『さよなら』は別れの挨拶でしょうか? それとも再会の約束でしょうか? 望みは小さな事だった。 贅沢なんてしたくない。 地位も名誉も名声だって要りはしない。 けれど、必要ならば…悪名を上げることに躊躇も無い。 「それじゃ、二人とも出撃準備して。ムウちゃんがストライク、ラウちゃんはイージスに乗って」 16分割されたモニターの一つを大きくし、脱兎の如く逃げだしていく人々が映し出される。 そこを指さし、にっこりと言い放ったキラが怖かった。 「…あの、キラさん?オレ、MA乗りなんで、MSには乗れないんですけど?というか、ナチュラルなんでMSに乗れません…」 フラガが恐る恐る挙手をする。 それにつられるようにクルーゼも手を上げた。 「一応、この艦には私専用のディンがあるはずなのだが…」 言葉尻がフェードアウトしてしまったのは、キラが彼等を生ゴミでも見るような眼で微笑んでいたからだ。 「いつの話をしてるの?ストライクにはムウちゃん専用のOSを既にインストール済みだし、ディンなんかバラシして武装を地球軍のシャトルに着けちゃったじゃない」 あれはそうだったのか!? モニター越しにしか見ていないが、あの武装はどうしたのだろうと…いや、若干見覚えもあったのだが、まさかという思いがそれを否定していた。 グッバイ、愛機…君の事は忘れない。カスタマイズにかけた日々と共に。 それにしても、仕事が早過ぎやしないか…? いつの間にそんなことをしていたんだという突っ込みを全力で呑み込み、今一番気になっていることを聞いてみる。 「あの…試乗テストとかは…」 駄目元だった。それでも言わずにいられなかった。 これでも自分は職業軍人だ。 出るならば万全を期したいし、犬死にはごめんだ。 …だが、その言葉に、キラの目が生ゴミを見るような眼から、雨の日に車に轢かれた蛙の死骸を見るような眼に変化した。 「…ムウ・ラ・フラガと、ラウ・ル・クルーゼともあろう者が、例え一見であっても、兵器を使いこなせないなんて戯言…この僕の前で言うんだ?」 言っちゃうんだ、へぇ…と重ねられ、細められたその双眸に、背筋を駆け上がったのは、紛れも無い悪寒と恐怖だった。 改造される。 二人は同時にそう思った。 出来ないならば、出来るようにしてあげる。 そんな言葉が聞こえてきそうな、既に詳細で具体的な改造計画が練り上げられていると言わんばかりの瞳だった。 語るなら口で語って下さいと懇願したくなるほど雄弁な瞳に、体が恐怖で縛られる。 バッタは嫌だ。 タイマー付き宇宙人もごめんだ。 戦隊を五人くらいで組まされるのはもっと勘弁して欲しい。 他四人が自分のクロ―ンで、内一人は性転換までさせられてそうな感じが冗談じゃない。 自分戦隊なんて組みたくない。 想像するのもおぞましいビジョンが脳裏に浮かぶ…電波かもしれない。 「すまんっ!大丈夫だ!キラがオレ専用のOSを組んでくれているなら、向かうところ敵無しだ!どんなじゃじゃ馬だって乗りこなしてみせるさ!」 「ああ、任せてくれ。期待は絶対に裏切らない!」 力強く宣言した『兄』達に、キラはにっこりと微笑んだ。 「当然でしょ。僕等はそう作られているんだから。ムウちゃんは後天的に。僕とラウちゃんは先天的に。出来ないはずが無いんだよ。思い出したならさっさと準備してくれる?後がつかえてるんだから」 「「…はい」」 逆らえるはずも無い、絶対君主の御言葉だった。 キラが見つめるモニターの幾つかは、既に爆炎を上げ、硝煙に包まれている。 無数の流れ星の様に空を横切っていくのは、何処かのコロニー基地の破片だろう。破片が堕ちる先まで計算され尽くし、その先でも某軍基地が断末魔の叫びを上げていた。 弾薬庫に引火したのだろう…一際激しい爆発が起きたモニターでは、逃げ遅れたらしい堅甲に覆われた軍用車が木の葉の様に転がって行くのが分かる。 そんな風に指先から紡ぎ出す命令だけで、どんな強固なプロテクトものれんを潜るかの如き軽快さで打ち破り、手中に収め、尚且つ破壊しているキラが、何故わざわざフラガとクルーゼに出撃を命じたのかというと…その場所は、目に見えぬ敵の恐怖より、目に見える敵の方がより屈辱的であるはずだからだ。 「…ブルーコスモスの本拠地」 一見、長閑な自然に囲まれた貴族の館の様なその場所が、テロ組織『ブルーコスモス』の本拠地であることを知る者は少ない。 この歴史を感じさせる上品な館が、最新の兵器に護り固められているなどと、その外見からは窺い知ることは出来ないだろう。 古くから続く財閥だけあって見栄もプライドも高い。 代々続く選ばれた者であるという自負が、コーディネイトなどせずとも『自分は素晴らしい』という驕りに繋がり、結果、コーディネーターに敵わなかった事実が憎しみと嫉妬を育て上げた。 『自分よりも優れた者』を消し去るために、大義名分を掲げ、『作り物』だからと、『自然では無い』からと『壊していい』と言う。 彼等にとって『要らない』物は、世界にとっても『要らない』のだと。 モニター越しでは無く、館を肉眼でも確認できる位置に近づいた。 眼下には、あちらからも視認出来るせいだろう、逃げ惑う人々の姿が遠くに確認できる。 どれほどの兵器で護り固められていようとも、それが『プログラム』で動く以上、キラにとっては何の脅威も無い。 これほど近くに来ても、あちらからは何の攻撃も無い事からいっても、別系統の兵器を隠し持っている事も無いらしい。 逃げ出す者は、もう全て出つくしたのだろう。 電子音すら遠慮する静寂した空間で、キラはうっそりと嗤う。 強固な鎧だと信じていた物が張りぼてだと気づき、牙を抜かれ、喉元に剣先を突きつけられ、さぞや驚いた事だろう。 そして恐怖した事だろう。 だが、コーディネーター達は、その恐怖とずっと付き合って来た。 コーディネーターだというだけで、いつ、どんな場所で襲われるかも分からない。 大切な人を巻き込むかもしれない恐怖。 その人達に、手の平を返される恐怖…。 それは全て、あの館から始まった事。 自分の名と顔が知られてしまった以上、ここで断ち切らねば、一生付いて回る恐怖。 もう目は閉じない。 耳を塞いだりしない。 まどろみの時間は終わったのだ。 手の平から零れた水は、二度と掬い上げることは出来やしない。 キラは迷いの無い仕草で通信画面を開いた。 「……ごきげんよう、ブルーコスモス盟主、ムルタ・アズラエル殿」 通信画面の向こうには、光量を落とされた室内で、髪も服も乱れた姿の荒んだ目をした青年が立っていた。 『…………化け物が…っ』 押し殺した様に憎々しげに放たれた言葉に、キラは笑みを深くする。 聞き慣れた言葉だ。 自分を生み出した研究所の職員達ですら、キラをそう呼んだ。 楽しげに、嬉しげに、時には狂気さえ孕んだ誇らしささえ交えて。 この世の誰にも出来ないことをやれるのが『化け物』ならば、それでいい。 そして『化け物』ならば、この世の道理に従ってやる謂われは無い。 「挨拶もまともに出来ない方が、随分な物言いですね。…………あなたは、逃げないと思っていましたよ」 『化け物のくせに、人間みたいな言葉をしゃべるのだな!家畜は家畜らしく、人間様の言う事を聞いていればいいんだ!今すぐここのプログラムを正常に戻せ!武器を返せ!お前を殺してやる!殺してやるんだっ!!』 髪を振り乱して叫ぶ様は、いっそ滑稽であった。 頂点で栄華を極めた者の末路がそこにある。 命令することに慣れ、自分の言葉に他人が従って当然だと思っている。 己の力で得た物など何一つありはしないのに。 あまりにも多くの物を簡単に譲り渡されたため、それが全て自分の力だと勘違いをしている。 そもそも、自分を殺したいという者に武器を渡すような酔狂さは持ち合わせていない。 「残念ですが、ここで死ぬのはあなたです。僕にはその力があり、そしてあなたには、それを回避するだけの力 が無い。単純な計算です」 『…は?なにを…僕がここで死ぬ?…そんな訳無いだろうっ』 考えた事も無いとでも言いたげに笑いだすアズラエルに、キラは苦笑を浮かべた。 かしずかれ、持ち上げられることに慣れたお坊ちゃまってすごい…と。 自分も結構あれな方だが、この人は特に痛い。 こういう人が集まっているから、ブルーコスモスは『ああ』なのだろう…。 見たところ、その場所には彼の姿しか無い。 お付きの者も、取り巻達も、皆とっくに逃げ出してしまったのだろう。 自分が一番大事、そのために他者を貶め排除する事も厭わない…そんな思考の集団なのだ、崩れる時は儚いものだ。 よほど人望が薄かったのだろう。 だが彼だけは逃げない。 自分が『選ばれた者』だと思っているから。 周りの全てが死に絶えても、自分だけは生き残ると、根拠も無く信じ切っているのだから。 「僭越ながら、僕如きが拝聴するにはご高説過ぎて理解し得ません。続きはあの世でお仲間相手にお披露目下さい」 『何を…』 「トリィ、GO」 『っっ!!?』 音も無く近寄った暗殺者の姿を、アズラエルが確認することは永遠に無かった。 『…キラ、終わったか?』 「…ええ。後始末をお願いします」 別のモニターが開き、パイロットスーツ姿のフラガとクルーゼが現れる。 今までの通信をコクピットの中で聞いていたのだろう。 『別にお前さんがわざわざ手を汚さんでも、これからあの辺りは一掃するんだろう?』 「僕が始めたことだから、僕自身の手で、決着をつけないと、いけないと思うから…」 『…そういう所が律儀だな、キラは』 親しみすら乗せて浮かべられたその苦笑は、次の瞬間凍りつく。 「…でも、このまま死なせてあげるのと、僕に改造されて、傀儡人形にされるのと…彼的にはどっちが屈辱なんだろう…?」 『『…は?』』 今、物凄く不穏な発言を耳にした気がするのですが…。 フラガとクルーゼが、息を呑んでモニター越しにキラを待っていると、少し考え込んでいたが、ぱっと明るい表情で顔を上げた。 「決めた!アスランのせいで僕も表に出難いし、傀儡人形になってもらおう♪ムウちゃん、トリィに先導させるから、ちょっとアズラエル拾ってきて?」 『は!?あいつ死んだんじゃねぇの!?』 「死にかけだけど、まだ死んでないよ?秘孔を突いただけだから、いわば仮死状態って感じかな?限りなく死に近い中、今凄まじい孤独感と無力感に苛まれてるはず。まあ、今なら蘇生も楽勝だし、どうせ傀儡にするんだから多少障害が残っても構わないし」 『『…………………』』 鬼畜です。鬼畜がいます。 敵に情けをかけないにしても、本当に容赦が無いんですね…。 それより、秘孔って…そんな所ピンポイントに刺せる機械鳥って…いや、プログラムの神様がお創りになった下僕なのだから、きっとこの程度の芸は朝飯前なのだろう…。 「じゃあ、ラウちゃんはムウちゃんが一号を回収して来たら、この辺り一帯薙ぎ払っちゃってくれる?ここ、コーディネーターの個人情報やら見過ごせないデータがてんこ盛りだったから、プログラム上は消去出来ても、物理的にも破壊しておきたい」 『『…了解』』 御し難い脱力感を感じつつ、二人は命令を実行するために動きだした。 館から出て来たらしいトリィがストライクの周りを飛び回る。 本当に忠実な下僕である。 キラがこれからどうするのか、ちらりと覗いてみて…後悔した。 館から逃げ出した者達をトレースしているらしい…現在乗り物はほぼマイコン制御…そしてそれは管制塔に 繋がっている。 ネットを会している限り、キラに入れぬ場所は無い。 この先何処へ進むのか…お供しましょう何処まで。 「あ、ストライクとイージス、自爆スイッチそっちからは起動しないから。ここからの遠隔操作でのみ発動するように変えちゃったから、ヨロシク」 にっこり笑うキラ。 その情報は、今、伝えられるべきものなのでしょうか…。 背中を伝う冷たい汗の感触は、最近では慣れてしまった…いや、懐かしいと言い換えてもいいかもしれない。 今はもう住む者もいないあのコロニーの研究所で生まれた彼と出会ってから…。 しばらくして、一面瓦礫と焼け野原となったアズラエル邸私有地の様子が、軍基地襲撃の締めくくりとして、ニュースで配信されたのだった。 |