心と体は決して、一つの意志で繋がったものでは無い。















 いつも思っていた。

 彼のようになれたらいいのに。
 彼のようになりたいと…。

 理想と幻想の狭間で、何が正しくて何が間違っているのか確かめもせず…ただひたすらに追い求めていた。



 だけど真実は、もっと残酷で…涙が出るほど優しいものだった。
































 デジタルワールドにデジモンカイザーという人間が現れ、世界は再び…純粋なる子供を選び取った。
 彼等の心の、全てを受け止める強靭さと、全てを受け入れる柔軟さを信じて…。














 パソコン画面を通して繋がるもう一つの世界…デジタルワールドは、選ばれし子供となったばかりの大輔・京・伊織には、何もかもが珍しいものばかりで、自分を慕ってくれるパートナーの存在もあり、どちらかと言えば、戦闘よりは興味の方に向いていた。

 そんな彼等の姿はどうにも危なっかしく、1999年の選ばれし子供達は暇をみては顔を出すようにしていた。
 そんな彼等の心情は、仲間というよりも、保護者に近かったのかもしれない。

「太一先輩、今日は中学の部活休みなんスか?」

 元々太一に懐いていた大輔は、中学入ってしまってから疎遠になっていた憧れの先輩に、ここ数日よく会えることを喜びながらも、何となく気にかかっていたことを聞いてみた。
 ただ、実は大変だからもう来ないと言われるかもしれないという可能性と葛藤した末の、彼には多大な勇気の要る質問だった。

「ああ。まだ新入生達が入ったばっかでグランドあんま使えないからな。連日体力作りばっかのメニューで、やる気の無い奴ふるいにかけてる状態だから、ロードワークとか別メニューをちゃんとやるってことで、ちょっと免除してもらってるんだ。サボってるわけじゃねーから心配すんな」
「そーですか」

 あからさまにほっとした顔をする大輔に、他の者達はこっそりと忍び笑いをもらす。

 こちらの世界を共有するようになって数日だが、新しいメンバーも、そうでない者達も、そろそろお互いのことがよく見え始めていた。
 始めはネコを被っていた者も、戦いの場でそれが続くはずも無く、あっさりとネコを放り投げて地で接している…そうであれば、理解の程も早くなるというものだろう。

 そして、彼等がこの新しい人間関係の中逸早く理解したのが…彼、『本宮大輔』だった。

 とにかく、人によって態度がまるっきり違うのだ。
 気に入らなかったり癪に障ったりすると、相手が年上でもお構い無しに怒鳴る・拗ねる・突っかかる…反対に好意を寄せる相手だと、委細構わず懐きまくる。

 現に、今も太一の周りをまるで子犬のようにまとわりついている。
 そんな大輔の後をブイモンが一生懸命追いかけ、太一とアグモンは彼等の好きにさせながらものんびりとマイペースに歩いていた。

「…ある意味はっきりしていて、分かり易いですよね」
「ホーント!自分が大輔の中でどの程度の位置にいるのか、聞かなくても分かるもの」
「それじゃあ僕の位置は、大輔君の中ではかなり低そうだな〜」
「タ、タケルさん…」

 呆れたように呟いた伊織と京の言葉に、タケルがひょいっと乱入して明るく笑った。

「タケル君、そんな風に言うものじゃないわ」
「そうですよ。それに、例えそうだとしても…太一さんとヤマトさんの例がありますからね。心配には及ばないんじゃないですか?」
「だといいんですけどね」

 気まずそうな顔をした京と伊織に代わり、ヒカリと光子郎が苦笑交じりに嗜めると、タケルは肩を竦めてくすりと笑った。

「…それはともかく、僕としては…この春に小学校を卒業したはずなのに、こうも頻繁に通っていては、全くそんな気がしなくて困りものですよ」
「それを言うなら、僕達だって結構戸惑ってますよ?前はデジタルワールドに来たら帰れなかったのに、今じゃ朝起きて学校に来て、放課後デジタルワールドに来て、そして家に帰って宿題って…何かすごく複雑で…」
「うん…。心が上手く切り替えられないのよね…どっちも中途半端な気がして…」

 ヒカリとタケルの言葉に、光子郎は眉をひそめる。
 自分達はまだ日を置いて通っているからいいが、連日訪れているヒカリ達は、より鮮明に三年前とのギャップに悩まされているのだろう。
 四六時中気を張る生活も辛かったが、常に心を切り替え、その場その場の状況に対応していかなければならないのも大変だろう…何と言っても、デジタルワールドとリアルワールドは、全てにおいて違い過ぎているのだから…。

「太一さんには、そのことは…?」
「言いました。お兄ちゃんはそーいうのどうなのかなって思って…そしたらやっぱり、お兄ちゃんも『結構混乱するな』って」
「そうですか…。うん、そうですよね…」

 光子郎は頷き、軽快なリズムを鳴らして上空を飛ぶパートナーに目をやった。

 三年前、先の見えない不安の中での別離。
 電車の運転席で彼を抱きしめながら、心の中だけで固く再会を誓った。
 そしてそれは叶い…声を聞けるようになり、姿すら垣間見れ、運が良ければ会いに行くことすら可能になった。

 そして今、ヒカリ達新たな使命を与えられた子供達の手には、自在にゲートを開けるDー3がある。
 これも進化と言うのだろうか。

 だが、その以前には考えられなかった幸運の先に、落とし穴というか…弊害が生まれてしまった。

 例えデジタルワールドに暗黒の力が広がっていなくても、自由に行き来が出来たとしても、この世界は『何が起こるか分からない危険な場所』であることには変わりは無いのだ。それなのに、平和な現実世界との交錯のせいで、緊張感が変な所で途絶えてしまい、感が鈍る。
 何かがあった時、取り返しのつかない事態になりはしないかと、漠然とした不安だけが付き纏う。

「…どうしたものか…」
「何がだ?」
「わっ!?…太一さん…」
「さて、光子郎。問題です」
「は?」

 突然現れた太一の顔に驚くが、更に続いた唐突な言葉に眼を白黒させる。

「光子郎君は、このまま進むとどうなるでしょう?」
「え?……て、あ。…すみません、ありがとうございます」
「分かればよろしい♪気をつけろよ、光子郎」
「はい」

 立ちはだかるように立っていた太一がずらした体の向こうに見えた大木に、光子郎は素直に感謝の意を示した。
 どうやら考えに没頭するあまり、注意力散漫でぶつかる所だったらしい。
 見ると、太一はもう、また一行の先頭に戻ってしまい、大輔に引っ張られるように歩いていた。

「…やっぱり、感が鈍ってるのかな」

 たった今の失態に軽い落ちこみを感じつつ、それでも、相変わらず周りをよく見ている太一に感嘆する視線を送る。

「…ヒカリさん。太一さん本当に戸惑ってるんですか?」

 そういえば、何事も切り替えの早い人だったよなと光子郎が振り返れば、同じような瞳をタケルからも投げられながらヒカリが苦笑する。

「お兄ちゃんはそう言ってました。『その辺は慣れるしかないな』って、ただ…」
「ただ…何ですか?」
「…『慣れる』ってことは、『気を抜く』ってことじゃないぞって…」
「………」

 光子郎とタケルは、その言葉に思わず目を合わせ、次いで先を行く太一の背中に目をやった。
 相変わらず、物事の真髄をつくというか、単に厳しいというか…。

「…難しいですけど、その通りですよね」
「ええ、名言ですね」

 こんな時、彼が今でも自分達のリーダーであることを確信する。
 戸惑いながらも、それでも何でも無いように先を示してくれる…それだけで、随分と心の重荷は取り去られてしまうのだから。

 そんな彼等の会話を、京と伊織はよく分からないなりに、それでも興味深そうに拝聴していた。

















 中学生組が小学生組と行動を共にするのは、数にするとそんなにも多いわけでは無い。

 時によっては一人だけだったり、数人いたり、全員揃っていたり、また一人もいなかったり…始めは自分達だけでデジタルワールドに行くことを不安そうにしていた京も、最近ではゲートを開けるかけ声にはりが出てきた。

 後輩達が自分達で考え行動出来るようになっていくにつれ、太一達は少しずつ距離を置くようになっているようだった。
 彼等の邪魔をしないために。
 大輔達は目の前にあることだけで精一杯であまり気にしていないようだが、状況に『慣れて』来たタケルやヒカリは、何となくそれを寂しく思ったりもしていた。

 そんなある日、珍しく中学生組が揃ってパソコン教室に顔を出した。

「よぉ!皆元気かぁ?」
「太一先輩っ!」

 にっこり笑って扉を開けて入った太一に、大輔は驚きの声を上げた一瞬後には盛大なタックルをかましていた。

「お久しぶりです〜♪」
「お、おお。元気そーだな、大輔…」
「はいっ♪」

 良い子の返事をした後輩に、少し引き攣った笑顔を返しながらも、太一は彼の頭を撫でて労わってから離れるよう合図した。
次いで、後ろで支えてくれていた仲間達を振り返る。

「…サンキュー、ヤマト、光子郎」
「…それはいいから、さっさと自分で立て」
「おう。助かったぜ、お前等が後ろにいて」
「こっちはびっくりしましたけどね」
「その苦情は大輔に言え〜」

 一連の所作には加わっていなかった空と丈も加え、場が和やかな雰囲気になる。
 そうして、どやどやと教室に入り、うずうずしていた後輩達と言葉を交わした。

「でも珍しいですね。皆さんが揃って来るなんて♪」
「だけど嬉しいです。僕等も心強いですし、アグモンやテントモン達も喜びますよ」

 嬉しそうに微笑んだ後輩達に、太一達は曖昧な笑顔で答えた。

「…お兄ちゃん?」

 不思議そうに小首を傾げる妹に、太一は一瞬躊躇するが、一瞬きの間にそれを瞳の奥に閉じ込め、光子郎に目で合図を送る。
 光子郎は頷くと、いつも持ち歩いているノートパソコンを立ち上げ、皆に見えるよう画面にデータを映し出す。

「…先日、僕の方のプログラムに妙な物が引っかかりました」
「妙なもの?」
「ええ。まずこちらを見て下さい。これは、ダークタワーのあるエリアを区分化した地図ですが…ここです」

 光子郎が手元のキーを操作し、ある部分を大写しにする。

「…ここですか?…普通の白いエリアですよね?」
「そうです。表面上は何の変哲も無い…ダークタワーが無いエリアのはずなんですが…ここから、尋常でない暗黒エネルギーが感知されました」
「っ!」

 タケルとヒカリの表情がぴりっと引き締まる。
 大輔・京・伊織の三人も、その実態が何なのかは分からないものの、その言葉に言い知れぬ嫌悪を感じたようだった。

「ダークタワーが無いということは、デジモンカイザーの支配が及んでいない土地ということです。つまり、ここから発せられる暗黒エネルギーは…」
「カイザーとは別口…デジタルワールドの真の闇が生み出した、純粋な暗黒の力…ということですね?」

 怖いほど真剣な瞳で続けたタケルの言葉に、光子郎は臆することなくはっきりと頷いた。

「その通りです」

 まるで、空気そのものが硬質の物と化してしまったかのように重い。

 京達はその意味が分からずおろおろするが、いつもは新参の自分達にも分かり易く説明してくれる光子郎の口は何故か重い…そんな彼に、能天気を装って聞くのも憚られる。

 暗号のように少ない言葉でも、その意味をはっきりと受け取れるタケルとヒカリ。
 分からずに次の言葉を待つしかない自分達…今はっきりと境界線が感じ取れた。
 『仲間』だと言われていても、共にパートナーを得て戦っていても、彼等と自分達は同等の立場では無いのだと…。

「…た、太一先輩…」
「…大輔。お前等は何時も通りダークタワーを倒しに行って来い。ヒカリ、タケル、お前等もだ。このエリアにはオレ達だけで行く」
「なっ…」

 大きく目を見開いた大輔は、そのまま出ようとした言葉を飲み込んだ。
 いや、何が言いたかったのかも分からない…ただ、何かを言おうと向けた太一の瞳が痛いほどに真剣で、それでいて哀しいほど優しくて…頭の中が真っ白になってしまった。

「…僕達は、足手まとい…ということですか?」
「そうとは言わない。だが、そうなる可能性は高いだろうな」

 俯きながら、それでも搾り出すように呟いた伊織の言葉に、ヤマトは冷たく返す。

「どうしてですか?あたし達だってちゃんと戦えます!足手まといになんかっ…」
「違うのよ、京ちゃん」

 興奮状態の京を宥めるように空が肩に手を置き、静かに首を振る。

「違うの…暗黒のエネルギーに染められた世界にいるデジモンは、イービルリングで操られているデジモンとは違うのよ。『何か』を壊せば正気に戻って友好的になるんじゃない…自分の意志で『私達』を襲ってくるのよ」
「…え?」
「彼等が狙うのは、デジモン達に進化の力を与える『選ばれし子供達』です。僕等がいなければパートナーデジモン達は進化出来ません…進化出来なければ倒すのは容易く、以後の反撃を避けるためにも、彼等の狙いはまず間違い無く僕達です。この場合の『倒す』は…『殺す』ということを意味します」
「………」

 言葉の無い伊織の肩を丈が優しく抱くと、動揺して揺れる瞳にぶつかった。

「…勘違いはしないでほしいんだ。僕達は君等が邪魔でも仲間外れにしたいわけでもない。ただ…君等にはこの戦いはまだ早過ぎるんじゃないかと思ってね」
「そうだ。攻撃をためらえば、その分パートナーデジモンが傷つく。逃げれば、それを庇った誰かが命を落とすことだってある…酷な言い方かもしれないが、『やらなければやられる』獣のルールが支配する世界だ。話し合いで済む人間の常識は通用しない」
「で、でも、ミミお姉さまは…」
「ああ、うん。そういう戦い方もあるよな…敵だった者を味方に、小さな力を合わせて大きな力に…それはすごいことだと思う。だが、その見極めをどうやってつける?絶大な力で襲って来る相手に無抵抗で向かうのか?忘れちゃ駄目だ。その時傷つくのは、自分じゃない。自分を護ろうと必死に戦う、パートナーデジモンだ」
「「っ!?」」

 この世界ではまだ幼年期でしかないパートナーをぎゅっと抱きしめる。

 以前光子郎に聞いたことがある。
 自分達のパートナーデジモンの進化は、本来デジモン自身が持っている力で進化するのでは無く、他にある別の力を『借りて来て』叶う進化であるため、デジモン自身にはあまり力はいらない。
 そして、普通のデジモンの『生きていくための進化』では無い『戦うための進化』である『アーマー進化』は、他のデジモンの成熟期程度の力しかなく、いずれまた、デジモン自身が本来の進化をしない限り、違う進化が必要とされるだろうと…。
 だけど…。

「行く」

 押し殺したような、思いつめたような…普段の彼からは信じられないような静かな声音。

「オレも、行きます!連れて行って下さい、太一先輩!」
「…大輔…」

 太一の袖を握り締め、震える指先は強く握り締めているせいか、それとも他の理由でか…それでも大輔は真っ直ぐに太一に目を向けた。

「太一先輩、お願いしますっ!」

 すがるような瞳を向けられ、それまで冷たかった太一の瞳がふっと柔らかくなる。

「…そう、言うと思ってたよ」
「えっ?」

 その様子を見守る仲間達に目を向け、「仕方が無いな」とお互い言葉にせず語り、肩を竦め、ふうっと息をついた。

「どこまでも、真っ直ぐだな…大輔は」
「と言うより、突進って感じだけどな」
「はは。…きっと、そういう所が必要とされたのさ」
「ああ…そうだな…」
「はい?」

 太一とヤマトの会話の意味が分からず、首を傾げた大輔に太一はにっと笑いかけた。

「いーんだよ、お前はまだ分かんなくても!」
「は、はあ…」

 とりあえず頷いた大輔の頭をぐしゃりと撫で、太一は京と伊織に向き直った。

「京ちゃんと伊織はどうする?お前等も既にデジタルワールドに関わっている当事者だ。来るも来ないも自分の意志で選んで決めな…責任持ってな」

 腕の中のパートナーがそっと見上げて来た。

 その目は「任せます」と言っていた。
 例えどんな結論を出しても、「あなたに従います」と…。

 重い…と思った。

 きっと今までは、どこか楽観していた所があったのだろう…しかし、先ほどの話、告げられた言葉…どれも重く圧し掛かって来る感じがする。
 脅しでは無い。
諭してくれているのだと分かる。

 『大切な仲間』だからこそ、いい加減な気持ちで傷つけたくは無いと。
 『大切な世界』だからこそ、侮って取り返しのつかないことにはしたく無いのだと。

 そして、選べと言う。
 自分で決めて、自分の足で進めと…。
 誰のせいにも出来ない、自分自身の責任で。

「……行きます、私も」
「…いいのかい?」
「行きます。だって…今ここで行かなかったら、二度とここには戻って来れない…そんな気がするから…怖いけど、だけど…連れて行って下さい」

 目は合わせなかった…いや、合わせられなかった。
 だから、彼等がどう思ってどんな反応を返したのかは分からない。それでも、自分の心だけは分かった。

「…伊織は?」
「僕も行きます。何が起きているのか、僕が知らないのなら知らなくては…いえ、知りたいんです」
「そうか…」

 真っ直ぐな意志と瞳に、頷きで了承の意志を伝える。

「伊織はホント、真面目だなあ」


 闇の世界は、何が起こるか分からない。
 力が強ければ強いほど、デジヴァイスは力を失い、強い意志で進化は出来ても、仲間達の居場所すら掴めなくなる。
 そんな世界に連れて行かねばならないことが辛かった。

 そう言った彼の、彼等の瞳が…哀しみを湛えていたことに、幼い彼等は気づかなかった。






 
つづく







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