いきなり、過去の事実が目の前に現れたら…どうする?
















 どうしたって変えようの無い真実…。
 目を瞑っても、頭を振っても、消えることだけは…無い。





 覚えている?

 彼はいつも先頭に立って、追われている時はいつの間にか最後尾を固めていたりして…いつもいつだって、誰よりもさき未来を見つめ、戦っていた…彼。

 どうしてこんなことが出来るんだろう。
 どうしてそんなことが言えるんだろう。

 悔しくて、哀しくて、彼を責めた時もあった。
 彼にあたることで、何とか自分を繋いでいられた時もあった。

 でも、そんな自分達を、彼はただ静かに受け入れて…許してくれていた。
 だから、心のどこかで、きっと皆思っていた。



 彼は、自分達とは違うんだって…。















 久しぶりの休日。

 日本に在住する『選ばれし子供達』全てが揃うのも久しぶりで、その面子が揃ったならば彼等の第二の故郷デジタルワールドに行こうという話が出るのも至極当然の成り行きだろう。
 ポイントさえ気をつければ、ピクニック気分で行ったとしても、さして危険の無い場所があることも最近では分かって来ている。
 お弁当を持ってピクニックシートを敷き、風通しの良い丘でパートナー達と過ごす一時。
 そんな時間が過ごせる等と、数年前に比べれば夢のようだった。

「ヤマトさーん!こっち来て一緒に食べましょうよ!」

 ガブモンと二人、少し離れた場所で木にもたれながらハーモニカを吹いていたヤマトに京が声をかけたが、ヤマトは小さく笑って手を上げただけで、輪に戻って来る様子は無い。

「…どしたの?ヤマトさん」
「あはは。京さん、放っといてあげて下さい。お兄ちゃん最近忙しかったみたいだから」
「へ?忙しいと、何で?」

 頭の中をハテナマークでいっぱいにした京が、そっくりの表情のホークモンと首を傾げれば、タケルはくすりと笑って離れた場所に座る兄を見た。

「…会いたかったんですよ、ガブモンに…」
「………」

 茶化した感じの無いその言葉に、京はそういえばと周りを見回す。
 レジャーシートの上に乗っているのは小学生組ばかりで、一緒に来たはずの中学生組は、いつの間にやら姿が見えない。

「あれ〜?伊織、光子郎さん達は?」
「あ、光子郎さんはテントモンとその辺回って来るって言ってました。丈さんは下の湖にゴマモンと…他の方は…」
「空さん達もちょっと散歩して来るって。お兄ちゃん達はあそこ♪」
「え?」

 ヒカリがにっこりと指し示したのは、一際立派な大木の上。

「太一先パ〜イ。そんなトコいないで、こっちで皆でメシ食いましょぉよぉ〜!」
「お前らでやってろって。アグモンの分は先に分けてもらってるから」
「そんな〜。じゃあ太一先輩の分はどーするんすかぁ?」
「オレはここにあるの食ってるから平気だって!」
「うう〜…」

 そこには、木の下に縋りつきながら、手の届かない場所に逃げ込んでしまったネコに遊んで欲しくて幹をカリカリと掻く犬のように上を見上げる大輔と、のぉんびりと枝に寝そべっている太一の姿があった。

「ほらアグモン、美味いか?」
「うん〜♪」
「太一先パァ〜イ!」
「大輔〜、オレもハラ減ったよ〜」

 ほのぼのとした上界に、どんよりとした下界…。
 見る者の胸に哀れさを誘う光景だ。

「あ、京さん。光子郎さんと空さん帰って来ましたよ」
「えっ?」
「あら〜?皆まだごはん食べてなかったの?」

 互いのパートナー達を従えて両手いっぱいの荷物を抱えてこちらに向かって来るのは、満面の笑みを浮かべた先輩達。

「まだって、そりゃあ……て、何ですかその果物…みたいなもの…?」
「あはは。ごめんごめん!散歩の途中で光子郎君に会ったんだけど、懐かしいもの見つけちゃってねェ♪」
「ええ。おかげで即興の『果物狩り大会』ですよ」
「あ!空さん、それ!」

 空と光子郎の抱えている物を見たヒカリとタケルが嬉しそうに声を上げた。

「え?え?何?何の話?」

 一人話についていけない京が目を白黒させる。
 そんな彼等の様子に惹かれたのか、セッティングをとうに終了させ、パートナーにせがまれるがままに食物を彼等の口に運んであげていた賢と伊織も立ち上がって集合する。

「何の話なんですか?」
「そんな珍しい物でも無いんですがね。これ、僕等がここで冒険していた頃、よく食べていた物なんですよ」

 にっこり笑った光子郎に、賢・伊織・京の三人は興味深げに抱えられた大量の果物らしき物を見つめる。
 極彩色という言葉そのままに、現実世界の物に似ているようで微妙に違った形のそれらは、馴染みがなければ少し引いてしまいそうな物。

「…これ、食べてたんですか?」
「ええ。結構いけるんですよ。どうです?一つ」
「え……じゃあ…」

 恐る恐るといった体で、賢が紫色のバナナのようなものに手を伸ばす。
それを受けて、京と伊織もそれぞれ比較的まともそうな物に手を伸ばすが、口にする勇気は少し足りない…。

「あはは。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。僕等はこれを食べて生き延びたんですから」
「ねえ♪」
「え……」

 あっさり言って、それぞれ自分の腕の中からひょいっと果物を摘み上げて頓着無く口の中に放り込む。

「ん、おいし♪」
「現実世界では味わえない味ですよね」

 しみじみと呟きながら、舌に残るものに味わい深げに感動している二人。
 真実そう思っているらしい二人の様子に、小学生組は顔を見合わせ、意を決したように口の中に入れた。

「あ…おいしい…」
「……!」

 ほんわりと意外そうに呟いた京と対照的に、伊織が思いっきり顔をしかめた。

「ああ!伊織君、もしかして、君が食べたのってこれ?」
「…は…はい…」
「ごめんごめん。これ周りの皮を剥いて食べるんだよ皮が少し渋いから…」
「そ…そうなんですか…」
「はい、伊織君。口直しにこれ食べて」
「あ、ありがとうございます…」

 渡された物を、今度も脅え気味に口に入れるが、今度は先程とは違う驚きに目を丸くする。

「美味しい…です」
「ね?あ、一乗寺君!それ皮じゃなくて丸ごと実なのよ。ずっと皮剥いてるとたまねぎみたいに何も無くなっちゃうの」
「そうなんですか?」

 どんどん細くなっていっていた手の中の物に、小さな不審を抱いていただけに、賢にとって空の言葉はまさしく助け舟だった。

「おーい、空〜!風車あったか〜?」
「太一!?あんたまた木に登ってんの?」

 上空から降って来た声に、空は迷わず近くの一番大きな木の枝に寝そべっている太一を見つけ、呆れた声を出した。

「いーじゃんか。で、風車あった?」
「ったく。あったわよ!欲しかったら降りて来なさいっ!」
「ラッキー♪」

 大輔にいくら言われても指定席とばかりに動かなかった太一が、空の交換条件にあっさりと頷いた。
 まだ木の下で粘っていた大輔にしてみれば、気の毒な話かもしれない。
 直ぐ下に広げられたレジャーシートの上に、鮮やかな身のこなしで降り立った太一は、後から降りて来たアグモンを危なげなく抱き止める。
 その様子を苦笑気味に見つめていた空がふと…。

「あら?もしかしてこの木…」
「そ。上の方にラグビーが生ってたぜ♪食う?」
「食べる食べる!やーん、これ大好きだったのよね〜♪」
「ほら、光子郎も」
「ありがとうございます」

 戦利品達を並べ、にこやかに食事を始めた彼等に、後輩達が不思議そうな顔をする。

「あの〜…『風車』とか『ラグビー』って何ですか?」

 座った太一の、ヒカリの反対側の隣をちゃっかりと奪取した大輔が広げられた果物の山をマジマジと見て呟く。

「ああそーか。大輔は知らねーよな。『風車』はこれ。んで、こっちが『ラグビー』だ」
「へ?」

 太一が持ち上げたのは、形や色は変だが、どう見ても果物にしか見えない物で、現実世界で言う所の彼等の知るそれとは一致しない。

「大輔君よく見てみて?形が似てるでしょ?」

 ヒカリがにっこりと笑ってその形をなぞる。

「あ、そー言われてみれば、何となく…」

 残りの子供達も記憶の中の物と照らし合わせているようだ。

「オレ等がこっち来た時は、特に何の持ち合わせも無かったからな。食料にしても何にしても皆こっちにあるもんでまかなうしかなかったからな。でも、こっちの食い物の正しい名前なんて知らないし、デジモン達も知らないよーなのは、オレ等で勝手に呼び名をつけてたんだ」
「呼び名?」
「ええ。特に必要に迫られたわけでも無かったのですが、こちらの生活も長かったですからね。『あれ』とか『それ』という風に言うよりは何か名前があった方が呼びやすいでしょう?」
「なるほど〜」

 太一の言葉に補足した光子郎の説明に、一同は感心したように頷いた。
 例え『必要』では無かったとしても、多少『不便』であったなら、大した労力も要らないものを改善することに否やは無かっただろう。

「で、オレはこの『風車』が結構気に入ってたんだよな。地域によっては生ってない所とかもあって、あんま食べれなかったからさ〜」
「そーね。食料探しは苦労したわよね」

 何でも無いことのように笑って話す先輩達に、京は少しだけ目を伏せてレジャーシートの上のお弁当を振り返る。
 おにぎり・サンドウィッチ・パン・お寿司・サラダ・お菓子…現実世界にいれば簡単に手に入り、こちらに持って来るのも問題の無い食料…それが、何よりも難しい時もあったのだと…。

「京さん?」

 心配そうにヒカリに覗き込まれ、はっと意識を戻す。
 どんなに考えたとしても、『実際』を知らない自分が勝手に思い込んで同情するのは、彼等にとっても失礼なことだろう。
 大切なのは、きっと、その事実をあるがままに受け止めておくこと…。

「ううん、ごめん。何でもない」

 にっこりと笑うと、彼女も同じように笑い返した。
 言葉にしなくても、きっと伝わってしまっているのだろう…自分より年下なのに、自分よりずっと大人びて見えるのは、自分には想像もつかないような大変な経験をして来たからかもしれない。

 自分には分からない。
 けれど、それでも『仲間』だと言って笑ってくれる彼等の心の強さが、とても愛おしかった。

「タケル〜、眠い〜…」

 ぽよんとした声と姿でタケルの膝にのっかかったのは、彼のパートナーパタモン。
 どうやら、他のデジモン達と競争するように食べまくった挙句、お腹いっぱいになって眠くなってしまったようだ。

「寝ちゃっていいよ。皆ここにいるから」
「うん……」

 優しく頭を撫でられると、その気持ちよさにか、あっさりと夢の世界へと旅立ってしまった。

「ん?」

 その様子を微笑ましく見つめていた太一の背中に、ぽすんっと何かが体重を乗せた。

「ありゃ…アグモンも寝ちまったみたいだな」
「うふふ。久しぶりなんじゃない?こんなにあっちの物を食べるのって」
「そうですね。こちらでは、食べ物を探すだけで時間がかかりますから…お腹いっぱいっていうのは、大変でしょうからね」
「テイルモン、あなたも寝ていいのよ?」
「ん〜…すまない…つられて食べ過ぎたかも…」

 言いながら、ヒカリの膝に懐き、直ぐに寝息をたて始めた。

「はは。見慣れた顔が揃って、流石のテイルモンも気が抜けたか?」
「かもしれませんね。テイルモンは一人だけ基本形が成熟期なだけに、普段結構気を張っている所がありますから」
「そーね」

 くすくすと笑い合う彼等に、年少組はそーだったのかと感心する。
 確かに、ここまでリラックスしたテイルモンは初めて見るかもしれない…。

「あ…ワームモン?」
「ん〜…賢ちゃん、もう食べられないよぉ〜…」
「…寝言……」

 あまり側を離れたがらないパートナーの姿が無いことに気づき、振り返って探せば、彼は他の仲間達と折り重なるようにして眠っている。
 どのデジモンのお腹もはちきれんばかりにぱんぱんだ。

「うわ〜、ちょっと目を話した隙に綺麗に平らげたなぁ〜」
「ホント。結構たくさん持って来たのにね」
「…オレ等の分がねーじゃねーかよ…」

 呆れたようにタケル・ヒカリが言えば、空ばかりになった弁当箱を見て大輔が悲しげに溜め息をついた。

「そんな顔すんな大輔!このデジタルワールド産の食い物も結構いけるぞ?」
「え?いや、じゃ…いただきます…」
「そうそう。郷に居れば郷に従えってね♪いっぱいあるから食べなさい!」
「ふぁ、ふぁーい!」

 元サッカー部の先輩二人に押さえ付けられながら、口にいっぱいの食べ物を詰め込まれ、大輔は息も絶え絶えに返事する。

 他の者がやったのならば、即効鉄拳の一つも飛びそうなものだが、相手が太一と空の二人では、逆らう気など毛頭無く、いいように玩具にされてしまっている。
 そんな、普段からは考えられないような姿に、周りは暖かな笑い声で包まれるのだった。

「…なぁ、丈とゴマモン…遅くないか?」

 可愛い後輩をヘッドロックしながら、太一が辺りを見回した。

「太一先輩〜っっ、ぐるじいです〜っっ!」
「おお、悪い悪い。大丈夫だ。傷は浅いぞ大輔!」
「…はい〜…」

 半分漫才のような彼等の会話にこっそりと笑いながら、言われてみれば遅すぎる丈に、一同は揃って周りを見渡す。

 もう一人この場にいないヤマトは、先程からガブモン相手にオンステージを繰り広げているので、姿が見えなくても心配には及ばない。
 ただ、丈の場合しっかりしているようで実は抜けていたり、個人行動をした場合予期せぬデジモンに出くわす確率が選ばれし子供達の中でも非常に高いため、長時間放っておくと、ちょっと嫌な展開になっていそうで怖い。

「…すぐ下の湖って言ってたよな?」
「そのはずなんですが…」
「ゴマモンの行水、まだ終わって無いのかな?」
「行水…はちょっと…」

 軽口を叩いていても、その瞳には心配の色が強く浮かぶ。

「オレちょっと見てくるわ」
「太一さん!?」
「ここで心配してても仕方無いしな。おい、アグモン。悪いけどちょっと起きてくれ」

 考え過ぎかと行動することに躊躇していたが、太一はさっさと決断してしまった。 

「ん〜…何ぃ太一ぃ〜…?」
「丈迎えに行くんだ。一緒に来てくれ」
「…分かったぁ〜」

 寝ぼけ眼を擦り、大きく欠伸すると、アグモンは一度伸びをして軽く立ち上がった。

「…悪いな、寝てたのに」
「いいよぉ〜。太一一人で行っちゃったのを後で聞く方が嫌だしね〜」
「はは。んじゃ、ちょっくら行ってくら」
「うん。お兄ちゃん、気をつけてね」
「おう!」

 ひらひらと手を振り、太一とアグモンは足早に丘を降りて行った。

「…丈先輩、むやみに人を心配させるような人じゃないから…何か起きて無いといいけど…」
「ええ。D‐ターミナルに連絡もありませんしね…」

 太一の後姿を見送り、何処かに丈の姿が見えないかと辺りを見回すが、やはり姿は見えない。
 先程まで穏やかだっただけに、こういう嫌な予感がする時は、決まってそれが外れないことを経験上よく知っている。
 きっと、何かが起こっている。

「どーしたんだ?皆集まって…」

 ふいに後ろから声をかけられ、驚いて振り返る。

「ヤマト、ガブモン…。オンステージは終わったの?」
「いや、何か妙な雰囲気が流れてるから気になってさ」
「いい感です。ヤマトさん」
「お兄ちゃんにしては珍しいよね」
「…いじめるなよ…。太一と丈の姿が見えないけど?」

 本当に今気づいたらしいヤマトの言葉に、一同は揃って溜め息をついた。

「…丈さんの帰りが遅いので、今お兄ちゃんが迎えに行きました。何も無いといいんですけどって話をしてたんです」
「ああ…そうか。丈とゴマモンで別行動してたんだっけ…ん?」

 事態が飲み込めたヤマトが、ふと何かを思い出して顎に手を添える。

「ヤマトさん?」
「…丈とゴマモンだけで行かせたんだっけ…」
「ええ、そうですけど…」
「…あの二人だけでいて…何かアクシデントが起こらなかった時が、あったっけ…?」
「…………」

 思い返せば、責任感の強い丈が皆のためにと別行動をとった時…そのいずれの時にも何事かが起こっていた記憶が…。

「……まずいわ」
「行きましょう!とにかく、丈さんを探しにっ!」
「え?何々スか?突然??」
「説明は後!まず丈さんを見つけてから…」

 わっと動き出した一同の耳に、聞き慣れた声が遠くの方から聞こえた。

「…これは…」
「太一さんの言う所の…」
「『相変わらず緊張感の無い』…」

 向こうの丘から、パートナーを小脇に抱えて歩いてくる話題の中心人物…。

「……丈…」
「あれぇ?どーしたんだい、皆?妙な空気背負って…」

 『抜けている』『緊張感が無い』と言われていようと、丈とて数ある死線を潜り抜けて来た『戦士』だ。場の雰囲気を瞬時に感じ取る位は造作も無い。

「いえ、無事で良かった、丈先輩……て、もしかして、無事じゃ無いですか?」

 空がにっこり笑って駆け寄ると、近付いた丈の姿に唖然とした。

「あはは…体は無事なんだけどね。…一応」
「一応って丈さん、ずぶぬれじゃないですか」
「何があったんだよ?」
「いやぁ、それが…」

 たははと笑った丈の話によると…。
 始めは、のんびりとゴマモンと一緒に湖を眺めていたのだが、ゴマモンが食べていた木の実の種を湖に捨てていると、いきなり中からシードラモンが現れて戦いになったのだと…。
 おそらくゴマモンの捨てた種が、水面近くを泳いでいたシードラモンにあたってしまったのだろうが、おかげで湖に落っこちてしまい、繋がっている川まで少々下るハメになってしまったそうだ。

「…それで、よく無事に…」

「いやぁ、あの手のアクシデントはここに来ていれば付き物だしね。昔みたいに手当たり次第攻撃するんじゃなくて、効果的な手段で早期解決を目指して来たから大丈夫」

 にっこり笑った丈に、伊織・大輔・京は感心しているが、その他の者の耳には、しっかりと『急所押さえて気絶させ、とんずらこいて来ました』と変換されて聞こえた。

 逃げ惑うしか無かった冒険初期に比べ、随分と成長したものである。

「でも、これじゃ太一さんと行き違いになってしまいますね」
「え?太一迎えに来てくれてたの?」
「はい、ついさっき…まあ、いなかったら連絡寄越すわよね」
「太一なら大丈夫だろ」

 信頼という名の放任。

 きっと、彼ならばどんなことがあったとしても切り抜けられる…そんな気がするから…。
 その時、レジャーシートの上に置いたままの光子郎のパソコンが、メールの受信を注げる音を鳴らした。
 側で寝ていたテントモン・ピヨモン・テイルモン・パタモンもその音に俄かに目を覚ます。
 ブイモン・ワームモン・ホークモン・アルマジモンの四匹はよほど眠りが深いのか、ぴくりともせずに安らかな寝息を立てている。

「…何だろう。太一さんならD‐ターミナルの方に連絡してくるだろうし…」

 いぶかしみながらも、光子郎がパソコンを開く。

「!ゲンナイさんからのメールです!」
「何!?」
「ゲンナイさんから!?」
「何?何の用事なの?」
「ちょっと待って下さい。今開けますから…」

 流れるような作業の元、周りに集まった者達にも聞こえるように、ゲンナイからの音声メールが開かれた。



『子供達よ〜!今日はこっちに来ておると聞いてなぁ〜。少々気をつけねばならんことがあるので注意しておくぞ〜!』



「…気をつけること…?何だろ…」

 光子郎の後ろに集まった者達も不思議そうに顔を見合わせる。



『実は、今デジタルワールド中をバグ嵐が駆け巡っておるのよ。わしらはそれを『蝕』と呼んでおるが、あまり時間の感覚の無いデジモンには害の無いものだが、子供達よ、おぬし等は『蝕』に触れん方がいい〜。何が起こるか分からんからなぁ〜。心せいよぉ〜!』



 言うだけ言うと切れてしまったパソコン画面を見つめ、子供達はこめかみを引き攣らせた。

「…あのじーさんはいつもいつもぉ〜!」
「それだけの情報で一体何を気をつけろと言うんですか、ゲンナイさんっ!」

 パソコン画面に向かって叫んでも返事が無いのは分かりきっているが、ここが今そんな状態なら、来る前に言えと誰もが思っても仕方無いだろう。

「…たく、どーする?」
「どーするも、人体にどんな影響が出るか分からないって言うんじゃ、とりあえず、今日の所は引き上げた方がいいんじゃない?」
「そーだね。そうしようか」
「その方が賢明ですね」

 ふぅとため息をついて、久しぶりに会えたパートナー達を見つめる。

「…空、行っちゃうの?」
「うん…ごめんね、ピヨモン」
「ううん。ピヨモン寂しいけど、空の方がずっとずっと大事だから我慢する」
「ビヨモン…!」

 がしっと感動の抱擁が交わされる。

「光子郎ハン。今日は楽しおしたわ。気ぃつけて帰んなはれや」
「ああ。僕もだよ。…またすぐに来るから…」
「期待して待ってますわ」
「テントモン…!」

 きらきらと互いを見つめ合う。

「風邪引くなよ、丈」
「ああ、ゴマモンもね」
「おいらは水の中は慣れっこさ。その点丈は勉強ばっかで体鍛えて無いから心配だよ」
「言ったな〜?このこの!」

 柔らかなほっぺを突付いて笑い合う。

「…ヤマト…」
「何も言うな、ガブモン。分かってるさ…」
「うん、そうだね…」

 何処へとも無く視線を投げかけ、ヤマトの吹くハーモニカに耳を澄ませる。

「……毎度のこととはいえ…」
「ダメ、あたし何も言えない…!」
「いや、言うつもりは毛頭ねぇけどよ…」
「いいじゃないか。美しい絆の深さに感動しておこうよ」
「一乗寺君…実は呆れてる?」
「え?そんなこと無いよ。ほら」

 賢が抱え上げたのは、いつの間やら起き、滂沱の涙を流している彼のパートナー。

「賢ちゃん、賢ちゃん!ぼく…ぼく…!」
「うん…大丈夫だよ。ワームモン…」

 何が大丈夫かは謎だが、彼が本気で言っていることは確からしい。

「ヒカリ!あれっ!」
「え?」

 感動の場面が繰り広げられている中、テイルモンが緊迫した声を上げた。
 自分達がいる丘から見下ろすような格好で、西から東へと空間の歪みが移動している。

「何あれ!?」
「周りの風景が歪んで見えるぞ!」
「もしかしてあれがゲンナイさんが言っていたバグ嵐『蝕』!?」
「そんなタイムリーなっ!?」
「うわぁっ!変だ変だと思ってたけど、こんな空間がずれて見えるなんて、変過ぎよっ!」
「確かに…そうですね…」

 ここまではまだ、遠くに見える見慣れぬ現象に多少の余裕を見せていた子供達だったが、それぞれの感想を応援と勘違いしているかのように、その『蝕』は急激に彼等に向けて加速して来た。

「えっ、嘘!?」
「嘘じゃなさそーな…」
「ぼうっとするなっ!皆伏せろっ!」

 デジモン達が己のテイマー達に覆い被さるようにして全員がその場に伏せた。
 まるで台風の直撃にあったかのような衝撃を感じたが、しばらくすると何事もなかったかのように静まり返った辺りに、子供達はちらほらと顔を上げ出した。

「…行った…?」
「…行ったみたい…」
「何だったんだぁ?びっくりした〜!」

 覚悟していたようなことも起こらず、拍子抜けしたように顔を見合わせる。

「…皆さん。僕等のこの状態は、どうやら直撃を免れたおかげのようです」
「え?」

 早速パソコンを操って何事か操作していたらしい光子郎の言葉に、一同はずらりとその後ろに並ぶ。

「見て下さい。これが今の『蝕』が通って行った筋を表したものです。僕等がいるのはここの丘…『蝕』の通り道とは僅かにずれていますね。おそらくあの風は『蝕』の移動の際の副産物のようなものなのでしょう。その証拠に、僕等にはパートナーが守ってくれていたとはいえ、すり傷以外に特に変わった何かが起こったようには見えませんしね」

 一通りの説明を終え、光子郎がにっこりと微笑んだ。
 早々に謎の一つが解明出来て嬉しいらしい。

「成る程なぁ〜…で、光子郎?直撃受けた地点はどの辺なんだい?」

 納得して聞いていた丈が、興味本位で何となくその場所を聞いてみた。

「そうですね。ここから指して…こうなるから…」

 場面が幾つか切り替わり、光子郎は周りより少しだけ木々がへこんでいるような場所を指し示した。

「たぶん、あの辺りが………」




 時が止まった。




 それは先程まで丈がいた所。
 そして今正に、太一がいるだろう湖。

「っぎゃぁあ――――――――――っっっ!!!」
「叫ぶな大輔っ!」

 いきなり輪の中央で叫び声を上げた後輩に、隣にいたヤマトがびくついて飛び上がり、着地の勢いのまま殴りつけた。

「だ、だってだってよ!」
「叫びたいのは分かるけど、本当に叫んだりしたら皆の心臓に悪いじゃないっ!」
「そうだよ大輔!見なよ、ヒカリさんだって我慢してるのに……」

 タケルと賢にまで責められ、しゅんと小さくなった大輔にお手本のように少女を指し示したが、何となく違和感がある。

「……?」

 よく見ると、何かを呟いているようだ。

「……お兄ちゃん…お兄ちゃん…お兄ちゃん…お兄ちゃん…お兄ちゃん…お兄ちゃん…」
「きゃああっ!ヒカリちゃんしっかりしてぇ――っ!」
「ヒカリ――っ!」

 既にトランス状態のヒカリに気づき、空と京とテイルモンが必死にこの世に繋ぎ止めようと少女を揺する。

「…太一さんに何かあったかもしれなくて、ヒカリちゃんが正気のはずないか…」
「…そーだね…」

 気持ちが分かるだけに責められない。

「ヒカリちゃんっ!目を覚ましてっ!誰かの台詞じゃ無いけど、負の感情の元には負の現象が付き纏うのよ!気をしっかり持って!太一が信じられないの!?」
「はっ!」

 空の言葉に、虚ろだったヒカリの瞳に焦点が戻った。

「そ、そうですよね、空さん。こんなことで闇を引き寄せてたら、お兄ちゃんに笑われちゃう…!」

 ぶんぶんと頭を振り、気をしっかり持つよう両頬をぺしぺしと手で叩く。

「そ、そうね…」

 ちょっぴり耳が痛い空。
 側では、丈とタケルとガブモンがちらりとヤマトを見たが、ヤマトはふいっと視線を反らした。

「お兄ちゃんは…絶対に無事…!」

 自分に言い聞かせるように呟いたヒカリの言葉に、皆も同じように頷くのだった。









 丘を降り、湖までもう少しという所に来て、道らしい道が倒木によって切断されてしまっていた。

 この辺りは風の勢いも並では無かったらしく、あちらこちらに倒れた木や抉り取られた枝等が散乱しているのが目に付く。
 こんな場所に、人間がいて無事に済むのだろうか…。

 丘の上から『蝕』が近付いて来るのを視認出来た自分達と違って、何が起きたか分からないままに嵐に巻き込まれたようになってしまうのではないだろうか…ましてや、太一は『蝕』のことを知らない。

 きっと、アグモンを進化させる暇すら…。


――――ズーン…。


「えっ!?」

 考えに没頭していた彼等の耳に、地響きが轟いた。
 しまったと瞬時に構え、デジモン達はパートナーを守るべく前に出る。


――――ズーン…ズーン…。


 近付いて来る音からして恐らく、大型のデジモン。
 子供達が自分のデジヴァイスを握り締め、パートナーを進化させようとした時、ガブモンがぴくりと反応した。

「待ってヤマト。この匂いは…」

 たたっと歩み出て、デジモンがいるだろう場所の様子を伺う。
 足音が近付き、緊張した面々の前に現れたのは、見慣れたデジモン…。

「あ〜、やっぱり皆だ。こっちから匂いがしたから、いると思った」
「グレイモン!無事だったんだね!」

 ガブモンが嬉しそうにその足元に駆け寄り、他の者も一斉に肩の力を抜いた。

「うん。間一髪で進化が間に合ってさ。太一〜っ、皆いるよ〜!」

 仮面の奥の瞳が複雑そうに微笑み、振り返って声を上げた。

「グレイモン!太一は無事なのか!?」
「お兄ちゃん一人で大丈夫なの!?」

 そのグレイモンの言葉に、ヤマトとヒカリが心配気に詰め寄る。

「ん〜…無事っていうか、無事じゃ無いっていうか…」
「は?」
「何それ?」
「どういうことなんですか、グレイモン?」

 次々に声を上げる仲間達に、グレイモンは困った様に振り返った。

「…まぁ、とりあえず、会えば分かるから、会ってみてよ」

 その言葉に、彼が指し示す方を見れば、倒れた木の奥ががさりと揺れた。

「お、皆無事だな?」

 少し歩き難そうに…だが、いつもの笑顔を浮かべながら現れたのは…。

「た……太一……?」
「おう!正真正銘、八神太一だ!」

 にかっと笑った顔は、確かに本人が言う通り間違い無く本人そのもの。
 服装も仕種も、見覚えの有り過ぎて間違え様も無い。
 …ただ、その姿が、数年前デジタルワールドを旅した、小学生だった頃の姿だということ以外は…。






 
つづく





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