カタン…と微かな音をたてた窓に、千尋は飛びつくようにしてそれを開け放った。 「やあ、千尋。元気そうだね」 にっこり笑った彼の姿に、千尋はへちゃりと顔を歪ませ、その首にかじりついた。 「…ハクぅ〜っっ」 「どうしたんだい、千尋?」 突然頼り無げにしがみ付いてきた愛しい少女に驚きつつ、それでも慌てず騒がず、千尋をしっかり抱いて部屋の中に失敬する。 開け放ったままだった窓は、魔法で閉めた。 「ちゅう♪」 「あ、今日は坊もいる!ハエドリも一緒?」 ハクの肩から顔を乗り出した坊ネズミ、そしてその肩にちょこんと乗ったハエドリが挨拶するように頭を下げた。 実は、こんな風に彼等が彼女の部屋を訪問するのは初めてでは無い。 「湯婆場と話をする」と言ってついた話は、油屋にそのまま残ることだった。 何故そういうことになってしまったのかは、ハクは苦笑してあまり語らないが、それでも時々あちらを抜け出し、千尋の下へと遊びに来ることは許されたらしい。 そして、時には彼だけで無く、坊もネズミの姿でハクに着いて来ることもあった。 「千尋、それで何があったんだ?」 「そう!あのね…」 坊ネズミとハエドリの登場にほんわかしてしまった場に、ハクが少し言い辛そうに言葉を挟んで来た。 仕事が絡みさえしなければ、彼は優しい人…いや、龍なのだ。 そして、千尋の語った話はこうだった。 先日、買い物帰りにふらりと寄ることになった展示場で、両親が薦められるままに、全く予定に無かった自転車を購入してしまったという…。 「信じらんないっ!一万や二万の物じゃないのよ!?買う予定も何も無かったのにっ!大体、こんな坂道の多い土地で誰が自転車なんかに乗るっていうのよ!自分達は車しか乗んないのにっ!」 「…そ、そんなことがあったのか…」 「そーなの!大体いっつも考え無しなのよっ。『財布もカードもあるから大丈夫』って、物が法外に高いものだったどーするつもりなの!?値段確かめもしないで、契約書交わしてからじゃ遅いのにっ!」 「…千尋」 激昂する少女に苦笑しつつ、ハクは優しく名前を呼んだ。 油屋で大変な経験をして以来、この少女は考え方から金銭感覚までしっかりしてしまい、どこか迂闊な所のある両親が心配で仕方が無いらしい。 「千尋は、心配なだけなのにね」 「………」 分かっている、とでも言うような微笑に、膨れ上がっていた憤りが急激に沈み、変わりにどうしようもない嬉しさと哀しさが心を満たすのを感じた。 嬉しさは、ハクが自分のことを分かってくれていること。 哀しさは…。 「…聞いてくれないの、あたしの話」 ベットの端に座ったハクの肩に頭を預ける。 いつもいつも、優しく受け止めてくれる彼…甘えているのは分かっているが、こんなことを話せるのも彼だけだった。 「耳を貸そうともしてくれなくて…嫌になっちゃう…」 「千尋のご両親は、千尋のことを子供だと思っているからね…いや、思っていたいのかな」 「?…どーいうこと?」 くすりと笑ったハクに、千尋はきょとんと首を傾げる。 「親とは…子供の成長が嬉しい反面、逆にいつまでも自分の手元で、子供のままでいてほしいとも思っているものなんだ。千尋はずいぶん成長したからね、ご両親は突然それに気づいて寂しいんじゃないのかな?それでいつまでも、千尋のことを子供扱いしてしまうのだ」 「え?あたし全然身長伸びてないよ?」 「体の成長では無く心のことだよ、千尋。そなたは油屋にいる間に目を見張るほど成長したからね。だがご両親はそれをご存知無い。だから戸惑ってしまうのだろう。坊も最近は成長著しいからね…湯婆場は喜んでいる反面心配なんだろう…私は事実上、お目付け役のために引き止められたようなものだ」 驚いて坊ネズミを見ると、彼は仕方無さそうに鼻息をつく。 彼も、過保護過ぎるてらいのある母親の関心を、鬱陶しがらず笑って甘受出来るほどに成長しているということだろう。 千尋にも、それが分かるようになっていた。 「えへへ♪成長した?」 「ああ、とても」 「そっか。…ハクがそう言ってくれるなら、いいや」 にっこり笑った千尋に、ハクも嬉しそうに頷いた。 「ごめんね、ハク。折角来てくれたのに愚痴っちゃって」 「いいや。あちらでの記憶がご両親にもあれば、いい教訓となって千尋もそんなことを思わなくてもすんだのにね」 「ん〜でも、あたしだって自分が豚になってたことなんて覚えてたくないから…いいよ」 「そうか。だけど、もし次にこんなことがあっても千尋は心配要らないよ?」 「え?どうして?」 不思議そうな顔をする千尋に、ハクは彼女にだけ見せる、一層優しい笑みを向け…。 「ご両親が破産したとしても、千尋は私がお嫁にもらってあげるから」 「っ!?」 告げられた言葉に二・三度口をパクパクとさせ、次いでバサリとハクとは反対方向を向いてベットに倒れこむ。 「〜っ、そーいう話をしてるんじゃないのにぃ〜っっ」 「おや、これはフラれてしまったかな。残念」 「そーいうんでもなぁ〜いっ!」 シーツに顔を押し付けたまま叫ぶ千尋を、ハクがくすくすと笑って横目で伺う。 そして、彼女の顔が真っ赤に染められていたのは…てとてとと覗き込みに来た坊ネズミとハエドリだけが知っている。 後日、「嫁って何?」と坊に聞かれた湯婆場が、地響きを立てて卒倒したことは…まあ、別の話である。 |
おわり |