あの瞬間を忘れなければ、人はもっと強く在れただろうという時が…きっと誰にでもある。












「太一の思い切りの良さって、どっから来るの?」

 いつもの昼休み、天気がいいから今日は屋上で…と集まった特等席で、お弁当をパクつきながら空が首を傾げた。
 その言葉に、聞かれた太一本人のみならず、一緒にいたヤマトと光子郎も驚いた表情を曝す。

「唐突だな…何だよ突然?」
「うん、昨日突然思い出したのよ。昨日デジタルワールドに行って来たんだけどね?」
「あ、空行ったのか?」
「お一人でですか?」
「ええ、そう。昨日は中学生組あたしだけだったわ。まあ、それで、後輩達の働きをゆっくり見学させてもらったんだけど…」

 ゲートを通って着いたのは、何故か鉄パイプの乱立する一面の砂漠だった。
 ダークタワーを倒しに黒いエリアに行ったはずなのに、見渡す限りそれらしき物が見えない砂漠地帯で、どちらに進めばよいのか分からず、彼等はそのまま二の足を踏むことになってしまったという…。

「で、結局埋まってた鉄パイプを一本抜いて、倒れた方に向かって空から探索したんだけど…その結論出すのに随分時間かかったのよ。それで、あの場面に太一がいたらどーしたかなって、ちょっと思っちゃったの」
「ああ〜…なるほどなぁ〜」
「そうですね…ありましたよね、そういうこと…」

 懐かし気にくすりと笑い、色褪せぬ記憶を呼び起こす。
 昔と言うには色鮮やかな、最近と言うには懐かしい…辛く苦しかった、それでも大切な共有の思い出。

 何度もうろたえ、途方に暮れた見知らぬ世界。
 見たことも無い生き物。
 知らない植物。
 一面の雪原。
 見渡す限りの砂漠や海原。

 顔を上げることすら億劫で、思考の全てを破棄したくなるような状況…そんな中でいつも聞こえた彼の声。

――――進もう、前へ!

 真っ直ぐに顔を上げ、その一歩を踏み出した。

 進まなければ始まらない…何も変わりやしない。
 そんなことは分かっていても、それでもその一歩が恐ろしいのが人間の心。

 だから反発もした。
 迷わずに進むことを選べる彼こそがおかしいのだと…。
 けれど、彼はいつだって前向きで…そんな彼が眩しく、そして羨ましかった…。

 三人に見つめられ、太一は困ったように…そして何故かバツが悪いように苦笑する。

「…別に、特別なことじゃねーと思うけどなぁ」
「…ま、太一にはそうかもね。だけど、普通はその一歩を踏み出すのが怖いっていうのも分かるから、待っててくれるんでしょ?太一は」

 分かってるわよ、と笑われ、太一もお見通しか…と肩をすくめた。

「……まあ、よく言うじゃん?初めて自転車に乗れた瞬間を覚えてれば、怖いことが半分は減るってさ」
「へ?」

 きょとんとした仲間達に笑いかけ、例えば…と続ける。

「初めて何かをやる時、初めて行くトコ、初めて会う人…そういうのは多かれ少なかれ怖かったりするだろ?けど、その『初めてのこと』の後にある喜びとか嬉しさを知ってれば、その『初めて』が怖くなくなる」
「それが、『自転車に乗れた時』…か?」
「そ。自転車って、まず誰でも初めてで乗りこなせる奴っていないだろ?誰だって一生懸命練習して、やっと乗れるようになる。だから乗れた時はすげぇ嬉しいのに、嬉しかったはずなのに、結構それって忘れちゃうんだよな」

 オレも忘れてたことあるし…と苦笑する太一に、三人も同じように笑った。

「そうねぇ…そうだったら、あまり悩まないですむかもねぇ」
「でも、人は失敗した時の恐怖の方が勝ってしまいますからね…臆病ですよね、僕達は」
「光子郎、そーいうのは『臆病』って言うんじゃねぇ。『慎重』って言うのさ」
「太一さん…」
「オレはただ、誘惑に弱いのさ。その後にある『嬉しい』に飛びつきたくてな」

 悪戯っぽく言う太一に笑い、けれど、だからこそ憧れるのだと思う。
 負の感情を振り払っていける勇気が眩しいのだと…。

「自転車に乗れた時なぁ〜…今一思い出せないけど、嬉しかった気はするなあ〜」
「あ、それならヤマト!お前覚えてないか?タケルの小さい頃!」
「タケルの?」

 不思議そうに眉を寄せたヤマトに頷く。

「オレさ、自転車に乗れた時はただ純粋に嬉しかったけど…それ以外に自分じゃ覚えてないけど、すげぇ『初めて』の瞬間に憧れたことがあるんだ」
「太一が?」
「憧れ…ですか?」
「ああ。あのさ…オレが四つの時、まだはいはいしか出来ねぇヒカリをあやしててさぁ、そしたらあいつがオレのトコ来て膝の上に手置くんだ」

 その様子を真似るように、己の膝の上にぽんっと手を乗せる。

「で、力入れて両足踏ん張って…ゆっくり、ゆっくり手を離す。それが、ヒカリが生まれて初めて二本の足で立った瞬間」
「…………」
「時間にすれば、たぶん二・三秒のことだったと思う。あいつはすぐふんばりが利かなくて尻餅ついちゃって…」

 当時の状況を思い出し、くすくすと笑いがこみ上げてくる。

「けどさ、ヒカリの奴…オレの顔見てそりゃあ嬉しそうに笑ったんだ。初めて自分が立ったの見てくれたか?って言ってるみたいだったな…オレは、自分が初めて立った日のことは覚えてない。けど、たぶん、絶対に嬉しかったはずだ。何の裏も無く、出来るのが当たり前みいに思って、そんで出来た自分が嬉しいなんて、何かすごくねぇ?」
「……かもな」
「だろ?だからたぶん…オレはあの瞬間を自分でもう一度感じたいんだと思う。そんで、なれたらいいと思ってる…当たり前のことを当たり前に出来る自分にさ…」

 少し照れくさそうにそう言った太一に、三人は顔を見合わせた。

 怖くなかったわけでは無いのだと…ただ、前に進むことしか出来ないのなら、そう出来る自分を『当たり前』にしたかったのだと、そう努力していただけなのだということ。
 彼も、頑張っていたのだということ…。

 敵わない…とこういう時にはいつも思う。

 それが当然なのだ思い込んでいたことを、努力しなければいけないのだと教えられた時。
 当たり前のことを当たり前に出来ると教えられた時。
 普段は気づかないようなことが、何よりも大切なのだと気づかされた時。

 それが少しだけ悔しく、それがまた悔しいことに…何よりも誇らしかった。

「…ヒカリちゃんは太一を見て育ってるなぁって思ってたけど、太一もヒカリちゃんを見て成長してたってことねぇ〜」
「そーだな。持ちつ持たれつ…兄妹助け合いってな♪羨ましいだろ〜♪」
「何よ、もう!あ〜あ、今からでも遅くないから、お母さん、妹か弟産んでくれないかな〜っ」
「僕も…そう思うことありますよ、空さん」
「一人っ子は悲しいわよねぇ〜」
「うちは…さっさと復縁してくれれば文句はねぇんだけどなぁ…」

 哀愁を込めて呟いた仲間達に、太一はからかい半分で覗き込む。

「ヤマトん家って、連絡取り合ってるんだろ?」
「そーなんだ。隠れてやってるつもりだろーけど、バレバレだってーの。こっちまで動揺してそわそわすっから対処に困る」
「あたし、タケル君がお台場に引っ越して来るって聞いた時、てっきり復縁するのかと思ったわ」
「ああ、僕もです」
「オレだって、ぬか喜びしかけたさ…」

 ずーんと頭上に黒雲を乗せたヤマトに全員が笑う。
 こんな会話も、笑って話せるようになったんだな〜と、どこか嬉しく思いながら…。









 未知の世界でせめぎ合っていた『恐怖』と『冒険心』。

 それを一歩踏み出す勇気に変えたのは、笑っている自分と皆に会いたかったから。
 本当の理由は、そんな簡単なもの…。







 
おわり

   14444HITの浅葱様のリクエストでした。
   遅くなってごめんなさい!
   もう何も言えません…すみませんでした!
   そして、ありがとうございました(汗)
   つ…次こそは…っ!(汗)