己が持つ権力をフルに活用し手に入れたのは、本来ならば教師以外は触れられない『生徒指導室』の鍵。

 が、そこで向かい合っているのは…双方が『生徒』に区分けされる少年少女だった。



「……で?どうしたの?光子郎君」
「空さん…実は……………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」

「…光子郎君。私結構気が長い方だと思うんだけど、この問いかけが三日目ともなると、流石にそろそろ首根っこ掴んで『吐けっ!』って揺さぶりたくなるのよね〜…やっていい?」

 にっこり笑顔に怒りマークを点滅させると、流石に観念したか、奈良の大仏にアトラーカブテリモンが乗った並みに重かった光子郎の口が開いた。

「いえ、その、あの…実は…」
「うんうん」
「太一さんとのことで…」
「はいはい。そんなこったろーと思ってましたよ。…で?」

「僕…僕、太一さんに聞かれたことは全部応えたいんです…!」

「………はい?」

 膝の上でぎゅっと握り詰められた手が、その発言さえ無ければ痛々しい…。
 が、それを向けられた空自身はといえば、稀に見ないぽかん顔で年の上だけでの後輩の顔を凝視する。

「…コウシロウクン…?」
「嫌なんです!ダメなんです!僕のポリシーが許しません!太一さんの役に立ちたい!頼られたい!信頼されたい!なのに太一さんの疑問質問小さなハテナに答えられない自分なんていらないんです!」
「えーと…」

 一度滑り出した口は、堅く閉じていたのが嘘のように、鉄砲水の様にあふれ出す。
 空の理解の範疇を超えて。

「何故なんでしょう!僕はただ、太一さんが感じたふとした疑問に素早く答えたいだけなのに!自信を持って『こう』と出せる答えがあまりにも少ないんです!」
「いやでも、日常の疑問ってそんなもんだし…」
「それでも嫌なんです!これほどまでに、世界の重箱の隅をつつくように知識を蓄えていっているというのに、ふとした瞬間に投げられたボールを投げ返せないんです!情けない!」
「そんな、情けなくなんかないわよ?…ホント、全然」
「『全然』は否定言葉です!その言葉の前の語を打ち消す言い回しに使われるものです!この場合『情けなくない』という『情けない』を否定した言葉を更に打ち消しているため、『情けない』という意味になります!やっぱり空さんもそう思っていたんですね!?」
「そっ、そんなわけないじゃないっ」
「いいんです。分かっていました!こんなことが分かっても、僕は役にも立たない不甲斐ない後輩なんです!」
「ああ、もうっっ!光子郎君っ!」
「……はい?」

 さめざめと嘆く光子郎の肩をがしっと掴み、空は正面から見つめる。

「実は私も光子郎君に聞きたいことがあるの!」
「はい?何ですか?」

 空の真剣な瞳に、打ちひしがれていた光子郎の瞳にも知性の光が戻る。

「『襟足』と『うなじ』の違いって何?」
「……『襟足』と『うなじ』の違い……」

 チッチッチッチッ…

「っ、調べて来ます!」

 ガラガラガラっ、ピシャン!

「行ってらっしゃ〜い…」

 嵐の様に出て行った光子郎を見送り、空は大きな溜め息をついてがっくりと肩を落とす。

「太一ぃ〜…一体何を光子郎君に投げつけたのよぅ〜…」

 暴走する知識の紋章のマイナス思考バージョンの餌食からからくも逃れた空だったが、彼女が諸悪の根源と頭に思い浮かべた太一自身も、彼女と同じ手を使って逃れていたことは…知る由も無い。





 
おわり