風のように走る姿…大気に透けなびく髪、宝石のように光る汗。
フィールド内を所狭しと駆け回る姿に魅せられる者は数知れず、そんな者達と同じように…だが何処か誇らし気に見つめる彼の姿がそこあった。
終了のホイッスルが鳴り響き、ミニゲームに興じていた者達がゆっくりと動きを止める。
健闘を称え合う者達の中彼が顔を上げ、観衆の中からたった一人を見つけ出してふわりと微笑んだ。
そして、まっすぐに彼のもとへと駆けて来る。
「光子郎っ!」
全開の笑顔に見惚れながらも微笑みを返し、鞄の中からタオルを取り出した。
「お疲れ様です、太一さん。相変わらずすばらしい活躍でしたね」
「へへ♪ちょっと気合入ったかな♪」
「え?」
光子郎から受け取ったタオルでざっと汗を拭き取り、不思議そうな顔をする彼の耳元にそっと言葉という息を吹き込む。
「光子郎が観てたからさぁ」
「っ!?」
驚いて太一を見つめる光子郎に、彼は照れたように上気した頬で軽く手を振り、チームメイトの輪に戻って行った。
「……太一さん…///」
まいった…と光子郎は、フェンスについた肘の上に頭を乗せた。
普段は照れて、気持ちを言葉にするなど滅多にしてくれないくせに、こういう時に限ってフェイントのようにぽろりと零していく。
反則だ…と思う。
そうして、どんどん際限無く囚われていく自分を自覚する。
それがまた、不快で無いから救いが無い。
彼が声をかけに来た自分に、幾つもの羨ましそうな視線が集まっているのは知っているが、それを気にしていられる余裕も無い。
それでも、緩む頬を止められない…一世一代の勇気を奮い起こし、想いを告げた自分へのご褒美のように向けられる、自分だけへの笑顔。
今でもまだ信じられない…彼が自分の手を取ってくれたことが…そして、自分だけを選んでくれたことが…。
光子郎が『この日に告白する』と決め、その日に向けて着々と溜め込んだ勇気…それが、呼び出しに応じてくれたいつもの彼の笑顔を見た時、あっさりと波際の砂城の様に崩れかけたが、何とか根性で持ち直して気持ちを告げた。
光子郎には覚悟があった。
そして、考えに考え抜いたたくさんの時間もあった…が、太一にとっては、それは突然の出来事だったのだ。
好きだと告げた光子郎。
その真剣な瞳に、言われたことが冗談でも嘘でも無いと直感で理解したにも関わらず、その意味を把握するのに、彼らしくない反応の鈍さをたっぷり披露した太一。
彼の言葉をじっと待つ光子郎の前で、ぽかん…としていた表情が次第に、そしてみるみる朱色に染まっていった。
拒否か否か…まるで断罪される様な心持ちでいた光子郎に告げられた言葉は…。
「いきなりっ、そんなこと言うなっ!」
真っ赤な顔で、怒っているような、驚いているような…そんな表情の太一に光子郎も慌てる。
告白の応えは普通『Yes』か『No』。
そして、九割方『No』だろうと覚悟を決めていただけに、そのどちらでも無い返事は、珍しくも二通りのシュミレーションしかしていなかった光子郎を容易にパニクらせた。
「いきなりって…そんな、いきなりじゃなかったらどうすればいいんです!?」
「どうって、そんなのお前が考えろよ!」
「太一さんの要望に応えようとしてるんですから、太一さんが示して下さいよ!」
「んなこと言われたって、オレが分かるかよっ!」
「じゃあ、予告して告白すればいいんですか!?」
「ああ!そーしたら聞いてやる!」
「分かりました。それなら明日のこの時間、太一さんに僕が告白しますからこの場所に来て下さい!」
「おう!来てやるさ!」
ふんっ、と逆方向を向いてずんずん進み、呼び出し呼び出された公園の反対出口からそれぞれ家路についた。
光子郎が我に返ったのは、家の扉を少々乱暴に閉め「ただいま!」と言った言葉に帰って来た母の「あら、不機嫌そうね光子郎?」という不思議そうな声を聞いた時だった…。
何をやってるんだ…と一晩悶々と悩み、翌日同じ時間に同じ場所へと逃げ出したい足を引きずって向かった…。
告白をすると言ったのは自分…だが、それは既に彼の耳には届いてるはずの物で、また改めて同じことをしようとしている自分がどうも道化のように思えてならない。
きっと彼の中では、もう答えは出ている。
自分はそれを聞くために行かねばならない…。
執行猶予が一日伸びた…そんな感じだった。
大きな木の脇にあるベンチに、太一は座っていた。
「…よお」
「…お待たせしてしまいましたね」
「いや、構わねーよ…」
「………」
お互いが黙り込み、太一は俯き、光子郎は立ったまま動けなかった。
昨日と同じ時間、同じ場所、同じような天気…違うのは、『用件』が何かをお互いが知っていることだけ。
昨日の太一は知らなかった。
光子郎だけが緊張していた。
だが今日の太一は知っている…そして、光子郎と同じように緊張しているようだった。
これが、結果なのかな…と、何処か諦めの混じった頭で光子郎は思う。
昨日向けられた笑顔が無い…明るい声も、はつらつとした仕草も何一つ無い。
これが…答えなのだろうか…そんな暗い気持ちになった時、太一の足がだんっと地面を踏み鳴らした。
思わずびくっと体を引きかけた光子郎に、俯いたままの太一から地を這うような声が届く…。
「…まだか」
「え!?」
「『え』じゃ無い。まだか!?」
「あの…?」
恐る恐る顔を近づけた光子郎の胸元が、突然ぐいっと引っ張られる。
「っ!?」
「お前、何しに来たっ!?」
「えーと、太一さんに告白しに…」
「そーだろ!?そー言ってたよな!?だったら早くしろっ!」
「……は、はあ…」
ばっと掴まれていた服を離され、体制を整えて呆然と頷き、顔を上げて睨みつけて来た太一を凝視する…。
…真っ赤な顔の太一を…。
緊張か怒っているのか分からない、真っ赤に染まった太一の顔。
つい、吹き出してしまった。
「〜〜〜っっ、光子郎〜っ」
「す、すみません…でも、だって太一さん…っ」
「ああ、もう!何でもいいから、さっさと昨日の約束を果たせっ!」
どんっと胸元を叩きつけて来た拳を掴む。
「光子郎っ!」
「…明日にしましょうか…」
「は!?」
「僕の告白。もう一度仕切り直して…明日に…」
「なっ…!?」
くすくすと楽し気に笑う光子郎を、太一は腕を掴まれたまま呆然と見た。
「………明日?」
「はい」
「…なんで?」
「…もう少し、このままでもいいかな〜と思いまして」
二人の、四つの瞳が静かに交わる…口元にだけ微笑を浮かべ、瞳にはどこか寂しそうな色を湛えて…。
「…嫌だ」
「太一さん?」
「オレは嫌だ。こんな生殺しの状態がまた続くなんて冗談じゃない」
生殺しって…と苦笑した光子郎に、太一はがたんと立ち上がり、彼より少しだけ高い位置から光子郎を見据えた。
「だから言え。今言え、すぐ言え、さっさとこの場で言っちまえ!」
「………」
光子郎の掴んでいた手が…ほんの少しだけ震えていた。
睨み付けるようにしながら、その実それが虚勢であることを伝える手…。
コロコロと変わる表情や思いを伝える言葉…それが嘘をつく時、彼の手が本心を語っていると気づいたのはいつの頃だろう…。
「…相変わらず、わがままですね」
「んなの、知ってんだろ?光子郎は!」
「ええ、知っています。本当は、強くなんかも明るくなんかも無いことも知ってます」
「………」
「本当のあなたは、弱虫だし泣き虫だし怖がりで…でも、そうで無いこともちゃんと知っています」
太一の掌に自分のそれを重ね、ゆっくりと持ち上げて触れるだけのキスをした。
「…だから、あなたが好きになったんです」
表情の消えた太一の唇がそっと音を紡ぎ出す。
されるがままに己の手を預け、その瞳に彼の姿だけを映し…。
「…もう一度…」
「あなたが好きです」
太一の望むとおり、もう一度はっきりと言い切った光子郎。
それを聞き、太一の顔が一瞬泣き出しそうになり、そして嬉しそうな、けれど泣きたいような表情が浮かんだ。
「…オレも、光子郎が好きだ」
空気に溶けるかのように微笑み、太一が言った。
その彼の手を握る光子郎の手に力がこもる。
「……本当…に?」
「…昨日、お前に告白されて…考えた」
首を傾けた拍子に前髪が太一の表情を隠す…だが、そこから覘く瞳は苦し気でさえあった。
その瞳が、まだ信じられないような想いを抱く光子郎を静かに聞く選択を取らせた。
「…そーいやオレ、昔から人に頼るの好きじゃなくて…だけど、光子郎には結構頼ってたな〜って…。弱音も吐いたし、八つ当たりもしたし…そういうの出来るの、光子郎だけだったなって…」
「………」
「そんで、もしオレがお前のこと好きじゃないって拒否したら…お前、オレから離れてくのかな〜って…それは、それだけは、嫌、だなぁ〜って…」
「太一さん」
「で、そんなこと考えてて、オレ、結構嫌なこと多いことに気づいた」
言い差した光子郎を首を振ることで止め、ゆっくりと続ける。
「光子郎が、知らないトコにいるの嫌だし、オレの知らない奴と楽しそうに話してるのも…嫌かもしれないし、オレのこと構わなかったら絶対嫌だし、オレから離れてって、オレの知らない誰かを選ぶのなんか…冗談じゃなく、嫌、だし…」
「…太一さん」
「…今まで考えたことなんか無かったから、ホントはよく分かんねぇ。だけど、今ある心だけ考えても、自分に分かるだけ考えてみても…これを…『好き』以外の言葉でなんかくくれねー…」
残っている手をぎゅっと左胸を掴むように握り締める。
「光子郎を想うこれが、『好き』じゃなかったら、他の何も…なんにも『好き』だなんて言えねぇ…!」
「…太一さん…」
「それじゃ、ダメか…?お前は…『好き』じゃ無いと思うか…?」
「いいえ、充分です」
お互いの間はほんの二歩分程度の距離…それを更に一歩進め、太一の頬にかかった髪を避けるように手を這わせた。
「…充分です、太一さん。とても嬉しいです」
「…光子郎…」
「僕はずっとあなたの傍にいます。これからも今までと変わらずに…ずっとです」
至近距離の彼の瞳が揺れているのが分かる。
「例え拒否されたとしても、僕が太一さんの傍を離れるなんて在り得ませんよ。…だから、誰よりもあなたに近い場所を、僕に下さい」
「………うん」
少し掠れた声で頷いた彼の表情は見ることが出来なかった…太一が縋る様に光子郎を抱きしめたから。
昔はただ、憧れていただけだった。
それが恋に変わったのは、彼の弱さを目にした時だった。
彼が自分を信頼して、弱みを見せてくれた時だった…。
誰もが認めるリーダーシップを取る彼で無く、潔く凛々しい彼でも無く、悪戯っ子のように明るく笑う彼でも無い…そんな風に自分を曝してくれる彼を、光子郎は好きになったのだから…。
「…何ぼーっとしてんだ?」
かけられた声にはっとして振り返ると、後のミニテーブルで宿題をしていたはずの太一が不思議そうな顔で彼に懐いていた。
あまりの至近距離にあった顔にドキリとするが、彼が自然体で甘えてくれるようになったことは文句無く嬉しい。
「すみません、何でも無いです。えーと、宿題終わったんですか?」
「もうとっく!光子郎の方も終わってるぞ?」
背中越しに回された腕が指す画面を見ると、インストール終了の表示が映し出されていた。
「もしかして目が悪くなったのか?…まあ、こんだけパソコンばっかやってて目が悪くなんない方が不思議だけど」
「…生憎、春の検査では両目1.2をキープしてましたよ」
溜め息と共に反論すれば、太一が楽しそうに顔を覗き込んで来る。
「春なんて随分前じゃん。ちゃんと目は大事にしろよ?」
「パソコンはほどほどに…ですか?」
「ばーか。そんなん関係無い。オレが言いたいのは…」
「っ!?」
ぐるんっと光子郎の座る椅子を回転させ、向き合った状態で頬を両手で包む。
「オレの顔、見えなくなってもいいのか?」
少し拗ねたような…告白してから見せてくれるようになった顔。
「嫌…ですね、それは絶対」
「だろ?なら大事にしてくれ」
「もちろんです。太一さんの顔がはっきり見えないなんて、僕には耐えられませんからね」
きっぱり宣言した光子郎に、太一は楽しそうに笑ってこつんとおでこをあてた。
それで離れていこうとする彼の首に手を回し、素早く唇を奪う。
「……〜っ、光子郎っ!」
「あ、すみません。つい目の前にあったので」
「って、突然はびっくりするからヤだって言っただろ!?」
「そうでしたね…では…」
少しだけ顔を離した所で、真っ直ぐに太一を見る。
「キスしますから」
「ど、どうぞ…」
改めてのキスは、太一の許可もあることから逃げられることはまず無い。
「…予告する方が恥ずかしいとか思いませんか?」
「るさいっ!///」
今では当たり前になってしまったこの問答…光子郎に関してのみ、突発的なことに弱くなった太一。
それでも変わらずに、これからもずっと傍に…。
誰よりも、影よりも近い場所で…。
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