聞き慣れた羽音に空を見上げると、三体の飛行デジモンに分乗した後輩達の姿があった。

「お兄ちゃんっ!」

 一人身軽にネフェルティモンに跨ったヒカリが、ヤマトと光子郎に支えられている兄を見て顔を強張らせた。

「お兄ちゃん、怪我したの!?」
「太一さんっ!」

 地に降り立ったパートナー達の背から降り、後輩達が心配そうに彼等へ駆け寄った。

 そんな彼等に苦笑を浮かべて迎えるが、今の自分達の状態を考えれば無理も無いかと互いに目だけで会話する。
 彼等のいた場所は『森』であったはずなのに、今は、彼等を中心に十数mの焼け焦げた地肌を覗かせているのだ。
 それも、数十mに亘って『追いかけっこ』をしたであろうと分かる終着点において…薙ぎ払われた戦場の痕は、空を飛んで来た彼等には、ありのままによく見えたことだろう。

「…お兄ちゃん…」
「大丈夫だよ。…ちょっとドジっただけで、動けねぇわけじゃねぇから」

 今にも泣きそうな妹に向かいバツ悪そうに微笑んだ太一に、ヒカリとタケルはちょっとした違和感を覚えてきょとんとする。

 言葉も態度もいつもと何も変わらない。
 だが、どこか雰囲気が違って感じる。

 人に弱音を吐くことを良しとしない太一は、ちょっとした怪我ならもちろん、大したことのある怪我でも人の手をあまり借りようとしない。
 それなのに、今は両端からヤマトと光子郎に支えられているというのに、気負った感じも、逃げ出しそうな予感も、ましてや、支えている彼等の意地や、側いる彼女の行き場の無い憤り等も感じられない。
 更に、太一が怪我をすれば、いつもなら泣きそうな顔をしているパートナーが、何故だか晴れやかな笑顔を浮かべているのだ。

 どう見ても太一一人怪我重度の高い戦いの後、いつも感じられた、あのどうしようも無かった不安が…無い。

 太一は疲れているだろう体を、二人の仲間に完全に預けている。
 二人はそうされるのが当然と、逃げ出す心配をしていない。
 その横で空は、憑き物が落ちたような笑顔で見守っている。
 そんなパートナー達を嬉しそうに眺めているデジモン達。

 それをはっきり認識出来た時、心の底から嬉しさがこみ上げて来た。

 終わったのだ…彼の孤独な戦いが…。
 共に戦いながら、それでもどこか儚い状態で、誰よりも敵に一番近い場所で両手を広げて後の全てを守っていた彼が、完全に背中を預けてくれたのだ。

 頼む…と。
 任せた…と。

 何があったのかは分からない。
 だけど、確かに変わったことが分かる。
 彼等が彼の心を変えた…いや、気づかせてくれたのだ。
 彼に、彼こそがいてくれねばならないことを…。

「……お兄ちゃん…!」
「…心配かけたな、ヒカリ」
「遅いよ、太一さん…っ」
「ああ…すまん、タケル」

 泣きそうな顔で、だが必死に涙をこらえながら微笑んだ妹と弟分に、太一も嬉しそうに微笑んだ。

 それを見て、耐えていた涙が一筋だけ零れてしまった。
 驚きと、嬉しさで…。

 以前と同じ、だが確実に違っている晴れやかな笑顔。
 埃まみれで、怪我だらけで、人に体を預け、自分一人で立てもしないのに、何て嬉しそうな…自信に満ちた幸せそうな笑顔…。

 乗り越えられた。
 壁を一つ…皆の力で…。

「じゃあ、帰るか」

 待っていてくれる人のいる所へ。

 頷き、ゆっくりとゲートのあるモニターへ向かう。
 激しかった戦闘のおかげで、随分と遠くに離れてしまった。
 戻るのに時間がかかりそうだが、戦いに巻き込んでモニターを壊さないためにはこれも仕方の無いこと。
 だがその帰り道こそが、中学生組が心の枷を外してパートナーと過ごせる貴重な時間だった。
 戦うためでは無く共に在れる、大切な時間…。

「太一ぃ〜。怪我治ったらまた来てねぇ?」
「何言ってんだよ。こんなん怪我の内に入んねぇって!」
「ダメだよぉ。さっき無茶しないって約束したばっかじゃない〜」
「そうだぞ太一。無理しないで、しばらく休んどけ」
「ええ〜?ホントに大丈夫だぜ?」
「もう!太一にはその辺の定義から教え込まなきゃダメかしら」
「そうみたいですね…」
「大変でんな〜光子郎ハン…」
「空ガンバッテ♪」

 見た感じ、どうも太一の立場が弱いらしい。
 仲間やデジモン達にやり込められ、それでも強く反論することは無く笑っている。
 それが嬉しい。

 ふと何を思ったのか、太一の股座から顔を覗かせたアグモンが、そのまま太一の足を抱え上げて肩車をした。
 驚いた太一が捕まったのは、当然両端から支えてくれていたヤマトと光子郎だったが、そのまま歩き出したアグモンにつられて進むと、三者の負担がそれぞれ減って、意外に歩きやすいことが判明した。

「サ、サンキューアグモン…。でも突然は止めてくれ…」
「あはは♪だって太一、ホントは歩くのも辛いでしょ?ボクだけで肩車は出来ないけど、ヤマトと光子郎がいるから大丈夫かなって思ってさ〜♪」
「大丈夫でしたけど、驚きましたよ」
「あ〜でも楽vそっか〜アグモンに肩車してもらうと、調度いい高さになるんだな〜v」
「合わせて一人前ってことだな」
「何だよヤマト〜羨ましいのか?そんなら今度ガブモンに肩車してもらえよ。手伝ってやるから」
「ヤマト、してあげよっか?」
「…やめてくれ…」

 自分の想像にげっそりした感じのヤマトを皆で笑い、もうすぐゲートが見えるという所まで来て、太一は黙ったままの大輔達の様子を盗み見た。

「…なあ、あいつ等何かあったのかなぁ?」
「大輔達か?」
「そ。暗くねえ?」
「そうですね…らしくありませんよね」
「太一慰めてあげたら?」
「何を?」
「えーと……」

 太一の言葉に一喜一憂する大輔に彼をあてがうというのは、まあ当然のアドバイスだろうが、大輔達の落ち込みの理由が分からなければ手の打ちようも無い。
 ヒカリ達に目配せしても、よく分からないと首を傾げるだけだった。
 そこで少しだけ考え、太一はアグモンに止まるよう合図する。
 分からないのなら聞けばいいのだから。

 アグモンを中心にプロペラが半転するように向きを変える三人と一体。
 その動きに、どんよりしていた大輔・京・伊織がびくりと顔を上げた。

 傍から見れば、肩車されたまま肩を組んでいる太一達は少々マヌケな構図になっている。
 しかし、向かい合う三人は真剣そのものだった。

「…だ、大輔?」

 心の中の動揺を代表するように太一が呼びかけると、三人の目に一斉に涙が浮かび上がり、次いで勢いよく頭を下げた。

「「「ごめんなさいっ!」」」
「へ!?な、何だ?どーしたんだお前等??」

 面食らう古参の選ばれし子供達とそのデジモン達。
 どうしようかと手を拱いていると、頭を下げたままの彼等の足元に、ぽつりぽつりと雫の跡が出来上がっていく。
 その様を、彼等のパートナー達は苦しそうに見上げていた。

「大輔!?」
「伊織君!?」
「京ちゃんも、どうしたの!?」
「オレ等、ホントに役立たずで…っ」
「は!?」

 叫ぶように言った大輔の言葉が理解できず、顔を見合わせ次の言葉を待っていると、京と伊織も搾り出すように声を出した。

「あたし達がさっさとダークタワー倒せ無かったから…」
「そんな…酷い、怪我を…!」
「ホントにすみません…っ!」
「お前等…」

 顔を見れないのか、見せたくないのか…三人は更に深く謝罪する。
 太一はそっと溜め息をつき、苦い笑いを浮かべた。

 自分の体をもっと大切にしろと怒られたのはついさっき。
 そうしようと誓ったのも、ほんの今。

 そして、こんな所にも傷ついた自分の姿に心を痛めている者がいる。
 本当に、馬鹿だったな…と思う。
 体を守るために心を傷つけさせてしまうのでは、本末転倒もいい所。

 ほらみなさい、と空に小突かれ、太一は分かってるよと片目をつぶった。

「…お前等が気にすることじゃ無いんだぞ?これは、ただオレがへまやっただけなんだし…」
「でもっ、オレ等がもっとしっかりしてたらっ」
「しっかりも何も…お前等はちゃんとダークタワー倒して来てくれたじゃねぇか…」
「違うんです!」
「あたし達何も出来なかった!」
「え?」

 勢いよく頭を振り、そうしてやっと上げた顔は、苦しそうに歪み、涙がぽろぽろと頬を伝っていく。

「何も、何も出来なかったんです…っ!」
「早くしなくてはと気持ちばっかり先走ってしまって、そんな焦る気持ちがディグモンに移ってしまって…ダークタワーの守りについていたイービルリングをつけられたデジモン達との一対一の戦いも満足に出来なくて…」
「結局、ダークタワーを倒したのも、イービルリングを壊したのも、ヒカリちゃんとタケルが上手く誘導したネフェルティモンとぺガスモンで…」
「もっとちゃんとしてれば、ホルスモンをしっかりフォロー出来てれば、もっと早く倒せてたかもしれないのにっ」
「そうすれば、太一さんが、そんな風に傷つくことも無かったのに…っ」

 おそらく、太一達がどういうつもりで彼等だけをダークタワーへと向かわせたのかを理解していたヒカリとタケルこそが、誰よりも焦っていたのだろう。
 戦い慣れた感が告げる。
 何体規格外な程強い成長期デジモンが揃おうと、成熟期のタンクモンには敵わないだろうと…。
 だからこそ、一刻も早くダークタワーを倒し、進化抑制プログラムを破壊する必要を感じた二人が、無意識に一番効果的で素早い対応をしたのだろう…焦り手間取る彼等を置いて…。

 それはただ、経験が物を言ったのであって、彼等の落ち度では無い。
 だが、その意図は無かったとしても力の差を見せ付けられ、更に、何も出来ないままに戻った先で、残して来た先輩のひどく傷ついた姿を見てしまったら…ショックは大きかったかもしれない。

 同じになど、出来るわけが無いのに…。
 経験も知識も足りなさ過ぎる彼等。
 それでも、共に在りたいと望んでくれる、その向上心が嬉しかった。

 だから、決めた。

「…焦んなよ。何でもかんでも、全部オレ等と同じように出来なくたっていいじゃねぇか。戦い方も、信頼も、一つずつ積み上げてくもんで、一足飛びにやろうったってそうはいかねぇよ」
「太一…先輩…」
「間違えんな。お前等は何も出来なかったんじゃねぇ。オレは『ダークタワーを倒してくれ』って頼んだ。そんでお前等はそうしてくれた…んで、それは『間に合った』んだ」
「………」
「間に合ったんだよ…ギリギリだったけどな」

 にっこり笑った太一の顔は、そこら中擦り傷だらけで…それでも優しく笑ってくれる。
 胸が痛かった。
 役に立ちたいと、共に戦える者になりたいと心から思った。
 彼が大切に思っているものを、一緒に守っていくために…。

「ああ、もう、泣くなって!頭撫でてやれる手がねーんだから!」
「は、はい!すみませんっ」
「もう、一々気にすんなよ?ヒカリ達だってお前等が敵をひきつけてたからその隙をぬってやったんだろーし」
「え!?そーなの!?」

 驚いてヒカリ達を見ると、少し言い難そうに苦笑する。

「う、うん。実はそう…」
「ごめん。そんなに気にしてるとは思わなくて…」

 それだけ必死だったからなのだが、全く何の役にも立っていなかったと思っていた大輔達にしてみれば、囮のような役回りでも、少しでも力になっていたのなら構わない。
 少し力が抜けた。

「分かったか?んじゃ帰るぞ〜」
「「「はいっ!」」」

 元気が出た後輩達に微笑み、ゆっくりとモニターに向かい進む。

「あのっ、太一先輩!タンクモンと戦ったんですよね?どーやって勝ったんスか?」
「はは。タンクモンなんざアグモン達が成熟期に進化出来れば敵じゃねぇよ」
「じゃあ、しっぽ巻いて逃げてったんスか!?すげーなあ!」

 嬉しそうに顔を綻ばせた後輩達に、先輩達はただ微笑んだ。

 まだ、告げるのは早い。
 戦いとは『勝負』では無く、『命の奪い合い』であることの方が多いのだと…。
 彼等の戦いには、まだそんな局面は少ない…敵である『デジモンカイザー』自体が、本来は『人間の子供』であるおかげか、デジモン達を傷つけることはあっても命を奪うことは無かったから…。

 だからまだ、彼等は静観していられるのだ。
 彼等が少しずつ成長していくまで、どんなものにも負けない心と絆を作り上げるまで、世界が待っていてくれればいいのだけど…。

 さりげなく仲間達に視線を送った太一に、デジモン達も合わせて、皆が小さな頷きを返した。

 時が来るまで、黙っていよう。
 優し過ぎる彼等の心を、これ以上傷つけないために…。










「おかえり〜」

 現実世界のパソコン教室で彼等を向かえたのは丈だった。

「すみません、丈さん。何か変わったことはありませんでした?」
「いや。僕がここにいる間は何事も無かったよ。おかげで課題がはかどって助かったよ」

 机いっぱいに広げられている問題集や参考書に、戻って来た者達は一瞬たじろぐが、自分達が貰うわけでも無いのでその場に留まった。
 丈は、通っている中学が進学校ということもあって、課題や宿題等が多くあまり来れないのだが、それでも塾が無い日は駆けつけて、普段光子郎がやっているパソコンの見張りをしてくれている。
 家や図書館で仲間達の身を案じてやきもきしながらやるよりは、ここで自習しながら待っている方が気が楽だというのが彼の言い分だ。
 戦っている仲間達の、例え手助けが出来ないにしても、少しでも側にいたいという気持ちはよく分かる。

 ふと、一人傷だらけの太一の姿を見て眉を顰めたが、その場の雰囲気におや、と首を傾げた。

「太一が満身創痍の割には明るいね」
「ええ。二度とさせないって約束させましたから♪」
「太一が?ちゃんと了承したのかい?」
「丈…」
「や、だって、太一だよ?」
「………」

 不思議そうな、何とも複雑そうな…そんな丈の言葉に苦笑する。
 太一は改めて、どれだけ仲間達に危うく思われていたのかを自覚して頭を下げる。

「…すみません、もうしません」
「ほ、ホントに〜?」
「ホントだって!信じろよ丈!」
「うん…ホントなら喜ばしいことだけど…。いいかい、皆。太一はそう言ってるし、努力もするだろうけど、頭から信じて野放しにしちゃダメだよ?いざとなったら絶対真っ先に飛び込んで行っちゃうんだから」
「丈っ!」

 あまりな言い分に太一が抗議の声を上げるが、丈はちっちっと指を振り、真剣な目を彼に向けた。

「人間ってのはそう簡単には変わるもんじゃ無いんだよ。ましてや君の自己犠牲は、体の隅に至るまで染み付いてしまっている習性だ。君自身が変わろうとしてたって、体の方がとっさに動いてしまうこともあるからね。それまでは見張りが必要だ」
「おい…」
「一理ありますね。流石です、丈さん」
「そうね。しっかり捕まえとくことにしましょう」
「太一、一人で動くなよ」
「………」

 信用してくれているのか、いないのか…さっさと丈の味方についた仲間達に、太一は両手を挙げて降参した。
 今までずっとそうだったのなら、少しずつ変わっていくしかないことは分かっている…少しずつ…自分を大切に…実はちょっと自信が無い。
 見張っていてくれると言うのなら、その方がありがたいかもしれないから…。

「太一先輩?」

 不思議そうに聞いて来る後輩の頭をくしゃりと撫で、太一は何でも無いと笑った。

「それじゃ、太一の怪我の手当てに保健室に行こうか。太一、おんぶとお姫様だっこ、どっちがいい?」
「…お姫様だっこ」
「そうか」
「うわっ!ホントにすんなっ!おんぶでいいよ、おんぶにして下さい!」
「もう抱え上げちゃったからダメ。太一捕まってなよ」

 あっさりにっこり笑った丈に、太一は必死でお願いをしておんぶに替えてもらうことに成功した。
 少し暴れたせいで復活した痛みと、いらぬ気疲れでぐったり丈の背に体を預けている太一を、仲間達は楽しそうに笑い合った。





 守りたい。
 戦いたい。
 役に立ちたい。
 側にいたい…。

 それはどれも、一つの共通の想いから生まれた言葉。


 あなたのことが、大好きだから…大切なんです。
 それはとても、優しい言葉…。






 
おわり

        まとまり無くって申し訳無い。
        でもホントは、ここまでが本編で書きたかったことなの
        でした…時間無くってあそこで切りましたが(爆)
        しかし、うちの丈先輩って、やっぱ強いな〜(苦笑)
        太一さんは、今回とっても微妙だ…(汗)