もしも、彼の隣にいられるならば…魂を悪魔に売っても構わない。
そう思う人間は、異常なほど…多い…。
2001年、春。 卒業式に出席するのは、卒業生である六年生と在校生である四・五年生、あと教職員、卒業生の保護者達である。 しかし、この年の卒業式は、例年とはその趣を大きく変えていた。 泣き崩れる在校生達の姿に感動するよりも呆然とし、呆気にとられながら会場を後にすると…そこには、本日は自宅待機のはずの下級生達がそろって出迎えたのだった。 大多数の女子はヤマトの元へ駆けより、残りの女子と、圧倒的に多い男子達は太一の元に馳せ参じ…遅ればせながら事態に気づいた在校生達に後ろを支えられて何とかその場に踏み止まったという逸話が残っている。 それはさておき、そんな訳でお台場小学校には、未だに太一達を慕う子供達が大勢残っている。
ざわり…と空気が揺れた様だった。 何だろうと思いながらも深い興味は沸かず、それでも顔を上げた大輔は、習慣になってしまっていたパソコン教室への廊下を渡っていた自分に気づき、小さく舌打ちして回れ右をした。 今日はデジタルワールドへは行かない。 本当は行きたいけれど、先日、ちょっとした問題が出て来て、しばらく行かないことにしようと皆で話し合って決めた。 それが嫌なのでは無い。 教室のあちらこちらから、たくさんの楽しげな話声が聞こえる。 放課後だというのに、ずいぶんと大勢の子供達が残っているようだ。 大輔はむっつりと黙り込み、自分の教室へと向かう。 実は、これが大輔達がデジタルワールドにいけない理由なのだった。 デジモンカイザーという敵が現れ、新しい『選ばれし子供』達が揃い、太一達のデジモンが進化出来ずに例え戦力にならなかったとしても、色々な面で彼等を支えサポートするために、度々年長組は小学校を訪れていた。 放課後残っていると、卒業した先輩…八神太一達に会える…と。 それでもあまり気にせずすごしていたのだが、先日、パソコンルームで『隠しカメラ』が発見されるに至り、しばらくの間…そう、噂が下火になる位まではあの教室を使わないことにしようという話になったのだった。 大輔はそれが面白くない。 万が一にも、自分達がデジタルワールドへ行く所を目撃されてしまっては困る…それは分かる。分かるのだが…そのせいで、卒業してしまったせいで疎遠になりかけていた太一との接点が減ってしまうのが、どうしても嫌だった。 「あれ?」 教室に戻ると、いつもは用も無いのに残っているクラスメイトや、その他の理由で残っている者など五〜六人はいるのに、今日はそんな奴等所か、ヒカリやタケルの姿も見当たらなかった。 「…もう帰っちゃったのかな?」 約束をしていた訳では無いが、いつもデジタルワールドから戻って一緒に帰っているのに、挨拶も無く姿が見えないと、少し寂しい気がした。 歩く大輔の横を、複数の足音が駆け抜けて行く。 「おい、ホントか!?」 騒々しい彼等の言葉に、思わず首を傾げる。 誰がグランドにいるって? そこへ、彼等の向かった先から一際大きな歓声が上がった。 「………?」 近付くにつれて歓声はどんどん大きくなり、サッカークラブのグランドを中心にすごい人だかりが出来ているのが分かった。 「先パ――――イ!」 一瞬耳を疑ったが、考えるよりも先に体が動いていた。 「…た、太一先輩…?」 半ば困惑したまま呟けば、横から聞き慣れた声がかけられた。 「タケル!?」 同じく大輔を見つけたヒカリが、手を大きく振って太一を呼んだ。 「おう!大輔遅かったな!掃除終わったのか!?」 「は、はい!」 向けられた笑顔に、気分が急上昇していくのが分かる。 「ほら、太一さんがお呼びだよ」 ちゃっかり特等席を確保していたヒカリとタケルが大輔の背中を押す。 「大輔、さっさと着替えて来いよ!」 着替えを終えて太一の元に向かうと、彼の周りは上級生も下級生も入り乱れた二重三重の壁が出来ていた。 「本宮、どうした?」 でも、近付きたくてもバリケードがなぁ〜とぼやく友人を無視し、大輔はがく――んと落ち込む。 さっさと来ていれば良かった………!!! 落ち込む大輔の耳に、わっと歓声が上がったのが届く。 見ると、太一が輪の中で技を披露している所だった。 「と、こんな感じかな。ほら、お前らもやってみな!」 ぽうっと見ていると、綺麗にボールを足元で止め、太一がにっこりと後輩達に振り返った。 「大輔!ぼーっとしてねーで、お前もやってみな」 他の者のフォームを見ながら、太一がゆっくりと大輔の所に歩いて来た。 「ああ、大輔はさっきいなかったな。オレんトコの部活の監督と、ここの坂田先生が大学の先輩後輩らしいんだけど、監督から先生に何とかってレポートの資料持ってってくれって頼まれてな?んで、持って来たら坂田先生にこいつらに指導つけてくれって頼まれちゃってさぁ〜」 あはは〜と笑いながら、がしがしと頭を撫でる。 「あたっ、あたたたっ!センパイっ痛いっスよっ!」 首を羽交い絞めにされながらの押し問答。 「おう、林!毎日元気にサッカーしてるか?」 真っ赤になって直立不動の姿勢をとった友人を、太一に挟まれながらきょとんと見上げる。 そういえば、こいつも太一先輩の大FANだっけ…。 がんばれよ〜と言いつつ去って行く後姿を見送ってふと…。 「……林?」 よく分かっていない大輔の言葉に、白い目が向けられる。 「上がっちまって、まともに話せねーってこと!」 襟ぐりを捕まれて言われた中味は、ますます分からない…。 「……太一先輩、すっげぇ話やすいじゃん…?」 真っ赤になって叫ぶ林が殴るように襟ぐりを離した直後、後頭部に強い衝撃を受けつんのめって倒れこんだ。 「おらそこっ!喋ってないでさっさとやれっ!」 太一の蹴ったボールが、綺麗な放物線を描いて大輔に直撃したのだった。
それから、幾つかの技の指導等がされていき、いつも以上に真剣に練習に取り組んでいた子供達に向かって、太一が晴れやかな爆弾を投下した。 「それじゃ、今日ラストの課題。オレからボールを奪えた奴は、オレの得意技を教えてやろう♪」 空気が凍った。 太一の得意技の伝授→個人指導(たぶん)→デートv(…) とても分かりやすい三段活用が少年達の脳裏にオーバーラップした。 「あれ?知りたくねぇ?」 見事にハモった二十数人の子供達…見事なまでの結束力。 「そうか?じゃ、まず五十音順八人出ろ!誰か時間測ってくれ。一組十分な」 ぞろりと前を塞ぐ後輩達の顔を見て、太一がにやりと笑う。
「脇が甘い!もっと腰落とせ!」 立ち塞がった三人をいとも簡単に抜き去って行く…既に三組目の後半に入っているが、誰一人としてまだ太一からボールを奪った者はいない。 「追いついた!」 一度足元でトラップして、そのまま真正面から突っ込んで来た者の頭を跳び越える。 「あ、やべっ」 跳躍が足りず、太一は下にある後輩の背中に手をつき、馬跳びの要領で崩しかけたバランスを何とか整える。だが、下敷きになった者は体重を支え切れず地面に沈んだ。 「あ――っ!太一先輩それファールじゃないっすか!?」 他から飛んで来た野次に対しては冷たく返すが、潰してしまった当人に対しては案じる言葉をかける…それが全てプレイの最中なのは頭が下がるが、しっかりとボールを守りながら倒れ込んだ少年の元まで行き、肩まで叩いて行く所は、もはや人間技では無い…。 「ありゃりゃ…ん?」 残った者達も最後の気力を振り絞って立ち塞がる。 「大輔!右から抜くぞ!」 言った先から思わず右側に足を伸ばすと、太一はあっさり左側から抜いて行った。 「右じゃ無いんですかっ!?」 走る度に汗が光る粒になって舞う。 大輔はその姿に見とれた…。 そう、もう三十分近く全力で走り回っているというのに…何て楽しそうにプレイしているのだろう。 何故…? まるで、どうすればどう動くのか…ボールの状態を知り尽くしているようで、ただただ、見とれた…。 すごい…と心から思う。 見せてくれる笑顔が嬉しい。 嫉妬すら浮かばぬほどの、何処までも純粋な憧憬。
気づくと、太陽を背負った太一が、呆然と座り込んでいる自分に手を差し伸べてくれていた。 「終わったぞ…大輔」 太一の手にすがって立ち上がる。終了の合図すら聞こえていなかったらしい。 「よ――し、じゃぁ全員集合―――っ!」 太一の声に、わらわらと部員達が集まってくる。 ボカッ 「……いて―――……」 その中の何人かに一斉に頭を殴られたが、痛みと疲れで、文句を言う気力も無い…そして、加害者達は知らぬ顔で明後日方向を見つめていた。 太一の前で、普段監督を前にするように整列した部員だが、中には少し不安そうにしている者もいた。 そのことが、悲しい。 「今日の練習はこれで終わりだ。坂田先生が戻って来たら今日の出来を報告する予定だったが、待てど暮らせど戻って来る気配が無い。この場合オレが職員室に行って報告するのが筋なんだろうが、ここの職員室に行くと八割位の確率ですぐに帰してもらえないからパス!つーわけでキャプテン!」 普段賑やかな子供達が、しん…と静まり太一の次の言葉を固唾を飲んで待つ。 「……完全にオーバーワークのようだな。…大丈夫か?お前ら…」 少し呆れたような声音…それに驚いて何人かが顔を上げる。 「まぁ、あんだけ走り回れば仕方ねぇか。よく頑張ったよ、お前ら」 向けられた優しい笑み。 「オレも久しぶりに楽しくサッカーが出来た…ありがとな、皆」 「太一先輩……」 呆然と誰かが呟く…。 そう、いつだって欲しい言葉をくれる人。 「お前ら、上手くなったよ」 この笑顔をくれるなら、傍で見ることを許されるなら、どんなことだって出来る。 「太一先輩っ!」 大輔が叫び様タックルをかました。 「本宮!」 大混乱の太一と、本能炸裂の後輩達。 「お兄ちゃんv」 その声は確かに愛らしい響きを持っていた。 「ヒカリ」 余人に侵しがたい、ほんわか空気が彼等を包む。 「太一さん、お疲れ様ですvはい、これ。喉渇いたでしょう?」 嬉しそうに受け取り、光る汗を拭いながら喉を潤していく太一。 その手があったか…。 ギャラリー達の約九割が同じことを同時に思った。 「お前ら、待っててくれたのか?」 右側にヒカリ、左側にタケルを従え、太一がにこやかに振り返った。 「まず阿部!お前は攻めが弱い。もっと自信もって突っ込め!読みは悪くないから」 次々と部員の名を呼び上げながら、的確に指示を与えていく。 「…相変わらず、だね。太一さん」 半分呆れながら、それでももう半分は、誰よりも誇らしげに兄を見つめる。 「渡辺!力押ししすぎだ。お前は足が速いんだから、真正面ばっかに周りこまずに、もっとずるくなる位で調度いい。あと目でボールを追う癖を押さえろ。ボールばっか見てたんじゃ、フェイントかけてくれと言ってるよーなもんだ」 只一人名前を呼ばれなかった大輔が、恐る恐る手を上げる。 「大輔…お前は騙されすぎ!こないだ教えてやった弱点、直ってなかったぞ!?」 冗談ぽく言っているけれど、彼がどんなに真剣に教えてくれているか、分かる。 「ありがとうございました!」 勢い良く下げた頭に、ぽんっと温かい温もりが降りた。 嬉しい…。 素直に嬉しいと思える自分が、嬉しい。 「よし、じゃ、今日は解散!お疲れ!」 「ありがとうございました!」 一斉に頭を下げた後輩達ににっこりと笑い、太一は妹と、彼に最も近い弟分と一緒に帰って行った。 今は、まだこの距離が精一杯…でも、いつかきっと…。 「…この、バカ宮っ!」 今日何度目だろう謂れの無い暴力に、流石に声を荒げると、そこにはずらりと殺気を並べたチームメイト達が揃っていた。 「…あ、あの、皆さん…?」 じりっと近付いてくる只ならぬ空気に、大輔は知らず後退った。 「いや…ちょっと…あのな…?」 鬼のような形相の仲間達に追いかけられながら、必死なはずの心はどこか温かさに満たされていた。 彼に憧れてサッカークラブに入った。 少しずつ、確かな想いで近づけているだろう…距離。 自惚れてもいいのだろうか。
「…何か、騒がしいな…何かあったのかな?」 後にして来た小学校を襲った喧騒に、太一は不審気な視線を向けた。 「何だ?知ってるのか?」 楽しそうに腕を引っ張る妹達に、引きづられながら太一は家路を急ぐ。 「それはそうと、太一さんどう思います?」 彼の隣は誰もが望む、癒しの場所。 彼は何処まで来るだろう。 まだ少し困惑気味…それでも全てを許してくれる優しい人の、優しい横顔を、彼等の持つ最良の愛しさを込めて見つめる。
遠い、幼かったあの日から、想いは大きくなるばかり。
いつか、きっと………たぶん(笑) おわり |
つらつらと心の赴くままに書いたので、長くなって
しまいました…出来はともかく(苦笑)
思っていたのとだいぶ変わってしまいましたが、
太一さん賛美小説としては、それなりに…まぁ(笑)