「…よぉ、また来たのか」 ベランダに何か降り立った気配を感じ、そこで予想通りの姿を見つけた太一はふんわりと『彼』に向かって微笑みかけた。 そこにあるのは、あまり星の見えない都会らしい夜空と、天を貫くようなマンション郡の姿をうっすらとその身に透けさせた、見慣れた彼。 『……あの人は、元気にしていますか…?』 「元気だよ。初めて会った時の三白眼が嘘みたいに毎日笑ってる」 『そうですか…よかった』 空気の振動では無く伝わる声に、太一は驚くことなくいつものようにあっさり応える。 そう…これは彼にとっては珍しくも無いこと。 そして、彼の目の前に浮かぶ彼も…既に肉体を持たぬながらもこうして太一を訪ねて来るのも、初めてでは無い。 大きな帽子と襟に隠れ、瞳しか見えない彼の表情は、それでもほっとしたように、嬉しそうに綻んでいる。 それを見て、相変わらずだと太一も笑う。 「…前にも言ったけどさ、そんなに気になるなら、オレじゃなくてあいつの前に出てやりゃいいのに」 『私も前に言いました。私が姿を現すと、あの人は自分を責めて笑ってくれない…それが辛いんです』 「頑固だな…お前」 『あなたといい勝負でしょう?』 同時にため息をつき、次いでお互いにくすくすと笑い出す。 ふいに太一は笑いを止め、真摯な瞳を彼へと向ける。 「……なぁ、これも前にも聞いたけど…生まれ変わって来る気は、無いのか…?」 『………』 「…待ってるぞ?…テイルモン」 太一の口から零れた愛しい名に、今は亡き優しい魔法使いはふるりと首を振った。 「……そうか…」 辛そうな笑みに、太一もそれ以上踏み込まず、仕方無さそうに苦笑した。 太一自身、本当はどうして欲しいのか分からない。 ただ、妹とそのパートナーが、暇を見つけては『始まりの町』に行っていることを知っている。 そして…『彼』を待っていることを知っていた。 だから少し、ほんの少しだけ黙っているのが辛くて、確認したかったのだ。 彼の想いを知るからこそ、彼女達の願いを叶えてくれとは…太一には決して言えなかったから。 『…私は、テイルモン達のように『選ばれし子供たち』のパートナーデジモンではありません。…だから、今生での記憶を持って来世にいくことが出来ない』 「…それに、『魔人型デジモン』という特殊な属性が、平行世界の本来の故郷へと回帰してしまい、オレ達のデジタルワールドで生まれ変わって来れる可能性は少ない…だったな…」 『ええ…その通りです』 『魔人型デジモン』は、本来なら太一達の知るデジタルワールドには存在しないというのが、ゲンナイ有するデータでも証明されている。 それなら何故彼等はあの世界に存在するのか…。 それは、『デジタルワールド』と一言で言っても、彼等の知るそれは、『デジタルワールド』全体の一部に過ぎず、似たような『デジタルワールド』が平行世界として幾つも存在しているらしい。 何故『らしい』のかと言えば、彼等の力では、それを越えることは不可能だからだ。 だが、その不可能を可能にするのが『魔人型デジモン』なのだという。 彼等は界から界を渡り、自分の支配欲を満たす世界を探しているのだと…。 それは進化するごとにその思いが強くなり、界を渡ることも容易くなる。 けれど『彼』は、成熟期であった彼が何を思ってあの世界に渡って来たのかは、もう彼自身すらも知ることは無い。 それでも、テイルモンに出会って何かが変わったのだろうことは分かる…『魔人型』であった彼が、命を投げ出し、彼女を護ったほどに…。 『…私は我ままなんです。テイルモンと出会って、感じた全てのことを忘れたくない』 「……本当に、頑固だな」 太一の言葉を、まるで褒め言葉のように彼は笑う。 「あ〜…あれだろ?んなこと言ってホントのトコはさあ〜…」 『はい?』 「テイルモンに…忘れて欲しく、無いんだろう?」 何も言わず、ただ微笑むそれが答え。 我ままだと責められてもいい…自分にはそれだけが全て。 そのためだけに、ここに留まる。 『…それじゃあ』 「ああ、またな。話し相手くらいならいつだってなってやるよ」 『ありがとう…太一。あの人をよろしく…』 すぅ…と闇に消えていく彼の姿を見送り、太一はベランダの手摺りに片肘をつき、その上に顎を乗せて夜空を眺めた。 彼と彼女が始めてこの家に訪れたのもこんな夜だった。 もっと暑くて、もっと殺伐としていたけれど…それでも、外の世界は同じように静かだった。 何が正しくて、何が一番いいことなのか…それは今でも分からない。 けれど、自分の信じるもののために、出来る限りの力で戦うと…もう既に、心に決めた。 間違っているかもしれない。 誰かを傷つけるかもしれない…そしてまた、仲間の誰かを失うかもしれないけれど。 それでも戦うと、もう決めたのだ。 「……お前の言う通りだよ、ウィザーモン。…オレも大概頑固らしい…」 少し哀しそうに呟かれた太一の言葉は、夜風に攫われ、街の中へと溶かされ消えた…。 |
おわり |