今でも、時々あの日のことを思い出す。






 デジタルワールドのいたる所で連立していたダークタワーも少なくなり、それに比例するように仲間内での『彼』への反感も減っていった。

 今はまだ彼自身が自分のことを許せないでいるけれど、諦めの悪い大輔がいる。
 きっと彼が良い方へと向けてくれるだろう。
 過去に囚われるのでは無く、未来を切り開いていくために。

 電信柱や電話BOXが当然の顔をして森や浜辺に立っている世界なのに、どうしても風景に溶け込むことの無かったダークタワー。
 それが減って、森も空も山や海も本来の姿に戻って来ている。

「ヒカリちゃん?どうしたの?」
「え?あ…」

 気づくと、京が不思議そうにヒカリの顔を覗き込んでいた。

「ごめんなさい、何でもないの…ただ、風が気持ちいいな〜て…」
「ああ、そうね。天気もいいし、お弁当でも広げたい気分vリアルワールドじゃ冬なのに、ここは春みたいだもんね」
「そうですねv今度落ち着いたら、また皆でピクニックに来ましょうか?」
「ビンゴ♪先輩達も誘ってね♪」
「いいですねv」

 にっこり笑い合い、そしてまた風に向かうように瞳を閉じる。
 テイルモンやホークモンも同じように風が踊る世界に目をやった。

「…ん〜、実は前から思ってたんだけど、聞いていい?」
「はい?何ですか?」
「ヒカリちゃんって、何かすっごくこの世界に思い入れある?先輩達もそうだけど、ヒカリちゃんって特にここを見る時の目って違う気がするのよね…。あ、無理に聞こうとは思って無いわよ?ただな〜んか気になっちゃったから聞いてみただけで!ほら、あたしってそーいうの無視出来ないタイプじゃない?気になったらとりあえず聞いてみるっていうかぁ〜…」
「いいですよ。そんな隠すことでも無いですし」
「あ…え、そう?」

 誤解が無いようにと、だんだん早口で捲くし立てていく京に、ヒカリはくすりと笑ってやんわりとその先を止めた。

 ダークタワーの無くなった草原は本当に綺麗で、少しだけその名残のような剥けた地肌も覗かせてはいるが、ここだけ見れば平和そのもの。
 今日はジョグレスパートナーに分かれて、それぞれ別のエリアへ向かったので今はヒカリと京の二人きり…そして、彼女達の分担はつい先ほど終わったばかりで、待ち合わせにはもうしばらく時間がある。

 ヒカリはパートナーと一緒に京に座るよう促し、自分も彼女の横に腰を下ろしながらテイルモンを優しく撫でた。

「…京さん。私ね、すごく…すごくこの世界に来たかったの…」
「え…?」
「京さんはここのことを聞いてどう思いました?」
「えーと、うん。異世界なんて何かかっこいいじゃない?だから好奇心よね、はじめは。行ってみたーい、見てみたーいっていう♪」

 実際はそんなに楽しいばかりの所じゃなかったけどね…と舌をぺろりと出して笑い、少しだけ遠い目をする。

 苦しいことも痛いことも辛いことも何も知らず、ただ憧れていただけだった始めの頃。
 『きっとすごい所』だと、そんな抽象的な感覚で夢だけを見ていた、あの頃。
 それが幸せだったとは思わない。
 ただ、そんな『子供』だった自分が少しだけ懐かしかった。

「ヒカリちゃんは?」
「私はね…前にも話したと思うけど、四つの時に初めてデジモンに出会ったの」
「ああ、うん。聞いたことあるわ」
「うん…だからね、私にとってデジモンってすごく身近なものだった…。初めて会ったコロモンはいつの間にか消えてしまったけれど、デジモンは遠い存在では無く、山や海、川や公園、時には街中でさえ見ることは珍しく無かったわ」

 初めて聞くヒカリの告白に、京はぎょっとしたように目を見開いた。

「えっ!?デジモンってそんなに色んなトコにいたの!?」
「うん。ただ、これは後から分かったことだけれど、ちゃんとしたゲートを通って来ないと普通の人には見えないものだったらしいの…でも私には見えていた。感じていた。そこにいることを…知っていた」
「…だから、デジタルワールドに来てみたかったの?」

 ヒカリはゆっくりと首を振る。

「ううん…迷い込んでくるデジモン達はどこか皆虚ろで、破壊衝動の大きい子が多くて…コロモンにはもう一度会いたかったけど、『彼等の世界』に行ってみたいとは思わなかったわ」
「じゃあ…どうして?」

 そっと瞳を閉じる。

 1999年8月1日。
 選ばれし子供達の運命の日。
 そしてヒカリにとっては、初めて『絶望』を知った日…。

 だけど、本当はただの…子ども会のキャンプの予定だったあの日。
 風邪を引いてしまい、それでもついて行くと言い張るヒカリは、兄を筆頭に家族中の反対にあって留守番となった。
 太一が出かけた後、祖母の見舞いに行く予定を止めると言い出した両親を、半ば追い出すように出かけさせ、ふて寝よろしく兄のベットで休んでいた。

 そうしてどれだけ時間がたったのか…物音と人の気配で目が覚めた。
 ぐっすりと寝たおかげか、体はすっかり楽になっていて…聞こえてくる微かな声が誰のものなのか、はっきり分かった。

 そこにいたのは、キャンプに行っているはずの兄とコロモン。

 瞬間、太一は『彼等の世界』に行ったのだと、悟った。

 きっとそこは危険な所。
 あんなに大きくて、家も道路も簡単に壊してしまう生き物達がたくさんいる所。
 心なしか、疲れて見える兄の表情。

 お兄ちゃん、もうどこにも行かないよね?
 コロモンもここにいていいよ?
 ずっと…ここにいて?

 突如襲って来たデジモン。
 コロモンは進化してアグモンとなり、空に開いた大きな光の中へ敵を追いやり…自らもその中へ消えていった…。

 あれが扉。
 こちらとあちらを繋ぐ、不可視のゲート。

 パートナーを追おうとする兄の腕を取り、体を預けた。

 行かないで。
 ヒカリを置いて、行かないで…。
 あんな危ない所へ行かないで…。

 太一の体は、彼の決意と共に重力に逆らい浮かび上がる。
 世界が彼を待っていた。
 彼の力を必要とし、彼だけを連れて行こうとする。

 すがりつく手がすべり、精一杯に背伸びをする。
 片腕が外れ、最後に残った指ももたなかった…。

 だが、辛そうに…それでも自分を心配させまいと微笑む兄に何を言うことが出来ただろう。

 『必ず帰る』という言葉を信じて、無事を祈る以外に…どんな言葉をかけられたと言うのだろう。

 だけど本当は…一緒に行きたかった。
 あの扉の向こうに行きたかった。
 彼と一緒に、彼が行った世界に。

 行きたかった。
 行きたかった。
 行きたかった!

 行けない自分が悲しかった。
 置いていかれるしかない自分が、どうしようも無く悔しかった。
 涙も出ないほど…悔しかったのだ…。

「………」
「…実際は、その数時間後にはお兄ちゃんは帰って来て、私も二日後にはデジタルワールドに行くことになったんだけど…」
「そ、そうよね!確かそうなったのよね!」
「はい。テイルモンが連れて来てくれたんです」
「…え?…」

 きょとんとする京に微笑み、そして薄っすらと浮かんだ涙を隠そうともせずパートナーを抱きしめた。

「…ヒカリ」
「リアルワールドにいる私を、探しに来てくれたんです。あんなに広い世界の中から私を探し出して、迎えに来てくれたんです…」
「ヒカリ、私は…」

 言いさしたテイルモンを首を振って止める。
 当初の理由が何であろうと、事実と結果は変わらない。
 ウィザーモンがデジヴァイスを見つけ、テイルモンがヒカリのことを思い出さなければ何も始まらなかったのだから。 

「テイルモンが、私にお兄ちゃんを追いかける力をくれたのよ。…ありがとう、テイルモン」
「……ヒカリ…」

 それだけで充分だった。

 あんなにも自分を拒んだ世界へと連れて来てくれた。
 一緒に歩けるチャンスをくれた。
 戦う力すら、与えてくれた。
 どんなに感謝しても足りない。

「…ごめんなさい、京さん。…こんな理由で…」

 特別なものなんて何も無い。
 綺麗な思いからでも、世界の尊さからでも無い、自分のエゴ。
 本当の自分は、こんなにも情けない。

 そんな自分に対し京がどう思うのか、少しだけ不安だった。
 そんなヒカリの心を感じ取ったのか、テイルモンが彼女の手を強く握り締める。
 そして元気つけるように微笑まれ、ヒカリもそっと頷いた。

「えーと、えっと…ヒカリちゃん、あのね?」
「はい…」
「あたしも…ありがと…」
「…え…?」

 少し俯き、照れているような京の横顔が見えた。

「あたし、話してくれてすごく…すごく嬉しいの。ヒカリちゃんそれって、あんまり人には言わない事でしょ?なのにあたしには話してくれたのよね?それって…あたしの事信用してくれてるって、ことよね…?」
「………」
「だから、ありがと」
「…京さん…」

 本当に嬉しそうに笑う京を見て、心から納得した。
 彼女の中に確かな『純真』と『愛情』があることを。

 空の『愛情』とは違う、ミミの『純真』とも違う、彼女だけの『愛情』と『純真』。
 デジメンタルの力を最大限発揮させられることが出来る、鮮やかな心。

 そんな彼女の隣に座るホークモンの、得意気で誇らし気な笑顔。

「…京さん、私こそありがとう…!私のジョグレスパートナーが京さんで、本当によかった…!」
「やだ、ヒカリちゃん、改まって!私もヒカリちゃんでよかったって思ってるもん!…あたし達、これからもっと仲良くなれるわよね!」
「はいっ」
「ずっとずっと、ヨロシクね?」
「はい…っ」

 今、本当に分かり合えた気がした。

 ジョグレスは出来るけれど、仲間と呼んではいるけれど…どこかにあった、小さな壁。
 それは全てを曝し切れない弱さが創ったものだった。

 だけどそれはもう無い。
 手を取り合うことをためらわない。

「辛いことあったら絶対あたしに言うのよ?」
「絶対ですか?」
「そ。絶対!あたし鈍いから、言われなきゃ分かんないもん。だから言ってね?あたし気づかないでいたくないの」
「…はい、約束します。その代わり、京さんも何かあったら言って下さいね?」
「もち♪甘えまくっちゃうわよん♪」

 手を繋ぎ、こつんとおでこを合わせる。
 そして目が合って、同時にくすくすと笑い出した。

 そうしていると、D-ターミナルにメールが入った。

「大輔君ですか?」
「ううん、賢君の方。『皆ノルマ達成したみたいですから、ゲート前に集合して下さい』ですって。んもう、大輔の奴!賢君の方が打つの早いから押し付けたわね!」
「一乗寺君田町だから、ゲートポイント違いますもんね」

 怒ったふりをして同時に吹き出した。
 本当は分かっている。

 まだ溶け込めない彼を気遣って、輪に加えようと無理矢理打たせたのだろう。
 世話のやき方が、子供らしくて何となく可愛い。
 こんなことを大輔本人に言えば、真っ赤になって怒るか逃げるかしてしまうだろうから言わないが、同じことを思ってしまった二人は「秘密ねv」と指を一本立てた。

 共通の秘密は、女の子の仲をますます良くするものだから…。












「うっそ〜!何で雨降ってんの!?」
「ありゃ…ざーざー降りですねぇ〜」

 デジタルワールドから帰ると、リアルワールドの天気は雨に変わっていた。
 数時間前ここを出発した時には想像もしていなかった、見事な降り。

「あ〜あ、しゃーない。教室に置き傘取りに行くか!」
「そうですね」
「この雨の中走って帰るのは無理ですもんねぇ〜」
「…え゛…」
「「「え?…」」」

 ぞろぞろと教室に戻ろうとした面々の中、一人言葉を詰まらせた者がいる。

「大輔君?」

 不思議そうな仲間達に、彼は乾いた笑いを浮かべてそっぽを向いてしまった。

「あ〜っ、分かった!大輔置き傘無いんでしょ?」
「う゛…実はそう…」
「大輔さん…置き傘を使った次の日は、ちゃんと持ってこないとダメじゃないですか」
「うるせー。忘れてたんだから、しょーがねーじゃん!」
「あ!大輔君、あたしの傘使って?それじゃ、皆ごめんっ、私先に帰るね!」

 そう言って、テイルモンを抱えて走って行ってしまったヒカリを呆然と見送り、次いで彼女が何かを見つけたらしい窓の外に目をやると…眼下に見覚えのある傘をさしている人を見つけた。

「あっ!太一先輩っ!」
「え!?どこ!?」
「あ、ホントです!」
「太一さ〜んっ!」

 窓を開け、少々の雨が吹き込むのも無視して大声を上げると、それに気づいたらしい太一が顔を上げ、彼等に向かって傘の下から微笑んで手を振った。

「おう!ご苦労さーん!今日はもう終わったのか?」
「はい!今さっき!太一先輩来るんなら言っておいてくれればいいのに!」
「オレも学校の用事で遅くなって、帰りがこの時間になったからお前等の顔だけ見とこーと思って寄っただけだからいいんだよ!」
「所で太一さん!今日雨降るって知ってたんですか?」
「あはは♪聞いて驚け!これはこないだ雨降った日に、帰りは止んでて持って帰らなかったやつがそのままになってたんだよ♪」
「…………」

 晴れやかにバラす太一に、仲間達はデジモンまで揃って大輔を見る。

「……よかったですね、大輔さん」
「へ?」
「太一さんと似てるってこと♪」
「は?」
「でも、あっさり暴露しちゃうトコは、太一さんの方が男らしいけどねv」
「京っ」

 角を出す大輔を無視し、京は玄関前にいる太一に声をかけた。

「太一さ〜ん!ヒカリちゃん大輔に傘貸しちゃったから、太一さん入れてあげて下さいね〜♪」
「京っっ!」

 傘を忘れたことまで注進されて慌てるが、調度太一の所にヒカリが着いたのを見て我に返った。

「あ!オレも行く!」
「ちょい待ち!大輔っ!」
「何だよ!?」
「馬鹿!気ぃきかせなさいよっ!」
「へ??」

 何のことか分かっていない大輔の首根っこを掴んだまま再び窓の外を見ると、仲良く傘に入った八神兄妹+ニャンがにこやかに手を振っていた。

「バイバイ、ヒカリちゃん♪また明日ね〜♪太一さんも今度デジタルワールドご一緒しましょーね♪」
「おう!じゃあな〜♪」
「バイバイ、京さん♪皆も気をつけてねv」

 アイコンタクトで微笑み合い、京は上機嫌で窓を閉めた。

「何?」
「…いや、何だろ?」
「何か…ねえ?」
「はあ…」
「なあに、変なの!それよりあたし達も帰りましょ?」

 よく分からないが、何かが違ったような感触に首を捻る仲間達を笑い、京は足取り軽く教室に向かった。














「…ヒカリ、嬉しそうだな?」
「え?そう?」
「ああ。なあ、テイルモン。お前もそう思うだろ?」
「…そうだな」

 抱きかかえられているテイルモンは、首を逸らせて顔を覗き込み、くすりと笑って同意した。

「何だ?テイルモンは知ってるみたいだな?」
「そうかもしれない」
「はは。秘密か?」
「どうだろう?」

 言いつつ双方含み笑う。
 何となくお互いの考えていることが想像つくから。

 だか深くは突っ込まない。
 それでいいことを知っているから。

「ヒカリ。もっとこっち寄りな?肩濡れてるぞ?」
「え?あ…お兄ちゃん、腕組んでもいい?」
「何だ?いつも聞いたりしねーのに」
「えへへ♪何となくv」

 そうして、傘の柄を持つ太一の腕にするりとからませる。
 心から安心出来るぬくもり…彼が確かにここにいる証。

「…お兄ちゃん、あのね…」
「ん〜?」
「私…デジタルワールドに行けて、よかった」
「………」

 真面目な声で言った妹の顔を見る。
 どこか晴々とした、清々しい表情。

「……そっか…」
「うんv」

 嬉しそうに頷く妹に、傘を持っていない反対の手でくしゃりと髪を撫で上げる。

「よかったな。いい友達が出来て」
「…うんっ」

 多くを語らなくても分かってくれる兄少ない言葉が嬉しくて、思わずぎゅっと腕に抱きつくと、抱えていたテイルモンが少し妙な声を出した。
 思わず力を入れすぎてしまったらしい…。

 慌てて謝ると、少し横目で睨んだだけで、一つ溜め息をついて許してくれた。

 優しい人。
 優しい人達。

 自分を分かってくれる人。
 分かろうとしてくれる人。

 そんな人達に囲まれて…いや、そんな人達と一緒だからこそ戦って来れたたくさんのこと。
 きっとこれからもあるだろう、たくさんの戦い。

 逃げたくは無い。
 戦いたい…一緒に…。


 手をつないで。
 離さないで。
 ついて行くから…。







 今度こそ……。








 
おわり

     お…おわった…………(泣)
     前フリが長くなり過ぎて、時間がかかってしまいました(汗)
     リクは『八神兄妹の相合傘』だったのですが、それだけじゃ
     話にならないので、エピソードの一つにさせて頂きました。
     視点はヒカリ…無印第21話大っ好き!(笑)
     『02』の企画だっての!
     すみません…どうでした?
     個人的に、ジョグレスのエピソードが弱い気がしたので、こんな
     話作っちゃいました(苦笑)