久しぶりに聞く親友の声。

 

 プロのサッカー選手としてイタリアリーグに殴り込みをかけて早数年…日本だけで無く世界中で彼の名を知らぬ者は無く、彼の活躍が華々しく報じられることに反比例するように減っていった連絡。
 それを淋しくは思っても、不満に思ったことは無い。
 その程度のことで、自分達の絆が薄まるなどという可能性は皆無だったからだ。
 それに、彼の近況は嘘か本当か、メディアがいくらでも知らせてくれる。

 それでも、本人から連絡があれば、例えメールで一行でも嬉しいし、声を聞ければ安心する。
 秋冬新作のデザインをしていた時に突然かかってきた電話…それは今回もそんな心の平安を彼女に与えてくれるはずだった。

「なあに、太一!久しぶりじゃない!どうしたの?」

 少し浮かれながら言った彼女に、彼が落としたのは未だかつて無い爆弾…彼女は数瞬時が止まった。

 

『空、オレ結婚することになった』

 

 何の気張りも無い、あっさり告げられたその内容…。

「………は?」
『だから、結婚するんだ、オレ。詳しいことは今度会う時に話す。八月一日久しぶりにスケジュール空いて帰れることになったんだ!今年は皆集まるんだろ?じゃ、その時に!』
「え!?ちょっ、待っ…!?た、太一っ!!??」

 ガチャリ…ツーツーツー…

 止める間も無く一方的に言うだけ言って切られてしまった受話器を握り締め、聞こえるはずも無い相手に向かって叫んだ。

 

「何言ってんだか、分っかんないわよっっ!!あんたイタリア行って日本語忘れたのぉ―――――っっっ!!!???」

 

 肩でゼーゼーと息をしていると、玄関が静かに開いて現在同棲中の彼氏が帰って来た。

「…何叫んでるんだ、空?外まで聞こえたぞ…」
「あ!ヤマト聞いて!どうしようっ、太一が変な女に引っかかったみたいなの!」
「は?」
「一ヶ月前まで彼女もいなかったはずなのに、いきなり結婚するって言うのよ!結婚詐欺にでも引っかかったのよっ!!」
「なぁにぃ―――――――っっっ!!??」

 おろおろしながらの空の言葉に、今度はヤマトの叫びがそう広くは無い家中に木霊した。
 この二人をここまでうろたえさせられるのは、世界広しと言えど、『八神太一』ただ一人位なものだろう…。















 太一が一方的な電話を寄越した日から、結局八月一日まで一度も連絡は無かった。

 かと言ってこちらから連絡するわけにも行かず、真相を知っていそうなヒカリも捕まらず…じりじりするように待った約束の日。
 誰かが何かを知っているかと仲間達に連絡しまくり、結局は誰も何も知らず、しかし、話の内容が内容だったため…ここ数年揃うことの無かった面子が全て、雁首揃えて真夏の太陽の下集まることになった。

「お久しぶりです。皆さん」
「あら、伊織!あんた今公判中じゃないの?」
「既に勝ったも同然の裁判です。証拠固めも終わってますし、僕がいなくても誰も困りませんよ」
「そ、そう…」

 にっこり笑った若き弁護士先生に、かつての弟分の面影は…無い。

「ミミさ〜ん、料理教室開いたって本当ですか?…誰か生徒来ました?」
「あ〜らタケル君こそ、売れない小説まだ書いてるのぉ〜?」

 ちょっぴり火花が散っているが、これも一種のコミュニケーション…誰も気にする者はいない。

「大輔はアメリカでチェーン店出してるんだろ?いいのか?日本にいて」
「太一さんの一大事かもしれねーってのに、暢気にラーメン作ってられるか!賢こそ今日は非番なのか?」
「ああ、シフト調整でちょちょいとね♪」
「…キャリア官僚め…」

 そこかしこでまったりと旧交が深められている中、そわそわと落ち着かない者達もいた。

「それはそうと、太一さん本当に来れるんですか?僕の情報だと、昨日までは確実にイタリアにいるんですが…」
「ん〜、帰って来るとは言ってたのよ。もしダメになったのなら、それこそ連絡くれるだろうし…」
「だけど、連絡貰ったのは空だけだぜ?本当に太一だったのか?」
「あたしが太一の声間違えるはずないじゃないっ!」
「まあまあ、空君。落ち着いて…」

 問題定義の光子郎、考える空、反対意見を出すヤマト、宥め役の丈…未だ変わらぬその関係に、苦笑よりもあたたかいものが胸に広がる。
 それに気づき、少しだけ皆の心が落ち着いた。

「…それにしても、ヒカリちゃんまでまだなんて…え?」
「どうした空?」

 辺りを見回した空が、面深に被ったキャップを更に手で押さえながら小走りに近付いてくる人物を指した。

「あれは…太いっ……!?」

 手を上げて彼を呼ぼうとして恋人の口を、空が思いっきりよく塞いで止めた。

「馬鹿っ!太一の名前を大声で叫んで都内一周マラソンしたいの!?そーならヤマト一人で太一のファン引き連れて走ってよ!」

 言われて気づき、こくこくと頷く彼をようやく空が解放した。
 鼻まで塞がれて酸欠状態のヤマトと、呆れモード全開の空の姿に、光子郎と丈以下選ばれし子供達は苦笑して顔を見合わせた。

「悪い!遅くなった!」

 帽子とサングラスに隠されていてさえ分かる、変わらぬ太陽の笑顔が彼らに降り注いだ。
 急いで来たらしく、頬を汗が伝っている。

「……っ太いっっ…!!」

 感極まった大輔が叫ぼうとした所を、タイミング良く両側から賢と京が素早く口を塞いで止めた。

「あんた、今ヤマトさんが身を持って空さんに教えてもらってたの見たでしょ!?」
「…大輔…本当に社長やってるの?」
「倒産の手続きは、特別仲間割引きでして差し上げてもよろしいですよ?大輔さん」

 京が角を出せば、賢が呆れ、伊織がすかさず名刺を大輔に手渡した。
 それを見て他の者達が一斉に吹き出し、その中でも太一が一際朗らかに笑い声を上げた。

「お前ら、相変わらずだなぁ〜!」

 彼の言葉に、まるで時が戻ったような気すらする。
 どれだけ時がたったとしても、仲間達が集まれば一瞬で昔の気持ちに戻れてしまう…でも、それも彼がいてくれるからこそ…。

「…太一。あれから連絡くれないんだもの…ちょっと心配しちゃったわ。元気そうで良かった」
「悪い。色々忙しくてさ…そーだ、皆今日は時間大丈夫なのか?」

 空がぼすんっと太一の肩に頭を寄せると、太一は彼女の髪を優しく梳いた。
 あまりそういった場面を目にしたことの無かった京と伊織がちらりとヤマトを見たが、彼は肩を竦めただけで、他の者達もいつものこととあっさり流している。

「もちろん。太一さんが帰って来られるというのに仕事なんて入れてませんよ」
「オレ一週間は日本にいるつもりです!」
「…大輔、本当に会社大丈夫か?」

 にっこり笑顔の光子郎に続いた大輔の発言に、太一はちょっと真剣に心配して大輔を見た。

「…太一先輩まで…」

 泣きの入った彼に誰もが苦笑を浮かべたが、太一も冗談だよと言って後輩の頭を撫でた。
 二十歳もとうに過ぎた立派(?)な大人だが、太一にとっては可愛い後輩であることには違いは無い…そして、彼が中途半端に放り出して来ることも無いことを信じている。

「とりあえず、皆時間いいなら一緒に来て欲しい所があるんだ」
「…て、遠いのか?」
「ちょっとな。大丈夫、向こうに車止めてあるから」
「え?でも太一…この人数で?」
「平気平気♪バン借りて来たから」

 太一の指示に従い、公園脇のあまり人目につかない所にあった車に乗り込む。
 行き先を知っている太一が運転席に、そして言いたいことが喉で詰まっているらしい空が助手席に座った。

「…で、太一?どこに行くの?」
「ん〜、先にヒカリが行って待ってるからさぁ〜」

 バタンとドアを閉めてシートベルトをする。
 穏やかなエンジン音と共に走り出した車の中で、一同はどこかしら緊張した面持ちで太一と空の会話に集中している。
 他の者が聞けば、のらりくらりと明確な答えを避けたりもすることもあるので、ずばりと答えが欲しい時は空が聞くに限るのだ。

「ヒカリちゃんがいるの?」
「そ♪ひまについててもらってる。皆に紹介しようと思って」
「……………『ひま』……?」

 いぶかしみ100%で空が太一を見つめれば、背後の輩も揃って身を乗り出す…そんな彼等に振り返り、太一は嬉しそうに微笑んだ。

 

「オレの嫁さんv」

 

 たっぷりと間が空き、全員の目が見事に皿のような丸になる…顎がかぱっと開いている者までいた。

「あはははははは♪この反応が見たかったんだよな〜♪」

 満足気に笑った彼の声に、彼等の時が一斉に動き出した。

「ちょっと、どー言うことなのよ!?太一っっ!!??」
「そーだぞ!!お前そんな関係の女がいるなんて聞いてねーぞ!!」
「太一先輩っ!?どこの馬の骨なんです!?」
「太一さんっ!!そんな人がいるのに黙ってるなんて酷いですよっ!!」
「そーですよっ!そりゃあ、邪魔したり邪魔したり邪魔したり邪魔したりしたかもしれないけどっ!!」
「別に太一さんが結婚を決意した程の相手を、今までの人と同じように『ちょっと生きてくの嫌かも』な目に会わせたりしないのにっ!」
「信じてくれて無かったんですか!?」
「…まあまあ皆…落ち着いて…」

 口々に騒ぎ出した仲間達を丈が口先だけは諌めようとしているが、彼の頭の中もパニック絶好調であることは間違い無い。

「あはははははは!ホント、お前ら変わらねぇなぁ〜♪」

 彼等の様子に一層楽し気に笑い出す太一。収まらないのは訳の分からない彼等の方。

「太一っ!結婚って本気なの!?いったいどこの女なの!?」
「空知ってるぞ?」
「え?」
「『ひま』…聞き覚え無いか?」
「…『ひま』…????」

 脳裏に駆け巡った何百人もの太一狙いだった女達…だが、そのどれもが『ひま』というキーワードに重ならない。

「おっし。皆、とりあえずここで降りてくれ」
「…ここに、その相手の方がいらっしゃるんですか?」
「いーや。ここでは、悪いけど皆に着替えてもらう」
「…は?」

 急な展開に目を白黒する間に、追い立てられるように車を降り、横付けされた店内へと案内される。
 アンティーク調の店内は品が良く、普段着姿の自分達が浮いているように思えて落ち着かない…そうこうする内に、店の奥から趣味の良い、落ち着いた感じの女性が出て来てにっこり微笑み頭を下げた。

「お待ちしておりました、八神様。本日はおめでとうございます。…こちらの皆様でございますね?」
「そうです。好きな物を選ばせてやって下さい。四十分後位に妹が迎えに来ますから」
「承知致しました。お任せ下さいませ。皆様、こちらへどうぞ」

 丁寧にお辞儀をした女性に、仲間達は戸惑いの目を太一に向ける…無理も無いと太一は苦笑した。

「詳しいことはあの人に伝えてあるから。後でヒカリが来るからさ、事情はその後話すよ。オレ先に行ってるから」

 それだけ言って身を翻したリーダーを呆然と見送り、彼等は揃って溜め息をついた。

「……な〜んとなく、分かったけどね…」
「まあ、この話の流れでは…ですね」
「でも、太一がああ言う以上、後から来るっていうヒカリちゃんを問い詰めても無駄でしょうねぇ…」
「え?え?何なんですか?一体〜??」

 一人よく分かっていない大輔が仲間達の顔を見回す…これで、その業界では『やり手』として注目されているというのだから驚きだ。

「…今日は、太一さんの結婚式なんだよ」
「えっ!?んなこと言ってなかったじゃんかっ!?」
「言ってなくても分かるだろう?回り見てみろよ、大輔」

 思い切り呆れた声に押されて見回せば、そこは色鮮やかな衣装の群れ・群れ・群れ…。

「…分かった?ここ貸衣装屋さんよ」
「そうなのか!?」

 驚きの声を上げる彼に答える者は、もういなかった…。

「よろしゅうございますか?」
「はい。どの辺りのから選べばいいですか?」
「当店にございますものの中ならば支障はございません。お代金の方は八神様からまとめてお支払い戴けるということでご契約頂いております」
「そうですか。だって、皆」
「それじゃ、勝手に選ばせてもらいますね」
「はい。わたくしは奥に控えておりますので、ご用の際とご衣裳決まりましたらお声をおかけ下さい」

 軽く会釈して下がって行く女主人を見送り、彼等はそれぞれ自分達にあった服を選びに散って行ったが…頭にあるのは、まだ見ぬ彼の伴侶のことだけだった。











 衣装を選び、髪やメイクを整えている時、聞き慣れた弾んだ声が耳に入って来た。

「こんにちわ〜♪皆さん用意出来ました〜?」

 ひょっこり現れたのは、話題の人物のたった一人の妹。

「ヒカリちゃん!わぁ〜可愛いvv」
「ホント!よく似合ってるvそれも貸衣装?」
「はいvここの服です。お義姉さんのと一緒にお兄ちゃんに見立ててもらったんですよ♪」
「…お、お義姉さん…?」

 親しげな様子に思わず目が点…。

「…聞いていい?…太一の相手って……どんな人?」
「そうそう!すっごく気になってるんだけど、太一さん答えてくれないのよね!」
「ヒカリちゃんは会ってるのよね?」

 わっと寄って来た女性陣三人に、ヒカリはにっこり笑って頷いた。

「もちろん♪ちょっと体が弱い人なんですけど、すっごく綺麗な人ですよvそれに…」

 何を思い出したのか、楽し気にくすくすと笑う彼女に他の者は不思議そうに目を合わせる。

「なあに?ヒカリちゃん?」
「いえ、会えば分かると思いますけど…あの人ほどお兄ちゃんに似合う人っていないと思いますよ♪」

 悪戯っぽく目を瞑ったヒカリにもっと詳しく聞こうとした時、控え目に扉がノックされた。

「はぁ〜い!」
「支度出来たか?そろそろ迎えが…ヒカリちゃん、もう来てたのか」
「はい。つい先程。そちらの用意は大丈夫ですか?」
「ああ、七五三よりは様になってると思うぜ?」

 ドアを開けて出て来たヒカリに驚いたが、直ぐ破顔して体をずらす。その後ろには着慣れないスーツやタキシードを、それでも顔の良さにも助けられてそれなりに着こなした面々が控えていた。

「この度はおめでとうございます…て、言うべきなのかな?」
「ありがとうございます…て一応返しておきますねvふふvお兄ちゃん照れてて詳しく説明して無いみたいですものね♪」

 明確な答えを避けていたのは、照れていたからだったのか…と、一同は苦笑を浮かべた。
 幾らなんでも、彼にしては歯切れが悪いと思っていたのだ。

「それじゃ、私から話せることは車の中で。直に式も始まりますから」

 ヒカリに促され、今度は服に皺が寄ったりしないよう注意して車に乗り込む。

 奇しくも乗って来た時と同じ配置に腰を据えた面々は、運転者だけ代わった運転席に目を向けた。

「…ヒカリちゃん。こんな大きい車、大丈夫?」
「あ、平気です。たまに幼稚園の送迎バス運転してますから♪」

 成る程…と、一同は少し安心した。
 女性等は、とかく大きな車だと倦厭しがちだが、仕事柄乗り慣れているというなら心配は無い。

「それで…突っ込んだ話してもいい?」
「ええ。皆さん本当は叫びたい位なんじゃないですか?」
「…はは」

 実は、もう既に一度叫んでます…とは言えない。

「で、えっと…何がどーして、いきなり結婚なんてことになったの?」
「まあ…それは私もびっくりしましたけど」
「え?太一の奴、ヒカリちゃんにも彼女がいること内緒にしてたのか?」
「いえ、お兄ちゃん達『おつき合い期間』ゼロなんですよ」

「………は?」

 ヒカリの告白に、思わず目が点。

「恋人としてつき合ってくれって言われたんじゃ無くて、結婚して下さいって申し込まれたって、お兄ちゃんもうオロオロしながら電話して来たんですよ」
「はあ!?何?何何??一体全体どーゆうことなわけ!?」

 当時を思い出してくすくすと笑うヒカリに、ますます謎が深まり焦り出す彼等…何だか、予想していた状況からどんどん離れていく気がしてならない。

「ちょっと待って。恋人期間が無いとか、まあそれは良くないけどこの際良しとして置いといて!今の話だと…プロポーズ、太一じゃ無くて…相手の子の方から…」
「はい、その通りです♪」

「えええぇぇぇぇぇええええっっっ!!???」

 車内で見事な合唱が奏でられる。
 どれに驚いていいのやら判断もつかないが、告げられる事実全てが驚嘆に値する。

「順を追って説明しますね」

 ヒカリの言葉に、バックミラー越しに見つめた彼等は頭をくらくらさせながら…それでもしっかりと頷いた。

「え〜と、お相手の名前は『日向葵』さん。お兄ちゃんや空さん達と同い年です。元々はお兄ちゃんの追っかけをしてたって言ってましたけど…別にサポーターとかフーリガンとかしていた訳じゃなくて、さっきも空さん達に話しましたけど体の弱い人なんで、イタリアの病院で療養していたとかで…」
「……それもある意味すげーぞ…」
「あはは。私もそう思いました♪…空さん、名前聞いて思い出しました?」
「ん〜…な〜んか、思い出しかけてるよーな…」
「かけてないよーな」

 座席の後から茶々を入れたヤマトをげしっと叩く。

「あれ?『日向葵』って名前でなんで『ひま』なんだ?」

 大輔が疑問に思ったことを口にすると、彼に視線が集中した。
 …そういえば。

「あ!『ひまわり』の『ひま』!」
「ピンポーン♪正解です、空さん」

 空が手を叩き、やっと思い出した事柄にヒカリが微笑んだ。

「…『ひまわり』?」
「そう!苗字の『日向』を反対にして、名前を合わせて『向日葵』!昔先生が校庭に群生していた向日葵を指して彼女に例えたのよ!それから皆に『ひま』とか『ひーちゃん』とか呼ばれるようになったってわけ!」
「へぇ〜、成る程なぁ〜…」

 呼び名の由来を聞きながら感心していたが…ふと。

「…空さん。やっぱりお知り合いなんですね?」
「ええ!…て、え!?あの『ひまちゃん』なの!?」
「はい。その『ひま』さんらしいです」

 思わず頷いてから、自分の行動にこそ驚いてヒカリを振り返ると、あっさりと肯定されてしまい唖然とする。

「空?どーいう知り合いなんだ?」

 彼女の様子に、ヤマトが不思議に思って問いかけると、空は何とも言えぬ表情を浮かべながらゆっくりと振り向いた。

「どーいうもこーいうも…光が丘の幼稚園に通ってた頃の…クラスメイトよ…」
「はあっ!!??」
「だって、そのあだ名…その幼稚園で同じクラスだった子、二十人位しか知らないもの…」

 呆然とした空気が車内を支配する。

「…ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。だけど、太一がその彼女とずっと親交があったわけじゃないよね?僕等そんな話聞いたことも無いし、空君だって思い出すのに時間がかかったわけだし」

 丈がうろたえながらも何とかこれまでの話をまとめる。

「ええ、そうです。お義姉さんもお兄ちゃんのことずっと追っかけてたわけじゃ無く、普通に学校通って男女交際とかもそれなりにしてたって言ってました。ただ、元々体が弱かったこともあって、調子が悪くなった時に調度お兄ちゃんがプロになってTVで活躍が報道されるようになって、初めは懐かしさから応援してたって…お兄ちゃんて、昔から人の中心に立つことが多かったから、一緒にいたのはほんの少しの間だったのに、すごくよく覚えてるって…」

 言いながら空を見る。
 その頃のことならば、自分よりも空の方がよく知っているはずだから。

「そうね。こう…太一が何かしようって言うと、一斉にわって人が集まって…やりたくない人とかは放っておくんだけど、それでも、自分からは仲間に入ろうとしないんだけど、気になってるのに我慢してる子とかいるじゃない?そーいう子は何でか分からないけど見分けて強引に誘いこんじゃうのよね。初めは迷惑そうにしていても、いつの間にか仲間の中に溶け込んで一緒に遊んでるの。それを見て…ああ、太一には人が本当に望んでいる物が分かるんだなぁって思ったことがあるわ」

 思い出すのは、まろぶように後を付いて回った幼い自分の手と幼い彼の背中。

「でもね、その子が手を伸ばさなくても仲間内に入っていけるようになると、もう手を貸したりしないの。ちょっと離れて見て笑ってるのよ…あたしは、そんな太一の横にいるのが好きだった…」

 夢見るような空の言葉に、視線は空本人では無くヤマトへと集まるが、ヤマトはそれを綺麗に無視した。

「ま、あたしのことはいいから。それで?ヒカリちゃん?」
「はい。えっと…で、ある日お兄ちゃん宛てのファンレターの中に日本語の物が入っていて、普通日本からのファンレターは国際便ですから別になってるんですけど、それは国内便のだったから紛れ込んだのかと手に取ってみたら、住所がイタリアで、お兄ちゃんの宿舎の近くの病院からだったわけですよ。で、中開けてみたら懐かしい人からの手紙で、更に病気療養中…タイミングの良いことに試合の無い日…とくれば、お兄ちゃんがしたことは…」
「お見舞いに行った…」

 ぴったり揃った仲間達の言葉に、ヒカリはにっこり頷いた。

「お義姉さんもまさか来てくれるとは思ってなかったらしくて、すっごくびっくりしたって」
「まあ、そりゃそーだろなぁ〜…」
「いくら昔馴染みとはいえ、今や押しも押されぬサッカー界のスーパースターだもんなぁ〜…」

 うんうんと頷きあう面々。
 心の中でちょっと無用心なんじゃないかとは思うが、あえてそれは口に出さなかった。

「まあそれで、話している内に打ち解けて…」
「結婚が決まったのか?」

 ヤマトが呆れたように呟いた。
 ヒカリはバックミラーに写ったその顔に笑いながら首を振った。

「いえ、そこまで急展開じゃなくて、まあ似たようなものかもしれませんけれど…お義姉さん、ご家族がいないそうなんです。だから、誰に止められることも無くイタリアの病院にいられたんですけど、で、お兄ちゃんと色々話している内に、まあ何て言いますか…その…」
「恋しちゃったわけだ…?」
「まあ…早い話…」
「はぁ〜…うん。何となく分かるわ」

 京が感慨深げに頷いた。

「へ?何で?」
「大輔、あんたいい加減鈍すぎ。…そーいう状況でそーいう状態の時に太一さんに親身になって話聞いてもらっちゃったりしたら…惚れちゃうかもって思わない?」
「ん〜………かも」
「でしょ?」
「あはは。まあ、元々憧れ入ってた人ですから余計ですね。それに『ミーハー』じゃなくて『親近感』の方が強かったみたいですから、初めは。…で、つい」
「プロポーズしちゃったわけだ?」
「はい」

 空は何とも言えない表情で黙り込んだ。
 今までの顔のレベルだけは高いが、性格が反比例するように最悪だった太一狙いの羽虫共…そいつらと彼女との違いを、今の話からでは推測出来ない。

「…プロポーズの言葉聞いていい?」
「私からですか?」
「ヒカリちゃんなら聞いてるんでしょ?」

 空がヒカリを見つめると、ヒカリは少し寂しそうに、言い辛そうに口を開いた。

「…『今、あなたに特定の人がいなくて、私という人間があなたとあなたの大切な人にとって好意に値するのなら…短くて二年、長くて六年…あなたの家族に加えてくれませんか?』…だそうです」

 車内が一瞬静まり返った。
 そして不審そうに顔を見合わせている。

「…変わったプロポーズね…?」
「短くて…何?別れること前提?ってこと?」
「何だそれ!?」
「いや、本当に好きな人が出来るまで…てことじゃないですか?」
「それは無いよ。そんなことで太一が了承するはず無いじゃないか」
「それは…そうですよね」

 様々な憶測が飛ぶが、結局は真実を知っているだろうヒカリに視線が集まる。
 調度信号が赤になり、ヒカリはゆっくりと停車すると、ハンドルを握り締めた。

「…『短くて二年、長くて六年』…それがお義姉さんの寿命なんだそうです…」

 驚きの気配が車内に満ちる。
 誰も口を開けない中、再び信号が青に変わり車が発進する。

「…お兄ちゃんもすっごく迷って…やっぱり結婚って、同情とかそんな気持ちで決めるべきじゃ無いって悩んで、だけどやっぱりお兄ちゃんだから、本気でぶつかって来た気持ちに逃げる気になれなくて、思いっきりぶつかっちゃったんですよね。それで決めたんです…『この人ならいい』って」

 見知らぬ国の大きな町にある小さな病院。
 そこの更に小さな病室で、極東の島国の…誰もが知るスーパースターと誰も知らない女性との、誰にも知られることの無かった葛藤の日々。

 言ってしまった言葉により、得られた幸福を再び失ってしまうだろう恐怖を抱えただろう彼女。
 向けられた心に、限りある未来を手に取るか否かを選択させられた彼。

 初めから無かったことに出来ればいいのかもしれない…それでも、彼等は出会ってしまった。
 すれ違うか手を取るかは、出会ってしまった以上逃げられない。
 そして、その決定権は彼にあり、彼は決めた…手を取ることを。

「それを聞いてすぐ、私イタリアに行ったんです。こんな短期間にお兄ちゃんをオトした女がどんな人間なのか見てやろうって…そしたら…ふふ」
「…ヒカリちゃん?」
「まあとにかく会って下さい。もう着きましたから」

 見ると、自然公園のような大きな敷地内にぽつんと建っている小さな教会が見えた。
 あれが目的地なのだろう。

 教会の裏手に車を止めると、仲間達は順に車を降りてその小さな教会を見上げた。
 少し古びた煉瓦造りで、壁に蔦が伝い随分と趣がある。

「うわ〜ステキvあたしもこんなトコで結婚式上げた〜いv」
「ん〜でも、太一位の人物には、ちょっと地味なんじゃない?」

 歓声を上げたミミに丈が素朴な疑問を投げると、感激していた女性陣から一斉に無言の非難が向けられた。

「ま、どうぞ中へ」

 ヒカリが促し扉を潜ると、外からは想像していなかった広々とした廊下があった。

「…思ったより広いね」
「そりゃ花嫁さんが歩くんですもの。広くないとドレスが型崩れしちゃうじゃないですか。どこかに引っかかったりとか」
「あ、そーか」

 そんな会話の後、ヒカリがある扉の前で立ち止まり、ノックをした。

「お兄ちゃん?私です。皆連れて来たわよ」
「おう、入ってくれ」

 中から太一の声が聞こえ、ヒカリは静に扉を開けて皆を促した。

「どうぞ」

 一瞬緊張が走る。
 実は、通り過ぎた内の部屋に『八神様控え室』と書かれた部屋が既にあった。…ということは、中から太一の声は聞こえたが、この部屋は間違い無く『花嫁の控え室』なのだろう。
 空が躊躇していると、隣を歩いていたヤマトが彼女の肩を抱き頷いた。
 その笑顔に元気付けられ、空は彼と二人、先頭を切って部屋に足を入れた。

「よお、遅かったな」

 にっこり微笑んでいる、真っ白のタキシードを着た親友。
 その胸ポケットにはオレンジ色の可愛らしい花が刺さっている。
 そして、その彼の傍らで、同じオレンジ色の花のブーケを抱えた綺麗な女性が微笑んでいた。

「空ちゃん、久しぶり」

 嬉しそうに笑った顔に見覚えがあった。
 記憶の中の少女より随分と大人び、そして随分と美しくなっているが、忘れ様の無い、名前の通り向日葵のような大輪の微笑み。
 確かに、真顔になると療養疲れのせいか儚げな感じになるが、一度微笑むと花が綻ぶようなイメージになる。

「…ひまちゃん…すっごく綺麗よ」
「ありがとうv」

 空が微笑むとますます嬉しそうに笑う。
 他の仲間達は呆然と立ち竦んでいる…どう反応してよいやら決め兼ねているのだ。

「驚かして悪かったな。こいつがオレの嫁さんになる葵だ。皆ヨロシクな」
「嫁でございます。色々ヨロシクお願いします♪」

 渋っていたのが嘘のようにあっさりと太一が紹介すると、レースとフリルをふんだんに使ったドレスをふわりと浮かせ、葵がぺこりと頭を下げた。

「ひま、一応皆紹介しとくか?」
「ううん〜太一君の話そのままなんだもの。一目で分かっちゃったv」
「そか?じゃあ、詳しい紹介は二次会の時でいいか」
「うん♪」

 にっこり二人が微笑んでいると、ノックと共に扉が開かれ八神母が姿を見せた。

「太一、神父さんが最後の打ち合わせをしたいって…まあ〜ひまちゃん!とっても綺麗よぉ〜vv」
「ありがとうございます、お義母さんv後で写真撮りましょーねv」
「もちろんよ!ああ、皆も今日は太一とひまちゃんのためにありがとうv突然でびっくりしたでしょう?」
「はぁ…まあ…」
「母さん、神父さんが呼んでるんだろ?どこ?」
「ああ、そうだったわ。こっちこっち!」
「悪い皆、ちょっとここで待っててくれ。その内式場に案内してもらうから。ヒカリ、ひま頼む。また後でな!」
「うん」

 ばたばたと退場する八神母と太一に返事を返したのはヒカリで、葵はひらひらと手を振って応えた。

「ヒカリちゃ〜ん。式まで後どれ位か分かる〜?」
「もう三十分もしない内に始まりますよ!なあに?もう疲れちゃったの?」
「だあって〜ドレスって綺麗だけど重いのよ〜」
「もうちょっと頑張って!後で皆で写真撮るんでしょ?その時着崩れしてたりメイク落ちてたりしたら、自分で泣くことになるんだから!」
「はあ〜い…」

 ヒカリがくすくすと笑いながら励ませば、葵は萎えかけた気力を必死に戻そうと気合を入れた。

「…何だか、ずいぶん仲いい感じよね…」
「ちょっと意外?な気がしますけど…私さっきから何かこう、頭の中もやもやしてるんですけど…」
「え?京ちゃんも?」
「いや、実はオレも…」

 側で交わされるそんな会話を聞きながら、実は空もさっきから何か気になるものを感じていた。

 兄嫁となる女性に対し、ヒカリが思いの他好意的だからだろうか。
 再会して、どう見積もっても一ヶ月強しか経っていないというのに、太一と彼女が至って砕けた雰囲気にに感じられるせいだろうか。
 いや、結婚しようとしている男女が砕けた感じでいて何ら不自然では無いのだが…何かが彼等の感覚に引っかかっている。

 見た感じはほわんとした正統派美人。
 純白のドレスも花飾りの付いた長いベールもとてもよく似合い、花嫁の理想系のような姿。
 性格は至って人懐っこそうで、物怖じもせず、はきはきとは言わないが言葉にどもりが篭もることも無い…多少間延びする感触はあるが…。

「空ちゃん?」

 考え込んでいる様子の空を、葵が不思議そうに小首を傾げて呼んだ。
 その仕種が何かと重なった。

「あ!」

 脳裏に閃いたその姿。

「あ!」
「あ!」
「あっ!」
「ああ!」

 次々と仲間達の間から声が上がる。
 その声が上がる度に、律儀に「え?え?」と言いながら顔を向ける葵…その横で苦笑を浮かべるヒカリ。
 その表情に確信する。

「「「アグモン!」」」
「!…ああ、太一君のパートナー?」

 声を揃えた彼等に、葵はほにゃりと微笑んだ。
 その表情がそっくりなのだ。

「え?アグモンのこと聞いてるの?」
「うん。太一君の大事なパートナーだって。何か私とどっか中身が似てるらしいんだけどね〜」

 嬉しそうに微笑む彼女に、一同は訳も無く安堵の息をついた。
 太一は自分達の何もかも彼女に話しているらしい。
 そして彼女は、その全てを何の気負いも無く、笑って受け止められる器を持っているようだ。
 ヒカリがあっさりと許すはずだ…これほどの女性は世界広しといえど、そうそうは居ないだろう。

「…この容姿で中身アグモンじゃ、太一も惚れるわ」

 ヤマトが呆れたように呟いた。
 空はそれを聞いて何だか楽しくなってしまい、それを押さえるために恋人の背中を思いっきり抓った。

「!!……〜〜〜空ぁ〜〜〜っっ」
「あはははは!ごめんごめん、ヤマト!何か納得しちゃって!」

 空が笑うとヤマトは仕方無さそうに溜め息をついた。
 他の仲間達も、先程までの何処と無く漂っていた緊張感を捨て去り、明るい表情をしている。

「改めて、ひまちゃん。結婚おめでとう!」

 空がにっこり微笑んで手を差し出した。
 葵は、その手と空の顔を見比べ、大きく頷くと自分も手を差し出して握り締めた。

「ありがとう、空ちゃん」

 彼女の大切な親友の隣に立つに相応しい、艶やかな笑顔だった。
 それを認め、彼女自身を認め、そうして自分達に認められるような人を見事選び取ってしまった彼に、賞賛の意味を込めて心の中で呟いた。

 抜け目の無い奴!

 誰もがきっと、同じことを思っていただろう…。

 

 

 

 誰もが祝福した式の後、貸切で開かれた小さな店のパーティーで、空は一つだけ彼女に聞いてみた。

「太一とヒカリちゃんの兄妹って、やっぱりふつうとはちょっと違う絆があると思うのよ。色々あったし…嫉妬しちゃうこととかって…無い?」

 仲が良すぎるほど良かった兄妹は、今でも誰にも入ることの出来ない絆で繋がれていると思う。
 昔はそれが辛かった。
 今ではそれが誇らしい。
 だが、『彼の妻』という立場の女性は、それをどう受け止めるのだろう。

「…空ちゃん、私家族がいないの」
「あ、ごめん…それはヒカリちゃんに聞いちゃった…」
「そう?じゃ、話早いよね。うん、天涯孤独ってやつなの。もともと体が弱かったんだけど、何とか二十歳までもたせられたって程度でね?この先のことは分かりませんって先生にも言われてて…だから、このまま一人で死んで逝くんだって思ってた…」

 既に聞いていた事情に怒りもせず、もしかしたら機会があったら伝えておいて欲しいと言ってあったのか…葵は全てを知っているらしいことを察し、真摯な瞳で空を見つめた。

「ホントは太一君が受け入れてくれるなんて思ってなかったんだ…大好きだけど、最後に、人を好きになれたってだけでも儲け物よねって思ってたのに…結婚してくれるんだって。私に家族をくれるんだって。『お父さん』『お母さん』って呼べる人が私に出来るなんて…今でも信じられない」

 嬉しそうに…本当に嬉しそうに語る。

「ヒカリちゃんね、初めて会った時、あ、イタリアの病院に来てくれた時ね?太一君に案内されて病室に来て…私、太一君の妹さんって、話には聞いてたけどホントに美人だ〜ってぽかんとしちゃって、すごく間抜けな顔してたと思うんだけど、その私の顔をじっと見て、にっこり笑って言ってくれたの…『初めまして、お義姉さん。妹になるヒカリです』って…」

 その時を思い出してか、葵の瞳にうっすらと涙が浮かぶ。

「信じられる?初めて会ったのに『お義姉さん』って呼んでくれたの。…嬉しかった〜…太一君にOK貰った時はそれ以上に嬉しいことなんて無いって思っていたのに、同じ位嬉しいことがあるなんて…びっくりした」

 空は葵の震える手を握り締め、彼女の嘘偽りの無い喜びを感じ取った。

「生きていて良かった…勇気を出して良かった…!空ちゃん、私の中の太一君とヒカリちゃんは、暗闇の中で迷っていた私に名前を呼んで、手を伸ばしてくれた…そんなイメージなの。式の前に空ちゃんが手を差し出してくれたみたいに」
「あたしが?」
「そう。私にとって太一君は『勇気』。ヒカリちゃんや太一君の仲間達は『光』そのものだわ…ありがとう空ちゃん。太一君のお嫁さんとして認めてくれて」
「え?」
「太一君や太一君の家族が認めてくれても、太一君の大事な仲間が認めてくれなくちゃ、私太一君の隣に立てないって思ってた…よく分からないけど、皆の話を聞く度そう思ってたの。だから実は、今日皆に会うの、すごくドキドキしてたんだ…それに、こんなにステキな人達なら、私がいなくなっても、太一君は大丈夫って安心出来ちゃった」

 まるで悪戯を見つかった子供のように告白する葵に、空は小さくは無い胸の痛みと共に微笑んだ。
 きっと、未来を夢見たのと同時に、置いて逝く痛みをも考えたのだろう。
 それでも、その全てを受け入れて手を取ることを選び、笑える強さを得たのだろう。

「これから日本で暮らすんだし、色々ヨロシクね?空ちゃんv」
「ええ、こちらこそ!…て、え?ひまちゃん日本で暮らすの?じゃあ太一日本に戻って来るの?」

 聞いてないとばかりに声を荒げかけた空に、葵はにっこり笑って首を横に振った。

「ううん〜。太一君はイタリアリーグに残るの。契約がまだ残ってるし。でも、私が向こうについて行っても太一君は殆んど家に帰れないだろうし、それじゃ私がいつ倒れて野たれ死んでても分からないから、結局は入院することになるじゃない?だったら、倒れてもある程度対処することの出来る『家族』がいるなら自宅療養してもいいってお医者様が言われたから、八神のお家で暮らすことになったの♪お義母さんもお義父さんもヒカリちゃんも、その方が安心だしそうしなさいってv」

 本人は嬉しそうに話しているが、聞いた空はぽかんとした。
 次いで驚きと共に笑いが込み上げてくる。

「なあに!?太一ってば新婚早々単身赴任なわけ!?」

「おらそこっ!『単身赴任』とか言うなあっ!!」

 空の叫びを耳聡く聞きつけた太一が、素早く噛み付いて来た。
 実は密かに気にしていたのかもしれない。

「何何何?誰が『単身赴任』だって?」
「何の話?」
「空さん?葵さん?僕等にも教えて下さいよ!」
「あ〜っうるせい!散れ皆っ!ひま!空!教えなくていいからな!?もちろんヒカリもだ!」

 空と葵が揃って返事すると、こっそりヒカリに近付いた京とミミを見つけて釘を打つ。

「いーじゃないか…て、太一?お前が単身赴任なのか!?」
「え〜っっ!?太一さんの話なんですか!?」

 一気に騒がしくなった場内に笑いの渦が巻き起こる。
 太一をからかっていたらしいヤマトに、太一が軽い拳をお見舞いしているのが見える。
 それを止めようともしない仲間達…そんな中に、彼の妻はいつの間にか溶け込み、楽しそうに笑っていた。

 そうやって少しずつ何かが変わりながら、本質の所では何も変わらずに、これからも時が過ぎていくのかもしれない。

 昔も今も変わらない、彼の微笑と仲間達の笑い声と共に…。












 そうして、『長くて』と言われていた年月よりも少ぉしだけ長く笑っていた彼女は、その晩年、愛する夫によく似た一人息子を遺し、最後に息を吐いたその瞬間まで、幸せそうに微笑んでいたという…。






『…太一君、ありがとう…』


『ひまがオレの、奥さんだよ』







おわり



   終わりました。
   あのラストで、『世界中の人々がパートナーデジモンを持ち』と
   銘打っているのにも関わらず、仲間同士でくっついた者以外の
   伴侶の姿が見当たりませんでした…大事な子供達の旅立ちに
   にも関わらず…です。パートナーデジモン持ってるならデジタル
   ワールドに来てもええやん…ということから、太一さんの奥様は
   亡くなっているという結論に達しました。(強引な…)
   読んで下さってありがとうございました。
   こんな…無駄に長い話を…(泣)