言った相手は誰だったのか、どんな状況だったのかは覚えていない。
 ただ、その時投げられた言葉だけが…重石のように、この胸に沈む…。

『日本とアメリカのリーダーか。珍しい組み合わせだね』

 別にどうって事の無い、気にする必要も無い言葉のはずなのに、何故こんなにも耳から離れないのか…それはたぶん、実は自分が気にしていたからなのかもしれない。











 散歩の途中、突然の雨に降られて近くの公園の東屋に逃げ込んだ。
 距離はさほど無かったおかげで、髪も服にもそんなには被害は無い。

 ほっと一息ついた時、長い黒髪を後ろで一つにしばった青年が駆け込んで来た。
 自分と同じ目にあったのかと、少し苦笑気味に様子を伺えば、彼は驚いたようにこちらを凝視していた。

「…何か?」

 不思議そうに問い掛ければ、青年ははっとして、次いでバツが悪そうに微笑んだ。

「ごめんごめん。向こうから金髪が見えたから間違えちゃった。一緒に雨宿りしてていい?」
「ええ、どうぞ」

 彼の人懐っこそうな笑みに、僅かにあった緊張も解ける。
 雨の中、遠目に金髪だけを頼りに駆けて来たのならば、この距離まで気づかないのも頷ける。

「お連れの方は外国の人なんですか?」
「ま、そんなトコ。君は…アメリカ?」
「ええ。…はぐれたなら連絡とかとらなくて大丈夫ですか?外国の人間なら地理が不案内なんじゃ…」
「ん〜、まあ、大丈夫でしょ。向こうもどっか雨宿りしてるよ」

 少しだけ考えたようだが、信頼しているのか楽感的なのか、『君は日本語上手だね〜』等と言いながら笑っている。
 国籍が違うだろう連れのことを安心しきって構えているような姿が、ブレットには少しだけ眩しかった。

「…あ、狐の嫁入りだ」
「狐の嫁入り?」

 ふと聞こえた言葉に、不思議そうに首を傾げると、彼は東屋から見える雨の向こうの晴れた空を指差した。

「ほら、あれ。向こうの空が晴れてるでしょ?こういう天気雨のことを日本では『狐の嫁入り』って言うんだよ」
「へえ〜」
「狐の娘さん達は、一族の掟で天気雨の日にしか嫁入り出来ないことになってるんだ。で、こういう日に一斉にお嫁に行く。その時の嫁入り行列を照らす火を『狐火』っていうんだっていう、昔話なんだけどね」

 説明して、少し照れ臭そうに頭を掻く。

「何故天気雨の日じゃないとダメなんですか?」
「晴れた日だと人間に見つかっちゃうでしょ?雨の日だと皆俯くから見つかることは無いから…でも、折角のお嫁入りは晴れた日がいいからって天気雨の日になったんだって」
「なるほど…」

 理に適っているような、いないような…しかし、昔話とは得てしてそういうものである。

「こういう話、興味あるの?」
「ええ、まあ。折角日本にいるんですし、日本人の文化は…興味深いですよ」
「ふ〜ん、…じゃあもう一つ。狐の娘さん達は、好きな人の所に早くお嫁に行きたいから天気雨になるのをずーっと待ってるんだけどね?他の人達はいつなるか分からない天気雨を気にしてられないから、我関せずでいるわけ。でね、やっと天気雨になって、娘さんがやっとお嫁に行ける〜って大喜びするんだけど、お嫁さん作って、親戚縁者を呼び集めて、お婿さん側が支度を整える頃には天気雨は終わってしまい、結局お嫁には行けませんでした…ていう笑い話があるんだ」
「あはは…それは気の毒」

 泣き崩れるだろう狐の娘の姿が思い浮かんで、何となく笑えるような、笑ってはいけないような。

「…で、ここからが日本の昔話のすごい所。いつ起こるか分からない自然現象を待ってて、狐の娘さんは結局は行かず後家…物事は行き当たりばったりでは無く、ちゃんと計画を立ててやりなさいっていう教訓になるんだよ」
「あ〜なるほど」
「更に、決められたことを守ってるだけじゃ、結局は何にも出来ないぞっていう教訓にもなる」

 感心していると、彼はにっこりと微笑み、まるで全てを見透かすような瞳を向けて来た。

「笑い話だけで終わらせないで、そこから何かを学び取れっていう昔の人のメッセージだね。結果は一つじゃ無い。色んな局面から色んな答えが導き出されるっていう…勉強になるでしょ?」
「ご教授ありがとうございます」

 えへんと締めた彼に、ブレットは感謝の気持ちを込めて微笑んだ。

 今もまだ消せないあの言葉も、ただ目の前にある事実に驚いただけかもしれない。
 それとも、まだ違う意味があるのかもしれない…この心のように。

「…君と同じ位の年だと思うんだけど、今ミニ四駆の世界大会ってのがやってるの、知ってる?」
「え?ええ、まあ…」

 突然の彼の言葉にドキリとした。
 何となく、自分も出ていますとは言い辛い…。

「前ね、その大会に出てる日本チームの子と話したことがあるんだけど、彼の大事な人も外国の人なんだって」

 明かされた内容に目を見張る…直感で、彼の言っている者が『レツ』だと思った。

「それで、彼もすごく相手の人の国のことを気にしてた。何か色々悩んでたみたいだけど…」
「悩んでいたんですか!?」
「え?」

 真剣な目でつめよったブレットに、青年は驚いたように目を見張った。

「…あ、すみません。…えっと、それで…彼、は?」
「ああ、うん。色々考えても仕方無いじゃない?文化とか、そういうの関係無しに好きになったんだから」
「…………」
「だから、話してる内に会いたくなったみたいで帰って行っちゃった♪」

 楽しそうに笑った彼を、呆然と見つめた。

 彼の国の文化が知りたかった。
 そうすればもっと、彼を理解出来る気がしたから…だけど、それは違うのだろうか。
 文化とか、歴史とか、そんなものは関係無いのだろうか…。

 自分の生れ育った国の、『何か』を彼に押し付けているような気がした。
 彼の生まれ育った国の、『何か』に阻まれているような気がした。

 だけどそれは、ただの気のせいだったのだろうか…。

「あ、虹だ♪」

 彼の声に顔を上げると、東屋の外は次第に小降りになって行き、晴れた空にうっすらと虹がかかっているのが見えた。

「ああ…虹は太陽光線が空気中の水に乱反射して出来る現象ですから、天気雨なら見れる確率が高いでしょうね」

 心ここに在らずといった体で呟いたブレットを、彼は呆れたように見て笑った。

「あったま固いなあ〜君!こーいう滅多に会えない小さな奇跡を見た時は、確率とか原理とかじゃなくって、単純に『何かいいことありそう♪』でいいんだよ?」
「え…」

 突きつけられた指に驚いていると、彼は突然ばっと顔を上げた。
 何事かと見守っていると、彼はその視線の先に向かって嬉しそうに手を振っている。

「虎王!こっち!」
「ワタル!」

 見ると、長い金髪をなびかせた背の高い青年がこちらに走って来る所だった。

「何やってるの!?もう…雨宿りしてなかったの?」
「いや、小降りになったからもう大丈夫だと思って…そんな濡れて無いだろ?」

 にかっと笑った連れを、彼は仕方無さそうに微笑んで小突いている。

 彼が言った通り、金髪碧眼の恐ろしく整った容姿の連れは、どう見てもアジア系の民族には見えない。
 だが、人並み外れて整ってはいるが、日本人に間違い無いだろう彼と並んでも何の違和感も感じられない…それ所か、そここそが彼等の居場所に他ならないように思えてくる。

「ん?…そいつは…」
「ああ。一緒に雨宿りさせてもらってたんだ♪」

 向けられた瞳に、ブレットは条件反射で会釈した。
 ワタルが簡単に状況を説明すると、何かを探るように見つめ、それから意外と人好きする笑顔を向けられた。

「それじゃあ、ボク達行くね?付き合ってくれてありがとう、ブレット君。がんばってね♪」
「え!?」

 にっこり笑って去って行く二人の後姿を眺めながら、ブレットは脱力する頬に苦笑を浮かべた。

 名前を名乗った覚えは無い…だが彼は知っていた。
 よく考えれば当然のこと…烈を知っている彼が、ライバルチームで強豪と言われる自分の顔と名前を知らないわけが無い。
 きっと何もかもを察していながら、知らないふりをしてあんな話をしたのだろう…いや、それも考え過ぎかもしれない。
 彼の言った通り、答えは一つきりでは無いのだから。

 止んで行く雨の向こう側、まだ何とか見える虹もその内欠片も残さず消えるだろう。

『単純にいいことありそう♪でいいんだよ?』

 彼の言葉が甦る。
 心に浮かぶのは、たった一人の眩しい笑顔。

「単純に…」

 呟いて、確かに自分は考え過ぎな所があるかもしれないな、と、少しだけ笑った。
 そうして笑ってみると、悩んでいたものがどうでもいいもののように思え、心が軽くなったような気がした。

 今心にあるもの…それは単純に会いたいという気持ち。

 自覚すると、本当に顔が見たくなってしまった。
 突然自分が会いにいったら、彼はどんな顔をするだろう…驚くだろうか、それとも怒るだろうか。
 だがそれも、実際に会いに行ってみれば分かること。

 そう結論を出して立ち上がった時、前方で水の跳ねる音がした。

「…ブレット!?」

 そこにいたのは、たった今自分が会いに行こうと思った愛しい人。
 畳んだ傘を握り締めたまま、呆然と立ち尽くしている。

「…レツ」

 自分も同じように呆然と名を呼べば、彼はまるで、花が綻ぶように嬉し気に笑い、水溜りを避けながら真っ直ぐに駆けて来た。

「うわあっ、すっごい偶然!何でこんな所にいるの!?」

 自分の腕に飛び込んで来た小柄な体を、大事そうに受け止める。
 何故だろう…この腕の中が彼の居場所だと、こんなにもはっきりと確信出来る。

 向けられる笑顔に見覚えのある信頼感を感じながら、彼も嬉しそうに微笑んだ。

 最先端技術の中心にいて、忘れかけていた小さな喜び。
 たまには、非科学的なことも悪くない…そんな風に考えられるようになった、ささやかな意識改革。

 日本という国の、東京という街の片隅で起こった、それはそんな、小さな奇跡。












「…ワタル。お前また何かお節介やいただろう?」

「さあてね♪」

 とうに虹も消え去った、界を渡る帰り道…苦笑を浮かべた相棒に、彼は素知らぬふりで微笑んだ。







 

おわり

    2469HITの安藤逸美様のリクエストでした。
    リク内容は、『ワタルとブレット』が出てくればよい
    …のでしたよね?(汗)
    それなら、クリア…かな?(笑)
    時間的には『MIX!!』の後位の話になりますか。
    分かる人が何人いるんでしょう?(笑)
    つーか、なーんか『MIX』話は説教臭いですよね(笑)