「逃げてっキラっっ!!」





 何が起こったのか分からなかった。

 視界を染めた紅が炎だったのか、血だったのか、よく覚えてはいない。
 ただ、言われるままに走り、肩と腕、足に焼けるような熱さを感じた後、浮遊感が全身を襲った。

 ああ、ここは崖だったんだと理解し、そのまま諦めにも似た絶望感に身を任せた時、信じられない情景が網膜に焼きついた。

 真っ赤に染まった世界の中、倒れこんだ二つの影。
 間違えようも無い、自分の両親。

 その姿が視界から消えた時、自分のしたことを思い知らされた。



 自分は…両親を見捨てて逃げたのだ…と。




 消え行く意識の中、それだけが鮮明に心を焼き尽くした。





























「……気がつかれまして?」

 優しい空色の瞳に覗きこまれ、次いで見回した場所が明らかに見覚えが無くても、『生きている人間』の匂いのする場所であることに愕然とした。

 コロニーでは滅多に見ることの無い木で作られた家。
 開いた窓から微かに香る潮と土の香り。

「まだ動かれてはなりません。傷に響きます。しばらく動くことは無理なほど、貴女は酷い怪我を負っているのですから…」

 痛ましそうに歪む双眸に罪悪感が募る。
 自分は、見ず知らずの人に心配してもらえるような人間ではない。
 感情のままにそれを口に出そうとして、微かな空気音だけが飛び出したことにはっとする。

「貴女…声が?声が出なくなったのは今ですか?それとも以前から?」

 自分の様子に敏感に気づいたらしい彼女は、安心させるような穏やかな空気をまとい、ゆっくりと質問する。
 それにふるふると頭をふることで答えるとにっこりと微笑まれた。

「大丈夫です。詳しいことはお医者様に診て頂かなくては分かりませんが、怪我による一時的なものかもしれません。それに、私こうみえて読唇術を心得ておりますの。普通に話すようにお口を開けて下されば貴女の意志は読み取れます」

 不思議と耳に心地好い、訳も無く安心してしまいそうになる声音。

「申し遅れました。私、ラクス・クラインと申します。貴女のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」

 縋りたくなる。
 縋って泣いて、助けてと言ってしまいたくなる…けれど、そんな権利、自分には無い。
 決して忘れられない紅に染まった両親の姿が脳裏に甦る。
 だから、聞かれたことだけを感情を押し殺して伝えた。

「キラ・ヤマト…キラ、というのですわね?素敵な名前ですわ。…私がお世話させて頂きますので、何でもおっしゃって下さいませ」

 優しい声音、穏やかな瞳…その全てがキラを追い詰めた。
 何か言いたそうに口を開いたキラの様子に、ラクスは首を傾げることで先を促し、読み取った言葉に目を見開く。


―――― どうして ぼくは いきてるの…?


 ふいにラクスの顔が泣きそうに歪むが、瞳を閉じた一瞬でその表情を消し去り、愛おしむような…けれどどこか懺悔するかのような笑みを浮かべた。

「…私が、貴女を助けたからですわ」

 静かな声だった。

「私が貴女を、お助けしたかったからです。私が貴女に、生きていて欲しかったのです」

 だから、貴女が自分が生きていることを苦に思う必要は無いのだと、まるでそんな風にも聞こえる言葉だった。

 …息が、詰まる。
 声が出せたなら嗚咽になっていただろう。
 けれど、音がその口から出ることは無く、空気を切る音だけが響く。

 動くことも出来ずに、ただ枕に顔を押し付けることでしか泣き顔を隠すことも出来ないキラの肩を、傷口を避けて優しく撫でるラクス。

 自分がコーディネーターだから、自分達家族は襲われた。
 それなのに、ナチュラルの両親が襲われて、コーディネーターの自分が生き残ってしまった。
 自分はコーディネーターなのに…両親を見捨てて逃げてしまった。

 死にたかった。
 死んで、消えてしまいたかった。

 あの優しい両親を見捨てた自分なんて、いなくなってしまえばいい…そう思った。
 だから、生きていることに絶望した。

 何故、生きているの?
 何故、助けたの?

 何故…?

 けれど少女は、目の前の優しい少女が、こんな自分に『生きていて欲しい』と言う。
 『助けたかった』のだと。


 生きていていいのだと…言う。



 優しく触れる手が、生きていていいのだと……。

























 怪我がある程度治り動けるようになった頃、キラはラクスに連れられてプラントに渡った。

 両親と一緒では決して門を開いてくれなかったプラントが、両親を失った途端あっさり受け入れてくれたことに皮肉を感じたが、身寄りも無いキラは誘われるままに頷いた。
 このままオーブにいることで、また関係の無いナチュラルの誰かが、自分のせいで襲われるかもしれないという事態を恐れたというのもある。

 そうして、キラの声は出ないままに一月が経とうとしていた。

 キラが世話になっているクラインの家は大きく、ラクスだけで無く父親のシーゲルも部屋は余っているからずっと居ていいと薦めてくれた。

 シーゲルは最高評議会の一員で、そんな偉い人の娘が何故オーブの、しかもあんな辺境にいたのか不思議に思ったが、その時は詳しく聞こうとは思わなかった。
 キラの心は、失った両親ごとぽっかりと開いた穴もそのままな空虚さで、外側に意志が向いていなかったからだろう。

 けれど、歌手をしているというラクスの歌声は透明なのに力強く、虚ろなキラの心にも優しく響いた。
 日に日に少ないながらも食事量が増し、瞳に生気が宿ってくるキラの様子に、ラクスは嬉しそうに微笑んだ。

「ねぇ、キラ?気晴らしに少し、街に出かけませんか?」

 テラスでぼんやりしていたキラの所に来るなりそう言ったラクスに驚いて目を見張る。

「やっとお休みを頂きましたの!キラの体調もこの頃良さそうですし、それに、プラントに来てからキラはこの屋敷が出ておりませんでしょう?せっかく同じ屋根の下に住んでおりますのにゆっくりお話することも出来ておりませんし、キラが元気になったら散歩やお買い物や、他にも色んなことがしたかったのにまだ何も出来ておりませんもの!ね?よろしいでしょう?」

 勢いに押される様に頷けば、ラクスは満面の笑みを浮かべる。
 さっそく仕度をしましょうと手を引かれつつ、キラも微かに笑みを浮かべた。

 今まで見たことも無いほどに張り切って楽しそうなラクス。
 彼女が嬉しいとキラも嬉しい。
 キラが嬉しそうにすると、ラクスはもっと嬉しそうに笑う。

 そうして、穏やかで優しい時間の中、キラは『悲しみ』以外の感情も徐々に取り戻し始めていた。

 両親と暮らしていた頃、キラは男の子のふりをしていた。
 その理由はいずれ話してくれると言われていたが、こうなっては、真実を知ることは無いだろう。
 だからという訳では無いが、クライン家に世話になるようになってからは、キラは女の子の格好をするようになった。

 元々、キラを拾った時に彼女が着ていた服は銃創で破れて血塗れになり、更に崖から落ちたせいで汚れてボロボロになっていたこともあって、治療のために脱がせた後はその存在を忘れてしまっていた。
 そのため、慌てていたこともあってラクスは女物か男物か等の細かいことは覚えていなかった。
 だが、キラの看病をしていたので彼女が女性であることは知っており、何の疑問も覚えずに自分の服を着せており、怪我で動けず、心も虚ろだったキラもそれに気づく余裕は無かった。
 そして、プラントに来てから動けるようになり、散歩をしましょうと渡された服が可愛らしいワンピースで、それに微妙な顔をしたキラから、ラクスは初めて彼女が男装をしていたことを知ったのだった。

 が、『こちらの方が似合いますv』と笑顔で押し切られて以来、キラはラクスの用意した服に袖を通すようになり、次第にそれに慣れていった。

 ちなみに、『私の物で申し訳無いですけれど、サイズは変わりませんし、よろしいですわよねv』と、新品で無いことをアピールされ、それに安心していたキラの与り知らぬ所で、密かに、けれど着実に『キラ用』の新品が増えていることは余談である。

 それはともかく、そんな風に美しく着飾った少女が二人もいれば、街中では大変目立った。
 更に、その片方がアイドルであるラクス・クラインで、それが例え変装していようとも、SPを二人も連れていれば尚更目立つ。
 だが、当の二人はそんな周りのことなど気にも留めず、明るい街の雰囲気を楽しんでいた。

 ナチュラルとコーディネーターの溝は年々深まっている。

 始まりは、きっと気にも止められないほど小さなことだった。
 けれどそれは、宗教や考え方、民族や倫理観まで巻き込んだ大事になってしまった。

 各地でテロや力による弾圧、それによる差別が表面化し、一般市民の手にまで『自己防衛』という名の武器が浸透し始めている。
 もう後戻りは出来ない。
 誰の目にも、ちょっとしたきっかけですぐさま戦争が始まるだろうことが予想されていた。

 けれどこの街は、そんな現実から目を逸らすかの様に明るい。
 いや、忍び寄る影の不安を覆い隠そうと、殊更明るく振舞っているのかもいれない…。

 しかし、そんな何処か不自然な空気の漂う場所でも、少女達の気分転換には充分だった。

「キラ、そろそろお茶にしましょうか?久しぶりにたくさん歩かれて、疲れたのではありませんか?」

 ラクスの言葉に瞬き、少し考えてから苦笑して頷く。
 プラントでの初めての遠出を楽しんではいたが、病み上がりでもあるキラは自身で意識せずとも少々疲れていた。
 揉まれるほどの人ゴミでは無かったことが救いだったが、少々ハシャいでて連れまわし過ぎたかと反省する。

「あちらのカフェに入りましょうか」

 調度前方に位置するカフェを指したラクスに頷きで了承の意を伝えると、ラクスもにっこり微笑んで行きましょうと言ってキラを促した。
 キラもそのままついて行こうとしてふと、隣の店に張ってあったポスターを見て瞳を和らげる。

 A2判のポスターの中で微笑むのは、春風を思わせるピンクの妖精。
 あの日、絶望の中にいたキラの瞳を覗きこみ、温もりを灯した少女。

「…キラ様。ラクス様があちらでお待ちです」

 本人と出掛けているというのにポスターに見惚れているキラに、SPの一人が苦笑混じりにこっそり声をかけた。
 はっとして顔を上げ、きょろきょろとまるで小動物の様な仕草でラクスの姿を探すと、少し離れた所でもう一人のSPと共にちょっと恥ずかしそうにキラを見ていた。
 キラが、自分の大きなポスターを見つめているため少し照れているらしい。

 慌ててラクスの所へ行こうとして、息を呑む。

 コーディネーターだからこそ視認出来た距離で、鈍く光る銃口を見止めた。
 喉が引き攣り血の気が一気に下がる。

 あの方向は、あれが狙っているのは…。

「…キラ?」

 不思議そうなラクスの綺麗な声が、やけにはっきりと聞こえた。



「……っ、伏せてラクスっっ!!」


「!?」



 目を見張ったラクスのピンクの髪が舞い上がる。
 サイレンサーで打たれた弾がキラの後ろの壁に突き刺さった。

 周囲から悲鳴が上がり、蜂の巣を突付いたような騒ぎになる。

 キラの声に、いや、キラが声を出したことに驚いて向きを変えたラクスの直ぐ脇を、キラとの間を縫うような形で打ち込まれた弾道。
 そこから距離を逆算して、SP達が素早く反撃に出た間に、キラはラクスを庇うように上から覆い被さった。

「っ!?キラっ!?いけませんっ!キラが…っ!」
「……っ」

 悲鳴の様な声で盾になるキラを非難するラクスを、キラはぎゅっと抱きしめる。

 周囲の恐慌染みた騒ぎも、鳴り響く銃声も、もしかしたら自分が撃たれるかもしれないということすら怖くは無かった。

 ただラクスが…。
 ラクスが死んでしまうかもしれないという、信じたくない仮定の方が怖かった。

「ラクス様!キラ様!こちらへ!」

 SPに促され、やっと顔を上げたキラを今度はラクスが引っぱって移動する。
 物陰に入り、更にSPがその身を盾にする様に立ち塞がったその奥で、キラは表情を削げ落としてラクスの顔や肩等に触れ、視線でも怪我が無いことを確認する。

「…よかった…ラクス、怪我、してないよね…?」

 ほっと息を吐いたキラの頬を、ラクスの手がペチンと音を立てた。
 きょと、と添えられたままの掌の上から自分の手を重ねたキラに、ラクスはもう片方の手でぎゅっと自分のスカートを握りこむ。

「よくありませんっ!私が無事でも…キラがっ、キラが怪我をしたら私は…っ」

 今にも決壊寸前な双眸に溜まった涙に、キラの胸が苦しくなる。
 いつの間にか銃声は止み、遠くから警備のサイレンが聞こえてくるが、そんな外野のこと等目に入らず、少女達はお互いだけに意識を向けていた。
 SP達も一応の仕事を終え、周囲への警戒は怠らぬものの取り込み中らしい二人に視線を合わせ、とりあえず黙って見守ることにした。

「…ごめん。でもラクスが怪我をするよりはいいと思って…」
「よくありません!全然よくなどありません!キラが私を心配してくれるのは嬉しいです!でもっ、同じように私だってキラを心配します!そう思う心に違いなど無いはずです!」
「…っ」
「SPの方々はそれがお仕事ですし、自分と他人の身を守れるだけの力をお持ちですけど、キラは違いますでしょう?…なのに、もし、あの時…っ」

 苦しげに歪んだ双眸からぼろりと涙がこぼれ、次いで勢い良くラクスがキラに抱きついた。
 その勢いに負けて倒れそうになったキラを、後ろからSPがさっと支える。

「もうっ、あんな無茶、なさらないで下さい…っ、私の寿命が縮みます!」
「…うん、ごめんね…ラクス…」

 震える体を抱きしめ返し、キラは頬をくすぐる柔らかな髪に擦り寄りながら、ありがとう、と小さく言った。

 もう、消えてしまえばいいと思っていたこの命を拾ったのは君だった。
 必要ないと思ったこの命を要ると言ったのも君だった。

 助けたかったから助けたのだと。
 彼女が生きていて欲しいと願ったから、今自分は生きているのだと…。

 それならば、この命は、君のために使おう。
 君と生きるために、君を護るために、僕は生きよう。

 そう決意した、ぽっかり開いていたはずの胸の中で、両親の笑顔が浮かび上がった。



 ああ、父さんも母さんも…こんな所にいたんだね…。



 嬉しくて、キラも少しだけ泣いた。


「……あの、ラクス様、キラ様。この騒ぎでマスコミが集って来てもまずいですし、そろそろ移動願えませんでしょうか…」
「「あっ…」」

 言い辛そうに声をかけて来たSPに、二人はそっくり同じ顔を向けた。
 そういえば、自分達は銃撃を受け、ラクスはアイドルで、しかも評議会メンバーの一人娘だ…こんな美味しいネタをマスコミが逃がすはずが無い。

「そういえば、キラ様。お声が戻られたのですね?」
「そうですわ、キラ!」
「えっ…………」

 SPの言葉にラクスがばっとキラに向き直り、その動きにビクリと反応したキラは数回瞬きを繰り返した後、掌を口元に持っていって「あ〜〜〜…」と小さく言ってみた。

「……ホントだ」

 気づいて無かったのか…とその場の全員が一瞬呆け、続いて温かな笑みを浮かべる。

 笑っていても何処か儚げで、今にも消えてしまいそうだった少女が、今は何故かしっかりと地に足を着けた、まるで夢から覚めたかの様な生気のある表情をしている。
 地球で酷い目にあった少女がまた生死の隣り合う場に巻き込まれ、今度こそ心を壊してしまうのでは無いかという心配は、どうやら杞憂に終わりそうだとほっとする。
 原因も何も分からなかったが、彼女が本来の笑顔を取り戻せたのならそれでいいと思った。

「屋敷から車を呼びましたので、本日はこのままご帰宅ということでよろしいですか?」
「仕方ありませんわね。キラ、お茶は家ですることにしましょうか」
「うん」

 返事の言葉と共に頷き、いつの間にか横付けされていた車に乗り込む。
 心配そうに声をかけて来た運転手に笑顔で大丈夫だというラクス。

 きっと、こんな風に襲撃されたのは、ラクスは初めてでは無いのだろう。
 ナチュラルとコーディネーターの溝が深まり、戦争へのカウントダウンが近づくにつれ、こんなことはもっと増えていくのかもしれない。


 君のために、僕は何が出来るだろう…。

 君を護るために、どんな力がいるのだろう…。



 変わらぬ笑顔を浮かべるラクスの横顔を見つめ、キラは静かに目を閉じた。

















 その一月後、キラはアカデミーの門をくぐる。






 桜の季節に幼馴染と別れてから、まだ六ヶ月しか経っていなかった…。








 
つづく

 少し前にTOPに飾ったイラストの小説になります。
 何だかとっても好評だったので(笑)、皆様の中で話が
 色んな意味で暴走しちゃうとヤバイ!と思ってとりあえず
 プロローグだけ出すことにしました(苦笑)
 小説目次にも書きましたが、この話は目指せ、イザキラ!
 です(苦笑)現在は全くそうは見えませんが、次第にそう
 いう流れに…なるといいなv(おい/汗)
 現段階では欠片も出て来ない彼ですので、桃生自身は
 すごくイザキラにしたくても、そうなるとは限らないことだけ
 ここに明記しておこうと思います!
 …プロローグから言い訳の伏線かい(汗)
 あ、でもアスキラにだけは絶っっ対ならないので、その辺の
 期待はもたないで下さいねv