目が覚めて、視界のピントが合った途端、体中の血の気が下がる…という経験を、生まれて初めて…した。 「賢君!?」 聞き覚えのある驚いた声音に、一乗寺賢は振り向いた先に予想通りの人物を見つけて微笑んだ。 憂鬱でしかなかった『仕事』の帰りに気心の知れた友人の声を聞く…それだけでほっと肩の力が抜ける自分の現金さは少しおかしくもあった。 けれど、そんな風に自分の救いとなってくれる存在がいるということは、素直に嬉しくもあり、こそばゆくもある。 「京さん。奇遇ですね、こんな所で会うなんて」 「やだ、ホント!なあに?国の税金使って無駄金接待?」 「そこまであからさまに言われると、逆に気持ちいいですね」 苦笑しつつ否定しない年下の仲間の背中を景気良く叩きながら、京は軽やかに笑って彼の顔を覗き込んだ。 「…疲れてるわね」 「…分かります?」 先程よりも苦笑を濃くした賢に、京は当然と笑う。 「何年『仲間』やってると思ってるのよ?その他大勢の皆様を騙せたって、この京様は騙せないわよ!」 「はは。お見逸れしました」 ふふんと胸を張る京に、賢は神妙に頭を下げて見せるが、ふいに同時に吹き出した。 「京さんは今日は接待する側で?」 「そ。今回のプロジェクトは光子郎さんもいないし、大きな仕事任されるのは遣り甲斐あっていいんだけど、何かと気疲れすることも多くって。…ったく、なんだって仕事の話するのに酒の席を設けなきゃならないのか、未だに疑問だわ!」 「それはされる側になっても思いますけどねぇ。仕事の内とはいえ結構苦痛で…どうです?時間があるなら、これから気を遣わない接待など。…もちろん、僕の自腹で」 「いいわねぇ?金はあるトコからたかるに限るわ?」 「それでこそ京さん!」 そうして、仕事の鬱を祓う様に、二人は仲良く腕を組んで夜の繁華街へと向かった。 そしてその十数時間後である現在…二人はどう見ても『ラブホテル』としか思えない場所で、言い訳のしようも無い裸体で並んで目を覚まし、体の奥に残るけだるさと鈍痛を口にすることも無く、大変気まずい沈黙に支配されていた。 唯一の救いは…いや、あまり救いでも無いが、全く逃げようも無いこの状況でも神の采配の如く、同時に目を覚ましたことだろうか。 おかげで、パニック度も同じく、どちらが置いてきぼりになることも無く膠着状態を保っていた。 「………………………」 「………………………」 手持ち無沙汰につい手近にあったボタンを押すと、自分達が向かい合って据わっているベットが…ピンク色にライトアップされ、気まずさが更にパワーアップされて、重力が無いはずの光源が頭上から圧し掛かる。 「「………………………っ」」 それに耐えかねて思わず違うボタンを押すと、壁画だと思っていた壁が、安っぽい全面鏡に早代わりした。 「「………………………っっ」」 目を背けたい現実をミラーハウスのごとく直視させられ、デジモンカイザーになりそうな衝撃に気が遠くなりかける。 頭が痛い。 この頭痛が現在の状況によるものなのか、それとも飲み過ぎた二日酔いによるものなのか、それすらも判断出来かねた。 「……………賢君」 「………はい」 埒が明かない状況に嘆息し、京が少し掠れた声を絞り出す。 「……………とりあえず…帰りましょうか」 「……そうですね。…あ、シャワーお先にどうぞ」 「そうね…ありがと…」 互いを見ないように立ち上がり、とりあえず今出来そうな、一番建設的だろう行動を起こすことにする。 現実逃避と笑わば笑え。 その通り! 逃げたいんだよ!!…と、二人の心は同じ結論に達していた。 そして、少々引き攣りながらも…二人はいつものように、何事も無かったかのように別れて家路についた。 「…………………………マジ……………?」 両手で支え持つほど大きな物では無いそれをこれ以上無いくらいの慎重な仕草で握りしめ、背筋を伝う嫌〜な汗と共に自分が蒼褪めていくのが分かる。 心当たりもある。 兆候もあった。 だからこそ今自分は、会社のトイレなんかに篭もって固まっているのだから…。 上を向いてあまり見慣れない天井をしばし見つめ、徐に視線を落として綺麗に磨かれた床に溜め息を送った。 その時にはもう、顔色はいいとは言えないが、心は決まっていた。 「……しゃーない。とりあえず、呼び出すか」 ん、と背伸びをしてトイレを出る。 彼女の持っていた物…『妊娠検査薬』は、はっきりと『陽性』を示していた。 数日後、賢を呼び出した京は、行きつけの喫茶店の奥まった席に陣取り、注文した飲み物が運ばれて来ると直ぐに一口飲む。 最近欲しくて仕方が無い『ハチミツレモン』。 その様子を不思議そうに見ていた賢と目を合わせると、挨拶も無く突然切り出した。 「賢君。悪いんだけどさ…認知だけでいいからしてくんない?」 「……はあ??」 唐突な言葉に、賢の頭は五センチ下がって十センチほど前に出た。 何の話ですか?と雄弁に物語る彼の瞳に苦笑し、京は背もたれに体を預けるように胸を張って頭を掻く。 「いやあ〜…デキちゃったのよ、つまり」 あはははは〜と笑う京の姿に、賢はこれ以上無理というほど瞳を見開く。 「……………デキ、ちゃった……?」 漸く、というように搾り出した声は、少々掠れていた。 無理も無い。 が、事態は容赦なく進む。 目の前で上手そうにビタミンを摂取する女によって…。 「そ。ほら、あの時の」 「あの、時……」 「うん。あたしら二人とも覚えて無かったし既に忘れかけてたけどさ、やっぱヤることしっかりヤってたみたいで、デキちゃってたのよ…子ども」 「…………」 呆然とただ相槌を打つのみの賢に、京は淡々と事実のみを説明する。 反対の立場だったら、やっぱり自分もこんな風に呆けるしかないんだろうな〜と、何処か冷静に観察しながら、それでも彼の気持ちが現実に着いて来るのを待とうとグラスに手を取ってストローに口を付ける。 やっぱり、今はこれが一番『美味しく』飲める。 最近は『つわり』も始まってあまり食欲も無いのだが、これだけは飲めるから不思議だ。 けれど、人によっては酸っぱい物全般が駄目になったり、甘い物しか食べれなくなったという話も聞くから、自分は結構『一般的な妊婦』とやらになったんだな〜と妙な感慨に浸っていると、自分を見つめる真剣な瞳にぶつかった。 「……産むんですか?」 「産むわよ」 訝しむような問いかけに、京はけろりと答えた。 そのあまりの気負いの無さに、賢の方が一瞬鼻白む。それをくすりと笑って京は言った。 「あたしの子だもん。まあ、どーしても欲しいって出来た子じゃ無いけど、せっかくあたしのトコに来てくれたんだから歓迎して産んであげなきゃ可哀そうじゃない?幸い、経済的にも健康的にもどうしても無理ってわけでも無いし、感情的に嫌ってことも無いし…そりゃ、自信満々に母になる!なんて言えないけど…賢君の子だしね」 「僕の…?」 「うん。顔良し・頭良し・性格良しの賢君の血引いてるんだし、よっぽどあたしが子育て失敗しなきゃ滅多なことにはならないでしょ。だったらやっぱり可愛いだろーしね」 そう言って笑った京に、賢は瞠目する。 自分の母は特に『子育てに失敗』した訳でも無いだろうに、自分は見事に道を踏み外して『デジモンカイザー』になりましたよ?ヤバくないですか?的突込みが脳裏を過ぎったが、今はとりあえず過ぎったまま通り過ぎさせておいた。 京の言っていることは軽い感じがするけれど、その目は真剣で…既に『母』の匂いすら感じさせる。 小学校の頃からよく見た、腹をくくった時の、あの強い京がそこにいた。 それを感じ取った時、賢の中でも渦巻いていた動揺が嘘のように消え去った。 そして、浮かび上がるビジョン。 ああ、これを言ったら彼女は驚くだろうな、と思うと状況も忘れてわくわくさえする。 だが、つい先ほど、自分も同じように驚愕させられたことを思えばお互い様だとも思えた。 腹はいつの間にかくくられていて、言葉は緊張の欠片も無く自然と飛び出した。 「…………………分かりました。でも、一つだけ条件があります」 「ん?なに〜?」 ストローでずず〜と音をたてながら、一気に最後まで飲み干しつつ見返す京を真っ直ぐに見詰める。 「結婚して下さい」 「へぇ〜…………………………………」 最後の一滴まで飲み干されたグラスの中で、残った氷がカラン…と崩れた。 「…………………はあ!?」 ほんの十数分前の賢よりも長い間が開き、そして激しく京の頭が揺れた。 「何を隠そう、僕ずっと『お父さん』になるのが夢だったんです。こんな千載一遇のチャンス逃す手はありません。京さんも言ってたように、自分で言うのもなんですが、顔良し・頭良し・性格良しに、おまけで収入も良し、です。お買い得だと思いませんか?」 「は!?…って、ちょ、ちょっと待っ…」 「待てません。もう悪阻が始まってるってことは、そろそろお腹も膨らんでくるんじゃありませんか?」 「え?あ、まあ、そろそろ八週目…」 「だったら急がないと。式を挙げるなら更に急がないと、マタニティウェディングドレスになっちゃいますよ?あ、それとも子ども産んでから改めて式挙げます?赤ん坊抱いた結婚式も乙ですよね」 「は?あ、三ヶ月程度じゃまだ膨らまな――って、ホントにちょっと待てい!!」 止まらない賢の言葉に、京は全身で待ったをかけた。 たったそれだけのことなのに、子どもが出来たことを告白するよりも疲れたのは何故だろう…。 「………本気?」 「大本気です」 恐る恐るした確認には、きっぱりとした返答が返って来た。 ついさっきまで呆然と現実に置き去りにされていた人と同一人物だとは思えない覇気がある。 「……あのさあ…今更なんだけど、あたし達って…友達よね?」 「そうですね」 「…仲間…でもあるわよね?」 「そうですね」 「でも………恋人じゃあ、無かったわよね…?」 「その通りですね」 今の今まで結婚を迫っていた男とその男の子供を妊娠している女は、何処か矛盾する…けれど120%真実を隠しもしない潔い肯定に眩暈がした。 もし、彼等の会話を聞いている者がいたならば、興味津々で耳をそばだてていただろうが、生憎残念なことに、周囲には誰もいなかった。 京は一度自分を落ち着けるように咳払いをし、改めて向かい合った。 「じゃあ、なんでいきなり、結婚なわけ…?」 「京さんが僕の子どもを産んでくれるからですね」 「いや、それ…『くれるから』とか言うんじゃなくて、どっちかってーとあたしの意志だし…」 「そうですね。けれど僕的に言えば『産んでくれる』って感じなんで」 「……………あたしとしてはさ、何て言うか…『産むな』って言われるか、認知しぶられるか〜とかいうのを想定してたんだけど…反対とかしないわけ?」 「するように見えますか?僕」 少々疲れながら告げた言葉に返って来たのは、不本意そうな小さな驚き。 普通反対されるだろうな…と思っていたため、彼もそうだと頭から決め付けていたが、そういえば相手を自分がよ〜く知っている『彼本人』であるとしっかり考えたことがあっただろうか…。 そう思うと、自分がしようとしていることに、例え本意で無かったとしても頭から反対するような賢の姿は想像がつかない。 そのことに漸く気づいた自分は、自分で思っていたよりも、結構いっぱいいっぱいだったようだ…。 それを自覚すると、しているつもりのなかったこわばりが解け、肩の力がすとんと抜けた。 そして脱力仕切っていた体を起こし、彼に真っ直ぐに向き合う。 「……とんだことになったな〜とか、思わないわけだ?」 「思いませんね」 「失敗したな〜とかは?」 「全然」 「人生設計台無しだ〜とか」 「そんな細かい設計は、元より立ててません」 くすくすと笑いながら問う応えは、いっそ気持ちがいいほど前向きだった。 「じゃあ、今の気持ちを一言で表すと?」 「…『棚ぼた』ですかね」 「た『棚ぼた』??」 あまりに意表をつかれた言葉に、流石の京の声も裏返る。 その様子に賢はにっこりと微笑んだ。 「昔から…京さんは僕にとって『憧れのお姉さん』でしたから」 「…っっ///」 ぼんっ、と音がしそうなほど京の顔が真っ赤に染まった。 「その『憧れのお姉さん』が『奥さん』になってくれるかもしれないって言うんですから…正に『棚からぼたもち』でしょう?」 嬉しそうに言わないでっ! なんでそんな楽しそうなのよっ! てか、照れる! そんな風に思ってたなんて全然知らなかったわよ―――っっ!! …と、そんな叫びも意味無く開閉するだけの口からは発せられることも無く、その様子に賢はますます楽しそうに笑う。 「確かに僕等は『友人』で『仲間』で、それ以上でも以下でも無い関係でしたけど、折角新しい僕等を繋ぐものが出来たんです。順番はあべこべだけれど…夫婦になりましょう?『恋』は、それからゆっくりしていけばいいと思いませんか?」 ほんの数ヶ月前まで、考えもしなかったいま現在。 本当に、何もかもがあべこべで、世間一般の『普通』には何一つ当て嵌まらないだろう自分達。 けれど…でも…。 それも、いいかもしれない。 どうせ一生付き合うことになっただろう自分達なのだから、この際、誰よりも近くに、誰よりも傍で、一緒に生きていくのもいいかもしれない。 考えもしなかったけれど。 思いもよらなかったけれど。 このお腹の子どもが導いてくれた未来は…そんなに悪いものでは無い。 「諦めて、僕の奥さんになって下さい。それから、子どもお母さんになりましょう」 「…負けたわ。いいわ、奥さんになったげる」 「本当ですか!?」 降参ポーズで了承した京に、賢は驚いたように声を上げ、彼女が頷くの見て破顔した。 「で、一つだけお願い聞いてくれる?」 「何ですか?」 一つ大きな問題が片付くと、むくむくと欲が膨らんでくる。そんな現金な自分に少し笑えた。 「太一さん達が式上げたあの教会覚えてる?」 「ええ。蔦が巻きついてる小奇麗な…」 「あそこで式、あげたいな〜なんて?」 思わぬリクエストに少し驚いたように目を見張るが、次いで納得したように笑った。 「いいですね」 突然の妊娠。 突然の結婚。 唐突なお願い。 …全て、何一つ否定することなく笑って受け入れる度量のある男。 そんな人が自分の『夫』になるのかと思うと…少しくすぐったい。 考えもしなかった未来。 思いもしなかった隣に立つ人…けれど、大丈夫。 自分はこの人が好きだから。 まだ『恋』では無いけれど、生涯を共にすることが少しも嫌では無いくらいに大好きだから。 さあ、幸せになろう。 「ところで京さん」 「何?」 「この後、ご両親への挨拶と指輪の購入、どっちが先がいいですか?」 「…………ちょっと、考えさせて」 そうして、またしても誕生してしまった『お付き合い期間ゼロ夫婦』は…現実問題に小さく溜め息をついた。 突然送られてきた結婚式の招待状に、仲間達はそれぞれの自宅でたっぷり三分固まったという…。 ものすごく見覚えのある新郎と新婦の名前…だが、彼等が付き合っていたという話はついぞ聞いたことが無い。 絶対無い。 あり得ない。 どういうことだ!!?? …と、パニック絶好調を東京都内と一部海外で局地的に起こした日…一乗寺家と井之上家の電話は大変賑やかに鳴り響き続けた。 結婚式当日…身内と友人達だけを招いたささやかな式は、無駄口を叩かない厳粛(?)な雰囲気の元、しめやかに執り行われた。 普通、幸福いっぱいで近づく者全てに胸妬けを起こさせるだろう新郎新婦は、終始引き攣った誤魔化し笑いを浮かべ続けていた。 普通、祝福を体全体で表すべき友人達は、張り付いた笑顔と白い目で本日の主役達と新婦の腹を交互に見つめた。 電話じゃ埒があかんと本人達の自宅に押しかけた仲間達は、強制的に当事者二人を揃えて真実を吐かせた。 実は『出来ちゃった婚』で現在妊娠五ヶ月なこと、そしてそれに至る経緯まで記憶に無いことを除いて全て一から十、もしくは十二・十三まで暴かれた。 その時の仲間達の、揃って棒を飲み込んだような顔は…きっと一生、苦笑と共に思い出すことが出来るだろう。 ちなみに、仲間内でフラワーシャワーとライスシャワーのどちらにするかという話になった時に、満場一致でライスシャワーになった時、話し合い会場となった八神家でそれを小耳に挟んだ八神母は、食べ物を大事にするあの子達が珍しいわね…と不思議に思ったが、当日その場に居合わせていたのなら深く納得したことだろう…。 教会から腕を組んで出て来た新郎新婦に、友人達の目が鈍く光った。 「おめでと〜」 「おめでと〜っ」 「おっめでと〜っ!」 という祝福の言葉に返る二人の言葉は…。 「痛い痛いっ、痛いって〜っ」 「つ―――っ!!」 ライスシャワーとは名ばかりの、例えて言うならライスシャワー『鬼は外』版。 流石に妊娠中の新婦に力いっぱい投げる訳にもいかず、もっぱら新郎へと的が集中していたが、顔を狙っていないとはいえ、数が多ければ礼装越しでも痛い。 が、それも複雑な愛故と知っていればこそ本気で怒る訳にもいかず、新郎新婦は仲間達の祝福を大人しく受けるほか無かったのだった。 そして、その心温まる様子を、両家の親族達は苦笑しつつも何処か嬉しそうに見守っていた。 明日のことは分からない。 十年後、自分の隣にいる人が誰かなど、きっと誰にも分からない。 けれど願わくば…。 「あっ…笑った!」 「ホント小さいな〜」 紅葉の掌が、まるで離れたくないとでも言うように握ってくる。 それを感じられる、現在(いま)の幸せ。 願わくば、十年後も二十年後もその先も…大好きな人が隣で笑っていてくれますように。 そのために、未来へ…。 |
おわり |
オフィシャル賢×京の補完話でした(笑)
同人誌用書き下ろしでしたが、完売してしばらく経つので
サイトへお目見えです。
…自分で言うのもなんですが…妄想って便利だなぁ〜(笑)
あんな無理な設定を、とりあえず自分が納得出来るように
それなりに組み立ててくれるんですもの(苦笑)
そんな訳で、うちでは、この二人はこの様にくっつきました。
他の話では、どう転んだって『友達』のままですけどね!!(笑)