いつものようにデジタルワールドでの作業を終え、さて帰ろうかと顔を上げた太一を、ヤマトがこっそりと手招いた。
人目…というか、特に小学生組の目を気にした様子に、太一は首を傾げながらもさりげなさを装い、一行から外れてヤマトのもとへ向かう。
「…どーしたんだよ、ヤマト?」
辺りを憚りキョロキョロと人気が無いことを確認し、ヤマトは真剣な表情でがっしと太一の肩を掴んだ。
その迫力に目を見張り、次いで太一の瞳が半眼に細められる。
「…告白は受け付けてねーぞ」
「誰がそんな話をしている」
「分かってるよ。あんまいい予感のしねー話みたいだから、話の腰を折ってみたんだ」
「…折ってくれるなよ…」
「じゃあさっさと話せよ」
「………」
あっけらかんとそう言った太一に、ヤマトは肩を掴んだままがっくりと項垂れる。
それを楽し気に見つめ、太一が再度促すと、ヤマトはやっと気を取り直して話す気になった。
「タケルを頼む!」
「…ヨメにもらう予定はねーぞ」
「………だから、誰がそんな話をしてるんだ」
「じゃあ何の話がしたいんだ」
やっと立て直した気力を根こそぎ剥ぎ落とされ、ヤマトはその場にずるりと倒れ、太一はおかしそうに座り込んだ。
「ヤマト、悪かったって。オレだって気づいてるよ、最近タケルの様子がおかしいこと位は」
慰めるようにぽんぽんっと頭を叩くと、恨めしそうな瞳が見上げたが、大きく溜め息をついて視線を落とす。
「…そうなんだ。それで、太一に原因を聞いてほしくてさ」
「は?なんで?お前が聞けばいいじゃん」
「それが出来たら苦労はしねーよ…」
ヤマトが立てた片膝に肘を付き、頭を乗せてふうと零すのを太一は不思議そうに覗き込む。
「一応聞いてはみたんだな?」
「まーな。けど交わされた。どーもオレはそういうのを聞き出すのが下手らしくてな、こっちが追い詰められてるように見えるのか、笑って『大丈夫だよ、お兄ちゃん』なーんて言われちまったら…それ以上聞けないだろ?」
「なるほどな。ツメも甘けりゃ、サワリも悪いってことか」
「悪かったな」
冗談めかして言った太一に、ヤマトも本気では無いパンチを軽くお見舞いする。
それを笑って避け、太一は仕方無さそうに頷いた。
「分かったよ、聞いてみる。お前が何とかするかと思って放っといたけど、ちと時間的にも余裕が無くなって来たしな。ヤマトがそこまで言うなら仕方がねえ」
「…悪いな」
「気にすんな。確かにこーいうことは、オレの方が適任だろうしな」
「…すまん」
済まなそうに手を合わせたヤマトに軽く手を振り、太一は仲間の元へと戻って行った。
「タケル、ちょっと話があるんだ。少し残ってくれ。皆は先に帰っててくれていいから」
「えっ!?」
直球でタケルの元へ行き、そのまま返事も待たずに彼の手を取って歩き出す。
科白の後半は呆然としている仲間達に向け、一人複雑そうな顔の少年に目配せをした。
太一はタケルに否やを言わせぬ強引さで、少し離れた所に倒れていた木の側まで行ってやっと手を離す。
「座れよ、タケル」
「……うん」
促されるまま、パタモンを膝の上に抱きかかえて太一の横に座る。
太一の反対側の横には、アグモンがいつもの表情でぽすんっと座った。
こんな風に太一に連れて来られた用は、何となく予想がついている。
先日ヤマトにも言われたことだろう…兄には何とか誤魔化したが、太一がこうして行動に出た以上、下手な言い逃れは通用しないだろう。
それなのに、タケルは足元を見つめたまま黙っているのに対し、太一も気負う様子も無くアグモンと一緒に空を眺めている。
沈黙に耐えられなくなったのはタケルの方だった。
「……太一さん」
「ん?」
「お兄ちゃんに…何か聞いた?」
「ん?ああ…話を聞いてやってくれって言われた」
「話…?」
「そう。タケルの話」
「僕は別に…話なんて…」
「無いか?」
「…………」
そう言われると、黙らざるを得ない。
本当はまだ、どう言葉にしたらいいのかすら分からないでいるのだ…だからヤマトにも、誤魔化すしかなかった。
「…じゃあ、オレが言ってやろうか?」
「え…」
「お前、一乗寺に謝りたいんだろ?」
「っ…」
太一の言葉にびくりと体が強張ったタケルに、パタモンが驚いてパートナーの顔を見上げる。
アグモンも驚いた顔をしたが、太一の顔を見て何も言葉にはしなかった。
「……僕が…?」
タケルはゆっくりと呟く。
謝るのは彼のはずだと…いや、彼はもう謝った。
真っ直ぐに自分達に向かい、罪を認め、心から…謝っている。
あの時頭を下げる彼を見て、自分の胸に浮かんだ言葉に出来ないどす黒い感情…それが分からなくて、ずっともやもやしたままなのだ。
謝ったくらいで許されると思っているのか?
罪が消されると思っているのか?
『知らなかった』で、『分からなかった』で、全てが…違う、そんなことが言いたいのでは無い。
「…タケル。お前が許せないのは、何だ?」
「僕が許せないのは…」
イービルリングをつけられ、自らの意志とは関係無く戦い傷つけられたたくさんのデジモン。
破壊された町。
姿を変えられた森。
遊び半分で使われた…闇の力。
許せなかった。
それがどんなに愚かしく、無様なものか分かりもせず、力で世界を傷つける彼が、許せなかった。
だけど…。
「…オレ達が、ああなっていたかもしれないよな」
仲間がいなかったら。
「デジタルワールドが、ゲームの様な空想世界なんだって思ったことが…オレにもある。タケルも覚えてるよな?」
「…うん。エテモンに追われてた頃…だよね」
「ああ。おかげで空が攫われて、皆を危険な目に合わせて…だけど、それでもあの場で踏み止まれた。空も取り戻すことが出来た」
「…皆が、いたから…」
「そうだ」
光子郎の立てた、デジタルワールドは地球と表裏一体のバーチャル空間なのだという仮説に、安易な二次元論で馬鹿な行動をした自分。
それまでが必死だったために、『ゲーム』だったのかと自棄になっていた所もあったと思う。
馬鹿にされたような気分だったのかもしれない。
だがそれは間違いだった。
普通のゲームなどでは無かったのだ。
命の危険が伴う現実なのだと、仲間達が教えてくれた。
「オレ達は、生き残るために…いや、生き延びて帰るために戦った。帰りたかった…それだけじゃなかったか?」
「…うん」
「そのために、数え切れないデジモン達を…殺してきた」
「っ!」
「どんな言葉で飾っても、事実は消えない。オレ達は自分が生き延びるために、他のデジモン達を殺したんだ」
その通りだ。
『平和を取り戻す』という大義名分の下、立ちはだかるデジモン達を全て殺して来た。
その意味に気づかずに。
気づいた後も…全て。
彼は…殺さなかった。
『遊び』だと、『取るに足らない生き物』だと言っておきながら、殺すことだけはしなかった。
どんなに傷つけても、口では何と言っても…その一線だけは越えることは無かった。
それなのに…。
「罪を一人で背負っている」
たった一人で。
「…あんな戦いは、もう嫌だ、ごめんだって思ったよな」
「…うん」
「だけどオレ達はまだ、こうして戦っている。何故だ?」
「…守りたい人が、いるから…」
俯き、それでもはっきりと応えたタケルに微笑む。
「あんなに帰りたかったのに、何度でもこの世界に来る。…何故だ?」
「大切な…パートナーがいるから…」
「…それだけか?」
「…違う、…ここが、好きだから」
「オレもそうだ。だから、戦える。傷ついても、罪を重ねても…それを皆で背負い、償いながら、また戦っていける」
皆で…苦しみも喜びも罪も、皆で背負い分け合って…。
「タケル。お前が許せないものは、何だ?」
「僕が、許せないのは…」
思い出すのは大きな闇色の手。
そして圧倒的な光。
自分を握り潰して殺そうと迫って来た手に立ち向かったのは、進化を禁じたパートナー。
自分の言いつけを守り、自分の想いを守り、進化しなかった小さな彼。
『力』が怖くて、『争い』が恐ろしくて、『戦うこと』と『争い』の区別も付かずにただ逃げていただけだった愚かな自分。
そんな自分の言葉通りに進化もせずに…押さえられていた進化の反動で、力をコントロール出来ず、死んでしまった聖なる天使。
進化に慣れてさえいれば、戦いに逃げていなければ、あんな風に死ぬことはきっと無かった。
光の中、微笑みさえ浮かべ…長い時を共に待っていた仲間達を振り向きもせず、決して忘れまいとでもするように自分を見つめることは…きっと無かった。
きっとまた会える。…君が…そう、望むのなら…
そんな言葉すらくれて、消えてしまった自分の天使。
思い出すだけで胸が痛く、涙が溢れる。
「僕が許せないのはっ…僕自身だっ!」
知っていたのに!
どんなにパートナーを失うのが辛いことか!
苦しいことか!
知っていたのに止められなかった。
むざむざと彼の腕の中で死なせてしまった。
あんなにも近くにいたのに!
止めてやりたかった。
いや、止めなくてはいけなかった。
ゲームだと思っているのなら、それは違うと。
傷つくことが分からないのなら、痛いことなのだと。
その先に何があるのか、どうなってしまうのか、教えてやらなければいけなかったのだ。
それを知っている自分達が。
他でも無い自分が。
やらなければいけないことをしないで、挙句彼に罪を犯させ…責める資格なんて何処にも無い。
やっと分かった。
頭を下げさせてしまった時に浮かんだ感情…あれは負い目だ。
みすみす犯させてしまった罪と悲劇、そしてそれを、更に一人で背負わせてしまっていることに対する負い目。
「タケルだけが悪いんじゃない」
「っ!?」
止まらない涙を拭うことも出来ずパタモンを抱きしめるタケルの頭を、太一は横抱きに抱え込んだ。
「お前だけが悪いんじゃない。オレ達皆が二の足を踏んでいたんだ。…チャンスはいっぱいあったはずなのにな…あいつと話す機会は何度もあったし、本気で止めたいなら家に押しかけたってよかったんだ。それをやらずに…結果一乗寺を苦しめた」
「…うん…っ」
「平和ボケしてたのかなぁ…もっと早く、気づいてやんなきゃいけなかったのになあ」
「うん…っ」
パートナーを失い、力無く去って行った彼が再び現れた時…その彼の傍らに彼のパートナーを認めた時、どんなにほっとしたか知れない。
止められなかった。
教えられなかった。
彼の元にはデジタマすら残らなかった。
どうすればいいのか分からなかった。
それなのに、彼の元に還って来ていた。
その事実が、自分にとってもどれほど救いになっていたか…。
「…太一さん、まだ…間に合うかなぁ…」
「…タケル」
「僕はまだ…間に合う、かなぁ…?」
ぐいっと袖で涙を拭き、それでも雫を零しながら、タケルは太一の顔を恐る恐る見上げた。
その瞳にはまだ迷いがある。
だが、ここずっと付き纏っていた影は無い。
もう、大丈夫だ。
「あったりまえだろっ!?今までのことにはどーやったって間に合やしねーけど、これから起こることには余裕で間に合うさ!…タケルが、一歩自分で踏み出しさえすりゃあな」
「…うんっ!」
にっこり微笑んだ太一の言葉に、タケルは嬉しそうに頷いた。
大丈夫、もう間違えたりしない。
自分の心が分かったから、後は前に進むだけ…今までもそうして来たように。
「おっし、んじゃ…一乗寺!そこにいるんだろ?」
「え!?」
太一の言葉に驚いたのタケルだけだった。
パタモンとアグモンはとうに知っていたのか、ガサリと草が揺れる前にその方向を見つめていた。
「…………あの…」
「…一乗寺君…」
呆然と呟いたタケルに、賢は居心地が悪そうに俯いてしまった。
「よく分かったな。目で合図を送っただけだったのに」
「何となく…呼ばれたような気がしたので…」
「え!?太一さんが呼んだの!?」
「ああ。いつもなら気づいただろーに、勘がにぶってたみたいだな、タケル」
にっと笑う彼に、毒気を抜かれて力も抜ける。
そして、笑いが込み上げて来た。
「あ、あはは。あはははは!もうホント、敵わないなぁ〜太一さんには!」
「オレに対抗しようなんて、三年早いぜタケル」
「えぇ?じゃあ僕、三年後には太一さんみたいになれてるの?」
「バカ言うな」
嘘だ〜と笑う弟分の額を突付き、太一は悪戯っぽく囁いた。
「今のオレの年になった頃には、オレよりいい男になってるよ♪」
ウィンクまで投げて寄こした太一に、タケルは目をぱちくりさせたが、その一瞬後には大爆笑した。
太一もデジモン達も楽しそうに笑っているが、そんな彼の様子を初めて見た賢は驚きに声も出ない。
そんな風に戸惑っている彼に、笑いを収めたタケルが素の笑顔で向き直り、しっかり目線を合わせてから頭を下げた。
「ごめんっ!」
「えっ…!?」
目を見張った賢に苦笑し、それでもはっきりと言った。
「君一人が苦しむ必要は無いんだ。君だけが悪いんじゃ無い。君だけのせいじゃ無い。僕達にも責任がある。だからこれからは、一緒に戦って行きたいんだ」
共に罪を償うために。
「だから、仲間になろう?」
「…っ」
上辺だけでは無い、本当の仲間に。
差し出された手、嘘偽りの無い態度。
そして聞いてしまった話。
疑う必要は無い…だが、その手を握る資格が自分にあるのだろうかと考えてしまう。
差し出された手の側で、彼に抱かれたままのパタモンがにこにこと微笑んでいる。
足元にいるワームモンは、何処か期待を込めた眼差しで自分を見ていた。
そしてここに自分を呼んだ彼は…にっこりと微笑んで頷いた。
手を取ってもいいのだと…。
おずおずと出された手をタケルがしっかりと握る。
やはり緊張していたのか、伝わるぬくもりにほっと息をついた。
「ちゃんと自己紹介したことなかったよね?僕は高石タケル。希望の紋章の選ばれし子供。パートナーはパタモン」
「ヨロシクね、賢」
「あ…うん。僕は一乗寺賢。パートナーはワームモン」
「ヨロシク!」
パートナーとしてはっきりと紹介されたワームモンが、嬉しそうに右前足を上げた。
その仕草にくすりと笑い、もう一度しっかりと握手して手を離した。
「おっし、じゃあ今日お前等うちに来い!一乗寺も泊まってけ!」
「ええ!?」
「僕もいいの?太一さん!」
「おお!ついでに大輔も呼ぶか?あいつがいた方が一乗寺も気が楽だろ?」
「えっ、でも…」
「こーいう時は、ちょっと時間置くとまた照れ臭くてギクシャクしちまうもんなんだ。一気に親交深めちまいな!オレが許す!」
許すって…と苦笑いを浮かべる賢に、タケルが嬉しそうに笑いかけた。
「行こう、一乗寺君!太一さんのオムライス、すっごく美味しいんだよ♪」
「お、それはリクエストか?タケル」
「えへへ♪いいでしょ?太一さんv」
「OKいいよ。楽しみにしてな」
太一の了承に、ワームモンまで歓声を上げてしまっては仕方が無い。
賢は申し訳無さそうに、それじゃあお邪魔しますと頭を下げた。
それに笑って頷き、彼等の背を押すようにゲートポイントに向かいつつ、傍らのアグモンに感謝の瞳を向けた。
タケルに心の真実を計るために誘導しつつ、太一自身も己の罪と向き合わざるを得なかった。
分かっていても、はっきりと言葉で再認識するのは…結構辛い。
それでも逃げずに向き合えたのは、隣で静かに座っていてくれたアグモンの手をずっと握り締めていたからだ。
彼の勇気を分けてもらっていたからだ。
ただ側にいてくれる…それがどんなに心強いことなのかも再認識出来た。
ありがとう…と言葉にせずに語りかけると、どういたしましてとその瞳がほころんだ。
共に笑い、共に泣き、これからもずっと…共に戦っていくパートナー。
「…それじゃアグモン。またな」
「うん、またね♪」
微笑んで手を振り、再び二人の世界は隔たれた。
それでも、喜びも悲しみも、苦しみも…罪も全て。
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