつけて帰れよ?帰ったらちゃんと手当てするんだぞ?」
「大した怪我じゃないから気にしないで。それより太一さん達の方…」
「ああ、心配するな。必ず見つけ出すから」
「うん。信じてる」

 信頼を込めて微笑むタケルに、ヒカリがそっと肩を貸して二人を見つめた。

「ヒカリさん、後のこと頼みます」
「はい。お家には連絡しておきますから」
「お願いします」

 本当は残りたいのだろう二人…特にヒカリは、アグモンのこともだろうが、兄の身が心配で仕方ないだろう…珍しく声を荒げた太一を目にした。

 こんなにも高い崖の上からグレイモンが落ちたのだ…無理も無いが、いつも自分を抑えて広く視野を取っている彼だけに不安は募る。
 そんな想いを押し殺し毅然としながらも、時折瞳が不安に揺れている。

 もう一度大丈夫だからと微笑み、じゃあと言って二人はカブテリモンに乗った。
 二人がちゃんと乗ったことを確かめ、カブテリモンはガルルモンを支えて崖の向こうに羽ばたいた。

「ヤマトさん!光子郎さん!お兄ちゃんをっ…」

 風に消されそうになる声を張り上げ、小さくなる姿に投げかける。

「お兄ちゃんとグレイモンをっ、お願いしますっ!」

 手を振ってくれた気がした…。
 遠く広がる崖下の樹海…そこに消えた仲間の姿を追い、こんな所にグレイモンが落ちたのだと改めてぞっとする。
 ここから落ちて、果たして無事でいられるだろうか?
 しかも、あんなにも激しい戦いの後で…。

「グレイモン…無事かなぁ…」

 ホークモンの羽を握り締め、京がぽつりと呟いた。

「…分からないわ…でも、お兄ちゃんも覚悟はしてるはず…」
「覚悟って…」

 思わぬ言葉に驚く彼等に背を向けたまま、ヒカリは必死に感情を押し殺す。

「…覚悟だけは、いつでもしてる。例えどんな理由があったとしても、相手を殺して自分達だけ無事だなんて在り得ないもの…傷つけたのならそれだけ、それ以上に返って来る可能性があるから、だからいつだって最悪の結果を想定しながら細心の注意を払って…っ」
「ヒカリちゃん…」

 タケルの声に、ごめんなさいと自分を落ち着けようと深呼吸をする。

「だけど、絶対諦めたりはしないから。覚悟はするけれど、諦めない。だから皆も信じてて…グレイモンは大丈夫だって」

 向けられた笑顔に息を飲む。
 辛そうな、苦しそうな…それを押し隠した強がりの笑顔…泣いていないことの方が不思議なほどに…。

「だって、グレイモンがお兄ちゃんを置いていくはずがないもの…」

 パートナーと同じ笑顔を浮かべたプロットモンが、彼女を見上げて頷いた。

 私だって置いていかない…そんな気持ちを込め…。
 今の自分達には、家に帰ることしか出来ないけれど…だけど何処にいたって祈る言葉と心は同じ。





 無事に帰って来て…。






 
つづく








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