都内の割には緑の多いこの大学は、構内の至る所で昼寝をしている学生達の姿がある。 「…太一」 名前を呼ばれ、ふと意識が覚醒する。 「お前、またこんな所で寝やがって…また変な写真を売りさばかれても知らねーぞ」 欠伸をしながらの太一の嫌味に、ヤマトはバツが悪そうにそっぽを向き、ほんの少し頬を赤らめた。 「所構わずスケベな面曝してんじゃねーよ!恥かしい!」 わたわたと立ち上がった太一を、くすくすと忍び笑いを漏らしながらヤマトは楽しそうに眺めた。 学科は違うが同じ大学に通い、同じ家に住み、一日の半分は一緒に過ごしている恋人。 二年前、サッカーの試合中での事故が元で、太一は選手としてサッカーが出来なくなってしまった。 三年生としてその大会が終われば引退、そしてプロへの道が既に開けていた矢先でのアクシデント。 そのそれだけのことが、プロ世界への致命的な壁として立ちはだかったのだ。 太一は荒れて、荒れて荒れて…退院した後も学校にも行かなくなってしまった。 だがある日、いつものように閉じ篭もった太一の部屋の前でヤマトが語りかけ、太一は変わった。 もう何日も顔を出さない太一を心配して集まった仲間達の中、ヤマトは静かに太一の部屋をノックした。 「……太一?起きてるだろ?オレの声…聞こえてるよな?」 返事は無い。 「…太一。…お前、何をそんなに苦しんでるんだ?」 部屋の中から彼の息を飲む気配がした。 「何が、そんなに悲しいんだ?…お前がちゃんと生きてて、オレ達がここにいて、おじさんもおばさんも、ヒカリちゃんだってお前の側にいる。サッカーだって出来なくなったわけじゃないんだろ?」 開かれない扉に向かい、ただ静かに語りかける。 「太一言っていたじゃないか。『サッカーは出来ればどこだっていい』って…それなら、プロじゃなくてもいいんじゃないか?オレ達これからだろう?これから、やろうと思えば何だって出来るし、なろうと思えば何にだってなれる。…なあ、太一…お前が無くしたものって、何だ?」 息をつめ、見守る仲間達の視線を感じながら、ヤマトは淡々と扉の向こうの太一に向かって言葉を紡ぐ。 「…太一は何にも無くしてなんか、いないだろう?」 ヤマトが言えるのは、そこまでだった。 本当は、言葉ほど心は冷静じゃ無い。 太一に会いたい。 太一。 祈るように、また縋るように皆が見つめる中、扉が静かに開けられた。 「………太一」 名前を呼ぶと、太一はゆっくりと顔を上げる。 扉を開けても、唇をきゅっと引き結んだまま一歩も動けないままでいる太一に、ヤマトは優しく微笑みかけた。 「…太一、お帰り」 ふわりと彼に抱き締められ、太一はその双眸を大きく見開く…そして次第に雫が浮き上がり、そこから大粒の涙が零れ落ちた。 「…良かった、太一。…太一!」 痛いほどに抱き締められながら、太一は久しぶりの彼の香りに包まれて、おずおずと背中に両手を回す。 そうして、その後すっかり元に戻った太一は高校へ復学し、出席日数が危なかったが、何とか無事に卒業。 そうして日々は、信じられないほど穏やかに過ぎていく。 「…で、ヤマト。今日はバイトあんの?」 学食のカツ丼をぱくつきながら、太一が向かいのヤマトに箸を向けた。 「人を箸で射すなって。…今日はいつものバイトは休み。代わりに教授の書庫整理を手伝うことになってる」 済まなそうに言った太一の言葉を、ヤマトはムスっとして受けた。 不機嫌になってしまったヤマトを何とか宥めようとして太一はとんでもない約束をさせられそうになったが、後一歩という所で気づき、真っ赤になってヤマトの頭を殴りつけていた。 それも今では、いつでも見れる当たり前の風景。 バイトを終えた太一がアパートに戻ると、ヤマトはソファにもたれたまま眠ってしまっていた。 とりあえず風呂に入ってからもう一度様子を伺うが、どうも起きる気配は無い。 教授連の手伝いは、金はいいがこき使われることでも有名だった。 「…どーすっかな、これ…」 髪の雫を拭きがてら頭をがしがしと掻くが、この部屋にベットは一つきりで布団も一組…その掛け布団をかけているのだから、彼を移動出来ない以上、自分もここで寝るしか無いのかもしれない。 「…ま、いっか」 太一はあっさりと結論を出すと、するりとヤマトの横に滑り込んだ。 普通なら、喧嘩した時でも無いとここで寝ようとは思わないのに、今は二人揃ってベットを空けてここにいる。 「…なあ、ヤマト…寝てる?寝てるよな?…あのさ、オレ、すっげープロになりたかったわけじゃ無いけど…だけど、プロ入りが決まった時、お前すごく喜んでくれたじゃん?皆も自分のことみてーに喜んでくれて…オレ、それがすごく嬉しかったんだ」 カーテンも閉まっていて電気も消えているのに、外から漏れる不夜城の光に、部屋の中がうっすらと浮かび上がっている。 「…だからがんばろーって思ってたのに…なのにあんなことになっちまって…応援してくれた皆を…お前を裏切っちまった気がしてた。だって、ホントなら避けられたはずなんだ…オレが気さえ抜いてなきゃ…なんで試合中に、あんな気が抜けたプレーしちゃってたんだろう…」 エースだった自分はマークも多くて、それでも隙をついてボールを持つと一気に混戦になだれ込む。 「来るって、分かってたのになあ〜…」 結果避けられず靭帯を損傷…選手生命を断たれることになった。 「…だけど、関係無いって言ってくれるんだなあ、皆。サッカー出来なくても、期待に応えられなくっても…例え走れなくても、きっと片脚もげたって…オレはオレだって、側にいてくれるんだよな…」 今考えると、いい年して子供の様に泣いてしまった自分の姿は恥かしい。 いままでのどんな時より、皆が近く感じられた。 「…ヤマト、ヤマト?寝てていいから、夢の中でもちゃんと聞けよ?」 互いの体温が感じられるほど近くに、けれど更に側に行きたくて…。 「…ヤマト。…大好きだから」 彼の顔を覗き込み、まだ起きないことに苦笑して、太一はそっと口付けた。
明日はきっと今日の続き。 人生の中に現れる、予想もしないたくさんの岐路。 それさえ分かっていれば、進む先には、例え一条でも光はある。
そして、どんな道を選んだとしても…きっと君に恋してる。
おわり |