一仕事を終えほっと空気が和んだ時…ふとワタルが、龍身に変化していた鴉呼の足を見つめて言った。



「…鴉呼。ちょっと右手上げてみて?」

 戦闘モードで変化している鴉呼のそれは、どう見ても『右前足』なのだが、ワタルは鴉呼が龍身であってもそうでなくても、人型の時と同じように接していた。
 鴉呼もそれでいいらしく、彼に言われた通りワタルの胴体ほどの大きさもある右前足をひょいっと上げた。

「ああ、やっぱり!」

 どこか嬉しそうな歓声を上げたワタルに、虎王とヒミコが何事かと寄って来る。

「なんだなんだ?何があったんだ?」
「ワタルぅ?」
「虎王!ヒミコ!見てよこれ!」
「「?」」

 がっしと鴉呼の前足を抱えたワタルが、二人によく見えるようにそれをかざした。

「肉球!肉球だよ、これ!」
「「……………」」

 嬉々として報告したワタルに目が点になる。

 そう、それは正に『肉球』…闇を落としたような艶やかな毛に覆われた鴉呼の体…その足の裏には、彼等のよく知る真っ黒な『肉球』が存在を主張していた。

「………ホントだ」
「ね!?もしかしてって思ったけど、ホントについてたよ!」
「鴉呼ちゃん、触っていい?触るよ?触るからね?うわあっ♪ぷにぷにv」
「何!?」
「どれどれ…」

 そうして、三人で肉球をつつきあう…何と言うか、まるでそれが人間の性とでも言う様に…。
 しばらくは彼等の好きにさせていた鴉呼だったが、その内微かに体が震え、ぽんっと人型に戻ってしまった。
 その瞳にうっすらと涙を湛え、情け無さそうな顔で三人を見上げる。

「こ…こそばゆいですぅ〜…」

 長い衣の中でぎゅっと手を握り締める鴉呼を、ワタルががばりと抱きしめた。

「ごめんっ、鴉呼!でもボク楽しかったよ!」
「ならいいです〜♪」

 主の腕の中でほにゃりと笑った鴉呼に、「誤魔化されとるな…」と思ったのはもう少し触っていたかった元・皇子様。
 元・忍部一族頭領も、少し名残惜しそうに手をわきわきさせていた。

「…ところで鴉呼。肉球は人型だとどの辺になるの?」
「えーと、よく分かんないですけど、この辺…かな?」
「へぇ〜…」

 三人で鴉呼の小さな掌を覗き込むように座る。

 一見ほのぼのとした光景のように見えるが…画面を引くと一面焼け野原という恐ろしい情景が広がっていた。
 実はこれは、つい先ほどまでここで戦闘があった名残だった。

 十日にも及ぶ長い仕事が明け、さあ塔に帰ろうか…とした時、冥界から次の仕事の連絡が入った。
 ぴきりと引き攣った面々に、連絡係の彼は泣きながら手を合わせた。

 彼の話によると、冥界へと連れて来られたある罪人が、監視の隙をぬって逃げ出してしまったのだと言う…。
 しかも、界を渡る装置をデタラメに動かしての逃亡で、冥界側からは座標が捉えられなかった。
 相手の位置が分からない者を追う能力がある者は、全能と言われる冥王の他は、蒼の君・新月・ワタルの三人しかいない。
 そして、今仕事が終わったばかりのワタル以外の者達は、ちょっと大変な仕事の真っ最中だった…そんな中で、ワタルに拒否権があるわけが無い。

 逃亡犯が残した所有物を転送してもらい、ワタルは探査光羅針盤で居場所を捕捉する…その後は簡単だった。
 彼の不幸は、逃げ込んだ先の世界が、あまり生命の息吹の感じられない荒野だったことかもしれない…。

 逃げる逃亡犯に、元・救世主様ご一行は一切の情けをかけなかった。
 上空からの光弾と突風による…抵抗する余地も余裕も意志も根こそぎ剥ぎ取った上での容赦の無い攻撃。
 それでも惰性の様に前へと足を進めた彼は、ヒミコの忍法『蔦の蜘蛛の巣の術♪』に体を絡め取られ、そこにワタルと虎王の気弾が襲い掛かる…まさにご愁傷様と言った所だろう。
 しかし、鉄壁と謳われた冥界から逃亡を計った犯人は、どこまでも諦めが悪かった。

 連絡を受けた冥界の役人に引き渡される時…近来稀に見る無謀な行動に出たのだ。
 それは…『鴉呼を人質にする』こと…。

 愛らしい姿の子供と侮った逃亡犯は、素早く腕の蔦で作った急ごしらえの縄を解き、鴉呼を奪った。
 見た目が子供なら、体も子供…よって、体重の軽い鴉呼はやすやすと犯人の腕に捕られてしまった。
 あまりの往生際の悪い犯人にぱちくりと目を瞬かせる一同の中、鴉呼は慌てず騒がす、彼の腕の中で変化する。

 …戦闘モードの龍身に…。

 光の中で変化し終えた鴉呼の足の下、そこで呆然と自分を踏み潰す龍を見上げた犯人の顔は…それなりに面白かったかもしれない。
 むぎゅっと体重をかけられて気絶した犯人は、目を覚ました時のために、今度こそワタルの手によって体の全ての自由を奪う術をかけられ、冥界役人達によって蔦で縛られ引きずられ連行されていった。

「……しっかし、鴉呼を見てると常識が覆るよなあ〜」
「常識?」
「そ。『暗黒龍』の常識」

 不思議そうに顔を上げたワタルに、虎王はしみじみと呟く。

「だってだな、オレ等が十の頃は、暗黒龍相手に大変だったじゃないか。復活を必死に阻止しようとしたり、倒すために命がけだったり」
「そーいやそーか。創界山に来てた魔界の者は、揃って暗黒龍復活させようとしてたもんねぇ」
「…遊びに来たみたいに言うな」
「だあって、今考えると笑えるよぉ?あの頃戦ってた『暗黒龍』って、鴉呼の力の1/10も無いんだもん」
「…それは…そうだが…」

 その会話を小首を傾げて愛らしく聞いている少年…彼が話題になっている『暗黒龍』なのだが、彼がワタル達の幼い頃培った知識に相反する生き物であることは事実だった。

 その昔『暗黒龍』とは、魔界の深部で生み出された闇の生き物で、破壊と殺戮、そして支配を求める魔の象徴だと信じられていた。

 …が、実際は、己自身は命数を持たない哀しい種族だった。
 彼等がどのようにして生み出されたのかを知る者はいないが、魔界の深部にある何処までも澄んだ湖…そこで彼等は卵のまま眠っている。
 己のただ一人の主と出会うために…。

 暗黒龍には命数が無い。
 つまりそれは、一人では生きられないということ。
 一生を共に出来るだけの主を自らの意志で選び、主に従い尽くし、そして、主の死と共にその命を終える。
 二度目は無い。
 たった一度だけの選択…。

 それ故に、今『生きている暗黒龍』は全て主持ちになる。
 強大な力を持ちながら、ただ主のためだけに生きている。

 もしその主が命令するならば、彼等は魔界だろうが神部界だろうが現生界だろうが、一瞬の躊躇も無く火の海に沈めるだろう…だが、歴史上そうなった例は未だ無い。
 何故かと言えば、彼等の主達が揃って、そういったことに興味がてんで無い者達ばかりだったからに他ならない。
 更に、もしやるならば、暗黒龍の力を借りずとも自分でやれるさ…というほどの実力がある者達だったからだろう。

 それでも、神部界の歴史に度々暗黒龍が登場するのは、魔界にて支配権を誇示出来ない『小物』が、別の世界を支配しようと侵略して来た時に、己の力だけでは頼り無いことを自覚してか、それでも『暗黒龍の主』に選ばれるべくも無い者達が、彼等の力を利用しようと『既に主を亡くし、死した暗黒龍』の肉体のみを復活させたからである。
 彼等の魂は常に主と共にあり、死後は主を追って冥府を辿る…それ故に完全な蘇生は不可能で、また、完全な蘇生をしてしまえば、侵略者は己が復活させた暗黒龍にそっぽを向かれることになっただろう…不完全な蘇生は侵略者にとっても都合がよかったのだ。

 そうして、意思無き死体人形が何度でも神部界の歴史に登場した。
 が、所詮は言われたことしか出来ない木偶人形で、力は本来の1/10も発揮出来ない粗悪品…その度に神部に光臨した救世主とその仲間達に倒されたことは…まあ、史上にも残る事実だった。
 それでも『脅威』として語り継がれて来たことは…少々情けなくもある。

「思い込みがあったってのは分かるけど…それを言うならさぁ〜…ねぇヒミコ?」
「そぉだぁねぇ〜トラちゃんもねぇ〜♪」

 意味有り気な目配せを交わす二人に、虎王は不審そうに眉を寄せる。

「?…何だよ?」
「ん〜…まあ今更って感じだし」
「どうしよっかね。ワタル」
「言えよ。気になるだろーが」

 虎王の言葉に、じゃあとワタルが笑う。

「ドアクダーを『お父さん』だと思ってた虎王の思い込みも、どーかと思うよ?」
「なっ…!?」
「だって、トラちゃんと全然似て無いし?」

 反論を遮るように、ね?と見上げて来た青い瞳に、ぐっと詰まる。
 だがここで引いては、しばらくはオモチャの立場決定だろう…虎王は気合いを入れて自分を弁護した。

「あれはっ、そう教えられてたんだから仕方ないだろう!?」
「だけどねぇ〜、サイズは違うし、顔の造りは違うし、どっちかって言うと人種だって違うの分かるし」
「は、母上だって黒髪黒目だぞ!?」
「でも美人じゃん」
「美人だあねぇ♪」
「…………」

 二の句が告げれずパクパクと口を動かしていると、ワタルがぽんっと手を打った。

「ああ、あれだ!鳥は卵から孵った時に初めて見たものを親と思い込むって奴。刷り込み!」
「トラちゃんドアクダーをはじめて見たのかぁ?」
「かもね〜♪んで、ドアクダーが『私がパパだよv』とか言ったの信じちゃったんだよ」
「トラちゃんマヌケ〜♪」

 ちょっと待てと言いたいのをぐっと押さえていた彼に、ワタルが手で口元を隠し、くすりと笑った…。

「虎王ってば…鳥並?」

 ぷちっ。

「〜〜〜っ、ワタル〜〜〜っっ!!!」
「あはははははは♪」

 ダッシュで逃げたワタルを猛スピードで追いかける虎王。
 それを見送り、ヒミコと鴉呼はほのぼのと笑い合う。

「ワタルの勝ちだねぇ♪」
「はい♪次のお仕事は、虎様一番大変なお役ですね」
「大変だあねぇ〜♪」

 久々に訪れた休日の第一日目は、少し騒々しく過ぎて行く。
 だが、開放感に溢れた彼等を止める者は誰もいない…。





 ワタルと虎王の鬼ごっこは、日が暮れて待ち疲れた二人が寄り添い合って眠っているのに気づくまで続いた。






 
おわり

   11111HITの流樹聖様のリクエストでした。
   ほのぼの…してますよね?(汗)
   彼等はこんな感じがほのぼのかと…(苦笑)
   これでご勘弁下さいませっ。
   ありがとうございました!