…何故、軍の頂点に立つ者の執務室というものは、揃いも揃って薄暗いのだろう…。

 だだっ広い部屋にぽつんと置かれた大きな机。
 そしてそれに合わせて誂えたような、豪奢で大きな椅子。
 それをぼんやりと映し出すモニターの光…に向かい合う部屋の主。

 パトリック・ザラは悩んでいた。

 彼の目の前のモニターには、今期のザフト軍への志願兵達のリストが映し出されている。
 その中には、彼の同僚達の息子の名前もあった。
 しかし、そこに彼の息子の名は無い。

 ユニウスセブンの悲劇…それで母親を亡くした息子は、自分が何も言わなくても己で考えて自ら志願するだろうと考えていたのだが、何度見直しても息子の名を見つけることは出来ない。

 考えの浅い所はあるが、それなりの義侠心に富んでいると思っていた。
 それなのに、彼の息子は志願する素振りすら見せず沈黙を守っている。

 彼にとって、母親の死はそれほど軽いものだったのだろうか。
 嘆くことにも値しないものだったのだろうか。
 ナチュラル共に復讐してやりたいとは思わなかったのだろうか…。

 力無い仕草でパトリックは頭を抱えた。

 息子の心が分からない。
 家の事も子育ても妻に任せっきりで、休日も碌に無く、子供ともこれまでほとんど触れ合った記憶すら無いことに愕然とする。
 これでは分からなくても当然だ。

 国防委員長として辣腕を振るって来た彼は、今まで家庭を顧みて来なかったことを、最愛の妻を亡くしてから初めて後悔した。








 どれほど脳内で自分会議を繰り広げていようとも、殆ど知らない息子のことで答えを出せる訳が無いということに気づいたのは、しばらく経ってからだった。

 今まで何事にもワンマンで、他人の意見を聞き入れた事など数えるほども無かった実績がここでも足を引っぱった。
 とにかく話の一つもしなくては埒が開かないと気づくことが出来ただけでも、彼に取っては奇跡的な出来事だ。
 思い立てば行動は早く、パトリックはさっそく家に連絡をとった。
 息子が何処にも行かず、家に篭もっていることは執事に確認済みだ。
 待つほどの時間も無く、電話に出た執事が勉強中らしい息子に取り次ぐ。それまでのほんの数十秒で、パトリックは大変なことに気づいた。

 何をどう話せばいいのか分からない。

 命令することには慣れている。
 高圧的な態度で相手を萎縮させることも、一睨みで黙らせることも基本装備の一つだ。

 だが、息子の考えていることをどう聞き出して良いのかが皆目見当がつかない。
 なのに、勢いのまま連絡してしまった。
 動悸が早まる。
 表情に出さないまま、頭の中が真っ白になった。

『……父上、お久しぶりです』

 その状態が改善されぬまま、モニターに映った表情の硬い息子が、他人行儀に挨拶をして来た。
 おかげで、パトリックは反射的に言葉を返してしまう。

「何故、志願しなかった」

 疑問系ですら無い、断定系で…。
 挨拶も様子を聞く言葉も今まで連絡しなかった不義理の謝罪すらもすっ飛ばし、ずばり本題だけで切り込んでしまった。
 いつもの威圧する表情と声音そのままに。
 口にしてからしまったと思ったが、ますます表情の硬くなったアスランは、もちろん父の心情など知るはずも無い。

「…答えろ、アスラン」
『……っ』

 反射の様に滑り出す言葉に、内心だけで恐慌状態になるという器用なことをしているため、視線はますます鋭くなっていくことにモニターの向こうで息子が息を呑み、視線を落とすのが分かった。
 高圧的に断罪するような父が、心の中で亡き妻に助けを求めていることなど、もちろんアスランが気づくはずも無い。

「…アスラン」

 気をなんとか取り直し、本人は精一杯声音を和らげたつもりで一人息子の名を呼ぶ。
 が、それはあくまで当社比であって、名を呼ばれた息子の方はその意図を1ミリグラム程も汲み取ることは出来なかったが…どこまでもすれ違う親子なのである。
 この少ない言葉から言いたいことを察することは出来るのに、その心情に目をやることは出来ない…希薄な人間関係しか気づいてこれなかった賜物だろう。
 言葉の表面の意味だけを汲み取る所だけは、大変良く似た親子でもある。

 残念なことに、双方自覚は無いが。

『………キラが…』
「…キラ君が…?」

 言い難そうにぽつりと零された意外な名前に、気持ち目を瞬く。
 そういえば、と、亡き妻の親友の息子という少年を預かっていたことを思い出す。
 自分はほぼ家に帰らず、引き受けたはずの妻も農業コロニーに行ったきりで、よくそれで他人様の子供を預かったと人が聞けば呆れられそうな実態だが、ザラ家にはメイド他、執事にお抱えシェフ顧問弁護士まで揃っているため、生活する上での不安は一切無い。
 ただ、そういった所は自分に似たのか、人付き合いが苦手らしい息子にとって彼は何よりもありがたい存在だろうことは、流石に超放任父でも窺い知ることが出来る。

 既に彼を預かってから二年近く経っているというのに、会ったのは数えるほどしか無い事実に思い当たって軽く凹んだが、純朴で柔らかい雰囲気をもった気持ちのいい印象を受けたことを覚えている。
 その彼が、一体何だと言うのか…。

『…キラが、私が志願するなら…自分はこの家を出て行くと…』

 言葉を濁しつつそう言った息子の様子に、なるほどと一応の納得をする。
 優しい少年だと聞いている。
 虫も殺せ無さそうな、心の優しい少年だと。

 彼は、息子の身を案じているのだろう。
 軍に志願すれば、当然戦場へ赴くことになる。
 そこは命のやり取りをする場所だ。
 世話をしてくれた(実際はほとんどしていないが…)母の親友を亡くし、この上幼馴染まで命のやり取りをする戦場へ行くとなれば、心優しい少年ならばそれこそ必死に止めたのだろう。

「…分かった。その件については、私に任せなさい」
『え?あ、ちちう…っ』

 向こうで何か言っていたような気はしたが、何処までも我道を行くパトリック・ザラは、息子の言葉を聞く事無く通信を切った。
 こういった態度が誤解をまねくのだが、それに気づくことは、おそらく一生無いだろう。
 教えてくれる人が居ないのだから。
 唯一それが出来そうだった人も、自分の研究に邁進したまま架け橋となる事無く鬼籍に入ってしまったのだから…。

 しばらく難しい顔で思案していたパトリックだったが、何かを思いつくと、またしても即実行で何所かに連絡を取る。


 それが、悲劇の引き金になるとも気づかずに…。










「父上っ!突然お帰りになるなんて、何かあったのですか!?」

 親子の気持ちが見事にすれ違った通信から数日、唐突に帰宅したパトリックに、執事から連絡を受けたアスランが慌てて出迎えに出た。
 カウンターアタックの様に、すぐさま衝撃が訪れればまだ傷は浅かっただろうが、災厄はドップラー効果の様に遅れてザラ家へやって来た。

「特に何があったという訳では無い。アスラン、客人の前だぞ」
「え?あ、失礼しま…っ!?」

 父の言葉に、連れがいることに初めて気づいて挨拶しようとしたが、その客人の風貌に思わず言葉を飲み込む。

「初めまして。君がザラ委員長の一人息子、アスラン・ザラ君だね?私はラウ・ル・クルーゼ。ザフト軍で隊を任されている」

 よろしく、と言って差し出された手と惰性と反射と染み付いたしつけの賜物で握手を交わし終わっても、アスランはまだ逃げ出した現実世界から意識を取り戻していなかった。

 見れば分かる。
 白い軍服は隊長の証。
 この若さで隊を率いているなど、よほど優秀な人なのだろう…だが、今問題なのはそれでは無い。
 問題は、と言うか、こんな所をあいつが見たら…。

「…………仮面…?」

「…っ、キラっ」

 呆然と呟かれたその声は自分のものでは無かった。
 後ろから聞こえたその声に、一瞬にして現実に戻って来たアスランは弾かれた様に振り返って確認する。
 いや、確認するまでも無く一緒に来たのだから分かっているのだが、やっぱりそこに幼馴染の姿を見つけてしまい、絶望感に襲われる。
 きっともう、取り返しはつかない…。
 火蓋は切って落とされた。
 踏み出した先が崖だったなら、後はもう、まっ逆さまに落ちるだけ。

「…君は?」
「ああ、紹介しよう。息子の友人で、うちで預かっているキラ・ヤマト君だ」
「初めまして、キラ・ヤマトです。パトリックおじさまにはとてもお世話になっています」

 にっこりと花が咲いたような笑みを浮かべる少年に、仮面を着けた怪しい男と、厳つい中年男の二人がほう、と目を瞠る。
 ここしばらく縁の無かった、裏の無い、爽やかな笑顔だ。

「え〜と、クルーゼさんとお呼びしても?」
「構わないよ。私もキラ君と読んでいいかな?」
「あ、はい。結構です。…あの、クルーゼさんは軍で隊長さんをしていらっしゃるんですか?」
「ん?ああ。そうだね。私には分不相応な程大きな隊を任せていただいているよ」
「そんな、ご謙遜を…」

 肩をすくめ、そこだけ見える口元に笑みを浮かべるクルーゼの言葉に、キラは微笑みながらちらりとアスランに視線を流した。

 アスランの背に、嫌な汗が流れる。
 他人の気持ちなど分からない。
 言葉の意味の裏など伺い知る術など持ちもしない。
 だが、幼馴染の寄越した視線の意味は、嫌と言うほどに分かってしまう。

「あ、ごめんなさい!僕ってば玄関先で長くお引止めしてしまって!執事さんがお茶の用意してくれてますから、どうぞこちらへ。おじさまも、久しぶりのご帰宅なんですから、ゆっくりお休みになって下さい」

 可愛らしい笑顔を振り撒くキラに、迎え入れられた二人は軽く了承の意を示して彼の後に続くが、嫌な汗が全身にまで広がってしまったアスランは、ほぼ虫の息で父の袖を掴んで引き止めた。
 初めてと言ってもいい息子からのそんな接触に、訝しげに眉を顰める父に全身全霊で沈黙を望むアイコンタクトを送り、奇跡的に通じたパトリックは二人の姿が扉の向こうに消えるのを見計らって口を開いた。

「何の真似だ?アスラン」
「何故あの人なんです!?」

 条件反射で無意識に放たれたいつもの威圧も、半ばパニック気味のアスランには通じなかった。
 それに軽く驚くも、それを息子に告げる甲斐性はこの父親には無い。
 よって、何事も無かったかのように会話を続ける。
 この親子の間に広がる溝は、マリアナ海溝よりも深く広い。
 自分の研究にかまけて、少しも縮める努力をしなかった妻であり母である女性は、今頃草場の陰で泣いていることだろう…。

「何が不満だ。クルーゼは月戦線でネヴィラ勲章も受章したほどの、ザフト一の英雄だぞ」

 軍についての説明を受けるのに、彼以上に相応し人物はいまい…そう思ったからこそ、わざわざ忙しいクルーゼを呼びつけてまで自宅に招いたのだ。
 英雄の口から語られる素晴らしい戦果や活躍を聞いて、男なら憧れないはずがない。
 誰もが憧れる『英雄』の名を戴きし者の言葉こそ、何よりも深く少年の心に響くはず。
 パトリックはそう信じていた。

「…………英雄だろうが、俳優だろうが関係ありませんよ…」

 全く息子の思いに気づいていない様子の父の姿に、アスランは頭痛がしだした額に手を当て肩を落とす。
 それを訝しく思うが、流石に何かがおかしいと送ればせながらも気づくパトリック。
 軍についての何か誤解があるのかと思っていたのだが…。

 眉根を寄せる父の姿に思わず溜め息が出る。
 父の考えは、何となく分かる。
 そしてそれはある意味当たってもいるのだろう…ただ、意味合いが180度違うのだが…。

 アスランは、さして長くも無いが、人生全てを振り返るかのような深い溜め息を零す。
 言いたくはない。
 言いたくは無かったが、言わずに済ませられるほど、事態は易い状況には無い。
 決意を込め、けれど微妙に視線は逸らしながらアスランは告げた。

「…キラは、軍を変態の巣窟だと思っているんです」

「………………………………何?」

 長い沈黙の後、表情は変えずにパトリックが言った。
 頭の中は真っ白か、もしかは激しく動揺しているだろうに、それでも顔色一つ変えない父のポーカーフェイスには、こんな時なのに思わず、脱帽物の感嘆を感じた。

 流石パトリック・ザラ。
 国防委員長を名乗るのは伊達じゃない。

 だが今は、そんなことにかかずらっている余裕は無い。
 事態を正しく、そして迅速にこの父に理解してもらわなければならないのだ。

「軍は上下関係が厳しい故に、上官命令は絶対で、それに逆らうことは決して無い…とキラは思っています」
「それは、間違ってはいないだろう…」
「ええ、ここまでは。問題は…その、命令というのが…」
「何だ?」

 言いよどむ息子に、しかめっ面で先を促す。
 己の理解域の言葉に、少し自分を取り戻せて来たらしい。

「……………夜伽とか」

「……………………………………」

 再び、理解域突破。
 今の彼の心情を説明するならば、対流圏突破、しかし成層圏で燃え尽きました!…思考が。
 と、言ったところだろう。

 が、表面上は変わらない父の様子に、鈍な息子は気づきもしない。

「キラは、基本的に男社会である軍の中で、ありとあらゆる変態行為が執り行われていると信じているんです」
「…………………」
「しかも、戦時下という特殊な状況下では、普段押さえつけられている理性も無くし、ケダモノの如く本能のまま掘り掘られの日常が蔓延していると…」
「…………………」
「だから、軍に志願するような者達は、もちろんそんなことは周知の事実として、いやむしろ、それを望んで入隊しているのだと思っているのです。それなのに、よりにもよって…父上?聞いてますか?」
「…………聞いている」

 一人興奮して熱弁を振るっていたアスランは、黙ったままの父に不審を(やっと)抱いて声をかければ、何処か呆然とした返事が返って来た。

「…行くぞ」
「は?あ、はい!」

 踵を返して歩き出した父に、一瞬遅れてアスランも従う。
 既にこの場にキラとクルーゼの姿は無い。
 手遅れの様な嫌な予感をひしひしと感じつつ、若干顔色を悪くして向った先は、来客用の応接室。
 其処に件の二人もいるはずだ。

「あ!おじ様遅いですよ!アスランも…お茶が冷めちゃいますよ」

 未だかつて抱いたことの無い緊張感を抱いて開けた扉の向こうに、探し人達はいた。
 上質のソファで既に寛いだ様子の二人に、微妙に頬が引き攣る。

 キラの言葉に誤魔化し笑いを浮かべ、アスランはキラの横に、パトリックはクルーゼに上座を譲られて座る。
 それを測ったかのように、優秀な執事が淹れ直したお茶をそれぞれの前に置く。
 その一連の動作を見るとも為しに見つめ、静かに使用人達が退室してしまうと、微妙な空気の下に、ザラ親子と居候、そして来客の四人だけが残された。

 勢い込んで来たものの、ザラ親子は何をどう行っていいのか判断出来ずに黙ったままお茶を飲み、普段は放っておいても勝手に仕切り出すくせに何も言わない上司に伺うような視線を仮面越しに向ける青年の様子を、キラは目聡く気づいてしまった。

「…あの!」
「ん?」

 声を上げたキラに、クルーゼは務めて優しく聞き返す。

「その仮面は趣味ですか?」

「「「………………」」」

 潔過ぎるほど潔いキラの質問に、三つの沈黙が返る。
 口に含んでいたお茶を噴き出さなかったことに、自分で自分を褒めてあげたい、良く似たザラ親子だった。

「…まあ、そう取ってもらっても構わないよ」

 笑い混じりに軽く流すクルーゼ。
 だが、この時ザラ親子は、きっぱり否定してくれよ!…と、心の中だけで必死に抗議していた。

 伝えるための言葉を、伝えるために使わなければ、伝わるものも伝わらない。

「特殊なご趣味を、持っていらっしゃるんですね」
「そうかな?それ程珍しい物でも無いと思うがね」

 大人の分別をもって、冗談めかすクルーゼ。
 明け透けで無礼とも言える質問に怒りもせず答える彼は立派である。
 立派ではある…が、その対応がどんな場面でも最善であるとは言い難い。
 そして、ザラ親子は、キラが疑惑から確信に認識を移動させたことをその瞳から読み取った。

 やっぱり、軍はこういう人がいっぱいいるんだ。
 仮面付けた人もゴロゴロいるんだ。
 女王様?
 鞭?
 SM?
 自分の趣味?
 それとも上司からの命令?
 まさかその仮面は、閨の中だけしか取る事を許されてないとか?
 もしかして、その仮面の色や形で誰の『おてつき』か分かるようになってたりするんだ?
 そういえば、軍服の後ろのスリットも微妙な切れ目をしてる気がする。
 は!もしや軍服自体がプレイの一環?
 機能性無さそうなデザイン重視っぽいし、やっぱり誰か偉い人の趣味!?

 コンマ数秒の内にキラの脳裏を駆け巡った推察をザラ親子は敏感に感じ取り、その面を絶望に染め上げていく。
 伝えなければいけないことは伝わらず、伝わらなくていいことだけが確実に伝わってしまう。
 世の中とはそういうものだ。

「…そういえば、パトリックおじ様って…国防委員長に就任されていらしたんですよね…」
「ああ、そうだね。軍のトップに立っておられる方だ」

 ふと漏らしたキラの言葉に、クルーゼはあっさりと自覚無く駄目押しをした。
 それに、人知れずパトリックの全身が強張る。恐る恐る(当社比)養い子を見やれば、彼の自分に対する認識のスイッチがカチリと切り替わってしまう所を目撃してしまった。
 ざっと血の気が引く。

 軍で一番偉い人。
 軍でトップに立つ人。
 どんな命令も、どんな望みも思いのままの人。
 きっと、誰を呼び出し、どんな無茶を言い、想像を絶する様な行為をしても、誰にも咎められない。
 ありとあらゆる変態プレイをやり尽くし、これからもやっていくだろう地位に居る人。


「……………どうりで、レノアさんが帰って来ないはずだ…」

「「……っっ!??」」


 ぽつりと零したキラの言葉に、ザラ親子は揃ってひきつけを起こしかける。
 一人、脈略の掴めない言葉にクルーゼだけが不思議そうな雰囲気を醸し出しているが、それを気遣う余裕は何処にも無い。

 パトリックは、目の前の純朴そうな少年に、変態中の変態、キング・オブ・ヘ・ン・タ・イの称号を付けられてしまったことに。
 アスランは、自分の父がそういう認識で完結されてしまったことを理解出来てしまったがために。

 レノア・ザラは、妻を顧みず男色に溺れ、今も変態街道驀進中の夫に愛想を尽かし、もしくは寂しさ故に研究にのめり込み、ユニウスセブンの悲劇に遭ったのだ…とキラの中で落ち着いてしまったのだ…。

「……アスラン」
「…っ」

 静かに、そう、まるで悟りを啓いたかのような、慈愛すらその眼差しに浮かべ呼んだキラの声に、アスランは電気ショックを受けた患者のようにビクリと反応する。

「アスラン、僕は…止めないよ」
「…え?」
「本当は、行きたいんでしょう?軍へ」

 にっこりと笑んだその顔は聖母の如き清らかさを称えていた。

「キキキキキキラ!?」
「…おじ様のことを僕に告げてまで、そうまでして行きたいと君が言うのなら…僕は止めない。ううん、初めから僕に止める権利なんてなかったんだ」
「キ、キラ、さん?」

 ふいっと視線を虚空へと投げ、それでもその口元の笑みは変わらない。
 そんなキラの様子にますます冷や汗が止まらないアスラン。

「人の趣味にとやかく言う権利なんて、僕には無い」
「キっキラっ!?」

 まずい、この展開は非常にまずい。
 必死にキラの思考を誘導しようにも、半ばパニックを起こしているアスランは阿呆のように名を繰り返すことしか出来ない。
 救いを求めるように父を見れば、既にフリーズしたまま解凍する兆しも無い。

 がんばれアスラン!
 言うんだアスラン!
 今こそキラの誤解を解く時!
 今解かねば、キラの認識はきっと一生変わらない!

「大丈夫だよ、アスラン。特殊な趣味でも趣味は趣味。同好の士達と楽しみたいって思うことは、ちっともおかしなことじゃないと思うよーな気が微かにしなくもないんだ。たぶん。だから、君がやりたいことを堂々と楽しめばいいと思う。僕はゴメンだけど。だって君のそれは…遺伝なんだから」
「ちちち違うんだっ、キラっ!聞いてくれっ!いや、話し合おうっ!」
「遠く離れて暮らした時間が長くても、やっぱり親子だったんだね。趣味が同じなら、これからきっと、もっと近くなっていけるよ。僕は離れてくけど。だけどちっとも寂しくなんかないさ!だってあんなにも同志がいるんだもん」
「いや、だから!聞いてくれっ!」

 ちょっぴり泣き出しそうでもあったが、それでも必死に言い募ろうとしたアスランの言葉は、突如響いた破壊音に掻き消されてしまった。

 音の出所を辿ると、パトリックの前のカップとソーサーが派手に引っくり返り、その持ち主だったはずの彼は酷い顔色の顔面を引きつかせて立っていた。
 どうやら、立ち上がる時に勢い余ってぶつけてしまったらしい。

「…わわわわ我々はっ、しし仕事があるので!これで失礼するっ!」
「あ、はい」
「は?閣下まだ…」
「行くぞ、クルーゼ!」

 土気色の顔色で突然宣言した上司に不審の目を向けるが、彼は何処か虚ろな目でふらふらと、そしてさっさと扉に向かって行ってしまう。
 状況に耐えられず、この場から逃げ出し、いや、戦略的撤退を図ることにしたらしい。
 在るか無いかと言われれば限り無く『無い』に近い勇気を、一大決心の元必死に搾り出した息子の意思ごとばっさりと斬り捨てて…。
 パトリックが行ってしまえば、いかに現状が不可解だろうとクルーゼは従わざるを得ない。
 文句一つ言わず、キラとアスランに軽く謝意を伝えて退出していった。

 そんな二人の様子に、キラがやっぱり絶対服従なんだ…と確信を深めている事など知る善しも無く…。

「………流石に、息子の前では出来ないよね…そんなことは、さ…」

 と、どんなこと?と聞きたくなるのを全力で押さえ込みたくなる生温かい視線で、二人が出て行った扉をキラが見つめていたことも、もちろん二人は知らない。
 知らない方が幸せかもしれないが。
 そして、ザラ家の一人息子は父の危機に対し…。

「………………」

 エクトプラズムを半分ほど口から放出し、呆けていた。

 肝心な時に何も出来ない、本当に良く似た親子であった…。











 テレビからは、国防委員長による演説が高らかに流れていた。

『我々は、理性ある生き物である!知識ある生命体である!亡くした命は尊く、かけがえの無いものであった!愛しく慕わしいものでもあった!だが、失われたものは帰って来ない、帰ってはこないのだ!ここで開戦を果たし、憎しみの赴くままナチュラルに刃を向けるは容易い!我々の技術を以ってすれば制圧も虐殺も復讐も容易に出来よう!だが、それで何が生まれるのか今一度考えてみて欲しい!』

 少し前まで開戦を訴えていた口調よりも熱く言葉は続く。

『その行為を果たして彼等は喜んでくれるのか!?褒めてくれるのだろうか!?戦いの先に何が残るのだろうか!焦土と化した地球か!?傷つき壊れた人間か!?それとも新たな憎しみか!?我々と同じ哀しみをまた新たに生み出させるのか!懸命なるプラントの民たちよ!今一度考えてみて欲しい!我等が真実せねばならないことは何なのかを!』

「「…………………」」

 言っていることが180度…とまではいかないが、開戦ありきだった以前までの演説とは随分違う。
 何が彼の認識をここまで変えたのか…とにかく、戦争を避けたい必死な想いだけは画面越しでも充分に伝わって来た。
 だが…。

「…死んで欲しくない、お気に入りの軍人さんが出来たのかな…?」

「…キラ」

 一番伝わって欲しい者には、欠片も伝わっていない様だった…。






 
おわり




正しい志願の止め方の続編で、今回の被害者(笑)は
パトパパでしたv(笑)
戦争がこんなことで止められれば、それはそれで
いいことなんでしょうけどね(苦笑)
てか、久しぶりの更新がこれか…(汗)