誰も知らない物語…。 神話よりも遠い、遥けき過去の…悲しい恋の物語。 神聖(かみ)が眠り、残された大地の上で、闇である魔と光である人とが争いながら生きていた。 人は魔に犯され、追われ、逃げ惑いながらも、対抗する手段を模索した。 武器を創り、能力を酷使し…だが、圧倒的な魔の力の前に、ただ喰われていくしかない同胞達。 そうして、絶望と憎しみを知った人から、力無き『人間』が生まれるようになった。 人は思う…このままでは、我等は力無き人間しか生み出すことは出来ない。 それでは、折角神聖より与えられた力が消えてしまう…。 それは、その神聖から与えられた大地を護ることよりも彼等には重要で、そして果てしない恐怖だった。 自分達が、力無き者に成り果てる…。 そんなことは、唯一神聖から『力と心』を与えられた彼等の誇りが許さなかった。 そうして…彼等は禁忌を犯す。 禁じられた理に手を染める。 『仲間殺し』 決してしてならないと…いや、出来ないとされた生き物の理を、自らの意志で完膚なきまでに破り捨てる。 それしか道は無いのだと、己自身に言い聞かせ…。 闇に引き裂かれた人の体からは、神聖に与えられた力が溢れた。 その力によって闇を倒すことも出来た。 だがそれは、所詮偶然の産物。 意志せず起こった結果に過ぎない。 ならば…それを自らの手で行ったならばどうだろう…? 最も力あるものを、我等自身の手で引き裂いたならば…? それが、神聖に創られし者の考えることでは無いことに気づかずに…目前の恐怖に目隠しされて、悪魔の所業は執り行われた。 選ばれし人の体を杭に括り付け、力を込めた武器で引き裂いた。 その者の体から溢れた力は渦を成し、神聖が作り上げた世界に穴を開け、その向こう側に新たな世界を構築した。 人は人間を連れその世界へと移り住み、自らを『神』と冠して君臨した。 そして、各々の特性に沿い、妖しの術の秀でた一族は『妖部』と、渡りの術に秀でた一族が『渡部』と名乗る中、引き裂かれた人の一族は、生け贄を生み出す一族として『生供贄部(いくさべ)』と名づけられ、その自らの力を示し戦神と恐れられ、『戦部』を名乗れるようになるまで、永き時を不遇の中で過ごさねばならなかった。 そう、今では誰も…誰も知らない真実。 歴史にさえ残されることの無かった、哀れな悲劇。 引き裂かれた初めの『生供贄部』が、女性であったことを知る者はいない。 彼女は、笑顔の温かい美しい娘だった。 彼女の歌声は、風に乗って草木を育て、花を艶やかに咲かせる。 触れるだけで傷を癒し、何も無い場所に喉を潤す泉を創った。 彼女は自然を愛し、自然に愛された美しい娘だった。 そして彼女には、強く賢い、豊かな金の髪の恋人がいた。 彼は彼女を護り、魔の蔓延る世界でも、神聖の意志を継ぎ強く生きていこうと決めていた。 だが、彼女は愚かな者達の生贄に選ばれてしまう。 形はどうあれ、彼女ほど神聖に与えられた力を自在に操れる者がいなかったからだ。 だがそれは、彼女が神聖が創った世界を愛し、あるがままを受け入れていたからこそ、世界の理力が彼女の意思に従っていたに過ぎないのだが、追い詰められた人にそれに気づく者はいなかった。 自然と共にあることにしか力を使ったことの無かった娘に抗う術は無く、恋人は彼と同種の力を持つ一族によって力を封じられ、羽交い絞めにされて傍観することを強制された。 彼女が杭に縛り付けられ、数多の武器が彼女を襲う。 響いたのは彼の悲鳴…。 彼女は…衝撃にその身を跳ね上がらせながらも、最期には微笑みすら浮かべ彼を見つめた。 愛しい男を瞳に映し…狂わんばかりの慟哭に体を震わす恋人を見つめ…四散した。 娘の体は砕け散り、内から溢れた力が世界すらも貫く。 そうして出来上がった新たな世界へ、残った者達は移り住んだ。 神聖が創った世界に残ったのは、打ち捨てられた人間と魔との混血児、そして愛しい妻を亡くした男だけだった。 そう…娘は彼の妻だった。 彼女の胎内には、彼の子供が宿っていた。 まだ形すら定かで無い、不安定な幼い命。 時さえ満ちれば生まれるはずだった、小さな命。 子供の体と魂は、母の体と己の宿すはずだった力と共に砕け散り…それが新たな世界と成った。 全てを失った男は、娘が肉片すらも残さず砕け散った広大な窪地に座り込み、護ると誓ったはずの自分の無力さに打ちひしがれた。 繰り返される『何故』と『もしも』。 だが、どんなに繰り返しても愛しい娘は還らない。 男は、一人残った己を責める。 彼女一人を犠牲にした己を責めた。 抵抗出来ぬなら、共に引き裂かれてやることすら出来なかった己を呪った。 恐ろしかったはずだ。 苦しかったはずだ。 何故自分は彼女の苦しみと痛みを共に感じてやることすら出来なかったのだろう…。 彼女一人に全てを背負わせ…。 それ故に、最期に彼女が見せた微笑の意味さえも分からない。 涙さえ流れない深い悲しみの中、男は自らの胸を刺し貫く。 魂すらも消し飛んだ、愛しい娘のいない世界と決別するために…。 腕に抱くことも無かった己の子供が創り上げた世界を見ることも無く…。 彼が事切れ、その内側で魂すらも消え去った頃、赤く血に染まった彼の亡骸から清浄な清水が溢れた。 それは次々と溢れ、広大な窪地は湖へと変わる。 神聖が創った世界は、既に大半が魔に侵され穢れていたが、その清浄さ故に魔は湖に近づけない。 そうして護られた小さな世界で、命を持たない種族が生まれた。 己自身で選んだ者と、最期の時まで共に歩めるように…。 置いて逝くことも逝かれることも無いよう…沿い続けて生けるように…。 それは、まるで彼の最期の願いそのもの。 一人逝かせてしまった彼女への断罪のように。 一緒に逝ってやれなかった自分の願い…。 そんな哀しみから生まれたその種族は、神聖が創った世界から生まれた者に相応しく純粋で強大な力を持ち、悲しみと苦しみを写し取ったかのように闇色に染まった姿から、後に『暗黒龍』と呼ばれることになる。 それはただ、愛しい者と生涯を違えることなく添い遂げたい願いから生まれた…優しく哀しい龍の一族。 何故、創界山の帝が神部界の要で在り得るのか…。 それは、帝を名乗る一族が、初めの『生供贄部』である娘の恋人の一族だったからだ。 神部界が、砕け散った二人の子供の体を核として作られた世界ゆえに、同じ血と力を有する彼の一族が治めることが出来た…いや、彼の一族しか世界の理を治めることは出来はしない。 だが、同じ条件であるはずの生供贄部の一族は、何も知らされないままに虐げられ、利用されるためにのみ使われた。 そして、世界は力を連ねる愛しい同胞に力の行使を許し続ける。 それを利用し、生供贄部一族の中からは『救世主』という名の生贄が生まれる。 何度でも何度でも…。 …そんな中、まるで添い遂げられなかった二人の呪いのように、皇族と生供贄部一族の中から惹かれ合う者達が生まれた。 運命から逃げるように、生供贄部が戦部と名が変わっても、神部界を捨ててさえも変わらずに…。 惹かれ合い、傷つき、庇い合い死んでゆく者達。 互いの血が最も濃く現れた金の髪を持つ皇子と、『救世主』と冠せられた戦部の者。 時に友情を育み、愛情に飢え、魂すらも残さず消えていった者達。 彼等が出会うから悲劇が起こるのか。 悲劇を終わらせるために出会うのか…それでも、救い上げられたのは彼等の中のほんの一握りの魂。 同じ哀しみを繰り返しながら、それでも世界は未来へ進む。 いつか…子供達が幸せになれる日を祈り、溢れんばかりの愛情を注ぎながら…。 それはまるで、母が子に向ける愛情のように…。 今ではもう、誰も知る者のいない真実。 世界を生み出した初めの人は…ただ愛することしか知らない、美しい娘だった…。 |
おわり |