このままではいけない…!


 八神裕子はその日、唐突にそう思った。







 何がいけないのか。

 それは、はっきり言って、そんなことを他の者相談しよう物なら「贅沢だっ!」と口を揃えて言われそうなことだった。
 が、彼女自身そのことを予想しているため、人に話そうとは思わない。
 けれど、それでも…彼女にとっては切実なことだったのだ。















「あ、おはよう〜。父さん、母さん」
「おはよう〜♪」

 朝起きると、既にロードワークを済ませた息子と、それに付き合って早起きの娘が仲良く朝食を取っていた。
 爽やかな朝らしく、にこやかに挨拶してくる子供達に、両親の方が半ば寝惚けながら挨拶を返す。

 いつもと同じ、いつも通りの風景…。

 裕子の朝の仕事は少ない。
 自分と夫の分の『朝食のおかず』だけを作って、洗濯物を干すだけ。
 他のことは全て家族が分担してやってくれている。

 ご飯を炊くのも。
 お味噌汁、またはスープを作るのも。
 洗濯物を洗濯機にかけるのも。
 朝食の後片付けすらも…。

 それも、まだ小学生の子供達が文句も言わずに率先してやってくれているのだ…。

 けれど、彼等も昔からこんなにも手伝ってくれていたわけでは無い。
 確かに、まだ彼等が幼少の砌から、幼い兄妹だけを残して仕事等に出かけてはいたが、炊事・洗濯・掃除のほとんどをまかせっきりにしていたわけではなかったのだ。

 子供達が年齢以上に更にしっかりしたのは、『デジタルワールド』という異世界から帰って来てから。

 あの世界では生活の全て…それこそ食料の調達から寝床の確保まで、自給自足生活を送って帰って来た子供達は、世間一般の同い年の子供達が足元にも及ばない生活力を湛えていた。

 自然の中である物で必要なものを補う術を養っていた。
 不平不満を言わなくなった。
 自分のことは自分でする。
 出来ることなら『ついで』もやる。

 そして…料理の腕を格段に上げて帰って来た。


 子供ってこういうもの?
 成長ってこういうもの?
 ちょっと待って?
 助かってるわ、とっても助かってるんだけどね?
 お母さん、何だかとっても複雑なんだけどっっ!!??


 あまりにも手のかからない子供達に、呆然とパニックに陥る。
 ただでさえ少なかった、『むやみやたらに親を困らす』という行為がゼロになり、置いてきぼりをくったような感情に襲われた。


 もっと我まま言ってもいいんだけど…。
 こう…なんて言うの?…こう…ねえ??


 そんなある日…。

「あ、ね〜え、太一。今日の夜、お父さんもお母さんも仕事で遅くなるんだけど…」

 ちょっと期待した。

 え――!?またあ!?
 ご飯どーすんの!?
 仕事ばっか、いい加減にしてよ!
 お土産買って来てくれよ!?
 小遣いちょーだい!

 どんな非難でもどんと来い!
 太一とヒカリが望むなら、お母さん仕事止めてお家にいてもいいのよ!?

 けれど、帰って来た答えは…。

「あ、そうなの?働きすぎて体壊さないでよ?」
「お母さん、お父さん、大丈夫?」

 心配げな澄んだ四つの瞳を向けられ、一瞬言葉に詰まるが、大丈夫よ〜と無理に明るく、想定外だった答えを返す。
 今度は気を取り直して別の方から行くことにした。

「えーと、それでね?お夕飯用にお小遣いを…」
「え?いーよ。家にあるもので適当に作るから。ヒカリ、冷蔵庫にまだなんかあったよな?」
「うん。豚と牛のひき肉と、きのこ類とかもまだあったよ」
「ならメンチカツでも作っか♪小麦粉もあるし、パイ生地作って挟んでもいいよな」
「うんっ♪」

 楽しそうに頷きあう子供達。
 そんな彼等を呆然と見つめる親の瞳に、兄が気遣いを見せる。

「あ、買い物行っといた方がいいかな?けど、明日行くことになってっからそん時じゃダメ?」
「あ、明日?」
「そ。学校の側にあるスーパー、水曜日卵が半額なんだって。他にも肉が安くなるから付き合えってヤマトが」
「安い時にお肉いっぱい買って冷凍しておくんだよねv」
「そうそう♪サランラップで包んでな〜♪てわけだから、買い物は明日行くよ」
「そ、そう…じゃあ、お願いしてもいいかしら…」
「おうよ!ヒカリも行くだろ?」
「うん!お手伝いするの♪」

 違うっ!
 小学生の子供の会話じゃ無いっ!!

 引き攣る頬を必死の思いで叱咤し、にこやかに返事しながら、裕子は内心で悲嘆に暮れた。

 小学校低学年の子供に、冷蔵庫の中身を把握させていてはいけない!
 放課後の遊びの約束よりも、特売日を意識させているなんて…っ!

 お蔭様で八神家では、賞味期限切れで眠る食材など一つも無い。
 そろそろ古くなる前に使っちゃわないとなぁ…と言ってさっさと料理にしてしまうのは息子。
 切れる前に買っておこうvと言って、特売日をチェックして兄を買い物に誘うのは娘。

 そんな子供達に触発されたのか、夫までが家事を手伝ってくれるようになったことはありがたい。
 ありがたいけれど、でも…っ!

 いいお子さん達ね〜。
 かっこいいお兄ちゃんね〜。
 可愛らしい娘さんだわ〜。
 元気で、明るくて、挨拶がしっかり出来て…まあ、家のことも手伝ってくれるの!?
 本当に良く出来たお子さん達ね〜。
 しっかりしてるし、羨ましいわぁ〜。

 ええ、自慢の子供達です。

 胸を張って言えます。
 誇張の必要も無い事実ですから!

 けれど…このままではいけない。
 何がいけないって、このままでは自分が『ただ彼等をこの世に生み出しだけの親』になってしまうということが!!



 もう既に、異世界だとかモンスターだとか常識外だとかビジュアルがちょっと怖いだとか、そんなものに構っていられる余裕は無かった。
 あの子達がそれでいいなら構いません。
 受け入れます。
 どんと来い。



 そうして悟りを開いた彼女は…『保護者会』の設立を決意した。
 同志は多勢…想いはどうやら、同じだったようだった。






 彼女の野望…それは、しっかりし過ぎるほどしっかりしている子供達の、『頼れる親』になるということ。





 
おわり