その日は朝から不穏な空気を感じていた。




 肌に突き刺すようなこの違和感と視線…、数ヶ月もの間死ぬか生きるかの生活を続けていたのだ。誰だって自分に向けられる意識には敏感になるだろう。

 ……なんだ?

 人に見られるのはそれなりに慣れている。
 日本人離れしている上に、人より整った容姿を持つ友人。
 人より優れた頭脳を持つ友人。

 何かしら一芸に秀でた友人達を持つ身としては(本人もそうであるという自覚は…皆無)、他人の視線にさらされるのは日常茶飯事だし、その中から自分に対して害意のあるものと無いものとを識別し、危険なもの対してのみ警戒心を抱くのは、既にくせになっていた。

 だが、今日のこの感じは…いつもと違う。

 ピピピピピピ…

 どうしたものかと考えあぐねていた所に、タイミングよく机の中に忍ばせていたD‐ターミナルが受信音を発した。


「……これは」




 キ――ンコ――ンカ――ンコ――ン♪
 キ――ンコ――ンカ――ンコ――ン♪




 終業のチャイムが全校中に響き渡った。
 さっさと帰り支度をする者、やれやれと体を伸ばす者、部活の用意をする者、放課後の予定に思いを馳せる者様々だか、これはある者達にとって試合開始のゴングでもあった。

「八神!今日の部活だけど…」
「悪い!オレ…」

 チャイムと共に帰り支度を済ませ、これからある部活もサボり、さっさと帰るために席を立とうとしていた太一は、廊下から響く怒涛のような足音に体を硬直させた。

「なっなんだ!?」

 クラスのまだ居残っている者達も不審の声を上げる。
 そんな中で一人、太一は大きなため息を漏らした…。

 遅かったか……。

 ガラッ!

「太一(さん)っっ!!!」

「………よぉ」

 何事かとクラスメイト達が見守る中、太一はげっそりとしながらも何とか返事をする。
 今日半日続いた気疲れにこれからのことを思うと、もうそれだけで疲れてしまった…。

「待たせたな、太一!さあ帰ろう!」

 ………待ってねぇよ…。

 そんな言葉が心の中でこっそりと呟いていたとしても、太一に罪は無いだろう。
 勢いよく扉を開けて入って来たのは合計四人。
 その先頭切って飛び込んで来たのが、初めに声をかけて来たヤマト。
 続いて…。

「何言ってんのおにいちゃん!?太一さん、ぼくと帰りましょう!」

 三年前には想像も出来なかった鋭い視線を実の兄に放ち、太一には極上のエンジェルスマイルを向けたのは、タケル。

「太一先パ―――イ♪こんな奴ら放っておいて、オレと帰りましょ――!」

 対太一専用、後輩は構ってくれないと伸びないんだぞvオーラを全身から発しているのは、大輔。

「太一さん、ちょっとご相談したいことがありますので、今日はぼくと帰って頂けませんか?」

 柔和な物腰からかけ離れた迫力をその目に宿し、言い方とは全く裏腹な意味を含めているのは、光子郎。

 何なんだ、お前ら……。

 それは太一を含む、クラスメイト全員の共通した感想だとしても、彼等には全く罪は無い…いや、唯一人を除いて…。

「うふふ〜、ごめんね皆。太一は今日、わ・た・し・と、帰ることになってるの♪」
「……は?」

 先ほどまで沈黙を守っていた空が、突然太一の隣に現れてにっこりと微笑んだ。
 女の笑みは魔性の微笑み。
 どんなに美しく清らかに見えても、それには必ず裏がある。

「…空。オレ今日そんな約束してたっけ?」

 空の出現とそのセリフに、既に先手を打たれていたのかと時を奪われてしまっていた面々も、太一の言葉に再び色めきたった。
 何せ、約二名はこの校舎内にいることからしてどうかと思うし、残りの二名に至っても違うクラスの中には何となく入り辛いものがあるし、一名に至っては学年すら違う。
 そんな学校特有のルールの中で、太一と同じクラスの空が太一の隣で宣言しているだけで、何となく出遅れたというか、不利というか…。

「やだ太一たらvこ・れ・か・ら・す・る・のvv」

 誰だお前……。

 普段の空を知っている者からすれば、いっそ清々しい程気色の悪い甘えモード全開の女がそこにいた。

「……そ、そーか…で、何なんだ?」
「うん、あのね。今日お母さんに学校帰りにお花を受け取って来るように言われてるんだけど、量が多くって…それで太一に手伝ってもらいたいなってv」
「あ〜なるほどな〜…」

 まずい…。

 誰の目にも太一が空の言葉に傾いているのが一目瞭然だった。
 このままで自分達は存在すら忘れられてしまう…。
 誰もが焦りを隠せず、次の言葉を紡ごうと口を開きかけた時だった。

 パン!

 太一が勢いよく手を打った。

「とりあえず皆。外に出よう」

 にっこり笑って言った太一の言葉に、逆らえる者など一人もいなかった。





 校門を出てしばらくは集団下校状態が続き、表面は太一を中心ににこやかな空気が流れているようだったが、水面下では誰もが自分以外全員が邪魔で、どうやって蹴落とすかに精神を集中していた。
 公園の横を通りかかった時、太一が他の者達に振り返ってにっこりと笑った。

「な、ちょっと寄って行こうぜ?」

 少しでも長く彼といられるチャンス…もちろん他の者達に否やは無い。

「ん〜…いい風だな〜♪」

 柔らかい風が頬を撫で、髪を揺らす。
 そんな彼の表情に、皆はくぎ付けになっていた。
 見ているだけで、温かい気持ちが心に溢れる。
 顔が自然と綻んでゆく…。

 ああ…好きだなぁ…。

 誰ということでは無く、皆の心に同じ言葉が浮かんだ…そして本来の目的を思い出し、はっとした。
 頭を振って冷静になる。
 和んでいる場合では無い。
 今日は決着をつけるために、太一の所に来たのだった。

 時同じくして、同じ思考回路の果てに同じ結論に至った者達が鋭い視線を交わす。
 出遅れたのは、未だぽ〜と太一を見つめていた…本宮大輔ただ一人。

 残りの四名の瞳がきらりと光った。

 げしっ!

 太一の目が逸れている隙に、彼に見えないようベンチと植え込みの間に丸めて畳んで押し込めた。
 流石、初代『選ばれし子供』の名は伊達では無い。
 反目し合っているとは言え、利害さえ一致すれば、有無を言わさぬ見事なまでのチームワーク…。
 はっきり言って、こんな所で発揮する技では無い。

「あれ?大輔はどーした?」

 丁度始末し終え、身なりを正した所で太一が気づいて振り返った。

「あ、何か親にお使い頼まれてたとか言って、急いで帰って行ったよ♪」
「そうそう、一目散に慌ててv」
「慌ただしい奴だよなぁ」
「全くですよね〜」

 ははは、とわざとらしさ大爆発で笑い合う面々…。
 その不自然さに気づきながらも、太一は深く突っ込まなかった。

「…で、お前らは何の用だったんだ?」

 突然の核心をつく科白に、思わず時が止まる四人…。
 一緒に心臓が止まってしまえば楽だったかもしれない。

 用なんて決まっている。
 太一の心をゲットしに来たのだ。

 だが、虎視眈々と同じように狙っていたライバル達が、示し合わせた訳でもないのに、ここに雁首揃えて並んでしまった。
 理由は分かっている。
 先日、デジモンカイザーの件が一件落着して、一乗寺賢も心を入れ替え、今では選ばれし子供達と行動を共にすることも増え、まだ新たな敵が出て来たとはいえ、随分と落ち着いた雰囲気になっていた。

 ところが、最近…太一と一乗寺賢の仲が良いのだ。
太一はさりげなく彼をサポートしているし、賢はそんな太一に少しずつ心を許し、懐いてきている節がある。
 太一が色々とあった彼を放っておける性格では無いことは知っているし、そんな彼に賢が惹かれるのも理解出来る。

 だがこのままではまずい。

 ただライバルが増えそうなだけの予感に、ただでさえ多い邪魔者達に焦りは隠し切れない。
 だから決めた。
 彼がこれから膨らんでいくであろう気持ちに名前をつける前に、誰よりも早く決着をつけようと…。
 そして、同じ時期、同じように決断を下したライバル達がここに揃ったのだった。

  成り行きを思い出し、お互い胡乱な目で見詰め合う。
 よくよく気の合う仲間達だ…。

「……太一」
「なんだ」

 意を決してヤマトが口を開いた。
 その先にあるのは、天国か地獄か…。
 緊張して喉が渇く。

 こんな時、自分の持っている紋章が『勇気』だったなら、こんな所でぐずぐずしていないで、さっさと前に進めるのに…!

「……その」
「その?」

 太一の瞳に不審そうな光が宿る。
 本当は、もうそれだけで何日も悩んで下した決断を翻して逃げてしまいたい。
 だが、ここで自分一人逃げれば、トンビに油揚げ、蛙に竜田揚げ、豚に真珠、ネコに小判…横から誰かに掻っ攫われるのは必至だ。

 逃げるわけにはいかない…!

「太一は!…好きな奴いるのかっ!?」

(…言った!)
(…とうとう言った!)
(…言ったわね!)

 肩で息をしながら真っ赤になっているヤマトに、ほんの少しの尊敬と嫉妬を込めて見つめる。
 その一言に、どれだけの勇気と希望が詰まっているか…誰もに覚えのある想いだった。

「オレ?オレが好きなのは、やっぱアグモンかなぁ〜v」

「…………は?」

 勇気を振り絞った質問に帰って来た嬉しげな答えに、思わず目が点になる一同。

「アグモンが一番好きv」

 本当に幸せそうな、そして大好きな笑顔が目の前にある。
 だがそれは、思っていた物とは少しばかり違っている。
 つまりそれは、人間は守備範囲外ということなのだろうか…。
 それならばいっそのこと、さっさと既成事実の一つも作って、逃れられないような状況の下…『責任とってネv』とかなんとか…。

「お前らだって、パートナーデジモンが一番だろ?」

「ああ、そうだよな!」
「ええ、もちろんよ!」
「当たり前です!」
「決まってるじゃないですか!」

 信じて疑わないような笑顔を見せられると、先ほどまで考えていたこととは全く違うことが、自分の意志とは関係無しに口から飛び出した。

 だって…違うことを口走って…嫌われたくないじゃないか…。

 見事にシンクロする四人の思考。
 この四人でのジョグレスだって、今ならきっと可能だろう。

「だろう?あいつらは誰より特別だよなv}

 美しさは罪〜♪
 微笑さえ罪〜♪

 某アニメのEDを口ずさみたくなるような最上の笑顔。
 それを目の当たりにしてくらくらしている一同…彼等の更生はもう無理です。

「…あの!…それではもう一つ…」
「何だ?光子郎?」

 今聞いておかなくては二度と聞けないだろう。
 たとえそれが、ライバルが乗りかかった船でも、それに便乗する位の強かさが無ければ死線は潜り抜けては来れない。

「…太一さんの……好みのタイプって……どんな感じです…か?」

 流石に最後の方は声が小さくなってしまったが、言うだけのことは言った。
 思わず握った拳に、汗がにじむ…。

「…タイプ?…オレの?……えぇ〜っ…ん〜……」

 まるで死刑宣告を待つ囚人の気分だった。
 答えを待っている。
 だが、その答えを聞くのがとてつもなく怖い。

「そーだな。オレ我儘だから、オレを一番好きって言ってくれる奴かなv」

「………………え?」

 ちょっと待て。

「そんだけか?」

「…え…あ……はい」

 呆然と見つめる。

「そっか。あ!もうこんな時間かよっ、お前らも早く帰れよ!じゃぁなぁ〜!」
「あ…はい」
「さよなら……」
「…また明日…」

 にこやかな笑いながら太一の姿が消えて行く。
 それを見送りながらね四人はがっくりと膝をついた。

 つい先ほどパートナーデジモンが一番好きと言ったその口で、すぐさま太一が一番好きだなんて…とてもではないが、言えない…。
 軽い…あまりにも言葉に説得力が無さ過ぎる…。

 パートナーのことは大好きだ。
 信頼している…しかし、何故、どうしてあの時『一番』だなんて言ってしまったのか…。

 後悔しても、もうそこに太一の姿は無い。






 公園を出て、マンションまでもう少しという道の角を曲がった時、聞き慣れた声に名前を呼ばれた。

「ヒカリ!」
「お疲れ様、お兄ちゃんv」

 にっこり笑った妹の頭にぽんっと手の平を置くと、優しく撫で上げた。

「何だ、ここで待っててくれたのか?先に帰ってれば良かったのに」
「いいのvお兄ちゃんと一緒に帰りたかったからv」
「そっか?」

 もう一度くしゃっと髪を撫でると、ヒカリはくすぐったそうに微笑んでから、そっと兄の手を取ってきゅっと握った。

「…で、どうだった?」
「ああ、何とか切り抜けた。何が起こるか分かっていれば、対策の立てようもあるからな。サンキューな、ヒカリ」
「ふふvどう致しましてv」

 かわいらしく微笑むこの少女に潜む摩訶不思議な力を、一体どれ位の人間が把握しているだろう。
 少なくとも、彼女が決して隠し事をしない兄だけは知っているだろうが、もしかしたら、他の誰もその全ては知らないのかもしれない。
 そして、今回はその力を以って妹は兄の手助けをしたのだった。
 どういう仕組みでか、ヒカリは彼女にとっても邪魔な敵たちの行動をキャッチし、D−ターミナルを使って兄に教えたのだ。

 つまり、太一はヤマト達がどういう行動に出て、何を言って来るかを大体把握していたのだった。

 その上で何も知らない風を装って上手くかわした…ということ。
 彼らにとっては、全く以ってお気の毒な話です。

「んじゃ帰るか」
「うんv」

 ビルの谷間から射す綺麗な夕日を浴びながら、八神兄妹は仲良く手を繋いで帰路についた。
 途中近所のおば様に出会い、「いつも仲がいいわね〜v」と微笑ましそうに言われたが、それににっこりと応えておば様の頬を染めさせたのだが、これもいつものことである…。






 その頃、公園でまだ落ち込んでいる彼らに、慰めの言葉をかけるものは誰もいない。
 大輔は未だ夢の中…果たして夕飯の時間に間に合うのかどうか…。






 そして、彼らが八神兄妹に敵う日は……きっと、来ることは無い…。






 
おわり

 八神兄妹ってば、やっぱ最凶…いや、最強?
 どっちでも同じか(笑)
 意味は無いけど、また書きたいシチュエーション
 ではありますねv(笑)