「マジか…」
「マジよ」

 疑問詞を付けるでなく空気に溶けるように呟かれた言葉は、感嘆詞すら付けずにきっぱりと肯定された。

「…諦めついた?」
「………」
「沈黙は肯定とみなします」
「悪徳政治家かよ」
「『悪徳』つけなくても、国会じゃよく聞く言葉よね」

 悪びれる様子も無く正面やや上段から見下ろす瞳を、太一は真っ直ぐに見上げた。

「……了解。好きにしてくれ」
「うふv分かればよろしいv人間素直が一番よね〜♪」
「………」

 空の嬉しそうな声に、太一は理不尽さを忘れるように大きな溜め息をついた。

「ヒカリちゃん、京ちゃん、準備はいい?」
「「OKでーす♪」」

 両手いっぱいに『作業道具』を持ってにっこり笑った妹と仲間の少女に、これからやることをそんなに楽しそうにしているのも、にーちゃんどーかと思うぞ…と、言葉に出来ずに、またしても大きな溜め息を零すのだった。











 ことの起こりは、ヤマトの呆れんばかりの『女難』だった。

 彼のライブに来る少女達は、歌が目当てなのか本人が目当てなのか…とにかく、彼女の座をGETしたい(らしい)娘さん達で溢れている。
 待ち伏せをされ、追いかけられ、捕まえられても出る話題はそれ一色で、流石に精神的苦痛に追い詰められたヤマトが仲間達に泣きついたのだ。

 誰か仮でいいから『彼女』になってくれ!…と。

 そんな必死の彼の頼みに、女性陣は冷たかった。
 全員揃って即座にNOを言い渡され打ちひしがれるヤマトに、彼女達の言い分はこうだった。

「だってね〜、ヤマトさんのFanの人ってマナー悪いじゃないですか」
「そうそう。ヤマトを助けたつもりで、反対にこっちが闇討ちに合いそう」
「ですよね〜。学校とか家とか突き止められて、半ストーカー状態に付き纏われたあげく、全ての行動をチェックされて『あの子はあなたの彼女には相応しくないわっ』とか言って御注進に来たりとか」
「あ〜やりそうよね〜。こっちの被害甚大っぽい」
「それに、彼女が仮にいたとしても、そんなのお構い無しにアタックしてくるんじゃない?」
「ありえる〜♪」

 言いたい放題の状態にヤマトはしくしくと泣き崩れ、そんな彼を太一が苦笑しつつよしよしと慰めた。

「それに、あたしとヤマトじゃ学校も同じなんだし、付き合ってないのも直ぐバレるわよ?」
「後、私や京さんみたいな小学生が相手じゃ、ヤマトさんロリコン扱いされるかもですし」
「安全圏のミミお姉さまはアメリカだし…説得力薄いわよね」

 ずかずかと『考えが浅はかなんじゃ』と言われ、ヤマトはますます落ち込んだ。
 そんな彼の様子に満足したのか、空がにやりと笑った。

「ねえヤマト。どーせなら、架空の人物を創らない?」
「架空?」
「そvヤマトの傍若無人で何様なファン達が何も言えずに引き下がっちゃうよーな完璧な恋人vだけど、迷惑かけれない調べられない人物♪」
「…何だそれ?」
「ん♪」

 ハテナマークでいっぱいの一同の中、空はにっこり微笑んで太一をついっと指し示す。

「「………は?」」

「だ・か・ら、太一が、『変装』す・る・のv」

 全員が表情の無いまま空を見て、太一を見て、もう一度空を見る。

「はあぁっ!?」
「いぃ〜♪それいいっvv」
「空さん頭いい〜vやりましょうっぜひっ!」
「でしょお?おほほほほほほ♪」
「や、ちょっ、ちょい待っ」
「どーするどーする?いつやります?」
「今週末ヤマトライブだったわよね♪この日でどう?」
「いいですねv善は急げと言いますしv」
「とりあえず別人に見せるために、ウィッグは必要ね♪」
「後は…」
「だぁからっ、ちょっと待てっ!」

 叫んだヤマトに、女性陣三人のにこやかな冷たい視線が向けられた。

「ぐだぐだ言ってんじゃないわよ。あんたのために皆で知恵しぼってんでしょ?」
「それとも、ヤマトさんには今の状況を打破する具体的な他の案でもあるんですか?」
「まさか、自分が助かるためなら、あたし達が犠牲になっても構わない…なーんて言うわけじゃ、ありませんよね?」
「そ、そんなことはっ」
「「「だったら、これしかないんじゃない(ですか)?」」」

 きっぱりと切り捨てられてしまったヤマトは、助けを求めるように太一を見るが、それまで沈黙を守っていた彼の瞳を見て固まった。

「あーなった女共を止めよーって方がおかしい」
「え……」
「それよりオレは、こーいうネタを持って来たお前の方が許せないね」
「…た…太一……」

 にっこり笑顔でヤマトに迫る。

「…この貸しは…でっっけぇからなぁ〜〜〜〜?」

 その瞳は…全く、全然、これっぽっちも笑ってなんかいなかった…。












 ライブ当日、空とヒカリと京の三人に思う存分遊ばれ、いや、磨き上げられ、ライブ会場に向かうために迎えに来た光子郎を、思わず時が止まるほどに驚かせた。

「ふっふっふっ…これなら誰も、オレが『八神太一』とは思うまい」
「ええ。ウィッグと服装だけでこんなに変わるんですね〜」
「一応薄いけど、化粧もしてるけどな」

 誰が見てもと言うか、十人すれ違えば十人が振り返るだろう美少女の姿をして、男らしく(ヤケになって)笑う太一に、光子郎もそっと微笑を浮かべた。

「だけど、とてもお似合いですよ」
「似合ってても嬉しくねーけど、似合ってなきゃ困るからな…見てろよ…この憂さはヤマトで晴らしてやる…!」
「それはそれは…」

 握りこぶしで決意も新たにする太一に、ヤマトの運命を思ってこっそり笑う。
 自分には『眼福』だが、彼には『心臓に悪い』かもしれないこの姿を見て、どんな反応をするのか今からとても楽しみだった。

 出来るだけ人通りの少ない道を選んで来たが、夕方も過ぎるとそういった道ばかり進むわけにもいかない。
 仕方なく大通りの方に出るが、そうなると途端人の視線が突き刺さって来た。

「見られてますね…」
「見られてんな…」

 どこか頬を染めた浮わついた視線を受けつつ、二人はぼそりと互いにだけ聞こえるように会話する。

「太一さん、もうちょっと楽しそうにして下さいよ」
「楽しそうってどんなだよ?」
「例えば、これから彼氏に会いに行けて嬉しいvみたいな、華やかな感じを」
「無茶ゆーなっ!」

 牙を剥いた太一を光子郎が笑って受け止める。
 そんな姿は、傍目から見れば楽しそうに語らう恋人同士に見えていたのかもしれない…そんな思惑が光子郎にあったのかなかったのか、とりあえず目的地が見えるまで、予想されていた鬱陶しいナンパには会わなかった。

「…すげぇ人だかり…」
「開場前ですからね…て、あれ?あそこの中心の金髪頭…ヤマトさんじゃありませんか?」
「え?…ありゃホントだ。何やってやがんだあいつ…リハすっぽかしたのか?」
「いえ、たぶんジャンケン負けて買い出しに行かされたんじゃありませんか?で、Fanに見つかった…と」
「ったく、しゃあねぇなぁ〜…」

 仕方無さそうに溜め息をつき、ヤマトがいる輪に向かって真っ直ぐ歩きだした太一を慌てて引き止めた。

「太一さんっ!今ここで出て行っても、一Fanになっちゃうかもしれませんよ!?」
「ま、見てろって♪親切はそれなりに、嫌がらせはとことんってな♪」
「…太一さん…」

 呆れたような、心配そうな声に送られ、太一は小さく手を振り駆け出した。
 それを見てくらりとした頭を何とか支える…その走り方は誰に教え込まれて来たのか…ちゃんと女の子走りだったのだ…。

「ヤ・マ・トv」
「え?」

 周りにバリケードがあるかのように一歩も動けず立ち往生していたヤマトに、折角着飾っているのに興奮してすごい形相の女の子達が発するものとは明らかに違う、よく通る愛らしい声が届けられた。
 ヤマトはその雰囲気の違いに、女子達は『憧れの彼』を呼び捨てにする不埒者に対する憤りから振り返り、そして見事に揃ってフリーズした。

 そこには、タータンチェックのミニ巻きスカートに黒のニーソックス、足元はショートブーツで固め、体にぴったりのTシャツ、そして袖ぐりと襟元をファーで飾った大きめの上着をひっかけただけの愛らしいセミロングの美少女が微笑みを浮かべて立っていた。

「…………」
「何?迎えに出て来てくれたの?」
「えっ!?」

 嬉しそうに笑いながら近づく『彼女』に、少女達は何故か条件反射のように道を開けてしまい、自分の前を通り過ぎるのを呆然と見送ってから、その後姿を認めてはっと我に返る始末。
 ヤマトなどは目の前に来てもまだ心ここに在らずといった体で、太一がさりげなさを装ってするりと腕を組むと、顔を真っ赤にしてうろたえた。

「光子郎君に連れて来てもらったんだけど、ここでヤマトに会えてよかったvメンバーに紹介してくれるんでしょ?」
「えっ…あっ!」

 微笑を絶やさず後ろを振り返り、集団から離れた所に立っている光子郎を指すと、彼は苦笑しながらぺこりと頭を下げる。
 ヤマトはそれでやっと、今自分に懐いている美少女の正体が分かったようだった。

「あ、ああ…早かったんだな。楽屋に案内するよ」
「うん♪光子郎君、行こっ!」

 ヤマトの言葉に嬉し気に腕を絡め、光子郎に手を振って合図する…その拍子に手も口も出せずに呆然と囲んでいた少女達と目が合った。
 それに我を取り戻した少女達との間に火花が散るのでは、とヤマトと光子郎が内心で滝のような冷や汗を垂れ流した時…。

 目線の厳しくなった彼女達に向かって太一は、ただ…そう、何の敵意も牽制も無い瞳で、ただにっこりと微笑んだ。

「………………」
「さ、行こヤマトv」
「あ、…ああ」

 敵愾心ごと削ぎ落とされたようにうっとりとした瞳で見送るお嬢さん方を残し、先を行く太一の後を一瞬呆然として出遅れたヤマトと光子郎は、慌てて追いかけるのだった…。

「た、太一っ!」

 楽屋へと続く狭い廊下の中で、太一の黄金の右足がヤマトの向う脛をクリーンヒットする。

「…なーにボケっとしてたんだよ。オレが変装して来るって言ってあっただろ?」
「そ、そりゃ聞いてたけどさ…そこまで完璧に仕上げて来るとは予想してなかったんだよっ」
「完璧じゃなきゃ意味ねーだろが。おら、さっさと案内しやがれ!オレは気色悪ぃ女言葉酷使して疲れてんだよっ」
「ええ…僕も光子郎『君』とか呼ばれた時は飛び上がるかと思いましたよ…」
「空がその方がいいって言ったんだよ。オレも必死で我慢してたんだからなっ」
「あはは…そういえば太一さん。最後にあの人達に笑いかけたのも空さん達の助言ですか?」
「ああ。あれであいつ等戦闘モード完全解除って感じだったよな」

 ヤマトと光子郎がしきりに感心して頷き合う。

「ありゃヒカリに言われたんだ。『女共と目が合ったら、アグモンを相手にしてるつもりで笑いかけろ』って」
「「…………なるほど」」

 兄の身を守るために万全の対策を尽くす、ヒカリらしい助言だ。
 あんな微笑で見つめられれば、例え親の敵であったとしても魅了されてしまうかもしれない。
 現に、常日頃傍若無人で知られるFan達が、何一つ反論する事無く、頬を染めて見送ってしまったのだから…。

 ヒカリとて、普段の兄であるならばそんな提案は出さなかったかもしれないが、現在は非常事態とも言える『架空の人物』に成りすましているからこそ、そんな奥の手を出して来たと言えるだろう。

「ここが楽屋だ。メンバーには一応話してあるから…」
「おう。さっさと開けろ」
「………」

 腕組みをして尊大に言い放つ太一に、ヤマトと光子郎は小さく苦笑した。
 太一はあまり意識していないようだが、メンバー達の反応が見ずとも予想出来…何とも言えず複雑な気分だ。

「…ただいま。ジュース買って来たぞ…」
「おう!遅かったな、ヤ……」
「………」

 沈黙がそう広くは無い楽屋内に広がる。
 全員の頬が見事に染まったのを見て、ヤマトと光子郎は『やっぱり…』と苦い溜め息をついた。

「よお。ちょっと世話んなるぜ〜」
「…………」
「?何だよ?」

 理想を具現化したような美少女の口から放たれたあまりにも男らしい台詞に、メンバー達はぱかっと口を開ける。
 そして止まっていた思考回路が徐々に機能し始め、一つの答えを導き出すのにたっぷり一分。

「…っお前っっ、八神かっっ!?」
「他に誰がいんだよ?…おい、ヤマト。ホントに話通してあったのか?」
「言ってはおいたんだがなぁ」

 無理も無いと苦笑するヤマトに、胡乱な瞳を向ける太一。
 音声さえ消せば、立派な恋人同士に見えてしまう。

「…すげ〜…オレ、八神となら付き合ってもいい…、いや、付き合って下さい!」
「オレもオレも!頼む八神!」
「オレが先だ!オレを選んでくれっ!」
「はっはっは!それ以上言ったら蹴り殺すぞ?」
「わっ、た、太一っ!」

 物騒な笑顔で足を振り上げようとした太一をヤマトが慌てて止めに入る。

「何だよ?」
「おっ前、ミニスカートで足上げんなよっ!」
「はあ?いーじゃんか、見えたって減るもんじゃ無し」
「増やす気かっ!」
「何を?」

 変態を…もとい、信望者を…とは言えない。

「…と、とにかく止めとけ…」
「へいへい。一応聞いとくか、『彼氏』の言葉は」
「…荒れてますねぇ〜」

 けっと言い放った太一に、光子郎が他人事な感想をのたまうもので、ヤマトの心労は重なるばかり。
 そんな『彼氏』を放っておいて、太一は手近な机に凭れ掛かって足を組む…そんな仕草でさえ心臓に悪い。

「ま、つーわけだから、お前等口裏合わせてくれよ?オレのこと聞かれたら『ヤマトの彼女』だって言ってもいいけど、絶対名前とかは言わねぇこと!後、オレが女装したってこともこの楽屋の外じゃ厳禁」
「もし言っちゃったら?」
「とりあえず、闇討ち」
「と、とりあえず?」
「おう。本格的な報復は、色々検討して、より効果的であるものを、時間をたっぷりかけてやってやるから覚悟しておけ」
「…了解」

 メンバー達は乾いた笑いを浮かべ、降伏ポーズで了承した。
 そんな彼等に太一がにっこり微笑みかけた時、タイミングよく楽屋のドアがノックされた。

「ウルフズさんもうすぐ出番でーす。スタンバイお願いしまーす」
「おっし、じゃあ行くか」
「ちょい待ち、ヤマト」
「あ?」

 ベースを手に立ち上がったヤマトの手を引き、太一はまじまじと彼の服装を見る。
 紺色の第三ボタンまで外したシャツにブラックジーンズ、指輪は幾つかつけているが、胸元にはチョーカーが二つかかっているだけのシンプルな衣装。

「その格好で出るのか?」
「ああ、そうだけ、どっ!?」
「っ!?」

 驚愕に目を見張る一同の中、太一はヤマトの襟を掴み上げ、首筋にはっきり残るキスマークを創り上げる。
 顔を上げた太一の瞳はそれはそれは楽しそうにほころんでおり、悪戯に成功した子供のように無邪気で、掌の上で意のままに男を操る悪女のように性質が悪かった。

「………///」
「ダ・メ・押・しv頑張れよ、ヤマトv」
「お…おうっ…」

 ふらふらと出て行くメンバー達を手を振って見送り、二人っきりになった楽屋の中で、太一は光子郎に向かってにやりと笑った。

「ま、ざっとこんなもんかな♪」
「…ホント、やるとなったら徹底的ですね…太一さん」
「ふふん♪相手が誰だろーと『ヤマトに女がいる』ってこと印象付けときゃいいんだろ?その結果、Fanが減ろーと人気が落ちよーとオレの知ったこっちゃ無いね。アフターケアまで面倒見切れるか。実力で何とかしろって言っとけ」
「え!?太一さん、もう帰るんですか?」
「ああ。『彼女』とかって舞台袖で観たりするんだろ?んな目立たねぇトコならいてもいなくても一緒じゃん?さっさと着替えたいし、先帰るよ」
「そんな、じゃあ僕もご一緒します!今日の太一さん一人じゃ危ないですよ!」
「お前観てなくていいのか?」
「ソフトは渡してありますからきっと何とかしますよ。書き置きも残して置きますし」
「ふーん、そんじゃ帰ろーぜ♪」

 そうして、太一達は仕事は終わったとばかりにさっさとライブハウスを後にした。
 その日のティーンエイジ・ウルフズの演奏はどこか上の空で、開演前超絶美少女のヤマトの彼女を目撃したという少女達によって、彼女にいい所を見せようとして空回りした等と噂され、首筋に浮かぶキスマークがその噂を更に決定付けるものとなったりもした。

 その後彼のバンドの人気がどうなるのかはまだ分からないが、一部の娘さん達を除き、『ヤマトの彼女の座』を狙う者達が格段に減ったことだけは事実である。
 一部局地的な弊害も生まれはしたが…。

「…八神可愛かったよな〜…」
「また女装してくんないかな〜…」
「なあ、ヤマト〜っ」
「絶対、ダメっ!」
「なんでだよ〜っ!?」
「なんでもっ!」

 日を空けずされるメンバー達のおねだりに、ヤマトの心労は増すばかり。
 それでも、押しに弱い彼が折れることは決して無い。
 何故ならば…。

「…これ以上ライバル増やしてたまるか…っ」




 屋上で呟いたヤマトの頭上には、何処までも広がる青い空。
 そこに浮かぶ彼の姿は…『あっかんべー』をしているものだった…。





 
おわり

    あ〜ヤマトさん気の毒〜(笑)
    ごめんなさい…私だけが楽しくて…(苦笑)
    どこの『太一さん至上主義サイト』でも一度はやるだろうと
    思われる『太一さんが女装してヤマトのライブに行く』ネタ。
    うちでもやっちゃいましたv(爆)
    なんかあれですね…クロ○コヤ○トの料金の高さに対する
    鬱憤をこちらのヤマトにぶつけている気がしなくもない今日
    この頃なのであります(笑)