死ぬのなんて怖くない。
 いつ死んだとしても構わない。

 大切な人など、自分の命に変えても護り抜きたい者などと、この世の何処にも居はしない。

 ずっと一人で生きて来た。
 これからも一人で生きて行く。
 この命に関心は無く、いつ終ろうとも構わない。

 …そう、思っていたはずだった。




 戦慄か走る…己の心に。
 かつて、これほどまでに感情が揺さぶられたことがあっただろうか。
 いや、あっかもしれない。
 けれど、ここまで生き汚なく、生にしがみつきたいと思った事は無い。
 せめて、人らしく死にたい…それはそんなにも出過ぎた願いなのだろうか?そんなにも難しい事なのだろうか?…そう思わせる物が、彼等の眼前で繰り広げられていた。
宇宙戦艦の巨大モニターの向こうでは、数百人は下らないだろう記者団を前に、大量のフラッシュを浴びながらアズラエルが会見を行っている様子が映し出されている。
が、その口から語られる言葉は、今目の前でキラがパソコンに打ち込んでいる文章と寸分違わぬ物が音となっていたのだ。
 よくよくよく見れば、ガラス玉の様な瞳には意志の力は無い。
 だがそれは、何の先入観も無しに見れば、気づく者など皆無に等しいに違いない。現に、記者会場にいる誰も、アズラエルのその異常性に気付かなかった。
 …いや、語られる言葉に動揺するあまり、細かい所に目が向かないだけなのかもしれない。
『…では、この戦争は仕組まれたものだった、とおっしゃるんですね?』
『その通りです。頑なに中立であろうとするオーブに楔を埋め込むため、首長の一角を取り込み、その一環で資源衛星コロニーヘリオポリスでの武器開発となったのです。もちろん、技術立国オーブの類い稀な技術を使わせていただいてね。間抜けな事に、取り込んだ首長のおかげで本国にはその情報は届かず、オーブとは名ばかりの我が大西洋連邦の支配地域となってましたね。そして、その情報をプラント側へリークした』
『プラントへリークした…?あなたが、ですか?』
『我が社が、です。まあ、そう取ってもらっても構いませんが』
 会場にざわめきが起こる。
 アズラエルのいう『我が社』はアズラエル財団のことであるが、同時に彼が代表を務める政治団体『ブルーコスモス』をもさしている。
 そのブルーコスモスとプラントが繋ぎを持っていたというのならば、それは、現在のコーディネーターVSナチュラルの根底から否定されてしまう。
『…その、プラントにパイプを持っていたということでしょうか?』
『ええ、そうです』
『お相手の名は、ここで明かしていただけるのでしょうか!?』
『国防委員長のパトリック・ザラですよ』
 ざわり、と先程よりも大きく空気が揺れる。
 パトリック・ザラと言えば、ナチュラル嫌いで有名な、開戦派の急先鋒…それが、敵対組織と繋がっていたというのはどういうことか。
『何を驚くんです?あれは元々大西洋連邦で作った物。それも国際法で禁止された後にね。あれは我々の駒となるべくして生み出され、今も立派にその役目を果たしていたって事ですよ。本人にその自覚が薄くてもね』
『何故今、それをこの場で公開されるのでしょうか?利用価値が無くなったということでしょうか?』
『そんな小さな事じゃないですよ。もう我々は終わりでしょう?巨額をつぎ込んだ基地も、兵器も全て破壊された!もう戦争所じゃない。金の成る木は実を捥ぐ前に枯れてしまった。大損です。金の流れも含めて、直ぐに捜査のメスも入るでしょう。ならば、先に暴露してしまった方が私の気が晴れるじゃないですか』
『それは、これから明らかにされるだろう不正も含めて、という事ですか!?』
『割に合わないんですよ!ああ、もう何だってこんな事に…。あれを使って化け物達の敵愾心を煽り、戦争を起こさせ、軍需産業を大いに潤してから、最終的には化け物共を根絶やしにするはずだったのに!』
『ア、アズラエル理事!その発言は…』
『ここまでです!本日の記者会見はここまでで終了です!』
 慌てて会場の者が止めに入る。
『そんな!』
『アズラエル理事!もう一言!』
『続きは、運がよければ裁判で話しますよ』
『あっ、アズラエル理事!』



「…ま、こんなもんかな」
 キーボードから手を放し、ふぅ、と一息ついたキラにさっと紅茶をさし出す。
 遊び心が全く無かった戦艦内は、忙しなく動き回る小型ロボット達によって、快適な居住空間へと着々と変化していっている。ブリッジ内でもいつでも素早くティータイムが取れるよう改造されてしまっていた。
 フラガなど、クルーゼがついでに淹れてくれたお茶でぼんやり現実逃避中だ。小型ロボットの一体が、お茶請けを持って来てくれた事にも大きな反応は返さず、素直に受け取っている。
 ザフト制では有り得ないその小型ロボット達は、ちょっと眼を放した隙にキラによって作られていた。
 突貫仕上げの割に高性能で、現在の技術の三十年は先を行っている。キラが本気になれば、この程度の物は片手間にだって出来てしまう。
 現に、アズラエルのカスタマイズをしている作業中に出来上がっていた。
 その後自分達で勝手に増殖し、戦艦中至る所に蔓延るまでになっている。
 ヴェサリウス曰く『かゆい所に手が届く』らしい…妙な言い回しまで覚えて来たのが恐ろしい。
「さて、アズラエルが別宅に着くまではオートにしておいて、と。始末するのは奥歯に仕込んだ毒でいつでも出来るし、とりあえずは、今大変な事になってるプラントの動きを見守りましょうかね♪」
『プラントの最高評議会では、戦艦ヴェサリウス乗っ取り事件から宇宙要塞破壊事件に議題が移っていましたが、現在では国防委員長吊るし上げ大会に移行しております。尚、ザフト・地球両軍により数度に渡り攻撃を受けましたが、ヴェサリウスとアークエンジェルの自動防衛システム正常起動により全て撃退済みです』
「ありがとう、ヴェサリウス。そのまま彼等の動向を見張ってて。動きがあったら直ぐに教えてね」
『了解いたしました、マスター・キラ』
 世界は広く、人一人の力ではどうしようも出来ないことばかりだと思っていたのに、今、世界の全てがここにあるような錯覚を受ける。
 出来ないことなど何も無い。
 世界はとは、こんなにも小さなものだったのか。
 子供の手の中に収まってしまう程、小さなものだったのか…。
 足掻いて足掻いて、絶望して、滅ぼしてしまいたいとまで思った世界は、その程度のものだったのだ…。
「ねぇ、ラウちゃんはどう思う?」
「何がだね?」
「僕としては、ザラ議長が息子さんを道連れに、息子さんを道連れに、これ重要。もう一回言うと最低でも息子さんを道連れに失脚してくれればそれでいいんだけど。贅沢言わないから、命までは取らないから、息子さんを道連れに!消えて欲しいんだ。…どう思う?」
「………難しいね。アスランは既に成人しているし、親の罪は自分にもあると思う程繊細でも無い。世間の目がどうあれ、そんな目に気付きもせずに普通に自分は関係無いと暮らしていく姿が容易に想像つく」
「ちっ…やっぱりか…」
 クルーゼの言葉に、心底嫌そうに顔を顰める。
 悪運だけは強い幼馴染だ。射出した彼を乗せたシャトルも無事収容されてしまったことだろう。
「全く、どーしてくれようか…あのデコ。今はアズラエルとザラ議長に世間の注目が移ってくれたけど、僕の名前と顔も出ちゃってるからなぁ、まあ、消せるデータは全部消したけど。面倒臭いな~、どうしたらいいと思う?ザラ議長とアズラエルのパイプをしてたラウちゃん?」
「な、何故それを!?」
「分からないはずが無いでしょ。この僕に」
「…………」
 全く以っておっしゃる通り。
 偽装は完璧にしていたはずだが、あの短時間の内に、キラはアズラエルがプラントにパイプを繋ぎ、情報を流し、流させていたことを掴んでいたのだ。その繋ぎ役が誰かまで調べていないはずが無い。
 事実は事実として、どう取り繕えばキラの機嫌を損ねないか…それをフル回転で頭を働かせるクルーゼに救いの手を差し伸べたのは、全身で我関せずを貫いている遺伝子上の息子では無く、無機質な機械であるはずのAIだった。
『マスター』
「ヴェサリウス?」
 もたらされた情報に、キラはにやりと笑った。



「どこで狂った!何がいけなかった!?何故こうなったのだ!!」
 デスクの上の物を力任せに薙ぎ払い、パトリック・ザラは髪を振り乱して叫んだ。
 先刻まで、自分の預かり知らぬ事を評議会の者達に声高に糾弾され、全て知らぬ存ぜぬで恫喝してこの執務室に逃げ込んだのだ。
 そう、逃げて来たのだ。パトリックが大西洋連邦でコーディネートされたのは事実だ。
 だからこそ、彼の大西洋連邦への、ナチュラル全てへの憎しみは深い。それなのに、そんな己がブルーコスモスの手先とされるなど我慢がならない。
 地球軍の新型兵器がヘリオポリスで建造されているとの情報を得た時は、これで大義が出来たと思った。
 攻撃する正当な理由が出来たと。
 ナチュラルばかりの地球軍が憎い。
 ナチュラルを擁護する、温い理想を掲げる中立国が憎い。
 その両方を一度に叩ける良い機会を得たと内心小躍りするほどだった。
 それが、蓋を開けてみればこの始末…一体何処で間違えたのだろう。
「あえて言うならば、初めからでしょう?」
「何者だ!?」
 自分しかいないはずの執務室で聞こえた見知らぬ声に、パトリックは反射的に振り替える。
「…着様…っ」
「初めまして、ザラ議長」
 にっこり微笑んで挨拶をして来たのは、自分が窮地に追い込まれる寸前の電波ジャックされた映像で、中心に映っていた少年だ。
「ザラ議長のお噂はかねがね…」
 にっと眼を細めて笑う。
 この地位についてから、いや、大西洋連邦の檻から解き放たれてから、これほど慇懃無礼な態度を取られたことは無い。誰もが自分に敬意をもって接し、丁寧な態度が崩される事は無かったというのに。
「…どうやって、入って来た!?」
 政治家とやくざは紙一重的なドスの聞いた声で聞き正せば、並みの大人でも引き攣りそうな所を、キラは柳に風で押し流す。
「こっそり入ったに決まってるじゃないですか。案内人もいるので楽でしたよ」
「っ、ラウ・ル・クルーゼっ」
 ひっそりと後ろに控えていた男を眼に留め、憎しみが燃え上がる。若い頃から目をかけ、隊長にまでしてやったというのに、この男は自分を裏切ったのだ。
「どの面下げて私の前に現れた!?こんな事をしてただで済むと思っているのか!?」
 激高するパトリックの姿にも特に感銘を受けた様子を見せず、クルーゼは軽く肩をすくめる。
 本当の恐怖は、こんな物では無いのだ。
「…議長、一つだけ申し上げたい事が」
「今更何だ!?」
「私は、コーディネーターではありません」
 パトリックの表情が固まり、ついで驚愕に歪む。
「貴方に、人を見る目はありません」
「…っ!?」
――― トリィっ
 執務室の天井を機械鳥が飛ぶ。
 元々赤かった嘴が更にてかっているのは気のせいではないだろう。
 どさり、と倒れこんだパトリックの首筋には、わずかに滲む血が残っているが、拭ってしまえば外傷が何かなど分からない程微かなものだ。
「…殺したのか?」
「まさか。アズラエルと一緒だよ。まだ使い道はある」
「………」
「さーて、世界はどう転がって行くのかな?」
――― トゥルルルル トゥルルルル…
「あ、電話…もしもし?母さん?」
 横たわる中年男性の首筋に怪しげなチップを埋め込みつつ、ごく自然体で電話に出るキラ。
「うん、だいだい終わったから、今日は夕飯までには帰るよ。…うん、分かった。ラウちゃんとムウちゃんも連れてくね?…うん?…はい、はーい、じゃ」
 電話を切りつつ、くるりとクルーゼを振り仰ぐ。
「分かった?」
「…何がだね…」
 分かったけれど、あまり、分かりたくは無かった。



 大量破壊兵器で世界中を混乱の渦に叩き落としてから半日…クルーゼとフラガは、何故かヘリオポリスのヤマト家で夕飯をお呼ばれしていた。
「でね、ちょっと色々煩わしいことになりそうだから、引っ越そうと思うんだ」
「あら…お母さん、スーパーが遠くなるのは困るわ?」
「お父さんは在宅ワークもOKだぞ。お母さんも、この際宅配サービスに変えたらどうだい?家庭菜園とかも楽しいぞ」
「そうね。それもいいわね」
「ホント?じゃあ話進めちゃうね」
「「…………」」
 何かが間違っているが、どう突っ込んでいいのか分からなくなった軍人二人は、無言でひたすら食事を続けるしかなかった。
 ただ一つ分かるのは…この家族との付き合いが、これからも長くなりそうなことだけである…。