「はい、ご苦労様。今回の仕事はこれで終わり♪しばらくはゆっくりしてていいですよ」

 にっこりと微笑んだ上司…蒼の君の言葉に、ワタルと虎王はあんぐりと口を開けた。

「何て顔してるんですか、二人とも。私も鬼でも無し、お正月休暇位はあげますよ」
「お、お正月!?」
「おや、気づいてなかったんですか?あと三日でお正月ですよ。あなた方の元居た世界は」

 突然言われたことに頭がついていかない…何せ、ここ数ヶ月というもの、二人は塔に帰るヒマすら無く働き詰めで、突然舞い込んだ休暇が『お正月休暇』だと言われても計算が合わない。

「まあ、今あなた方がいる所はお正月所か四季も一定してませんし、年間行事も縁薄くなってますからね〜…ま、リフレッシュ期間だと思って命の洗濯でもして来なさいな。鴉呼はそういうのに疎くても寂しい思いをしてるでしょうし、ヒミコとは、四人で過ごす初めてのお正月でしょう?」

 悪戯っぽく光る蒼の君の瞳に、ワタルと虎王は呆然と顔を合わせる。
 去年の正月はまだばらばらで…気分はお葬式のようなものだった。

「…帰るか」
「うん、帰ろう!」

 疲れきっていた精神が、何故か軽くなったような気がする。
 二人はざっと蒼の君に向き合うと頭を下げた。

「「失礼します!よいお年を!」」

 そして、踵を返しジェットエンジンが点火したかのように転送機へと向かう。
 空間移動が出来る者でも、冥虚命心城の中では緊急時で無い限り禁止されている…急ぐ時は走るしかないのだ。
 まあ、『走る』という行為もあまり褒められたものではないが。

 そんな彼等の心情を手に取るように知りながらも、蒼の君は苦笑を浮かべて呟いた。

「…冥界には、お正月は無いんだけどね」

 よいお年を、か…と、何処か嬉しそうに言いながら、彼はまだ気が遠くなるほど残っている冥王補佐の仕事に戻って行った。

 

 

 

 陽当たりのいい部屋の中、何をするでも無くぼーと寝転がっていたヒミコは、同じように寝転んでいた鴉呼がぴくりと反応して顔を上げたのに気づいた。

「…鴉呼ちゃん?」
「…兄様です」
「え?帰って来た?」
「はい!」

 ヒミコが嬉しそうに起き上がり、鴉呼が元気いっぱいに頷いた。
 そこにタイミング良く扉が開き、待ちに待った人達が笑顔をお土産に現れた。

「ただいま〜っ!」
「ヒミコ!鴉呼!元気だったか!?」

 大きく広げられた腕に、二人は跳ねるように飛び上がって抱きついた。

「虎ちゃんワタルおかえり〜っ!」
「兄様虎様お帰りなさいっ!」
「あはは♪よかった、元気そーだね♪」
「ああ。ほら、ちゃんと顔見せな?」

 ワタルは鴉呼をひょいっと抱き上げ、その顔を覗き込むように微笑んだ。
 虎王は一度降ろしたヒミコと、目線を同じくして額を当てる…そして、次にワタルがヒミコと額を当て、立ち上がったワタルに抱かれた鴉呼と同じ目線になった鴉呼が虎王と額を当てる。
 どうしてだか、いつの間にか長く離れていた後の挨拶には額を当てる習慣が出来上がっていた。

「毎日元気に遊んでたか?」
「初めはね〜。だけど、虎ちゃん達いなくて寂しかったよ〜」
「あはは。そーか。悪かったな、ヒミコ」

 虎王の腰にしがみつくような形で、肩を抱かれながらつまらなそうに言えば、虎王は朗らかに笑って頭を撫でた。
 ヒミコはそれを嬉しそうに受け、鴉呼と目を合わせて苦笑する。

 自分達に与えられた仕事の方は本当にあっさりと終わってしまい、その後は好きにしていてもいいと言われたものの、ワタルと虎王のいない世界は広すぎて…二人とも全然遊ぶ気になれなかったのだ。
 それなのに、二人が帰って来てくれたというだけで、興味の無かった全てのことが、こんなにも輝いて見える。

「そーいやヒミコ、知ってたか?神部界じゃもうすぐ正月なんだってさ」
「へ?そーなのか?」
「やっぱ気づかないよね〜。この世界、今の所常春だし」

 きょとんとするヒミコの様子にワタルと虎王が楽しげに笑うと、鴉呼が不思議そうに主を呼んだ。

「…兄様?」
「ん?何、鴉呼?」
「『しょーがつ』って何ですか?」
「……………」

 素朴な疑問と顔に書いて問い掛けてくる愛らしい少年に、六つの瞳が集中した。

「…そうか、鴉呼は知らないんだ」
「…考えてみりゃ、魔界に正月なんぞないわな」
「それじゃあ、鴉呼ちゃんお年玉もらったこと無いのっ!?」
「『おとしだま』??」

 路線のずれ始めた弟分達に苦笑を浮かべ、ワタルはふと考え込んだ。

「どうした、ワタル?」
「ん〜…、よし。決〜めた♪」
「何を?」

 虎王の言葉に、ワタルはにっこりと微笑んだ。

「大掃除が終わったら、皆で創界山に行こう!」

 彼の言葉に、反応は見事な位真っ二つに分かれた。

 顔を輝かせて喜んだのが、ヒミコと鴉呼。
 げっと目を見開いたのが虎王一人。

「何?虎王、翔龍子に会いたくないの?」
「違うっ!そーじゃなくて、大掃除するのか!?この塔をっ!」
「え?だって、お正月の前は大掃除でしょ?」

 きょとんと言われたワタルの言葉に、虎王の背後をどこから迷い込んだのか…真冬の風が通り過ぎていった。

「大丈夫だって♪普段からミンス達が掃除してくれているんだもん、汚れなんてそんなに無いよ♪」
「ヒミコがんばるっ!」
「鴉呼もっ!」
「うん、じゃあ明日から始めよーねv…流石に今日は休みたい…」
「「は〜い♪」」

 良い子に揃った返事の二人と、やっと我家に帰って疲れの見えるワタル、そして打ちひしがれた虎王…とりあえず、今日の所は平和に過ぎていくだろうが、明日はたぶん、虎王の恐れたことが起きるだろう。
 この塔の実体をワタルが知らないことを、虎王は知っている。

 ここには、まだ開けたことすら無い部屋が、数十部屋も残っていることを…。








 

 ざわざわと活気溢れる聖龍殿の一角、手入れの行き届いたテラスの片隅で、翔龍子は物憂げに溜め息をついていた。

 今年の正月は、彼の半身の喪中であったため盛大な式典等は全て取り止め、使者からの挨拶も書面でのみ受け付けた。
 世界を支える柱の一柱を失ったことで神部界中がその悲しみに浸り、その他にも色々な怪異が続き、この一年…人心は常に不安に揺れていた。
 だが、それもやっと一段落し、何事も無く新年を迎えられそうな予感に、世界中が浮かれているようだった。

 だが、翔龍子は彼の治める世界の誰よりも複雑な心境だった。

 共に助け合い、支え合っていこうと誓い合った半身…そんな彼を失い、担わされた重責を不安に思いつつも託された想いを抱え、がんばろうと真っ直ぐに顔を上げていた。
 …しかし、あの玉座に座るべき者がこの世に真実自分のみならば問題は無い。問題は無いのだが…翔龍子は知っている。
 引かれる後ろ髪を、全身全霊かけてやっと振り切った半身が…この世にちゃっかり存在していることを…。

「………ずるい」
「…何がです?翔龍子様」

 つい口をついて出た言葉に続いた科白に、翔龍子は驚いて顔を上げた。

「…聖樹」

 そこには大量の書類を抱えた聖樹が不思議そうに主を見下ろしていた。

 本来なら、誰であっても神部界の帝である翔龍子を見下ろすという行為は許されるものでは無かったが、聖樹は彼の近従頭であるとともに友人でもあったので、誰もいない場所では友人として接していた。
 もちろんここに人の目があったのなら、聖樹は書類を横に置き、彼よりも下座にて膝礼をして控え、顔の前で手を組んで礼を取らなくてはならない…それほどの身分の差がある。

「…仕事?」
「はい。明日の式典についての最終報告に参りました…けど、そんな気分じゃ無いみたいですね」

 そうしてお互い苦笑を浮かべる。
 仕事に、ましてや彼の責務に気分も何も無いのだが、聖樹は彼のそんな小さな我ままを、いつもあっさりと見抜いて許してくれる。

「どーしたんです?何だか拗ねた子供みたいな顔をしてますよ?」
「ぷっ。…拗ねた子供…か。まさにその通りの心情だよ」

 自嘲し、翔龍子は今考えていたことを洗いざらい告白した。
 馬鹿げていると己でも分かっていることだけに、冷静な理性が止めようとするが、全てを知っている彼にまで平気なふりをふるほど…翔龍子は老いてはいなかった。
 自分の怒りが理不尽だとは分かっている…しかし、腹が立つのは仕方が無い。

「…何か可笑しいか?」

 窘められるかと思っていたが、彼の予想に反し、聖樹は堪え切れずにくすくすと笑っている。

「…いえ。…翔龍子様?本当に分かっていらっしゃらないんですか?」
「…?…何を?」

 不思議そうな年下の主に向かい、聖樹はにっこりと微笑んだ。

「私には、寂しいから虎王様にお会いしたいって聞こえましたよ?」
「えっ!?」

 言われた科白にぎょっとする…だが、よくよく考えてみれば、この心のもやもやはそう言うことなのかもしれない…。

「…そう…なのかな?」
「さて、どうでしょう?翔龍子様はどうお考えですか?」
「………そう、なのかもしれない…」
「それではきっと、そうなのでしょう」

 駄目押しのようににっこり微笑まれ、質実剛健を地で行くようだった聖樹も成長したなぁと関係無いことを考えながら、己の照れを誤魔化した。

「…お正月だけど…帰って来ては、くれないかな?」
「さあ…冥界のお仕事も、お忙しいみたいですから…」
「…そうだな」

 界すら隔てられてしまった遠い地で、同じように頑張っているだろう半身と友人達の姿を思い浮かべて苦く笑う。

「…やろう…今年最後の仕事を」
「はい」

 差し出された手に数枚の書類を渡し、聖樹はテラスのテーブルを即興の執務机に仕立て上げた。
 いつ来てくれるかは分からない…来てくれるかどうかも分からない。

 だから、その時しっかり遊べるように…今やれることだけは、やってしまっておこう。

 

 

 



 明けて新年…神部界、創界山のとりわけ聖龍殿の朝は早い。

 日の出と共に文官達が楽士の音に合わせ、新年初めの御斉唱を高らかに読み上げる。
 帝は何重にも重ねられた御簾の向こうの御所にて、近従を従え厳かに聴く…だが、向こうからは見えない上に声をかけられることも無いことをいいことに、翔龍子は大抵ぴくりともせず眠っていることが多い。
 それからやっと、儀礼に則って定められたおめでたい意味満載の、量と味は二の次である朝食を済ます。
 その後休む間も無く、昇殿して来た者達との挨拶のため儀礼用正装から接見用正装に着替え正殿に向かう。
 玉座に収まり、侍従が一人ずつ名を読み上げしずしずと入って来た者が平伏し、変わり映えの無い挨拶を口にするのを何の感慨も無く眺めるが、臣下は伏礼したまま帝の姿を拝観することを許されておらず、直接勅を賜わることも許されていないため、侍従がやはり何の変わり映えも無い勅を伝え、平伏したまましずしずと下がる様子を見送る。
 それが一段落する時には、もう昼をとうに回った時間になっている。
 翔龍子は元旦に昼食を取れた例が無い。
 それが済むと、今度は各邸での儀式を終わらせた上流貴族達が挨拶に訪れる。
 その時には、慣例として色合わせの違う接見用正装に着替えて迎えることになっていた。

 はっきり言って馬鹿馬鹿しい。

 しかし、どんなに不機嫌でも顔に出すことは無い。
 媚を売らず、居丈高でも無く、この場ではただ象徴として厳かに座っていることが望ましい。
 面の皮だけが厚くなっていく自分に、昔この玉座に座っていた母も鉄面皮だったことを思い出し、心の中だけでこっそりと笑った。

 神殿・聖殿、それに各部署では様々な儀式が行われ、それが終わると無礼講の宴が開かれる。
 とは言っても、どの儀式にしても、古式ゆかしい形式に則って粛々と行われるため、丸一日はぴんと張り詰めた厳正で整粛な空気が聖龍殿全体を包み込んでいる。

 何とか、お茶の時間も大分過ぎた頃になって漸く、翔龍子は挨拶地獄から解放された。

「お疲れ様です」
「…ん…」

 返事をする気力も無く、聖樹が調度よい熱さにして出してくれたお茶をすする…漂ういい香りに、今日初めて全身の力を抜いた。

「………生き返る…」

 眉間に皺を寄せ、溜め息と共に零した主の姿は哀れで、乾いた笑いを誘う。

「去年行われた大幅な人員整理で随分官吏の数が減ったと思っていましたが…こうして一同に会すと、いるもんですねぇ〜」
「まあ…これでも一昨年に比べれば、全然マシなんだけどね…」

 深々と溜め息をつく。
 だがあの頃は隣には虎王がいて…抜け出して行きかねない彼を宥めることで、何とか自分はもっていた。
 今年己を律するのは己のみ…どこまで自制心が続くだろう。

「…明日は外界からの使節団か…」
「…翔龍子様。言い辛いですか、今日もまだお仕事残ってますよ?」
「あ〜…星占いかぁ〜…」
「…『星凪の儀』ですよ」
「やってることはただの星占いじゃないか〜」
「まあ、そうですけど…」

 長椅子に突っ伏して脱力する翔龍子を気の毒そうに眺める。

 得てして正月行われる儀式の殆んどが、さして意味も無いものが多い。
 『星凪の儀』にしても、創界山の帝を祭主に『巫覡』と呼ばれる五〜七歳の子供を通して一年の吉兆を占うというもの。
 媒介とされた巫覡である子供に宿る力が強ければ強いほど深い事柄が分かり、上手くすれば凶事を回避出来ると言われているが…実際回避出来た例は記録に残っていない。
 しかし、祭主を帝が行うことと、その場に有力貴族が一同に揃うことで我が子を『巫覡』にさせたがる親は数知れず…財力のあまり無い家の、子供の名を売る手段にもされている節がある。

 翔龍子に言わせれば、『星界山周域に散らばる、小国の場所を見て何が分かる!?』だったが。

 何時頃始まったのか分からないこの儀式は、聖龍殿を照らす真上の星を見て占われる…現在そこには、星界山という世界が形を変えるはずも無く、根っこを連ねて浮かんでいた。
 ちなみに、その周りの星に見える小国は、自動調節機能があり…何事かが無い限り動くことは決して無い…そして、その移動許可を与えるのも神部界の要である創界山の裁可だった。

「…いつか、絶対無くしてやる…」

 当然と言えば当然な決意に、聖樹は「そうですね」としか言いようが無い。
 かつて神部界を襲った最大の危機の後、翔龍子を筆頭に様々な改革が行われて来たが、長い間あまりに変化の無かった世界だけに、変わることに対して否やを言うことが出来なくても恐怖を感じている者は多い。
 それ故に、翔龍子は何事も性急さを押さえ、人心が追いついてこれる程度の距離を以って進めなければいけなかった。
 だからこそ、必要無いと思ってはいても独断専行で取り止める訳にはいかないものも多かった。

「さ、翔龍子様。苛つきは御尤もですが、少しでもお腹に入れておきませんと、着替えのために女の童(めのわらわ)が迎えに来てしまいますよ?」
「…そうか…もうそんな刻限か…」

 翔龍子はぼんやりとそれを認識して体を起こした。
 空腹は感じるが、先のことを考えると億劫で食欲が出ない…しかし、この次食べ物を口に出来るのはいつになるか分からないため、無理にでも食べておく必要があった。

「頑張って!翔龍子様っ!ほら、せめて後三口!」
「むぅ〜……」
「いいよ。ゆっくり休んでたら?」

 あっさり味の焼き菓子を口に入れうなっていた時、突然乱入した第三者の声にぎょっとしてその方を振り返った。

「……なっ!?」
「えっ!?」

「はあい♪二人とも明けましておめでと〜♪」

 部屋の真中に突然現れたその人物は、にっこり微笑んでひらひらと手を振った。
 声で誰か分かった…しかし、姿を見て誰だか分からなくなり、また微笑んだ顔でやっと確信出来た。

「ワっ、ワタルっっ!!??」
「どーしたんですか、その格好っっ!!??」
「えへへ〜♪びっくりした?結構似合うでしょv」

 仰天している二人の前でそう言ってくる〜りと回った彼の姿は、どこからどう見ても…聖龍殿付き女官の正装姿。
 それがまた、恐ろしいほど似合っているのが救い難い…。

「や、似合ってってそりゃまあ…じゃ無くて!何だってあなたがそんな格好でこんな所にいるんです!?」
「テレポートしてv」
「前半の質問にも答えて下さいっ!」
「しぃっ!声押さえて。翔龍子もう、ここにはいないことになってるんだから」
「………は?」

 泣いているのか怒っているのかパニックしているのか分からない翔龍子達に、ワタルは頬を寄せて片目を瞑った。

「翔龍子これから何とかっていう儀式しに行くんでしょ?」
「ええ…まあ…」
「で、翔龍子疲れてるみたいだしv僕達暇だしvおもしろそーだから、ちょっと悪戯をネvv」

 ハートマークを多用する彼の姿に、嫌〜な予感が駆け巡る。

「…まさか、虎王様が…」
「そ♪影武者ってヤツvv」
「……………」

 やっぱり。

「大体の様式は虎王が知ってるからさ、迎えの『女の童』役をヒミコ、『巫覡』役を鴉呼がやるんだ♪ね、何人騙せると思う?」

 心から楽しんでいる様子のワタルに、もはや逆らう気力は残されていない。

「…何人騙せるかというより、何人気づくかじゃないですか?」
「やっぱり?僕はまずドンゴロさんは気づくと思うんだよね!で、あとオババの二人位かな〜なんて」
「ワタルさん。今年はオババ様はご高齢のためご出席になりませんよ?」
「えっ!?『妖部』のオババ無しで星占いの儀式やるの!?…意味無くない?」
「……………」

 真実をぐさりとついておきながら、自分は「それじゃあ一人かな〜賭けに負けちゃうじゃん」等と呟いて指を鳴らしていた。

 承諾も無しに勝手に影武者を立てておいて、一向に気にする様子は無い。
 確かに、その程度のことを怒る自分でも無い…けれど、もう少し先触れとか前置きというものがあってもいいのではないかと思えてしまう。

「…それでワタル?虎王達はもう、準備の方に入っているんですか?」
「そ。で、僕がこっちに伝令役♪」
「…私達に挨拶も無く、ですか?」
「だって、その方が驚くでしょ?」

 にっこりと言い切ったワタルに降参する。
 『人生を楽しむ』ということを覚えてしまった彼等には、この世の全てが玩具になってしまったのだ。

「そんでさ〜、虎王は全員騙してみせるって息巻いてたんだけど、翔龍子どう思う?」
「さあて、武宝の目は節穴じゃありませんからねぇ。列席者の警護にドルクもいますし…全員は無理じゃないですか?」
「え?ドルク仕事復帰したの!?やった♪じゃあ二人は見抜くはず!実は虎王と賭けしてるんだ♪」
「いえ、でもドルクさんは列席者側を向いていて、儀式自体は見ないんじゃないかな?」
「え〜?そおなの〜?」

 一喜一憂するワタルを微笑ましく思いながら、翔龍子は静かに立ち上がった。

「さて、虎王が代わりに行ってくれたなら、略装に着替えちゃってもいいですよね?」
「その後何にも無いならいいんじゃないかな?そうだ!ねえ、翔龍子!人目につかずに虎王達が見れるポイント知らない?」
「そう言うと思いました。ありますよ、行きましょうか」
「ラッキー♪」

 嬉し気に笑ったワタルと聖樹と共に、手早く着替えを済ませ、そうっと部屋を抜け出した。
 そして、ずっと気になっていたことを聞いてみる。

「…所でワタル。…どうして女官の正装なんか着てるんですか?」
「男の格好だと流石に目立つかな〜と思って女装にしたんだけど…こっちの方がやばかった…」
「え!?私達でも一瞬見違えたのに、誰かに正体バレそうになったんですか!?」
「んにゃ…」

 驚いた二人の間で、ワタルは苦虫を噛み潰したような複雑な表情で…。

「翔龍子の部屋に来るまでに…三人にプロポーズされた」
「プロポ……」
「で、テレポートして撒いて来た…」

 交際では無く求婚を、しかも男に歩いているだけで立て続けにされたらしいワタルは…不機嫌というより複雑だった。
 確かに、そこらの姫君より格段にレベルの違う美貌だが、それにしても…。

「どこの誰です?その不届き者は…」
「知らない」

 知りたくも無いというようにそっぽを向く。
 そんな彼の頭の上で、翔龍子と聖樹は顔を見合わせて苦笑した。

 そのままテレポートせずに歩いていれば、求婚者の数は…片手の指で足りなかったかもしれない。

 







 聖龍殿前の広場に作られた祭壇を囲むように、何百人という正装をした者達が整列していた。
 中央の祭壇にはまだ祭主はおらず、聖布のみがその存在を我が物顔に示している。

「………気の毒」

 その全貌を眺められる特等席から見下ろし、ワタルが哀れみ半分、呆れ半分で呟いた。

「…ワタルさん」
「だってそーでしょ〜?こーんな馬鹿馬鹿しい儀式やるために、あの寒い中身じろぎ一つせずあんなトコで立ってんだよ?神部界の人って無くてもいい根性あるよね〜」
「実はそうでも無いんですよ、ワタル。ここからだと身動きしてないよーに見えますけどね?近くから見れば一目瞭然…寒さに震え上がって固まってるだけなんです」

 にっこり笑った翔龍子の台詞に、フォローしようとしていた聖樹は諦めて口を閉じ、ワタルは折角保留にした評価をあっさりと下した。

「…馬鹿だ」
「その通りですね♪」

 楽しげに相槌を打つ翔龍子と共に、ワタルは窓から入る風を避けて腰を下ろした。

 彼等がいる場所は、聖龍殿の屋根裏部屋と呼ばれる場所で、普段なら掃除か修理の時でもないと誰も訪れない、恰好の隠れやだった。
 更に、聖龍殿正面側に換気窓があり、これから行われる儀式を覗くのにも絶好のポジショニングを誇っている。

「…ねえ?下、結構篝火とかで明るかったけど、僕等頭出して見てて大丈夫なの?」
「ええ。こちら側は屋根の影になって見えないんですよ。一昨年あれをやった時、端から覗くならあそこだな〜と思ってましたから」
「じゃ、大丈夫だ♪」
「…そんなこと、思ってたんですか?」
「…暇なんだよ、祭主は…」

 聖樹の冷たい目線を笑って誤魔化し、さて、と立ち上がる。
 調度刻限を告げる鐘が鳴り、ワタルと聖樹も立ち上がった。

 聖龍殿側から作られた御簾から、まず先触れである神官がしずしずと進み出る。
 その後四人の神官達が続き、離れて翔龍子のふりをした虎王が出て来た。
 一斉に頭を下げる臣下達の前を臆する事無く堂々と進み、衣を翻して祭壇に立つ。

「…虎王かっこいいじゃん」
「自分で言うのも何ですが…そっくりですよね〜…」
「うん♪翔龍子のあの格好も見てみたかったなv」
「全くあのままですよ。衣装合わせの時着てみましたから…でも、よくあそこまで髪の毛まっすぐに出来ましたね」
「超強力ストレートパーマかけたもん♪」
「…虎王様…ご立派です!」

 聖樹のコメントが何に対するものなのかとは深く突っ込まないことにして、ワタルと翔龍子は儀式の行方を見守った。

 既に星が見えるほどの闇が訪れ、吹き荒ぶ風も相当寒くなって来ている。
 身を寄せ合うほど近くに密集している臣下達と違い、一人神官達とすら離れて一段と高い祭壇上にいる虎王は、身代わりを買って出た自分の不明を心から悔いていた。
 この儀式での寒さを忘れていた自分が悪い。

 衣の違う神官達が御簾を持ち上げ、六人の揃いの衣装を纏った女の童達がしずしずと祭壇に向かう…その中の蒼い髪をした少女が翔龍子の目に止まった。

「…あれ?ヒミコ?」
「あ、分かった?」
「そりゃ……わざわざ髪の毛染めたんですか?」
「ん〜オババいると思ってたからさ〜、お化粧で結構変わるとか言うけど、念のためってねぇ。可愛いでしょ?」
「可愛いですけど…目立ってますよ?」
「え!?目立ってる?蒼い髪ってまずかった!?」
「いえ。そーじゃなくて…」

 目立たぬようにと蒼い髪に染めたのに、裏目に出たかと焦ったワタルに、翔龍子と聖樹は真面目な顔で呟いた。

「「可愛いから」」

 二人の言い分を聞き、ワタルはきょとんとしたが、次いで大仰に溜め息をついた。

「…それは仕方無いなぁ〜…他の子達がヒミコより劣っているのは、ヒミコのせいじゃ無いし…」
「それもそーですね」
「仕方ありませんよ」

 事実は誰にも曲げられない。

 女の童達が祭主の前で深々と立礼し、虎王がそれに恭しい頷きを返す。
 それを受けてから少女達は祭壇の両側に別れ、今度は膝をついて伏礼する。
 そこまでの過程が終了するのを見計らい、今度は先程の女の童達よりも幼い少女が二人、その後に依童となる巫覡の少年、また同い年位の少女二人の順で祭壇に向かう。

「…鴉呼可愛い♪」
「…いや、ちょっとまずいですよ」
「何が?」
「鴉呼は男の子なんですよ?」
「それが?」
「……前後の少女達がくすんでるんですけど……」
「仕方ないよ、僕の鴉呼だもん♪」
「いや、その通りですけど…」

 弟分の晴れ姿を、どこから取り出したのか…暗視付きデジタルカメラに収めている姿は、彼の今の格好が格好なだけに…息子の初めてのお遊戯会に来た母親のようだった。

 神事に付き添う『女の童』と呼ばれる少女達は、『巫覡』の少年達と同じように『顔見世』を目的とされている場合が多い。
 ただ、彼女達はいずれも良家の女子で、いずれ宮殿に上がり女官となるためのステップの一つとされていることもあり、いかに他者より美しく優れているかを殿上人達にアピールする場でもあった。
 それを考えると、今年の『女の童』役に選ばれたのは…不幸としか言いようが無い。
 きっと、誰の記憶にも残らないだろう…。

 そうしている間に儀式は進み、祭主の前で正座した巫覡が気持ち俯き加減で手を合わせると、祭主が朗々と響く声で祝詞を詠み上げる。

「…ね、これからどーなるの?」
「え?ワタル知らないんですか?」
「うん。僕、虎王が二人に儀式の説明してる間にこっち来たからさ〜…何かあるの?」
「大したことは起きませんよ。『祭主』をしている私達にしても真剣に取り組んでませんし、神気をその身に宿せる子供も更に少なくなって来てますし」
「……え?」
「ほら、今虎王が詠んでますますけど、あの『祝詞』」

 翔龍子が指さす先で、風に髪の毛を煽られながらもかじかむ事無く虎王が詠み上げている。

「本来は『呪い止め』と『祝事』を合わせ、吉凶占うのに『吉寄せ』として『祝詞』を詠むことになったのですが、その時出た結果を口寄せ出来る技量が『巫覡』に無いことが多くて…何も分からない場合はあまり当り障りの無いことを言うように、初めから指示してあるんです」
「…それじゃあ、本当に意味の無い儀式なんですね、翔龍子様…」
「分かってくれた?」

 力無い笑いを浮かべた二人だったが、急に黙ってしまったワタルの様子が変なことに気がついた。

「…ワタル?」
「どうしました?」
「…………ヤバイ」
「は?」

 呟かれたワタルの言葉に、二人は揃って首を傾げた。

「…鴉呼は…ちゃんと『巫覡』が出来ちゃうよ…」
「…は?」
「…『言霊』って知ってるよね?」
「それは…もちろん…」
「虎王はただ、あの紙を読み上げてるだけのつもりかもしれないけど…虎王位の力の持ち主があんな『元々力のある言葉』を詠み上げたら…鴉呼の方で神気を依り憑かせちゃうよ…」
「そんな…」
「翔龍子」

 複雑に顔を歪ませた翔龍子に向かい、ワタルは言いにくそうに言葉を出した。

「…『鴉呼』は『僕(救世主)』の『龍』なんだよ?」
「……………」

 可愛らしい容姿を見慣れてしまっていたので、すっかり忘れていた。
 そう…あの見るからに愛らしい少年は、世界と意志と力を分け合うと言われている救世主の力を源とした…『暗黒龍』なのだった。

「………げ…」
「…ごめんネ、翔ちゃん」
「…ごめんネじゃ無くて、ワタル…」
「じゃあ、ゴメンナサイ」
「でも無くて!」

 翔龍子の顔が泣きそうに歪む。

「何とかならないんですか!?こんなトコで儀式を『成功』させたら…来年から止められないじゃないですかっ!」

 翔龍子の必死の訴えに、ワタルは沈痛な面持ちで目を閉じた。

「……無い…ことも、無い」
「じゃあっ!」
「…だけど、ヤ」
「何故っ!?」
「たぶん、鴉呼は神気が降りて来なかった場合の言葉を知らないもん」
「……え…」
「というわけで、僕は鴉呼の名誉のが大事!」
「………………」

 龍を丸呑みしたかのような翔龍子に向け、ワタルはてへっと可愛らしく微笑んだ。

「ごめんネ、翔ちゃんv」

「ああっ!翔龍子様っっ!」

 ふぅ〜と力無く倒れかけた主を、聖樹が慌てて背後から支えた。

「まあまあ、翔龍子♪そう気を落とさないで♪来年も虎王にやってもらえばいいじゃない♪」
「…是非、そうして欲しいですよ…、ワタルからお願いして下さいね…」
「うん。分かったv僕の方から言っとく!」

 この時点で、来年のこの時間…虎王があの寒空の下に立つことはほぼ決定した。

 長かった祝詞を途中詰まらずに詠み上げる快挙を遂げ、虎王は巻物を横に控えていた神官に手渡すと、祭壇に置かれていた神木から切り出した杖を高々と掲げ、定められた印をきり、力強く祭壇の床をついた。
 すると、神木から光の粒子が舞い上がり、大空高く星と虹の神気を吸って大きく輝くと、真っ直ぐに依り童に向かって降りた。
 『巫覡』である鴉呼の体を包み込むと、鴉呼を中心に真上へとに光の柱が出来上がった。

「……あ〜あぁ〜……」

 翔龍子が落胆の声を上げる。
 鴉呼の正面にいる虎王は呆然とその様子を眺めるしかない…取り囲んだ臣下達に至っては、未だかつて無かった現象に、何が起こったのか分からないまま声も無い…というか、出せない。
 神事の最中…巫覡が神託を下すまでは、祭主と巫覡以外の者が声を出すことは許されていないからだ…天晴れな殿上人魂也。
 ちなみに、女の童達は全員伏礼したまま儀式が進められているので、何が起こったのか気づいていない。

「…皆さん、度肝抜かれてますね〜…」
「まあ、ここ数百年…まともに儀式が成功した例が数えるほどしか無いからなぁ…」
「それじゃダメじゃん、神部界」

 ごもっとも。

「…星の瞬きより静寂を尊び、信と護の厚き主の御前にて、常に真実と誠意を御心に添わすが良い。さすれば黒き意志が深緑より深き慈悲の谷に迷うても、清濁兼ねし地より救いの手が伸べられるだろう…」

 鴉呼の口から出た言葉は、彼の意志では無く確実に何者かの意図が介在されていた。
 そしてその何者かは、それだけを告げると、まるでそれこそが夢であったかのように光と共に大気へと消えていった。

 神々しいばかりの神気を宿した巫覡から、愛らしい少年へと姿を戻した彼をを呆然と眺めた後、神官達ははっとして頭を寄せ合い…しばらくして神官長が厳かに宣言した。

「吉兆でございます!」

 まだ呆然としていた列席者達は、神官長の言葉にやっと我を取り戻し、気まずそうにえへんと唸ってから声を揃えた。

「重畳也!重畳也〜!」

 神官達が記憶に準え巫覡の神語を繰り返し、また同じように祝福する。

「……皆さん、動揺されてますね〜…」
「まあ、彼等の人生の中で…まともに儀式が成功したのは初めてだろうからねぇ…」
「ダメダメじゃん、神部界…」

 ワタルの正論に、返す言葉もございません。
 神気を受けて言霊を発したその少年の正体が…暗黒龍だと知ったら、彼等は一体どんな反応をするのだろう…少し教えてみたい気がしなくも無い。

「…さ、もう儀式も終わりますから、先に部屋に戻ってましょうか」
「そうですね。行きましょう、ワタルさん」
「オッケー」

 そうして、まだ続くお経のような祝辞をバックミュージックに、彼等はその場を後にした。

 

 





 三人で休んでいた翔龍子の奥の部屋に一番初めにやって来たのは、予想通りに鴉呼だった。

「ただいまです、兄様〜!」
「お帰り♪鴉呼。寒くなかった?」
「全然です!『巫覡』の衣装は重ねすぎて重い位でした!」
「そっか〜ホントご苦労様」

 いつもの黒装束に着替え、抱き締められる腕を嬉しそうに受けている。
 鴉呼は儀式が終わって控え室につくと直ぐ、人目が逸れた隙にワタルの気を辿って空間を渡って来たのだ。
 それを微笑ましく眺めていると、今度は天井の板が一枚開いて、見知った顔が覗き込んで来た。

「やっぱこっちの部屋にいた♪」
「ヒミコ!」

 高さが裕に五mはあるであろう天井から、ひらりと舞い降りてポーズを決めた。

「あっけましておめでとーなのだ♪」

 先程儀式で披露していた、どこから見ても非の打ち所の無い美少女ぶりは何処へやら…しかし、断然この方がヒミコらしくて可愛らしい。

「明けましておめでとう、ヒミコ。儀式ではお疲れ様でした」
「本当に、素晴らしい『女の童』ぶりでしたよ♪」
「もーいーよ。疲れちったよ、あれは〜。虎ちゃん翔ちゃんのマネして顔固まってたり、鴉呼ちゃん光ったりしておもしろかったけど」

 肩をコキコキと解しながらのヒミコの台詞に、翔龍子が驚いた。

「え!?ヒミコあの場所にいて虎王の顔見れたんですか!?」
「もちあたりき!人の目盗むのが忍びの心得♪引退したとはいえ、元忍部一族頭領を侮ってもらっちゃあ困るなあ♪」
「は〜、凄いですねぇヒミコさん。上から見ていて気づきませんでしたよ!」
「ホントだねぇ〜!」

 感心しながら取り止めも無い会話を楽しんでいると、重い足取りが聞こえて来た。
 やっと主役のお出ましのようだ。

「虎王!遅いです…よ……」

 言いたいことが山ほどあると迎えに出た翔龍子は、扉の向こうに見えた片割れの姿に絶句した。

「………ちょっと見ない間に、随分と大きくなられたんですね…」
「阿呆。…背中におんぶおばけがくっついとんじゃっ」
「ああ…どうりで、尋常で無く姿が膨れ上がっているのかと思いましたよ…」

 一歩一歩踏みしめるように歩く姿は、まるで小山が動いているよう…。

「えーいっ!いい加減離れろっドンゴロっっ!!」
「〜〜虎王様〜っ!お元気そうで嬉しゅうございますぅ〜!」
「嬉しいのは分かったから、は・な・れ・ろぉっ!」

 その様子を扉の隙間からひょいと覗き見て、ワタルと聖樹が顔を見合わせた。

「…やっぱドンゴロさんにはバレたんだ…」
「そりゃあ…武宝様を騙すなんて、出来ませんよ…」

 苦笑する翔龍子の前で、虎王の言葉通り『おんぶおばけ』と化した緞武宝が滂沱の涙を流している。

「虎王様っ!何故にこの武宝だけにでも、此度のお里下がりをお教え下さりませなんだ〜っ!」
「オレ様が嫁に行ったよーな言い方はよせっ!」
「それでも、それでも…武宝は悲しゅうござりますぅ〜っ!」
「嬉しーんか、悲しーんかはっきりさせんかっ、ボケがっ!」

 虎王の無慈悲な言葉に泣き崩れながら、それでも離すまいとするように足にしがみついている。
 翔龍子は中々見れないそんな姿を、真実楽し気な笑い声を上げて眺めた。

「翔っ!笑っとらんでこいつを何とかしろっ!」
「ヤーですよ!私にも黙ってたんですから、罰ですよ罰!」
「くっそぉ〜っ!絶対騙せたと思ったのに、鴉呼が光った時一瞬素に戻ったからな〜っ」
「あ〜っ何?鴉呼のせいにすんの?虎王?」
「そーいうわけじゃねーけど、後は騙せたんだぞ〜っ?」
「そんなわけ無いだろーが」

 突然割って入った第三者の声に、数人がぎょっと息を飲んだ。

「ドルクさん♪」
「聖樹。つまみが足りないんじゃ無いかと思って持って来た」

 驚くでも無く微笑んで迎えた夫に、彼女は柔らかい笑顔を見せる。
 そこだけが世界が違った…。

「…すごい…相変わらずの万年新婚夫婦だ」
「ワタル、何か言ったか?」
「ううん♪人の妻になると、気がきくな〜て♪ね、ドルクv」

 にっこり笑ったワタルに、ドルクはぐっと頬を赤らめた。

「ワタルさーんっ!私の奥さん、口説かないで下さいぃっ!」
「聖樹っ!私はいくら魅力的でも女装した男になびいたりしないぞっ!」
「…言ってくれるじゃん、この夫婦…」

 ふっと苦く笑ったワタルの袖を、鴉呼がくいっと引っ張った。

「兄様?」
「ん?何?」
「どうして着替えられないんですか?」
「…鴉呼はこのカッコ嫌?」
「いえ、とってもお似合いですv」
「だったらいーじゃない♪」
「はいっv」

 実は、この格好をそれなりに気に入っているのかもしれない…。
 にっこり微笑み合ったワタルの顔をヒミコがひょっこりと覗き込んだ。

「ワタル母上みたい〜♪」
「そう?いーよ、呼んでみる?」
「えへへv母上〜♪」
「よしよし♪」

 懐く二人の子供を抱き締めるワタルの姿を、ドルクは複雑な表情で眺めた。

「…ワタル。やはりさっさと着替えて来い」
「へ?何で?」
「…女として何か許せん。他意は無いが腹が立つ…おい翔龍子!この馬鹿に服を貸してやれっ!」
「…い、いいですよ〜ドルク見繕ってあげて下さい〜…」

 息も絶え絶えな声を返す彼を振り返ると、いつの間にやら武宝にしがみ付かれた虎王にしがみ付かれた翔龍子という図が出来上がっていた。
 呆れ顔に握り拳のままだったドルクに向かい、ワタルは聖母の如き微笑を向ける。

「やだなぁドルクvいくら僕が可愛くたって、本物の女の子には敵わないよv」

 そこらに転がる『本物の女の子』達が束になってもかな敵わなそうな微笑を惜しげも無く振り撒く、糸が切れた風船状態の救世主に、ドルクの中で何かが切れた。

「来るよっ!それ逃げろっ♪」
「「逃げろーう♪」」

 ばっと蜘蛛の子を散らす小悪魔共に、ドルクはかろうじて残っていた堪忍袋の緒を丸ごと捨てた。

「あったま来た!待てワタル!その服剥いででも着替えさせてやるっ!」
「ド、ドルクさん…その発言はまずいんじゃ…」
「うるさいっ!お前も手伝え、聖樹っ!」
「ええっ!?私もですか!?」

 動機の限り無く馬鹿らしい、壮大な鬼ごっこが突然始まった。
 誰もが素晴らしい能力者のため、もし何も知らない者が目撃したならば…決闘だと思ったに違いない。
 だが、場所は奥宮の中でも更に奥まった帝の私室の更に奥…しかも、人払いをしていて当然周りに人の気配は無い。
 どれだけ騒いでも大丈夫だという前提の元に始まった、誰にもマネ出来ない彼等だけの壮大な遊び。

「鴉呼、ヒミコ!楽しい?」
「うん♪」
「はい、兄様♪」

 全開の笑顔で答えた彼等を愛しそうに見つめる。
 ここの所ずっと相手をしてあげられなかった。
 だから正月位は、見知った気の置ける仲間達の元、ゆっくり羽を伸ばさせてあげたかった。

「こらっ!ヒミコ!鴉呼っ!ワタルが悪い時もあるんだぞっ!こっちの味方しろっ!!」
「ん〜、どーしよっかな〜♪」
「あ、ヒミコ裏切る気かっ!」
「ヒミコは楽しい方の味方〜♪」
「う〜ん、正論っ!鴉呼っ、かく乱戦法だっ!」
「はいっ、兄様!」
「待って下さぁ〜いぃ…」

 楽し気な彼等の様子を、本当にいつの間にやら緞武宝の両脇に抱えられるような状態になってしまった双子はぼんやりと眺め、翔龍子がふと口を開いた。

「…虎王、じゃんけんしましょう」
「は?」
「いーから。はい、じゃんけんっぽん!私の勝ち〜♪というわけで、明日の外界からの謁見の相手は虎王がして下さいね」
「ちょっと待て!なんでそーなる!?それにじゃんけんは『はじめはぐー』からだろーが!」
「いーじゃないですか。たまの里帰り…兄弟孝行したってバチは当たりませんよ」
「だから、オレが嫁に行ったよーな言い方はよせっつーとろーが!」
「武宝は騙されませんぞっ!」
「そう。だから武宝には今、誰よりも先に知らせているだろう?」
「おお!それならば文句はござらん!」
「文句出せぇ〜っ!くそお〜う…翔!再戦を申し込むっ!」
「望む所です!」

 武官頭緞武宝にホールドされながら、その両脇で不敵に笑う創界山の至宝達は、普通にしていれば世の娘さん達が揃って感嘆の溜め息を零す美貌の持ち主…その美貌二つを掛け合わせてやっていることといえば『じゃんけん』…はっきり言って間抜け過ぎ。
 だがこれも、彼等なりのコミュニケーションの一つなのだろう。
 離れて暮らすからこそ、他愛もない会話やどうでもいい行動なんかで小さな隙間を埋めていく。
 そうやって、いつもの自分達へと戻っていくのだ。

「虎王〜っ!バレた数は『二人』で賭けは僕の勝ちだからね!約束どーり、一個言うこと聞いてもらうからねぇ〜っ!」
「分かったよ!ちゃんと考えとけよ!?」
「了〜解♪」

 逃げつつ声を張り上げたワタルに、虎王はじゃんけんしながらあっさり答えた。
 その言葉のせいで、来年も寒風の中…今度はたった一人で意味の無い儀式に望まなくてはならなくなることは…今はまだ、誰も知らない。

 

 色々な想いや様々な人間模様を織り交ぜて、久しぶりの再会を祝し…元旦の夜は騒々しく更けていった。

 



おわり


    終わりました(泣)
    長かったな〜この話…途中のアクシデントのせいで
    とんでもなく時間かかっちゃいましたよ(泣)
    おかげ様でお正月の話を二月に入ってからUpする
    ことになるなんて…ふぅ(苦笑)
    どんなもんか気になるんで、読んだ方は感想教えて
    やって下さいませ。 
   …それにしても…ヒコちゃん出す隙無かったなぁ(泣
)

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