校庭から上がった歓声に、彼は洗っていた顔を上げると悪戯っぽい瞳を輝かせた。
柱の影からタオルを持ったままもじもじとしている少女が何人か目に付くが、そんな彼女達を綺麗に無視し、棚の上に置いてある自分のタオルでさっさ水滴を拭き取ってしまう。 また、黄色い意味の強い歓声が届く。 「相変わらずだなぁ…さて、と」 初夏の風に、柔らかな金髪が太陽光を弾いてさらりと揺れる。 「ご機嫌伺いに行こうかなv」
腕時計を見やり残り時間を測る。 頭の中で正確に数えながら、それでも瞳は只一人を捕らえて離さない。 「はぁい!終了――――っ!」 合図と共にホイッスルを鳴らす。 「マジ?終わり?」 その言葉にグランド内の反応は綺麗に真っ二つに分かれた。 「やった―――っっ!!」 抱き合って喜ぶ女子達と、頭を抱え込んでしゃがみこむ男子達…そして、圧倒的に多い女の子のギャラリー達は、やはり手を叩き合って喜んでいる。 「わりーな、佐々木!約束は守ってもらうぜ?」 光る汗も眩しく振り返った太一は、太陽よりも鮮やかに微笑む。 「八神〜〜〜っっ」 へたり込んでしまった男子部のキャプテンである佐々木の頭を、ぽんと力づけるように一度叩き、彼女は仲間達のの元へと駆けて行く。 「やったわね!太一♪」 首根っこに抱きつくようにして喜ぶ親友に、太一も嬉しそうに肩を抱く。 「キャプテン!サイコーのプレーでしたv」 興奮冷め遣らぬ後輩達に、優しい微笑を浮かべて頷く。 「お前らもよくやったよ。がんばったなv」 集まった彼女達一人一人の顔を見て、試合に参加した者もしなかった者にも、公平に微笑みを向ける。 「…キャプテン…vv」 うっとりと呟く後輩達に、空はひっそりと苦笑を漏らす。 実の所、彼女達の約半数以上は、入部した時にはサッカーのルールなど少しも知らなかった。 太一達が中学に入学した当初、サッカー部に女子はおらず、入ろうとする者もいなかった。 初めは部員が集まるかと危惧もされたが、あっさりと部員も集まり、何だかとんとん拍子に部の結成に至ってしまった。 その頃、小学校時代のサッカークラブの後輩で頭のよかった光子郎に部の結成について協力を仰ぎ、子供会のキャンプ以来何となく話すようになっていたヤマトが珍しく積極的に親身になってくれ、サッカーの試合で怪我をした空をたまたま塾帰りだった医者の息子丈が世話をしてから相談に乗るようになり、そして成り行き上何となく一緒にいることが多くなったヤマトの弟タケルと太一の妹ヒカリが、他の後から集った者達とは別に、『特別な仲間』として今も交流が続いている。 「……八神ぃ〜〜…もーちょっと、負からないか…?」 盛り上がっている女子達に、男子部のキャプテンである佐々木と副キャプテンの白石、会計担当の東が恐る恐る声をかけた。少し離れた場所には、男子部が揃って複雑そうな表情で雁首を揃えている。 「だぁ―――め!何だよ、そんなに尻込みするよーなことか?」 縋りつくような男子達に対し、太一の言葉は極めてシンプル…響きには楽しんでいるような感じさえある。 実は、今回のミニゲームでは男子部対女子部で戦い、次の練習試合の遠征の時、一つだけ互いの言うことを聞く…という景品が用意されていた。 元々男勝りで、サッカーのテクニックに関しては男子に引けを取らないと自他共に認めている太一にとって、はっきり言ってこれは屈辱だった。 そして、今回は更に効果的な事柄が一つ。 「だけど、色仕掛けは反則だろうっっ!?」 真っ赤になりながら、それでも泣きそうな東の科白に、女子達は冷ややかに…そして艶やかに嘲笑した。 「何言ってやがんだか。オレ等はちゃんと『ハンデはいらない。でも、ちょっと汚い手を使うかもしれないけどいいか?』って確認したじゃないか」 そう、太一達は手段を選ばなかった。 女子達は…短パンに半そでティーシャツ姿で並んでいたのだ。 そして試合…男子達は見事に女子に翻弄される形になった。 ボールを奪おうと詰め寄れば、『いやんv』との可愛らしい声に硬直。 他にも『投げキッス』『耳元に吐息』『近付いた隙に脇腹をツーv』等の様々な作戦が展開され、試合終了時、男子部員は気力を使い果たし立ち上がれる状態に無かった…。 ちなみに、男子部の一点は女子によるパスミスの自殺点…あまりに色仕掛けが効力を発揮することに呆れた彼女達の凡ミスだった。 『大成功〜〜〜vvv』という華やいだ女子の笑い声を背に、男子達は来週行われる試合の荷物を思って撃沈した。 「それじゃ、今日の朝連は解散♪片付けはジェントルマンな男子部員諸君がやってくれるそうだから、着替えたら教室に戻ってよし!今度の試合は分量を気にすること無く、ヘアスプレー・ムース・4/8・日焼け止めクリーム・化粧水・リップ・ファンデ・おやつ等々持ち込み放題だ♪スポーツドリンクは、いつもの詰め替え用粉じゃなくて、2リットルペットボトルを持って来てもいいからな?」 太一の言葉に元気良く頷いて挨拶した部員達に、太一と空がにっこり笑って挨拶を返した。 賑やかに部室へと戻る女子部員達に合わせるように、鈴なりだった観客達も散って行く。 「どうした、光子郎?」 複雑な顔をした光子郎に、太一は不思議そうに問い掛ける。 「…いえ、太一さんは怒らせると…相手の弱点をもろについた的確な作戦を立てるな…と。僕も見習わなくては…」 溜め息交じり零しながら、カタカタとパソコンにデータを入力していく。彼はパソコン部の部長と兼任で、女子サッカー部の参謀もしているのだ。 「あはは。今回のはあいつらが相手だったから通じただけだぜ?来週の相手は同じ女だからな、まかり間違っても色仕掛けは通用しねーよ」 楽しげに笑う太一に、光子郎・空・ヒカリの三人は『太一の色仕掛けなら通用するかも…』とちょっと冗談にならないことを考えたが、口に出しはしなかった。 「どれだけたらしこんだら気が済むんだか…この子は」 つい零れてしまった空の独り言に、太一がちょっと眉を寄せて反論する。 「あんたの『気をつけてる』は世間一般の『気をつけてる』とは随分違うのよ!まぁ、他は私には害は無いし、知ったこっちゃ無いけど…」 太一に自覚が無く、勝手にふらふらついて来てしまうお馬鹿のことなど空は気にしてやるつもりは無い。それで彼女と別れよーが、彼氏と別れよーが、家庭崩壊が起ころうとも太一に危害さえ無ければ関係無い…ただ。 「丈先輩をオトしたら…殺すわよ?」 瞬間、太一は大爆笑した。 「あはははははは!空サイコー!!大丈夫だって、そんなことは無いから!!」 まだ笑いの発作の収まらない太一に、空は複雑な表情で頬を寄せる。 「だぁって、太一に迫られてオチない人なんていないわよ〜!」 拗ねたような間近の空の瞳を覗き込み、太一はにっこりと微笑んだ。 「オレは『丈』を知ってるからな♪…ん〜、そーだなぁ、例えば、オレが丈に色仕掛けをするとする」 空の目が不安に揺れたのを見て、太一は目で制して続けた。 「例えばだ、例えば。ま、馬鹿正直な丈は照れて赤くなるだろうな。でも、丈が一番好きなのは、空だよv」 太一は笑いながら空の額を指でつついた。 「空がオレの、自慢の親友だからv丈は見る目のある奴だぜ?」 太一の言葉に、空の顔が一気に喜色に染まる。見ている方が暖かくなる…そんな笑顔。 「太一大好きvv」 抱きついた空の頬に、太一が触れるだけのキスをする。 「なぁーに、親友同士でいちゃついてんですか?そろそろ教室戻らないと、ホームルーム始まっちゃいますよ?」 突然割り込んだ第三者の声に、驚いて声の主を振り返る。 「タケル!?」 にっこり笑顔でそこにいたのは、黙って立っていさえすれば間違い無く貴公子全とした美少年。 「あらタケル君。バスケ部の方はもう終わったの?」 太一の科白に、四人は揃って明後日の方向を向いた。 「それより、最近どうだ?」 にっこり笑い合ったタケルとヒカリ。 ストーカー対策の一つ『決まった相手がいることにする』で、太一がヤマトを選んだように、ヒカリはその相手をタケルにお願いしていた。 未だ『姉以外眼中に無い』ヒカリと、『そんな太一に憧れており、ヒカリとも知らぬ仲で無い』タケルが、求婚対策に手を組んだとしても何の不思議も無いだろう。 「『ヒカリちゃんとつき合ってるから』って言うと、だいたいの子はあっさり引いてくれるんですよね♪」 タケルの言葉に、太一は嬉しそうに妹の頭を抱え込むように抱きしめる。 妹を猫っ可愛がりする姉、その姉に全面的信頼を寄せる妹…。 それに気づかない馬鹿の、何と多いことか。 互いにだけ許す特別な笑顔。 「それでは、そろそろ本当に行きますか」 彼等の言葉に、タケルの中でふと疑問符が浮かぶ。 「そーいえば、どーして太一さんと空さん、そんな格好してるの?」 それに四人は顔を見合わせて、にっこり笑って人差し指を立てた。 「それは、女子サッカー部の企業秘密v」 …一人、光子郎だけに、若干照れが混じっていた。
放課後、時間が合う限り太一・ヒカリ・ヤマト・タケルの四人は一緒に帰ることにしている。 そんなわけで一見ただの集団下校のようだが、この日は空がうきうきと一人先に帰り、光子郎は注文していた品が入荷したからと秋葉原へ行ってしまった。 珍しく太一・ヒカリ・タケルの三人だけの下校だったが、女の子が二人いれば話のネタには事欠かず、家でも一緒だというのに、何故そんなに話があるのか、タケルが不思議に思うほど話題は豊富だ。 「ねぇ、お姉ちゃん。お姉ちゃんはヤマトさんのライブ、行ったりしないの?」 あっさり切り捨てた太一に、ヒカリとタケルは苦笑をもらす。 過去、一度だけヤマトのライブに行ったことがあるが、太一は途中でそれを抜け出してしまい、その後理由を聞かれたヤマトに『つまらなかったし、うるさい』と不機嫌そうに答えた。 ヤマトは気づいていないようだが、太一が『どんな状況がつまらなくて、どんな声がうるかった』のかは…他の仲間達は何となく察しがついている。 そんな時、ふと嫌な人影が視界に入った。 「…太一さん」 太一が盛大な溜め息と共に毒づいた。 「どうしようか、お姉ちゃん?」 相談がまとまった時、それを待っていたように電信柱の向こうから、この時期にマスク・眼鏡・ニットの帽子・手袋にコートの怪しげな人間が顔を半分だけ出してカメラを構えた。 ガンっっ!! 「きっっっしょくわりぃんだよっ!!てめぇっっ!!」 太一が足元の小石を完ぺきなコントロールでカメラのレンズに向かって蹴り上げた。 「……お姉ちゃん…」 ヒカリとタケルがゆっくりと倒れ込んだ男から太一に視線を移した。 「知るかっ!んなもんクソ食らえだねっ!あんなヤローに写真の一枚もくれてやる位なら、オレは喜んで犯罪者になってやる!」 きっぱりと言い切った太一に、今度は互いの顔を見合わせて頷いた。 「…まぁ、それは」 あっさりと太一の主張を快諾すると、二人は流れるような動作で戦闘モードに入った。 「…ヒカリちゃんよく分かったね」 シャッター音もこんなに静か♪ とのキャッチフレーズで流れているCMが脳裏を過ぎったが、彼女に聞こえたならば、そのCMはジャロに訴えられてしかるべきなのかもしれない…その距離悠に、二十メートル。 「流石ヒカリ♪さっさと片付けて帰るぞ?腹減ったぞ、オレはっ!」 気合と共に鳩尾に四発、仕上げのアッパー…彼女は空腹の為だけで無く、ただ今ちょっぴり気が立っておられます。 姉に褒められ、絶対零度の殺気から一気にご機嫌にまで気分を上げたヒカリに、『容赦』と『情け』という言葉をちょっぴり記憶の済みに追いやったタケルがタッグを組んで残りを一網打尽に縛り上げる。 「お姉ちゃんっ♪」 原型を失ったカメラを、通行の邪魔にならないよう道の端に蹴り退けていたタケルは、予期していなかった影の出現に一瞬反応が遅れた。 「やっ、八神さぁ〜んっっ」 「うわっ!?」 珍しく気配を察知出来ていなかったらしい二人が、驚きの声を上げ、庇い合いながら後ろに倒れ込む。 げしっっ!! 「…………」 衝撃で、彼女等に触れる寸前で方向を変え弾かれたのは、『私、趣味は覗きとストーカーです』と書いてあるような…痩せぎすの男。 見事な放物線を描いて地面に激突した男への凶器は、かつて小型カメラと呼ばれていたことがあったかもしれない…鉄の塊。 「………僕を、役立たずにさせたね………?」 バックで雷光が光っても何ら不思議の無い演出に、八神姉妹は目を輝かせる。 「………僕がついてて、太一さんとヒカリちゃんを危険な目に会わせるなんて……こんな屈辱は久しぶりだよ……ねぇ?」 浮かぶ笑顔は普段の柔和さ等欠片も感じさせない、加害者の瞳。 「……これは、償うべきだよね?そうでしょう?ねえっ!」 タケルの言葉にストーカーの悲鳴が重なる。 「出た!久々じゃ〜んっvブラックタケル♪」 目の前で起こっている拷問と見紛う所業に、八神姉妹は明るい声援を送る。 「あはははは!当然だよ二人とも!生きてなきゃ生き地獄は味わえないんだから〜っ!!」 人が変わってしまっているタケルに全く動じる様子も見せず、八神姉妹は爽やかな笑顔を浮かべる。 「……壊れっぷりに磨きがかかってんなぁ、タケル♪」 …全ては彼女等の、手の平の上の出来事。
「……久々に暴れて、体が痛い…」 ストーカー御一行様を片付けた帰り道、節々を回しながらタケルが情け無さそうに呟いた。 「何だタケル?部活に熱入れて無いのか?」 サッカー部への誘いを断ってまでバスケ部に入部したタケルが部活を頑張っていないとは思えなかったが、何となくそんなにもバスケが好きそうに見えないこともあり、不思議に思っていた太一はこの機会に聞いてみることにした。 「頑張ってはいますよ〜?ただ、バスケは反射神経鍛えるために入ったんで…まだ体力増強まで行ってないんです」 きょとんとした姉妹の言葉に、タケルは「しまった」と顔を歪めた。 「…何?サッカーよりバスケが好きだったんじゃないんだ?」 左右から『傾城の美少女』とも誉れ高い八神姉妹に覗き込まれ、張り付いた笑顔にがまの油状態のタケル。 「タケルはオレ等がどんなに誘っても『うん』と言ってくれないのは、それだけバスケが好きなんだなぁ〜って思ってたのに…」 しゅん…と項垂れる二人に、タケルは慌てて左右を見比べる。 「オレ達タケルに嫌われてたんだな、ヒカリ」 にっこり笑顔が視界に入り、嵌められたことに気づく…だが、時既に遅し…。 「…僕がバスケを選んだのは、太一さん達に追いつきたかったから」 バスケを始めて、少しだけ大きくなった手の平を見つめる。 「同じ事やってたら、絶対に同じ位置になんて立てないでしょう?…いつまでも守られてる立場のまま。だから、違うフィールドで、自分の足で立たなくちゃって…さ」 少しバツ悪気に、でもどこか照れ臭気に白状したタケルは、思っていたよりも大きくなっていたことに気づく。 「…て、頑張ってみてたんだけど、ダメだねぇ〜。守りきれなかった…情けない」 ぱしんと手の平で額を覆うタケル。その口元は苦い笑みを刻んでいる。 「…ごめんね?」 手をずらし、寂し気な瞳が謝罪する。 「…馬鹿だなぁ〜タケル」 がっくりと肩を落とすタケルに、二人はくすりと微笑み合う。 「守ってくれたよ、ちゃんと」 するりと側を離れ、二人はタケルの真正面に回る。 「ここまででいいよ」 気づくと、直ぐ目の前に八神家のあるマンションがあった。 「「また、明日♪」」 楽しそうな笑い声と軽やかな足音を残して、八神姉妹はマンションの入り口へと消えて行った。 「………………まいった…///」 両頬に残る、微かな温もり。 笑ってもらうのが、嬉しい。 彼女達を守れる自分になるために、今よりももっと、もっと強く…。
近隣に鳴り響く、八神さん家の美人姉妹。 そんな不遇を抱え込み、それでも鮮やかに彼女等が咲き誇っていられるのは…それを凌駕するほどの、頼もしい仲間達のおかげ。
一人では笑えない。 おわり |