「ヒカリ!先行くぞ!」 「あっ、待って!」 爽やかな朝に全く持って似つかわしい、騒々しい声で八神家の朝は始まる。 いつものことと両親は呆れ半分、微笑ましさ半分で二人を見つめながら普段通りに出勤の支度をする。 「太一、ヒカリ!忘れ物無いわね?」 「無いで――す!」 仲良く声を揃えた元気な返事が返って来た。 子供達の良いお返事に母はにっこり微笑むと、毎朝恒例の注意事項をこれまたおなじみのポーズつきで言い渡した。 「はい、じゃぁ行ってらっしゃい。車とチカンと愛想と気前のいい男の人に気をつけるのよ?」 「は――い、行って来ま――す!」 元気よく玄関から飛び出して行った娘達に、両親はやれやれと肩の荷を下ろし、時計を見て自分達もゆっくりしていられないことに気づいて慌てて出かけて行くのだった。 学校への十数分の道のりを、二人はいつも駆ける様にして登校する。 その間に様々な人に会うが、ちょっと待てと言いたくなるほど、走っている者に対して声をかける者が多い。 「あら、二人とも毎朝早いわねv」 「おはよう、今日も元気ね♪」 「相変わらず仲の良いこと。羨ましいわv」 それらの声に対して、二人は得てして愛想の良い笑顔を浮かべて返す。 声をかける方もかけられる方も、毎日のことだから応対も慣れたものだ。 何より、走り去ろうとする者の邪魔になること無く声をかけるタイミングは、プロとしか言いようが無い。 「今日も部活?がんばってねv」 「はい!行って来ます!」 にこやかな笑顔を振りまきながら去って行く爽やかな後姿に、見送った奥様方は一様にほう…とため息を吐いた。 「このためだけに…朝起きるのが、苦じゃ無いのよねぇ…」 微かに頬を染めながら頷き合う奥様方にとって、ご近所でも仲の良いことで評判の八神さん家の美人姉妹は…他に並ぶものの無いアイドルでもあったのだった。 実は、八神姉妹が学校まで走っていくのは部活に遅れそうなためでも、学校に遅刻しそうなためでも無い。 姉の太一(…)が中学のサッカー部に所属しているため、二年遅れで入学した妹のヒカリも当然のようにサッカー部に入部したが、姉ほど体を動かすことが得意では無いので、彼女をサポートするためだけにマネージャーになっていた。 その朝練があるための早起きなのだが、時間だけを問題にすればこの時間は決して遅くは無い。 それ所が歩いて行っても余裕で間に合うはずなのだ。 なのに、何故二人がこんなにも急いでいるのか…。 問題は奥様方と別れた後にやってくる、ため息しか出ない障害にあった。 「おはよう!八神さ〜ん♪」 後ろから聞こえた声に、二人の背中に同時に怖気が這い上がる。 そして、彼女達まであと三歩と声の主が迫った時、太一の肩にかけてあったスポーツバッグが美しい円を描いて彼の額にクリーンヒットした。 「……あ」 反射的にやってしまった自分の行動のせいで、彼の額には太一お気に入りのバッグのロゴが、アイロンプリントしたかの如く綺麗に写っていた。 むろん相手の意識は無い。 「…容赦無いね、お姉ちゃん」 「気にするな!次が来るぞ、ヒカリ!」 出会い頭にここまでやるつもりの無かったのは他でもない太一自身…少々動揺しながら誤魔化すようにヒカリに注意を促した。 ヒカリも別に太一を非難しているわけでは無く、彼女の方が一瞬行動が早かっただけで、太一がぶちのめしていなければ自分が手を下していただろうことは想像する間でも無く確信している。 呼びかけた相手が自分であれ姉であれ、あんな不快感を含めた響きで呼ぶような輩は許さない。 「やぁ!こんな所で会うなんて…」 言いかけた言葉は、ヒカリが振り上げた学生鞄の風切り音に飲み込まれて消えた。 「偶然だなぁvこんな偶然は運命と…」 最後まで聞く気はさらさら無く、口上の途中で攻撃するのは時代劇ならば大ブーイングの嵐だろうが、太一はこれっぽっちも気にしない。 「お嬢さん、こんないい天…」 「あなたのためにこ…」 「映画のチっ…」 「きょっ…」 集まってくる男達を問答無用で畳んで行く。 只の一言すら口にする事無く地面に沈む哀れな者すら少なくない。 中には手を触れる所か、いかなる理由にかいきなりもんどりうって倒れ込む者もいた…。 この理由については深く突っ込まないのが華というものだろう…。 「ヒ…ヒカリさ…」 名を呼びながら妹にじり寄って来た男に対し、太一がその黄金の右足を急所にお見舞いした。 声も無く沈み込んだその男の背に、振り上げた足をゆっくりと置き、ぎりっと踏みにじる。 セーラー服のプリーツスカートが、風でなびいて何とも言えず煽情的だが、生憎とその美味しい状況下にいる男は、地面に突っ伏している上に意識が無い。 「…このオレの目の前で、ヒカリに触れようとはいい度胸だ…」 怒りのオーラを漂わせ、底冷えする声で呟くが、既に夢の中の住人になってしまっている男の耳には届いていない。 余人が見れば、一歩引く所では無く、脱兎となって逃げ出しそうな姉の姿に、妹はうっとりと見とれていた。 自分を想ってくれる姉の姿が見たいがために、太一といる時は己で避けられそうな災厄でも姉に護られるに任せている。 自分しかいない時は、きっちりと自分で制裁を加えているが。 まぁ、それは太一も同じことだったが…。 「おい、太…」 「あっ!」 続け様流れるように繰り出した技が激突寸前、その相手の顔が目に入る…。 「………」 「……あっ……ぶねぇ……お前かよ」 絶句しながらも、紙一重で太一の拳を受け止めたのは、太一のよく知る者だった。 後ろでヒカリが小さく舌打ちしたが、太一はそれに気づかない。 「こーいう時は相手の確認なんて出来ねーんだから、近づくなって言ってあるだろう?ヤマト」 「…そうだったな」 呆れた様な声音に、返す言葉は力が無かった。 間違えて殴られそうになったのにこの言い草では、彼の立つ瀬が無いが、声をかけるタイミングを間違えたであろうことも確かなので何も言えない。 「そうよ、ちゃんと終わってから声かけなきゃ」 「仕方無いですよ。ヤマトさんって要領悪いですから」 知っていて止めなかったであろう友人達の温かい言葉に、ヤマトはますます脱力してしまう。 「空、光子郎!おっす♪今来たのか?」 「おはようございます。空さん、光子郎さん」 「おはよう、太一。ヒカリちゃん。つい今しがたね、光子郎君」 「ええ。おはようこざいます。太一さん、ヒカリさん」 そんなヤマトを無視してにこやかに朝の挨拶を交わす四人。 疲れきっているヤマトと、無残な姿を曝している屍共さえ視界に入れなければ、微笑ましい風景で通るだろう。 そして…。 「おはよう、ヤマト♪」 向日葵よりも眩しい、満開の笑顔を向けながら手を差し出した太一。 それだけで心の重荷が全て払拭された様な気分になり、ヤマトは身軽に立ち上がった。 「おはようございます、ヤマトさんv」 にっこり笑顔にハートマークまでつけてくれる大サービスは、ヤマト専用の悪魔の微笑み。 仲の良い八神姉妹の意見が真っ二つに割れるのは、ヤマトが関わることのみ。 だがそれもヒカリは決して表には出さないので、知っているのは敵意を向けられているヤマト本人と、極親しい仲間内の数人だけ。 天国と地獄を光速で行き来しているヤマトを綺麗に無視して、光子郎がにこやかに笑った。 「今日も素晴らしい立ち回りでしたね。お怪我が無くて、何よりです」 「まーな。いーかげん鬱陶しいぜ、こいつら…」 心底うんざりした様子の太一に、空が忍び笑いをもらす。 「そうね。一向に減らない所か数が増えてるみたいだもの…これも相乗効果っていうのかしら?」 「笑い事じゃねぇっつーの。こっちはヒカリに何かありゃしねーかと気が気じゃねーっつーのに…」 「お姉ちゃん。私はお姉ちゃんと一緒なら、絶対大丈夫よv」 「お前が弱かねーことはちゃんと知ってるよ。でも、オレが嫌なの!」 可愛らしい頬を膨らませて、子供みたいなのは分かってるけど、と言い張る太一は文句無しに可愛かった。 二年と少し前。 小学校時代、ボーイッシュというか男勝りというか…とにかく少しも女らしくなかった太一が、中学に女子の制服を着て入学した。 『八神太一』という人間が『少女』であった以上、考えてみればそれが当たり前だし、当然の成り行きというものだったが…誰もが予想しなかった光景がそこにあった。 太一のセーラー服姿は…犯罪的なほど、似合いすぎていたのだ。 誰もが驚き目を疑ったが、少年のような仕草と口調に隠れて気づく者は稀だったが、彼女は間違いなく『美少女』であったのだ。 そして、彼女の受難の日々が始まった。 ナンパ・告白は当たり前。 待ち伏せ・尾行・隠し撮り等のストーカー行為のみならず、突然後ろから襲われることも少なくなかった。 そんな輩には、問答無用で正義の鉄拳(あるいは黄金の右足)をお見舞いして来た。 おかげで太一の喧嘩の腕は鯉の滝登りよりも上がる一方だった…が、何せかよわい(?)女の子である。力で押さえ込まれてはヤバイからと、今まで使ったことは無いが、許可を取ってスタンガンも携帯している。 それが…今年になって妹のヒカリが中学に入学し、前々から評判の高かった美少女のツーショットに加え、溺愛する妹に太一の笑顔は校内でも所構わず咲き乱れ、敬愛する姉の前では普段より一層柔らかな笑みを浮かべるヒカリ…そんな彼女達に、校内のお花度は上がっていくばかり。 そして、彼女達の周りは…全く以って不本意な意味で騒々しくなっていった。 初めの頃はそれでも話位は聞いてやっていた。 断るにしてもなるべく、出来るだけ、相手も傷つかないよう配慮もしていた…。 だが、日に日に増える求婚者達が、ただのオープンなストーカーであることが分かってからは、ヒカリと二人、常識ある行動を放棄した。 そう、『反通り魔』化したのだ。 来る者拒まずなぎ倒し、医者も呼ばずに捨てて行く。 やっていることは非道でも、誰が彼女等を責められようか…。 今では、地域住民による粛清が行われ、それを掻い潜った運の良い者達だけが彼女等本人の手によってぶちのめされている。 そして、登校時間(又は通勤時間)の過ぎた後…二年前からパトロール区域に指定されたこの場所で、巡査がまだ倒れている者達を起こすことが日課になっていた。 「あ〜あ。それにしても、毎朝こんなんじゃ、何のためにヤマトと付き合ってることにしたのか分かんねーじゃんか」 太一の言葉に、その場にいた者達がぴくりと反応する。 度重なる激闘に彼女等の身を案じた仲間達が、一計を案じて『相手がいることにしてはどうか』ということになったのだ。 そこで太一が出した名前がヤマトだったのだが、太一自身は『同じ年だし、彼女がいないから』と簡単に理由を語っていたが、他の者はそれだけでは無いとにらんでいた。 太一本人は気づいていないにしても、それだけの理由で、例え噂だけにしても『つき合う相手』を決めるとは思えないからだ。 だからこそ、太一信望者の光子郎や、目に入れても痛くないほど可愛がっている空等はどうしてもヤマトに対する態度が冷たくなってしまうし、姉命のヒカリは敵意を隠そうともしない。 もともと太一に恋心を抱いていたヤマトに否やは無く、形だけだが二人は付き合うことになったのだが…それがバレているのか、関係無いのか…ストーカーの数は一向に減る気配を見せない。 そんな時の太一のこの言葉…青くなるヤマトを余所に、他の者達が飛びつかないわけが無かった。 「そうでしょう、太一さん!今からだって遅くはありません!交際は嘘だったことを公表してしまいましょう!」 「へ!?」 「そんなまだるっこしいことしなくたって、別の人と付き合ってるってことにしたらどう!?」 「…あ!?」 「それよりお姉ちゃん!いっそ、フリーに戻ったって言って、様子を見ましょうよ!?」 「はあ!?」 「ちょっと待て――――――っっ!!!」 放っておけば勢いづいた彼等に流されかねない太一を引き寄せて、ヤマトが割って入った。 このメンバーの中に自ら飛び込むとは、勇気があるのか無謀なのか、それとも只のバカなのか…。 単にそれだけ追い詰められていただけなのか…。 あと一歩の所で邪魔されて、不審と言うよりは殺気のこもった六個の瞳に見つめられ、内心生きた心地がしなかったが、ここで引いては折角手に入れた幸運と、美味しい地位を奪われかねない…ヤマトは真剣に必死だった。 何を言うのかと見つめられる眼光の鋭さは、果てしなく居心地の悪い物だったが、何も言わねば負けは確実だった。 考えに考え…口から出た言葉は、考え付いて出した結論では無く、現実的な問題だった。 「……朝練に遅れるぞ」 辺りが静まり返った。 「やべっ!ヒカリ、空、光子郎急ぐぞ!」 「やだ、今日コーチが来る日でしょ!?」 「そうです!僕フォーメイションのことで話があったのに…太一さんもでしょう!?」 「そーだよ、オレキャプテンだもん!」 「私スコアチェックしてないっ!」 今日はいつもより無頼者共を倒すのに時間がかかった上に、話し込んでいたせいですっかり遅くなってしまっている。 何が起きるか分からないからこそ早目に家を出て来ているのに、これでは意味が無い。 途端慌てだした者達に、ヤマトは人知れず息をつく。 ……切り抜けたぞ…。 わたわたと走り出した面子の中で、太一だけが振り返った。 「ヤマト、オレ達走ってくからお前は後から来いよ!ヤマトは部活無いんだから!」 「…いいよ、一緒に走って行く」 ヤマトの言葉に、太一はきょとんとしたが、すぐに花が綻ぶ様に笑うと頷いた。 その表情に一瞬見とれたが、ヤマトも後を追って駆け出した。 追いかけるのは大変だ。 追いついて手に入れるのは、もっと大変だろう。 更に、繋ぎ留めておくのは容易では無いはずだ。 それでも、大切に思う心は真実だから…頑張るしかない。 ふと、ヒカリが足元の石を拾い上げ、無造作に…それでも意志の篭もった強さを以って植え込みに投げ入れた。 「ヒカリちゃん?」 「あ、何でも無いです」 不思議そうに走りながら小首を傾げた空に、ヒカリはにっこり笑って姉の後を追った。 本当は、太一が自分一人だけのものでは無くても、幸せそうに笑っていてくれるのなら、それで良かった。 それだけで、自分も幸せな気分になれたから。 だが、そんな彼女の一番幸せそうな笑顔を、見知らぬ他人にくれてやる気はさらさら無い。 ヒカリはこっそりと笑うと、大好きな姉の姿だけをその瞳に映し、今朝あったことは全て記憶から消し去るのだった。 一時間後、いつものように見回りに来た巡査が、植え込みの影に倒れている男を発見した。 「あ〜…こりゃ気の毒に…」 気を失っている男の眉間には、構えたままであったろうデジカメがめり込み、データが収められている中枢にヒビが入っていた。 高かったであろうそれは、燃えないゴミ行き決定だろう。 巡査は、一時間前まではデジカメと呼べたそれに同情はしたが、その持ち主には少しも心を動かされなかった…彼が何故そんな目に会ったのかが容易く想像ついたからだ。 脈を診て、外傷を確認し、男が気を失っているだけであることが分かると、巡査は面白半分嫌がらせ半分で常備している『キティちゃん』のピンクのバンソウコーを傷口の眉間に縦に貼り付けると、男をそのまま放置して次のバカの救助に向かった。 彼が目を覚まし、そのまま街を歩いて帰って行く姿を想像し、そっとほくそえみながら…。 「…フィルムを回収して伸ばさなくてもいいんだもん…文明の利器ってステキよね…」 お台場中学の海が見える一年生の教室で、ぼそりと少女が呟いたことは誰も知らない。 彼女達の戦いは、明日も続く…。 |
おわり |
太一さんが女である必要があるのかと言われれば、
無いですとお答え致しましょう!
でも美人姉妹にしたかったんですぅ…(泣)←笑
しかも、ちょっぴり年齢操作もしています。
参考までに。
太一・ヤマト・空→中3。光子郎→中2。ヒカリ→中1
でございます(笑)