頬を撫でる気持ちの良い風に瞳を細めて、虎王は傍らに立つ友人に目を向けた。

 

「…鴉呼も寝てしまったか?」
「うん、そうみたい。ヒミコも?」
「ああ、ぐっすりだな」

 お互いの背で健やかな寝息を立てている顔を覗き込み、小さな笑い声を上げる。

「なぁ、鴉呼は実体があの『暗黒龍』なんだろう?…重くはないのか?」
「え!?すっごく軽いよ!?…でもそう言われると…もしかしてぼく、あの暗黒龍の姿でも持ち上げられるのかな…?」
「は!? それはいくらなんでも…潰れるだろ?」
「…やっぱり、そうなのかな…」

 巨大な龍身に転化した鴉呼の姿が二人の脳裏を同時によぎる。
 持ち上げられても潰されても…どちらにしても寒い光景であることは間違いない。

「……さて、今日の塒を捜すか!」
「そうだね!そうしよう!」

 無理矢理頭を切り替えて、遊び場だった丘をさくさくと降りて行く。

 少し前までは、この世の全てが敵の様に思えていた。
 何もかもに背を向けられて、たった一人で戦いを挑んでいる様に…。

 だが、今は風も緑も大地も水も…全てが彼らに優しかった。
 その優しさすらも辛かったことが嘘のように、今は気ままな旅暮らし。

 冥界に部屋はあるのだが、彼らは仕事以外ではあまり帰ることは無かった。
 冥界にいるのが嫌なわけでは無かったが、ただ自由な暮らしを思う存分堪能していたかったのだ。
 それを分かっているから、上司にあたる蒼の君も静かに黙認してくれている。

 周りの優しさに甘え、小さなわがままを言ってみたり、慕ってくれる小さな命を抱きしめて、大切な友と笑い合う。

 そんなたわいも無い生活に、どれほど幸福が詰まっていたことか…。

 安らかな寝息が耳元をくすぐる。
 憎しみの中で手に入れた、唯一の宝。
 彼の温もりに、温かい気持ちが広がっていく。

「…虎王は、今…幸せ?」

 突然のワタルの言葉に、虎王は二・三度目を瞬かせたが、すぐに心得た様に破顔した。

「当たり前だ。お前がいて、ヒミコがいて、鴉呼がいる…そして」

 ふいっと、どこまでも青い空を、それよりも蒼い瞳に映す。
 とてもよく似ているけれど、この空はワタルのいた人の住む世界にも、彼のかたわれが暮らす世界にも続いていない。
 それでも、溢れるほどの愛しさは…あの空へと繋がっていく。

「そして…オレが生きて、ここにいる」

 かつて彼の中にあった世界は、すでに永遠に失われてしまった。
 取り戻そうとすれば、それはそんなに難しいことでは無いのかもしれない。
 だが、それは決してしてはいけないことを彼らは知っていた。

 だから、今あるものを、自分の持てる全てで大切にしたい。 

「うん…そうだね」

 幸せそうな表情が嬉しい。
 そんな彼の側にいれることが嬉しい。

 この先の、何が起こるか分からない未来。
 辛いこともあるだろう…悲しいこともあるだろう。
 だが、きっと、どんな時でも彼の傍らには、愛すべき友がいてくれることだけは変わらない。
 それだけが、彼らが出会った最初の奇跡。

「じゃ、行こうか」
「ああ」

 言う声も、返す声も、進む足取りですら軽い。
 これから進む、全ての未来に。

 


 

 いつでも、どんな時でも。
 変わらずにずっと…共に…。



 

おわり 


   何となく書いてみたかったワタルの話…。
   特に意味はございません(笑)