「………いくらが食べたい」



 放課後のパソコン教室で、心持ち怨念の篭もったヤマトの声が響いた。












 それから数日後。
 やけに晴れやかな笑顔を振り撒くヤマトに、空は薄気味悪そうに声をかけた。

「何よ、ヤマト…やけに機嫌良さそうじゃない」

 ヤマトは以前いくらが嫌いだった。
 いや、『食わず嫌い』だった。

 法外な値段という訳でも無いのに、それを食すことは彼の強固な財布の紐を管理する心が許さない…それゆえの『食わず嫌い』だった。

 それが、父の仕事関係で貰った土産でうっかり口にしてしまい、そして予知夢の如き未来予想図にうっかり嵌ってしまったのだった。
 それ以来、以前は素通りだった、スーパーの特売日のいくらの陳列棚…『50%OFF』のシールを貼ってある物と睨めっこ…している間に横からおば様達に掻っ攫われて、落胆とも安著ともつかぬため息をつくのが恒例と成り果てていた。

 そして、その押さえつけられて願いを言葉にしてしまったのが先週の木曜日。
 特売日の翌日で、さぞや鬱々として週末を過ごしただろうと予想した月曜日にあったのは晴れ晴れとした笑顔。
 空でなくとも何事かと不審がるだろう。

 そんな胡乱な瞳を、どうやら事情に通じているらしい太一に向けるれば仕方無さそうに肩を竦めて苦笑する。

「昨日さ、たらふく『しゃけいくら丼』を食ったんだよ」
「美味かった!」
「は?とうとう買ったの?特売日でも無いのに!?」

 信じられないと目を見開く空に、ヤマトは降りそそぐ太陽の光に負けないほど己の髪を煌かせて笑う。

「いや。昨日太一と河にしゃけ獲りに行って来たんだ♪」
「は!?」

 おじいさんは山へ芝刈りに。
 おばあさんは川へ洗濯に。
 そんな当たり前みたいな言い方をされても…。

「浅瀬なら楽勝で手で掴めるのな!」
「ちょっと熊とはち会ったけど、結構面白かったなぁ。また行くか?」
「おう!」

「……………」

 深く突っ込むことを空は止めた。
 聞かなくても細かい状況まで全て分かったから…。

「…どーせなら、今度チョウザメ捕まえて来てよ。キャビア食べたい」
「キャビアか…キャビアって本当に美味いのかなぁ」
「でもチョウザメならフカヒレも作れて一石二鳥じゃねぇ?」
「よし!次はチョウザメ獲りに行くか!」

 ほわほわと三人は会話を進めていくが、ここに光子郎がいれば「チョウザメはアメリカが乱獲したせいで、今はほとんどカスピ海に行かなくては獲れません」と教えてくれただろうが、生憎光子郎はおらず、彼らを止める者は誰もいない。

「…で、獲って来たしゃけといくらは全部食べつくしちゃったの?」
「まあ、漁は食える分だけが基本だからな〜けど、流石にでけぇし、残して保存食作ればいいかと思ってたけど食いつくしちまったな。うちの家族と」
「オレのトコと、親父の部下達がな」

 狙ったように来やがった、と笑うと、空が「そう…」と肩を落とす。

「なんだ。空も今度一緒に獲りに行くか?」
「…行く」
「よっしゃ!」

 …と、話が綺麗にまとまった所で予鈴のチャイムが鳴り、三人はそれぞれ席に戻る。


 そんな彼等は、間違いなく乱世を生き抜いた仲間であり、思わず会話を聞いてしまった者達は、全く内容を理解することが出来ずにその後の授業を呆然と受けることとなった…。






 
おわり