太一達がタケルの家に着くと、彼等は一様に固い表情で出迎えた。 タケルの部屋にある彼のパソコンは既に起動しており、ゲートも開けられていた。 「お兄ちゃん?」 こういう時の兄の感がすこぶる冴えていることを知っているヒカリは、玄関にあった自分の靴を持って太一に続いた。 「んな顔すんな、大輔。それより、お前等もいつでも出れるようにしとけよ?」 パソコンの前に立ち、デジヴァィスを掲げようとして一端仲間達を振り返った。 「…行って来る」 その言葉に、黙ったまま揃って頷きを返す。 「……頑張って来い…」 ヤマトがぽつりと呟いた。
デジタルワールドに着くと直ぐ、待っていたアグモンとガブモンに合流出来た。 「…もう、こんなにも歪みが?」 ガブモンが複雑そうに顔を歪め、同じように富士山を見上げる。 「次元の歪みのせいでゲートポイントのバランスが崩れて来ているんだ。ここから向こうまで、多少の違和感があっても普通に歩いて渡って行ける」 そう言って、富士山とは反対側にある林の向こうを指す。 「あっちにヴァンデモンの城跡があるんだ。あそこの地下に現実世界に続く扉があったのを覚えてる?」 七年前も三年前も、つい先日暗黒の海へのゲートを開いたのも光ヶ丘だった。 「次元の歪みはブラックウォーグレイモンのせいだけじゃ無い…世界で何かが起こっているんだ」 たぶん、D−3で自在にゲートを開けれることも関係しているのだろう。 「…ガブモン。皆と一緒にヤマト達の所に行って、今の話を教えてやってくれるか?ゲートは開けたままにしてもらってあるから」 ガブモンは真剣な太一の瞳を見返し、表情を引き締めて頷いた。 「じゃあ、頼んだぜ?行くぞ、アグモン!」 駆け出した太一とアグモンの後を、ヒカリとテイルモンも続く。 「がんばってね〜っ!」 その声援に振り返らないまま片手を上げて応え、隣を走る固いままの表情の妹を見た。 「…ヒカリ、怖いか?」 ヒカリははっとして顔を上げたが、自分を見つめる優しい瞳にぶつかって微笑を浮かべた。 「…ううん。お兄ちゃんと一緒だもの」 強がりは百も承知。 「…相変わらず、仲いーよねぇ〜…」 にっこり笑ったアグモンに目を見張り、テイルモンは数歩先を走るじゃれつく兄妹を見つめる。 そういえば、あの頃もこんな感じだった。 「……そうね」 珍しく素直なテイルモンに、アグモンは嬉しそうに笑って太一と同じように彼女の頭をよしよしと撫でてあげた。 戦いはもう始まっている。 自分達はずっと、そうやって戦って来たのだから…。 「…来た」 アグモンが少し緊張した声で空を振り仰いだ。 「……ブラックウォーグレイモン」 吹き付ける風と舞い上がる枯葉と雪の間から、彼が地上へと降りて行くのが見えた。 「…アグモン。…お前の好きなように、戦っていいからな」 元気付けるように微笑む太一に、アグモンは驚きに目を見開く。 「…うん!」 走り辛い雪を越え、ブラックウォーグレイモンが降りただろう場所に近付くと、微かに言い争う様な声が聞こえて来た。 「…待てっ!」 一瞬触発の場面に何とか間に合い、アグモンは前に進み出た。 「……お前は…あの時の…」 アグモンの姿を驚いたように見つめるブラックウォーグレイモンを、静かに瞳で見返す。 ブラックウォーグレイモンの決意は固い…ならば、自分も同じだけの強さをぶつけなければならない。 「………太一」 太一が胸の前に現れた光を握り締めるような仕種をする。 「……貴様が、ウォーグレイモンか。…面白い、相手をしてやる!ついてくるがいいっ!」 高々と跳躍したブラックウォーグレイモンを追い、ウォーグレイモンもその身を大空に翻した。 「ヒカリっ!奴等を追えっ!」 雪煙を巻き上げて走り去る車を追って、テイルモンをネフェルティモンへと進化させる。 「……オレには、全てを見届ける義務がある。…そうだろう?」 彼等の移動する位置を確認しながら、太一は再び森の中へと駆け出す。 こんな時、自分にしてやれることは何も無い。
デジタルワールドでも最強と謳われる武器、『ドラモンキラー』同士の戦いは、一瞬の隙が即死に繋がる熾烈なものだった。 「…面白い、面白いぞ!ウォーグレイモンっ!」 向けられた攻撃を、渾身の力を込めて払い除ける。 「……何が、違うと言うのだ…?」 驚きに目を見開くブラックウォーグレイモンに、その言葉が嘘では無いと証明するかのように、ウォーグレイモンは真っ直ぐに彼を見つめたまま微動だにしない。 「…何を、言っているのだ…?」 飛び込んで来たドラモンキラーを、同じくドラモンキラーで受け止め、ウォーグレイモンは静かに語った。 「オレ達だけが、戦うためのプログラムを初めから入力されて創られた。敵を定められ、進化のプロセスを組まれ、そのための試練すら用意されて…暗黒型デジモンですら、己で進化を遂げるまでは殆んど意志すら持たないというのにだ。だから、お前は戦うために生まれたのでは無い!他に役目があるはずだ!」 ウォーグレイモンの気迫に、ブラックウォーグレイモンは紙一重で身を捩りその攻撃を交わした。 「お前は知らない!あの悠久の孤独を!そしてそれと同じ位の希望と思慕をっ!ただ待ち続けるしかなかったオレの、オレ達の苦しみをっ!何故決めつける!?何故全ての可能性を否定して、戦いのみに意義を見つけようとするんだっ!たかだか数ヶ月の生で!」 まるで心を揺るがされまいとでもするように、ブラックウォーグレイモンが我武者羅な攻撃を仕掛けてくる。 彼はもう一人の自分の姿だ。 見捨てられない…見捨てられる訳が無い。 太一に会えた自分。 こうしている、今この時ですら、太一の心を直ぐ側に感じている。 負けるな…頑張れ…頑張れ…頑張れ…! 太一の声。 帰って来い…帰って来い…待ってるから…オレが待ってるから…帰って来い。 うん、…帰るよ。 いつだって、帰る場所は一つだけ。 だから帰ろう? 君は闇と破壊の化身でも、戦うために生まれたものでも無い。 心技一体だった彼の攻撃は、心と体の微妙なズレのせいでバラバラになり、見極めることは容易かった。 「ポジトロンレーザーっ!」 背後から迫る圧迫感に、二体は同時に弾かれるように距離を取った。 …何故、こんな所に!? 二体の間をレーザーが通り抜け、その隙に宙を舞い駆けつけたインペリアルドラモンを、ウォーグレイモンは愕然とした気持ちで見返した。 「大丈夫か!?ウォーグレイモン!」 反撃しないウォーグレイモンを見て、劣勢と思い加勢に駆けつけたのだ。 「…ふっ。二対一か…いいだろう。かかってくるがいい!」 攻撃態勢に入った二体に、ウォーグレイモンも構えをとりながら、誰にも知られぬようにそっと瞳を閉じた。 …もう遅い。 開けた瞳には、一つの決意が宿っていた…それは『決別』という名のものだったのかもしれない。 「…行くぞ」 二対一の攻撃は、流石のブラックウォーグレイモンでも防ぎ切れるものでは無く、致命傷では無いが、避け損ねた打撃にぐらりとバランスを崩した。 「ガイアフォース!」 技を放とうとしたその一瞬…攻撃越しにブラックウォーグレイモンとウォーグレイモンの視線が交わった。 ほら見ろ…やっぱりお前は戦いのためだけに生まれたものなんかじゃ無かった。 ウォーグレイモンは、己の力の半分をブラックウォーグレイモンを守護する力に変換して解き放った。
「……何故、殺さない…」 横たわったままのブラックウォーグレイモンがぽつりと呟いた。 インペリアルドラモンはジョグレスが解除されブイモンとワームモンに、ウォーグレイモンはアグモンに退化していた。 「…負けた方は、殺されるものだ…」 その言葉にむっとしたのは意外なことにワームモンで、ブイモンは傷ついたような顔をし、アグモンは背中を向けていたので誰にも分からなかったが、その通りだと笑った。 その後、ブイモンとワームモンとでブラックウォーグレイモンに何か色々と言っていたようだが、果たして彼の心に届いているのか…少なくとも、アグモンの耳には届いていない。 彼等は知らない。 そうでなければ、いくらブラックウォーグレイモンとはいえ、あの攻撃を受けて五体満足でいられる訳が無い。 だけど、その甘さこそが自分がまだ『デジモン』であることを教えてくれている。 進化とはほぼ無縁だった、ただ待つだけの日々。 様々なことが思い出され、アグモンは気づくと、胸中を吐露していた。 「…つらいこと、たくさんあったよ。苦しいことも、悲しいことも…でも、いいこともたくさんあった!」 背中にブラックウォーグレイモンの視線を感じ、腰掛けていた岩場から皆の方を振り返り、にっこりと微笑んだ。 「心の底から嬉しいって思えることもあったんだ。生きてて良かったって…それって、生きてなきゃ分かんないことだよね。…だから、そんなに簡単に投げたりしないで、生きてみなよ…君はもっと、色んなことを知った方がいい」 言うだけ言うと、話はそれだけとばかりにまた座り込んでしまった。 「…ふん。…貴様等に説教される謂れは無い。…借りは出来たようだが、オレはオレの戦いの道を行く。…さらばだ!」 よろりと立ち上がったかと思うと、どこにそんな力が残っていたのかと思う程の俊敏さで地を蹴り、飛んで行ってしまった。 「……ガンコな奴…」 呆れるように呟く二人の会話に、アグモンはこっそりと苦笑した。 「まあまあ。きっと、また直ぐに会えるよ」 思いっきりしかめられた顔に、アグモンは今度こそ噴き出した。 だが、彼には予感があった。 今でも、目を瞑ればはっきりと思い出すことが出来る、初めて出会った夕暮れ時の広大な岩山。 始めは暗黒の力から作り出された『ウォーグレイモン』だと聞いて興味が湧いた。 『闇の心』を持った『ウォーグレイモン』? ちゃんと君に言ったよね? 会えて良かった。 あの時、躊躇いがちに差し出してくれた君の手を、さっさと握ってしまわなかったボクのミス。 今でもそれは間違ってはいないと思うけれど、そうじゃない場合もあることを始めて知った。 …太一に会いたい。 「…おぉ――――いぃっっ!!」 遠くから聞こえた声に、ブイモンとワームモンが嬉しそうに顔を上げた。 「大輔ぇっ!」 息を切らしながらも、二人は胸に飛び込んで来たパートナー達を大切そうに抱き締めた。 「お疲れ様、ワームモン。さっき上空をブラックウォーグレイモンが飛んで行くのが見えたけど…」 背を向けたままのアグモンに、八つの瞳が向けられる。 「…アグモン?」 心配そうにしている彼等に微笑みかけ、アグモンはすっくと立ち上がった。 「え?太一先輩…どこにいるんだ?」 皆で揃って一歩を踏み出した時、ものすごく顔色を悪くした賢が引き止めた。 「…賢ちゃん?」 不思議そうな大輔を無視して、賢はさっさと自分のD−ターミナルで仲間達に向けて送信してしまった。 「おいおい、どーしたんだよ、賢?」 賢の言いたいことが分からず、大輔は次第にイラついてくる。 「…じゃあ、その向こうに広がる森が何か知ってるよな?」 大輔の顔色が見る間に蒼く変色していく。 「だ、だっ大輔ぇっ!?どーしたんだよ、一体っ!?」 「ネバネバネェ〜ットっ!!」 ワームモンの口から吐き出された粘液状の投網に、文字通り一網打尽で御用となった。 「うわああぁぁああっ!」 全く埒のあかないメンバーだが、その数分後に鬼の形相をした仲間達に助けてもらうまで…あまり気色のいいとは言えない投網の内側で、仲良く引っ付きあうことになる。
その頃、留守を預かる形で総司令本部となっていた高石家の一室で、光子郎が珍しく動揺して立ち上がった。 「…っ、皆さん!集まって下さいっ!」 手持ち無沙汰だった面々はじっとしていることに耐えられず、パートナー達と共に人様のお宅で勝手に洗濯物を取り込み、アイロンをかけ、たたみ、食器を洗い、片付け、部屋にはたきをかけ、掃除機をかけ、雑巾がけをしていたが、光子郎の焦った声に驚いてタケルの部屋に駆けつけた。 奈津子ママが帰って来たならば、ピッコロモンに鍛えられた掃除の腕でピカピカに磨き上げられた家の中に、心底驚くことだろう。 「一乗寺君からエマージェンシーです。僕と空さん達に緊急出動要請が来ました」 首を傾げる仲間達の中、光子郎だけが異様に蒼褪めた表情をしている。 「…光子郎、何があったんだ?」 珍しく歯切れも悪い光子郎に、全員がさっさと言えと詰め寄った。 「…太一さんが…あ、青木ヶ原樹海に、いるそうなんです…」 『青木ヶ原樹海』…山梨県南部、富士山の裾野北西に広がる溶岩流上の大樹海。 チッ、チッ、チッ…パッポ〜♪ 絶句していた全員の目がハト時計に向いた。 いや、違う。 「たったたたったっ!太一ぃっっ!!一体何をそんなに悩んでいたんだあっっ!?」 ずんずんとベランダに向かう空と光子郎…それを義務感でのみついて行くパートナー達。 何となく部屋の中に残る形になったタネモン・ガブモン・ゴマモンは、よく分からないまでも状況を話し合う。 「…ね〜え?『銀座』ってこないだデーモン達が暴れたトコよね?」 複雑な表情で顔を見合わせ、深々と溜め息をついた。
仲間達が必死の形相でパニックしている時、話題の中心人物である八神太一は、D−ターミナル相手に悪戦苦闘していた。 「…はあ〜、やっぱダメか。ヤバイな〜方向感覚は人よりマシだと思ってたのに、ここまで同じ景色だとデジタルワールドの方がまだ分かり易かった気がするな〜」 暢気に独り言を呟きながら、とりあえずこれ以上人が足を踏み込んだ形跡の無い場所に行かないよう足を止めた。 「D−ターミナルは使えねぇ。デジヴァイスは反応しない…これは、暗黒の気配のせいってのより、この辺の土地のせいなんだろーなぁ〜…しっかし、デジタルワールドですら使えるD−ターミナルが使えねぇなんて、現実世界としておかしくねぇか?」 画面上は一応普通…それが、時々妙な文字が映ったりする。 「…昔丈が言ってたよな〜、溶岩の上に出来た樹海だから磁場が狂ってて磁石も電化製品も役に立たねぇって……つーこた、やっぱ…」 使い物にならないD−ターミナルをポケットにしまい、太一は半ば成り行き上仕方なく顔を上げた。 太一の視線の先では、鬱蒼という言葉がぴったりの木の枝から…輪っかに括られた古ぼけたロープが一房、冬の風に揺れていた。 「………青木ヶ原樹海…か。そーだよな〜こーんな場所に残ってる人の足跡は…そーいう目的の人だよな〜…」 戦いが終わり、上空に見えていたウォーグレイモン達の姿を追えなくなって、太一はとりあえず人里に出た方がいいと偶然見つけた人の足跡を追って来た。 「…ヒカリ〜、兄ちゃんを助けてくれ〜っ…アグモぉン、皆ぁ〜オレはここだぞぉ〜?」 流石の太一も、ここに長居するのは嫌らしい…力無く呟かれた言葉は、今の所生きた人間の耳には届いていない。
夕闇が、すぐそこまで迫っていた。 つづく |